天上の桜

乃平 悠鼓

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第一章

白木蓮の女怪 《九》

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※前回、前々回ほどではないものの、残酷な場面や可哀想な場面があります。ただ、これがないと終わらないので、ご了承下さいませ。m(__)m




********

「何だよ、何だよこれ!! あのが、何をしたって言うんだよ!! こんな目にわなけゃならないほど、何か悪いことでもしたのかよ!!」

 女怪にょかいを取り囲む薄赤い壁に映し出されたあの日の真実を見て、悟空は怒り心頭しんとうに叫んだ。

「自分達が力をほっするばかりに何も知らない少女の身体に雪魂せつこんを植え付け、その身体を乗っ取ったあげく、雪魂に養父母りょうしんや村人達をあやめさせ生き血をすいとり、まだわずかに残った少女の魂に血の泪を流させる。邪神じゃしんが好んでやりそうなことだ」

 淡々と見たままを言葉にした八戒だが、その両手は爪の後に血がにじむほど、悔しげに握りしめられていた。

「大好きな親を、自分に優しくしてくれた人を、その手が殺めて行くんだ。幼い心は切り裂かれ、奪われてすでにないはずの身体からも血が流れ続ける。苦しかっただろうな、辛かっただろうな。いや、違うな。今もまだ、苦しみ続けている」

 大柄な武人である悟浄の睛眸ひとみも、痛ましげに揺れた。

「俺達があの時、何の迷いもなく玉英ぎょくえいを倒していたら、玉英の苦しみは終わっていたのか」

 ポツリと、後ろにいた緑松りょくしょうの弟子の一人が呟く。

「可哀想に、玉英」

 赤ん坊の頃から玉英を知っている緑松には、玉英の苦しみが手に取るようにわかり、その双眸そうぼうから涙を流した。その時

「違う! そんなことで、玉英の苦しみは消えるのか!! いや、消えるはずがない! 苦しんだままじゃ、あんまりだろう……」

 目の前を壁に阻まれながらも、こちらへこようと爪をふるう玉英を見つめながら、玄奘が言った。

「ならば、いったいどうすると言うのだ」

 何か面白いものを見たように、ニヤリと口角をあげた沙麼蘿さばらの言いように

「この結界をとけ。」

 と、玄奘は呟く。そして、

「確かに、私達はことの本質を見誤みあやまったかも知れない。それが、玉英を苦しめたことも確かだ。だが、それが何のためだったかと聞かれれば、今日この日のためだったと答えるだろう。あの日、あの時だったら、玉英の魂を助けてやることはできなかった。だが、今なら身体を取り戻してやることはできなくとも、苦しめられてきた玉英の千分の一、万分の一でも癒してやることができたなら、今日まで待たせた意味もあるはずだ。いや、あると思いたい。」

 と言った。

「ずいぶんと独りよがりなことだ」

 沙麼蘿は、トゲのある言い方をして玄奘を見る。

「あの時の自分には、なんの力もなかった。だが、今は違う。私を天上の桜の護り人と言うのなら、お前が鍵を護る鬼だと言うのなら、私にその力をかせ! その借りは、天上の桜を護りきることで返す!!」

 玄奘の言葉に、沙麼蘿は “フン” と鼻をならすと

小賢こざかしいことを。いいだろう、高僧と言う身でありながら、自らが血にまみれることをいとわぬお前の言うことだ、力を貸してやる。結界を外す」

 と言った。そして沙麼蘿の指先が再び印を結び、それが薄赤い壁のよえな物に向けられると、スッーと結界が消え去って行く。
 玄奘は結界が消え去って行くさまを見つめながら、己の帯革ベルト尾錠バックルの前で両手を交差させた。そしてその両手のてのひらを開くと、そこに双剣が現れる。玄奘が現れた双剣を掴み取った瞬間、目の前の結界がすべて消え去った。

紅流児こうりゅうじ!!」

 玉英の鋭い爪先が、玄奘の首めがけ襲いかかる。だが、その爪先が玄奘に届く前に

「う…っ……!」

 玄奘の双剣が玉英の身体をつらぬいた。美しい玉英の顔が歪み、その身体から臙脂えんじ色の血が、まるで綿雪が舞うように地面に落ちて行く。

「すまない、遅くなって」

 “そっかぁ、紅流児の御師匠様おっしょうさまは、すごいお坊様だったんだね。紅流児も大人になったら、立派なお坊様になるんだ。すごいね! 私もここで頑張って、大人になったらお父さんとお母さんに楽をさせてあげるんだ! 紅流児はいつか、此処ここを出て行くんでしょ? でも、またいつでもいいの。此処に立ち寄ってね。お父さんとお母さんに楽させてあげてる私を見に戻ってきて、ね!”

 あの時、そう言って笑った玉英の姿が、玄奘には見えた気がした。その時

「ごめん…ね……。苦し…めて……、ごめ…んね……。紅…流…児……。」

 伸ばされた指先が、そっと玄奘の頬に触れた。

「玉…英……!」

 見つめた玉英は、あの日と同じような顔をして、臙脂色の泪をこぼしていた。かって、村人達を襲った狂気に歪んだ顔は、何処どこにもない。
 “あぁ、そうだった” と、玄奘は思う。玄奘の知っている玉英は、何時いつだって他人を思いやることができる優しい娘だった。村の子供達にイジメられ辛い思いをしている自分のことではなく、御師匠様を亡くして悲しんでいる玄奘を気づかい、励ましてくれるほどに。
 玄奘の睛眸ひとみから、一筋の泪がこぼれ落ちた。

「傷…つけて……、ごめ…んね……。ただ…、いた…かった……、紅流…児に……。私…を……、殺し…て…欲し…かった……。私…を…、解放…して…欲し…かった……」

 そう言うと、玉英は夜空を見上げ

「ごめん…ね……、お父…さん……お母…さん……。親…孝行…してあ…げられ…なくて……、ごめん…ね……。村の…皆……、酷い…ことを…して…ごめん…なさい……。どう…か……、どう…か……、私…を…許…し…て……」

 と言った。雪魂せつこんに身体を奪われた偽りの玉英ではなく、本当に僅かに残った嘘偽りのない玉英の心。泪に濡れる双眸そうぼうには、悲しい安らぎと、悲しい優しさが入り乱れていた。
 玉英の頬をつたう泪に、偽りはない。愛する何よりも大切だった養父母りょうしんあやめ、村人を襲い、村を崩壊させた。この十二年、紅流児や道士様達を苦しめ続けてきた。
 大人になったらまた会おうと約束したのに、一生懸命生きて行くと約束したのに、お父さんとお母さんに楽させると約束していたのに、何一つ守れずに、皆に辛い思いばかりを押しつけた。
 玉英は、最後にもう一度紅流児を見つめる。

「ごめん…ね……、紅流…児……。ごめん…なさ…い……、道士…様……。この…身体は…地獄の…業火ごうかに…焼かれ…消え…去っても……、心…は……、心…だけ…は…皆の…側に…いて……、今度…こそ…皆を…守る…と…約束…する…から……。きっ…と…守る…から……、だか…ら……、私…を……、許し…て……。紅…流…児……」

 最後に、玉英の手が玄奘に伸ばされた。その手を、玄奘が掴もうとしたが、玄奘の指が玉英に届くことはなかった。後ろに倒れゆく玉英の胸元の雪魂が光る。雪魂が、玉英の最後に残った魂の欠片かけらを吸い込もうとしているのだ。
 玄奘は思わず叫んだ。

「沙麼蘿ーーー!!」

 雪魂が魂を吸い込む前に、沙麼蘿は

「オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク」

 と呟くと、素早く印を結ぶ。そして、己の右手を玉英の胸元にかざした。玉英の身体を優しい愛染朱あいぜんしゅの光が包み込む。
 玄奘はとっさに数珠じゅずを掴むと、般若心経はんにゃしんきょうを唱え始めた。玉英の身体が地面に崩れ落ち、そして……。
 玉英の睛眸が閉じられる直前、沙麼蘿は握りしめたままの右手を玉英に向かって差し出した。

「欲しいか、あの養父母りょうしんと共に生きる、そんな未来が欲しいか。欲しければ、願うがいい。どんなに時間がかかろうとも、天上の桜は、その願いを叶えよう」

 握られた沙麼蘿の手が光り輝き、何かがその手の中に現れる。沙麼蘿が指を開くと、そこには赤い色をした桜の花びらの形の水晶クリスタルのような物が見えた。
 玉英は、朦朧もうろうとする中で、その花びらに手を伸ばす。優しかった養父母りょうしんの姿がそこに見えた。もう一度、生まれ変わることができるなら、今度こそ幸せに暮らしたい。お父さんと、お母さんと、そんな未来が、欲しい。
 玉英の最後の願いは、天上の桜に届いた。桜は輝きを増すと細かな粒子となり、玉英の身体の中に消えて行く。そして玉英の手が、力なく地面の上に落ち、その睛眸が閉じられた。
 玉英の身体もまた、粒子のようになり雪魂の中に消え去って行ったのでる。

「玉英ーーー!!」

 雪魂だけが残されたその場所で、玄奘の叫び声だけが響き渡った。
 玉英の、その名残なごりを。




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