62 / 205
第一章
水簾洞の小猿 《八》
しおりを挟む
悟空は、水簾洞から戻る途中にある花果山の須菩提の家に立ち寄った。
あれから長い時間がたつと言うのに、家の中はあの時と何も変わらない。須菩提がかけた術により、この家の中だけ時が止まったかのようだ。
あの日、悟空が偶然見つけた小さな寺院の奥には、金色に光る桃の木があった。その珍しさに心ひかれ、気がつけば桃を両手いっぱいに持って食べていた。金色の桃は大変美味しく、思わず須菩提に土産として持ち帰ったくらいだ。
もしあの時この桃を持ち帰らなければ、須菩提の命はなかったはずだ。たった一口、須菩提が食べた、そのほんの一口。あの一口のおかげで、須菩提の命は奪われることなく、身体が長い眠りについた。
倒れて動かなくなった須菩提を連れ須弥山の妙高山に向かった時、須弥山の上に住む上仙は悟空にこう言ったのだ。
「須菩提もお前等と出会わなければ、もっと早く上仙となり、長い長い時間を過ごせただろうに。だが、お前を育てたばかりに長い時間を無駄にし、気苦労ばりをして病に倒れ、その命を散らすのだ」
と。悟空は必死になって上仙に頼んだ。“じいちゃんを助けてくれ!”と。倒れる寸前に食べた蟠桃果のおかげで、命を取られることはなかった。だが、長い眠りにつくことになってしまった。上仙は、確かに悟空と約束した。
「お前が今まで犯した悪しき行いを償えたなら、須菩提を助けよう」
と。悟空は、須菩提が助かるその日まで、毎日毎日人助けをして過ごす。須菩提が、目覚めることを願って。
「じいちゃん。オレ!もっともっと頑張るからな、待っててくれ!」
悟空は、誰もいなくなった家に語りかけた。
「本当に、役に立たないやつらね」
大通りの見世物小屋があったその場所で、女は呟いた。白百合色の武術服のような服を着て、消炭色の髪と睛眸をした女だ。
「花韮様」
部下の男に声をかけられた花韮は振り返る。
「あの猿達は、どうしたのかしら。アレにはお金をかけたんでしょう。」
「それが、連れて行かれたそうです」
「ホント役に立たないやつら。これで、こちらの隠れ蓑が一つ減ったわ」
昨日までここにあった見世物小屋は、花韮の息が掛かった場所だった。金銭面的にも援助し、情報を集めていた。各地を回る見世物小屋ほど、花韮達にとって扱いやすい場所はなかった。
「また、どこかの見世物小屋を探さなければいけないわね。だけど、玄奘三蔵の行動を確認できたのはよかったわ」
この場所を、こんな何もない場所にしたのは玄奘一行らしい。あの沙麼蘿がいれば、それも当然のことだろう。
「忌々しい」
玄奘一行に弟の悟浄がいれば、いずれは思いのままにできるだろうが、邪魔者はあの沙麼蘿だけだ。アレをなんとかしなければ、後々面倒なことになるだろう。
「姉貴?」
その声に、“まぁ!” と花韮は不敵な笑みをみせ、声の主を見た。
「悟浄、貴方も此処にいたの。奇遇ね。」
そう言って悟浄に近づき、その手を取った。
「さぁ、姉さんによく顔を見せてちょうだい!この間は、そんな時間はなかたもの」
あの時別れた姉花韮は、そう言って悟浄に話しかける。優しい手つきで悟浄の頬に手を近づけ
「立派になって」
と、嬉しそうに囁いた。だが、突然 “うっ!” と言うと手で胸元を握りしめ、その場に座りこんだ。
「姉貴!」
“はっ…はっ…” と荒い呼吸を繰り返し、花韮は肩で息をする。
「痛むのよ、時々。あの時背中に受けた箭の場所が」
花韮の言葉は、まるで言い訳のように悟浄には聞こえた。苦しそうに胸元を握りしめ、本当に痛むのは胸なのか背中なのかさえも解らない。だが次の瞬間、花韮はその面をあげると
「に…げて……。私…に、近づ…いては…だめ……よ。逃げる…の、悟浄…」
と小さな声で言った。まるで、姉貴ではない見知らぬ人間の面をして。いや、違う…? 今まで見ていた姉貴の面が、違うのか? 姉貴は、姉貴は、今目の前にいる姉貴のように……。
“うっ!” ともう一度苦しげに面を下げると、花韮の震えが止まった。
「いやね、本当にこの身体。しぶとくて困るわ」
と声がして、いつもの花韮が面があげ悟浄を見た。
「悟浄、今日はここでお別れね。私は、姉さんは、何時でも待っていらから。貴方が、玄奘三蔵を連れて、私達の所に戻ってきてくれる日を」
そう言うと、仲間を連れてふっと消え去って行った。
「なん、なんだ…。今のは…。俺はいったい、今何を…見た…」
悟浄から発せられた言葉は、誰にも聞かれることなく喧騒の中に消えて言った。
「やっと戻ったか、悟空」
「うん、皆。待たせた、やっと戻った!」
水簾洞から戻ってきた悟空は、元気いっぱいだった。久しぶりに猿達と会えたし、家にも帰れた。忘れていた初心と言うものを、改めて取り返したようだ。
ここ数日間の遅れを取り戻し、人助けをしながら天上の桜を守っていけば、きっと自分の望みは叶う。また、元気になったじいちゃんと会うことができる。自分はそのために頑張るのだ。望みが叶うその日まで
「頑張るぞー!」
と、悟空は気合いを入れた。
********
悪しき→悪いこと、悪いもの
隠れ蓑→実体を隠すための手段
忌々しい→非常に腹立たしく感じる、しゃくにさわる
奇遇→思いなく出会うこと
喧騒→さわがしいこと、やかましく騒ぐ声や音
次回更新は7日か8日が目標です。
あれから長い時間がたつと言うのに、家の中はあの時と何も変わらない。須菩提がかけた術により、この家の中だけ時が止まったかのようだ。
あの日、悟空が偶然見つけた小さな寺院の奥には、金色に光る桃の木があった。その珍しさに心ひかれ、気がつけば桃を両手いっぱいに持って食べていた。金色の桃は大変美味しく、思わず須菩提に土産として持ち帰ったくらいだ。
もしあの時この桃を持ち帰らなければ、須菩提の命はなかったはずだ。たった一口、須菩提が食べた、そのほんの一口。あの一口のおかげで、須菩提の命は奪われることなく、身体が長い眠りについた。
倒れて動かなくなった須菩提を連れ須弥山の妙高山に向かった時、須弥山の上に住む上仙は悟空にこう言ったのだ。
「須菩提もお前等と出会わなければ、もっと早く上仙となり、長い長い時間を過ごせただろうに。だが、お前を育てたばかりに長い時間を無駄にし、気苦労ばりをして病に倒れ、その命を散らすのだ」
と。悟空は必死になって上仙に頼んだ。“じいちゃんを助けてくれ!”と。倒れる寸前に食べた蟠桃果のおかげで、命を取られることはなかった。だが、長い眠りにつくことになってしまった。上仙は、確かに悟空と約束した。
「お前が今まで犯した悪しき行いを償えたなら、須菩提を助けよう」
と。悟空は、須菩提が助かるその日まで、毎日毎日人助けをして過ごす。須菩提が、目覚めることを願って。
「じいちゃん。オレ!もっともっと頑張るからな、待っててくれ!」
悟空は、誰もいなくなった家に語りかけた。
「本当に、役に立たないやつらね」
大通りの見世物小屋があったその場所で、女は呟いた。白百合色の武術服のような服を着て、消炭色の髪と睛眸をした女だ。
「花韮様」
部下の男に声をかけられた花韮は振り返る。
「あの猿達は、どうしたのかしら。アレにはお金をかけたんでしょう。」
「それが、連れて行かれたそうです」
「ホント役に立たないやつら。これで、こちらの隠れ蓑が一つ減ったわ」
昨日までここにあった見世物小屋は、花韮の息が掛かった場所だった。金銭面的にも援助し、情報を集めていた。各地を回る見世物小屋ほど、花韮達にとって扱いやすい場所はなかった。
「また、どこかの見世物小屋を探さなければいけないわね。だけど、玄奘三蔵の行動を確認できたのはよかったわ」
この場所を、こんな何もない場所にしたのは玄奘一行らしい。あの沙麼蘿がいれば、それも当然のことだろう。
「忌々しい」
玄奘一行に弟の悟浄がいれば、いずれは思いのままにできるだろうが、邪魔者はあの沙麼蘿だけだ。アレをなんとかしなければ、後々面倒なことになるだろう。
「姉貴?」
その声に、“まぁ!” と花韮は不敵な笑みをみせ、声の主を見た。
「悟浄、貴方も此処にいたの。奇遇ね。」
そう言って悟浄に近づき、その手を取った。
「さぁ、姉さんによく顔を見せてちょうだい!この間は、そんな時間はなかたもの」
あの時別れた姉花韮は、そう言って悟浄に話しかける。優しい手つきで悟浄の頬に手を近づけ
「立派になって」
と、嬉しそうに囁いた。だが、突然 “うっ!” と言うと手で胸元を握りしめ、その場に座りこんだ。
「姉貴!」
“はっ…はっ…” と荒い呼吸を繰り返し、花韮は肩で息をする。
「痛むのよ、時々。あの時背中に受けた箭の場所が」
花韮の言葉は、まるで言い訳のように悟浄には聞こえた。苦しそうに胸元を握りしめ、本当に痛むのは胸なのか背中なのかさえも解らない。だが次の瞬間、花韮はその面をあげると
「に…げて……。私…に、近づ…いては…だめ……よ。逃げる…の、悟浄…」
と小さな声で言った。まるで、姉貴ではない見知らぬ人間の面をして。いや、違う…? 今まで見ていた姉貴の面が、違うのか? 姉貴は、姉貴は、今目の前にいる姉貴のように……。
“うっ!” ともう一度苦しげに面を下げると、花韮の震えが止まった。
「いやね、本当にこの身体。しぶとくて困るわ」
と声がして、いつもの花韮が面があげ悟浄を見た。
「悟浄、今日はここでお別れね。私は、姉さんは、何時でも待っていらから。貴方が、玄奘三蔵を連れて、私達の所に戻ってきてくれる日を」
そう言うと、仲間を連れてふっと消え去って行った。
「なん、なんだ…。今のは…。俺はいったい、今何を…見た…」
悟浄から発せられた言葉は、誰にも聞かれることなく喧騒の中に消えて言った。
「やっと戻ったか、悟空」
「うん、皆。待たせた、やっと戻った!」
水簾洞から戻ってきた悟空は、元気いっぱいだった。久しぶりに猿達と会えたし、家にも帰れた。忘れていた初心と言うものを、改めて取り返したようだ。
ここ数日間の遅れを取り戻し、人助けをしながら天上の桜を守っていけば、きっと自分の望みは叶う。また、元気になったじいちゃんと会うことができる。自分はそのために頑張るのだ。望みが叶うその日まで
「頑張るぞー!」
と、悟空は気合いを入れた。
********
悪しき→悪いこと、悪いもの
隠れ蓑→実体を隠すための手段
忌々しい→非常に腹立たしく感じる、しゃくにさわる
奇遇→思いなく出会うこと
喧騒→さわがしいこと、やかましく騒ぐ声や音
次回更新は7日か8日が目標です。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
Another World-The origin
ファンファン
SF
現実に飽きた世界を、本物の「業」が震撼させる。
九十二歳、一之進。かつて国宝を打ち上げ、戦場を駆けた「生ける伝説」。
隠居した彼が手にしたのは、息子から贈られた最新のVRギアだった。
ステータス? スキル? そんなものは関係ない。
「本物」が振るう一撃は、物理演算さえも置き去りにする。
これは、役目を終えたはずの老兵たちが、電脳世界で再び「魂の火」を灯すまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる