天上の桜

乃平 悠鼓

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第一章

天の原と戦の原に舞う紅の花 《四》

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 静寂せいじゃく沈黙ちんもくが支配する、紅藤べにふじ色の空。昼間のまぶしく暖かい陽射ひざしが降り注ぐ時間帯と違い、今は光が彩りを落とし少しだけ冷たい夜の風が吹き抜ける。
 下界の夜とは違い、ここ上界には暗闇の夜は存在しない。上界では、下界のあかつき程の色合いが夜の景色なのだ。



 沙麼蘿さばらは、琉格泉るうのと共にそっと道界どうかい朱雀門すざくもんにその姿を現した。そばにある霊獣れいじゅう朱雀が住まう朱雀宮からわずかな音がして、その宮の主が顔をのぞかせる。
 一瞬、ほんの一瞬、霊獣れいじゅうと言うこの上界を護る聖なる身でありながら、朱雀のその琥珀こはく色の睛眸ひとみに憎しみの炎が宿ったのを、沙麼蘿は見逃さなかった。そして次にはひどく冷たい睛眸で、朱雀は沙麼蘿を射貫いぬくように見つめる。しかし、それは沙麼蘿も同じだった。
 あの日、鶯光帝おうこうていは言ったのだ

捕獲ほかくせよ!!』

 と。“なんて酷いことを……” そう呟いた聖宮せいぐうの声は、今も沙麼蘿の耳に残っている。

『お願い沙麼蘿、助けて』

 一度禁断の方術ほうじゅつに頼ることを覚えた天人てんじん達は、もはやそれなしにはいられない。聖宮の弱々しい言葉に、その日沙麼蘿は力を解放した。

『お前達さえ……』

 朱雀が、沙麼蘿に向かって呟く。沙麼蘿は黙ってその呟きを受け止めた。そこには、大切なものを奪われた側と、奪い取った側のせめぎ合いがあるようにも見える。まるで、氷の火花が散るようなにらみ合いの朱雀と沙麼蘿の間に割って入った琉格泉が、そっと沙麼蘿の足元にすり寄った。

「分かっている」

 そう呟いた沙麼蘿が、琉格泉の頭を一撫でする。そして朱雀に冷たいめた笑みを向けると、沙麼蘿と琉格泉は朱雀の前から消え去って行った。その後には、まるで忌々いまいましいと言わんばかりの朱雀だけが残されていた。



 久しぶりに訪れた蒼宮そうきゅうは、あの日沙麼蘿が此処ここを出た時と何も変わっていなかった。四つある離宮の中で、蒼光帝そうこうていが一番多くの時間を過ごした蒼宮。蒼光帝から娘の聖宮せいぐうへ、そしてその息子のすめらぎへと主は代わっても、この蒼宮が変わることはない。
 沙麼蘿は見知ったその場所を、足を止めることなく一つの堂室へやへと向かって歩く。ひっそりとしたその臥室しんしつの中には丸いたくと二きゃく椅子いすがあり、続きの間の窓辺には卓子つくえと椅子とたながあった。壁際に置かれた臥牀しんだいには質の良いふとん。そこから、わずかに苦し気な吐息といきが漏れ聞こえている。
 沙麼蘿は臥牀に近付きその端に腰を下ろすと、そこに眠る女仙じょせんの顔を覗き込む。あの日に見たそのかおよりも、僅かに年老いて熱を持った面がそこにはあった。
 長い時を生きる女仙であれば別れたあの日と変わらぬ容姿であってよいものを、僅かに年老いたそのかおに、如何いかにして皇に仕え生きてきたのかがうかがえる。
 沙麼蘿が花薔かしょう仙女せんにょ堂室へやへ入ったことを見届けた琉格泉が、廊屋ろうかへと進み出て消えて行く。ふとんの上にある花薔の左手の上に、沙麼蘿はその右手を重ねた。

「花薔」

 熱く息苦しい中、冷たい何かが花薔の手に触れて、その冷たさが心地よいと花薔は思った。ひどく懐かしさを感じさせるその感覚に、その重いまぶたをゆっくりと開く。
 すると、その睛眸ひとみに映り込んだのは、思いもよらない懐かしい姿。“御嬢様” と呼び、過ごした日々。花薔にとっては、皇と共に大切で大切で仕方なかった御嬢様。
 それが、別れになるとは思いもせずに、あの日 “行ってらっしゃいませ” と送り出した。

「お…嬢…様……」

 花薔の睛眸が見開かれ、一筋のなみだがこぼれ落ちる。

「花薔」

 沙麼蘿の声は、今まで花薔が聞いたことがない程に優しかった。

「あ…ぁ………。なん…と……、なんと、幸せなことでございましょうか。最後に、御嬢様にお会いできるとは」
「よく頑張ってくれた。花薔の働きで、皇は今の地位を得られたのだ」

 その言葉に、“いいえ、いいえ” と花薔は小さく首を左右に振った。

阿修羅王あしゅらおうと、愛染王あいぜんおうの…おかげでございます。私は…何も……」
「花薔が、命を削って皇の仲間を作ってくれたのだろう」

 “いえ、そのような” と花薔は言うが、花薔は何時いつだって聖宮、皇、沙麼蘿のために、その命を削ることをいとわなかった。
 花薔は地仙ちせんの中でも、薬学を得意としている。薬を作り出す知識を持った師匠の元で修行をし、その腕前を買われ須弥山しゅみせんから道界へとやってきたのだ。
 貧しい家に生まれ、生きるのにも苦労していた時に師匠である地仙と会い、須弥山のふもとで薬学を勉強しながら師匠に学んだ。
 下界と上界では時の流れが違うように、下界と須弥山でも時の流れは違う。上界程ではないにしても、下界よりは時の流れが遅いのだ。
 花薔は、須弥山で作った薬を売りながら下界の家族を支えたが、須弥山で生きる花薔にとって両親との別れは早かった。下界では、長い時間が過ぎていたのだ。
 花薔は、兄弟達までは生活のしにと薬を渡していたが、ある日下界の村に行くといくさで村はなくなっていた。
 それからは家族もなく、花薔は薬学だけを頼りに生きてきた。そう、道界で聖宮に会うまでは。

「御嬢…様……。私…は……、聖宮の元に…行きたいのです」

 その言葉に、沙麼蘿は僅かにその睛眸を見開いた。




********

紅藤色→紅がかった藤色のことで赤みの淡い紫色
暁→太陽の昇る前のほの暗いころ
射貫く→射た矢がねらった物を貫き通す。射通す
捕獲→動物などを捕らえること。いけどる
方術→不老不死の術や医術・易占など方士の行う術
冷たい醒めた笑み→相手を見下した笑み
忌々しい→非常に腹立たしく感じる。しゃくにさわる
如何にして→どうやって
厭わない→物事を行うことに後ろ向きでないさま
地仙→地上にいる仙人
足し→不足を補うもの。補い


今回は天上界の離宮での話のため、それらしくするのに少し難しい書き方になりました。“部屋→堂屋” とか “寝室→臥室” とか。参考書は十二○記と漢和辞典で。(^^;


次回投稿は28日か29日が目標です。
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