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第一章
天の原と戦の原に舞う紅の花 《一》
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天(あま)の原→天上界
戦(いくさ)の原→下界
********
何処までも続く緑の野原。風は優しく舞い踊り、青々とした緑を揺らしていく。天都の端にある、今や誰も訪れることさえない大地。
かって、此処でアレは言ったのだ。
『大切なものを奪い取られる気持ちが、お前にもわかったか!』
と。その大きな躰で、琥珀色の睛眸で。
『あぁ、そうか……』
と、皇は思った。
『お前……か。お前が、私から義妹を奪い取ったのか! あの日の仕返しに……!』
と。あの時
『皇……、生きて……幸せに……なって……。この……、世界……で……』
そう沙麼蘿が言い残さなければ、間違いなく皇は復讐の中に身を投じ、この世界を破滅させていただろう。だが、沙麼蘿は “この世界で幸せになれ” そう言った。沙麼蘿がそう言うには、それなりの意味があるはずだ。
阿修羅王も、皇に貸し与えていた宝具を返せとは言わず、愛染明王に至っては一族しか身に纏うことを許されぬはずの猩々緋色の単の衣まで皇に贈ってくれた。
“力をつけ、確固たる地位を築け” そう言われている気がして、皇は一人暗躍した。天人達が気がついた時には既に、皇はナタ率いる天界軍以上に強固な自ら軍を所有していたのだった。
皇は、並んだ二つの墓標の前に立つと
「母上、地上に降りる許可が出るようです。母上は、地上を美しい所だと言っていましたね。沙麼蘿と一緒に、その美しい光景を見て参ります。」
天帝一族でありながら、皇の母聖宮には廟がない。聖宮は飾り立てられたただの箱物、見せかけの場所よりも、愛する夫の側で眠ることを選んだからだ。
下級神でありながら聖宮を妻にしたことの罪を問われ、母を守ったにもかかわらず罪人として扱われ、天都の中に墓を作ることも許されなかった父。聖宮は密かに、天都の端にある天人達が誰も訪れることがない此処に、愛する夫を埋葬した。そして自らも、此処に眠ることを望んだのだ。
皇は、墓標しかない両親の墓を見て己の手をぐっと握りしめる。そして
「また参ります。母上、父上」
と言って踵を返す。皇の身体の動きに合わせ、猩々緋色の単の裾先がふわりと舞う。それはまるで、緑の野原に咲く真っ赤な花のようにも見えた。
皇と片時も離れることなく側に控えていた金色の毛並みを持つ大神の須格泉が、その真っ赤な花と戯れるように皇の後をついて戻った。
「皇様、紫微宮より使いの者が参りました」
天都の端の緑の大地から皇の住まう蒼宮に戻る途中、妾季が道の端で片膝をつき皇を待っていた。
「そうか」
「急ぎ紫微宮に参内されたし、と」
頭を垂れままの妾季の言葉に、“わかった” と皇が答えれば
「地上へ、降りられるのですか」
と、妾季がその顔を上げた。
「あぁ、そうだな。準備を」
「ハッ!」
すっと妾季が消え去った方向を見つめていた皇の、口角が上がる。そして皇は、その指先で左耳の耳飾に触れた。
この紅玉・真珠・金剛石で飾りつけられた耳の半分を覆う形の耳飾は、対になる耳飾をつけた相手沙麼蘿のいる場所がすぐにわかり、その場所に行くことが出来るものだ。
まだ沙麼蘿が幼かった頃、その力を制御することが出来ず、突然ほかの場所へ飛ばされることがあった。自ら帰ってくることは出来たが、それまでの間に周りにどんな影響を及ぼすかわからない。
そのことを心配した阿修羅王が、この対になった耳飾を沙麼蘿と皇につけさせたのだ。幼い日の皇は、この耳飾を頼りに世界の果て、はたまたその先にまで沙麼蘿を向かえに行ったものだ。
それ故、あの日も地上の何処で沙麼蘿がその姿を現したのか、皇にはよくわかった。だからこそ、いち早く琉格泉を沙麼蘿の側に向かわせた。賢い大神は、きっと沙麼蘿の役に立つ。そして、常識などに関心を示さぬ沙麼蘿のお目付け役としても、ちょうどいいはずだ。
何れ沙麼蘿を思うままに動かしたい、又は沙麼蘿の扱いに困った天上界が、皇に地上へ行けと言ってくることはわかりきっていた。
「お前も、早く沙麼蘿に会いたいだろう」
そう言って須格泉の頭を一撫ですれば “そうだな” と、須格泉は言った。大神は、普段人前では言葉を話さない。だが下界の狼とは違い、神の使いである大神は人の言葉を理解し、人の言葉で下界の人間達に神の言葉を伝えるのだ。
無論、須格泉も琉格泉も言葉を話す。だが、下界で沙麼蘿に寄り添う琉格泉は余程ことがない限り言葉を発しないだろう。今や下界の誰もが、大神が言葉を話すとは思ってもいないのだから。
「さぁ須格泉、紫微宮へ行こうか。」
私の義妹を犠牲にして安寧を享受してきた天人達よ、その安寧が揺るがされる時がきた。お前達はどうする。
『楽しそうだな、皇』
「そうか」
須格泉に答えた皇は思う。奪われた者が帰ってきた、では “大切な者を奪い取られる気持ちが、お前にもわかったか!” そう言ったアレは、これからどう出てくるか。アレの行動にも、気を配らねばなるまい、と。
だが、まずは紫微宮なのだ。皇の姿を見るたびにその顔をしかめる鶯光帝が、どの顔で皇に下界へ行けと言うのか。皇は鶯光帝の姿を思い、にやりと笑った。
********
至って→きわめて。はなはだ
暗躍→人に知られないよう、ひそかに策動し活躍すること
墓標→埋葬箇所に建てる目印の石や木の柱
廟→死者を祀る宗教施設。墳墓
踵→かかと
片時→一時の半分の意。ほんのしばらくの間。ちょっとの間
戯れ→遊び興じること。ふざけること。冗談。また、本気ではなくて遊び半分なこと
参内→宮中に参上すること
制御→おさえつけて自分の意のままにすること
無論→論じる必要のないほどはっきりしているさま。言うまでもなく。もちろん
余程→かなりの程度であるさま。ちょうどよいさま。度をこえているのでもうその程度であってほしいさま
安寧→無事でやすらかなこと。特に世の中が穏やかで安定していること
享受→あるものを受け、自分のものとすること。また自分のものとして楽しむこと
戦(いくさ)の原→下界
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何処までも続く緑の野原。風は優しく舞い踊り、青々とした緑を揺らしていく。天都の端にある、今や誰も訪れることさえない大地。
かって、此処でアレは言ったのだ。
『大切なものを奪い取られる気持ちが、お前にもわかったか!』
と。その大きな躰で、琥珀色の睛眸で。
『あぁ、そうか……』
と、皇は思った。
『お前……か。お前が、私から義妹を奪い取ったのか! あの日の仕返しに……!』
と。あの時
『皇……、生きて……幸せに……なって……。この……、世界……で……』
そう沙麼蘿が言い残さなければ、間違いなく皇は復讐の中に身を投じ、この世界を破滅させていただろう。だが、沙麼蘿は “この世界で幸せになれ” そう言った。沙麼蘿がそう言うには、それなりの意味があるはずだ。
阿修羅王も、皇に貸し与えていた宝具を返せとは言わず、愛染明王に至っては一族しか身に纏うことを許されぬはずの猩々緋色の単の衣まで皇に贈ってくれた。
“力をつけ、確固たる地位を築け” そう言われている気がして、皇は一人暗躍した。天人達が気がついた時には既に、皇はナタ率いる天界軍以上に強固な自ら軍を所有していたのだった。
皇は、並んだ二つの墓標の前に立つと
「母上、地上に降りる許可が出るようです。母上は、地上を美しい所だと言っていましたね。沙麼蘿と一緒に、その美しい光景を見て参ります。」
天帝一族でありながら、皇の母聖宮には廟がない。聖宮は飾り立てられたただの箱物、見せかけの場所よりも、愛する夫の側で眠ることを選んだからだ。
下級神でありながら聖宮を妻にしたことの罪を問われ、母を守ったにもかかわらず罪人として扱われ、天都の中に墓を作ることも許されなかった父。聖宮は密かに、天都の端にある天人達が誰も訪れることがない此処に、愛する夫を埋葬した。そして自らも、此処に眠ることを望んだのだ。
皇は、墓標しかない両親の墓を見て己の手をぐっと握りしめる。そして
「また参ります。母上、父上」
と言って踵を返す。皇の身体の動きに合わせ、猩々緋色の単の裾先がふわりと舞う。それはまるで、緑の野原に咲く真っ赤な花のようにも見えた。
皇と片時も離れることなく側に控えていた金色の毛並みを持つ大神の須格泉が、その真っ赤な花と戯れるように皇の後をついて戻った。
「皇様、紫微宮より使いの者が参りました」
天都の端の緑の大地から皇の住まう蒼宮に戻る途中、妾季が道の端で片膝をつき皇を待っていた。
「そうか」
「急ぎ紫微宮に参内されたし、と」
頭を垂れままの妾季の言葉に、“わかった” と皇が答えれば
「地上へ、降りられるのですか」
と、妾季がその顔を上げた。
「あぁ、そうだな。準備を」
「ハッ!」
すっと妾季が消え去った方向を見つめていた皇の、口角が上がる。そして皇は、その指先で左耳の耳飾に触れた。
この紅玉・真珠・金剛石で飾りつけられた耳の半分を覆う形の耳飾は、対になる耳飾をつけた相手沙麼蘿のいる場所がすぐにわかり、その場所に行くことが出来るものだ。
まだ沙麼蘿が幼かった頃、その力を制御することが出来ず、突然ほかの場所へ飛ばされることがあった。自ら帰ってくることは出来たが、それまでの間に周りにどんな影響を及ぼすかわからない。
そのことを心配した阿修羅王が、この対になった耳飾を沙麼蘿と皇につけさせたのだ。幼い日の皇は、この耳飾を頼りに世界の果て、はたまたその先にまで沙麼蘿を向かえに行ったものだ。
それ故、あの日も地上の何処で沙麼蘿がその姿を現したのか、皇にはよくわかった。だからこそ、いち早く琉格泉を沙麼蘿の側に向かわせた。賢い大神は、きっと沙麼蘿の役に立つ。そして、常識などに関心を示さぬ沙麼蘿のお目付け役としても、ちょうどいいはずだ。
何れ沙麼蘿を思うままに動かしたい、又は沙麼蘿の扱いに困った天上界が、皇に地上へ行けと言ってくることはわかりきっていた。
「お前も、早く沙麼蘿に会いたいだろう」
そう言って須格泉の頭を一撫ですれば “そうだな” と、須格泉は言った。大神は、普段人前では言葉を話さない。だが下界の狼とは違い、神の使いである大神は人の言葉を理解し、人の言葉で下界の人間達に神の言葉を伝えるのだ。
無論、須格泉も琉格泉も言葉を話す。だが、下界で沙麼蘿に寄り添う琉格泉は余程ことがない限り言葉を発しないだろう。今や下界の誰もが、大神が言葉を話すとは思ってもいないのだから。
「さぁ須格泉、紫微宮へ行こうか。」
私の義妹を犠牲にして安寧を享受してきた天人達よ、その安寧が揺るがされる時がきた。お前達はどうする。
『楽しそうだな、皇』
「そうか」
須格泉に答えた皇は思う。奪われた者が帰ってきた、では “大切な者を奪い取られる気持ちが、お前にもわかったか!” そう言ったアレは、これからどう出てくるか。アレの行動にも、気を配らねばなるまい、と。
だが、まずは紫微宮なのだ。皇の姿を見るたびにその顔をしかめる鶯光帝が、どの顔で皇に下界へ行けと言うのか。皇は鶯光帝の姿を思い、にやりと笑った。
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至って→きわめて。はなはだ
暗躍→人に知られないよう、ひそかに策動し活躍すること
墓標→埋葬箇所に建てる目印の石や木の柱
廟→死者を祀る宗教施設。墳墓
踵→かかと
片時→一時の半分の意。ほんのしばらくの間。ちょっとの間
戯れ→遊び興じること。ふざけること。冗談。また、本気ではなくて遊び半分なこと
参内→宮中に参上すること
制御→おさえつけて自分の意のままにすること
無論→論じる必要のないほどはっきりしているさま。言うまでもなく。もちろん
余程→かなりの程度であるさま。ちょうどよいさま。度をこえているのでもうその程度であってほしいさま
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