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第二章
沈黙の里《三》
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“またか”、と沙麼蘿は思う。此処へ入り込んだ時から、手を替え品を替えソレらは沙麼蘿の前に姿を表す。大人の手から小さな子供の手まで、“お助け下さい” “タスケテ” と沙麼蘿に縋り纏わりつく。
この思念に満ち溢れた空間では、ソレらは様々な姿を見せる。だが、ソレらが口する言葉はただ一つ。“タスケテ”、それだけだ。どれだけの命が、この地で消え去ったのか。
柔らかな長い指先が、力なくそっと沙麼蘿の頬に触れる。頬を撫でて降ろさせるその手は、普通の人ならば “温かく優しい手”、とでも言うのだろうか。
『優しい子』
美しい顔で微笑むその姿さえ、目の前で “タス…ケ…テ…” と言葉を紡ぐ幼子には見えてはいない。
『貴女のその優しさは、とても尊いものよ。沙麼蘿』
先程から聞こえてくるその声に、幼い頃の記憶が蘇る。道界でもっとも美しく高貴な色と謳われた灰簾石色の髪と双眸をして、優しく微笑むその面は皇にとても良く似ていた。鴇色に天華の花が舞う衣の大きな袖がよく沙麼蘿を抱きしめて、耳元でそう囁いたのだ。
「私に、何をさせたい。聖宮」
そう呟く沙麼蘿に、聞こえてくる聖宮の言葉は同じ。
『優しい…子』
それだけだ。
沈黙が広がる暗闇に、何かが駆ける音がする。沙麼蘿が振り返れば、キラキラと銀色の光が近づいて来る。
「琉格泉」
不思議なことに、あれだけ沙麼蘿に纏わりついていた人の形をした幻影達が、琉格泉が近づくと蜘蛛の子を散らすようにサーッと逃げて行く。
「流石は、大勢至菩薩の大神と言うことか」
此処にいる幻影達は、聖なる存在であり獣でもある琉格泉が恐ろしいようだ。辺りの空気までが、怖さにブルブルと震えているかのようにも感じられる。
「ぴゅ~」
“やっと会えた” 、と玉龍の間の抜けた声がしたあと、“皆は何処?” と、小さな頭が辺りを見回す。
「琉格泉、頼めるか」
『あぁ、任せろ』
沙麼蘿の意をくんで、琉格泉は玄奘達を探しに走りだした。
その姿が現れた時、そこには様々な気配があった。そう、自らの身体が淡い光を放つ陽の氣の塊である悟空と、この沈黙の世界に耐性があり夜目がきく邪神の血を引く八戒は別としても、悟浄の周りには華魂と刀の気配が確かにあったし、玄奘の周りにも薄っすらと光を放ち行く道を示したであろう耳元の水晶と、その道を守護するかのように静かに経文を唱える人の気配があった。
琉格泉が悟空を見つけるのは、とても簡単なことだった。この暗闇の中で、陽の氣が発せられる所に行けばいいだけなのだから。八戒は、自ら琉格泉を見つけ合流できた。
そして悟浄は、ただのモノに成り果ててなお弟と息子を守ろうとする刀に導かれ歩く所を琉格泉に見つけられた。そして、玄奘は。
元は雪魂であった玄奘の左の耳朶につけられた小さな水晶の耳トウが、僅かな輝きを見せ玄奘を琉格泉の元まで導いた。だが、思わず沙麼蘿がその睛眸を見開いたのはその後ろ。
神よりも、高僧ではあるが人間の玄奘には、この沈黙の世界に住む者達はさぞや纏わりつき縋りやすかったことだろう。だが、そんな中にあって何故何者も玄奘に縋りつき暗闇の中に引きずり込めなかったのか。それはひとえに、玄奘を暗闇へと引きずり込むことを許さなかった般若心経のせいだ。
今を生きる人間には決して聞こえるはずもないその声、この沈黙の世界に住まう死人にのみ聞こえる凛とした声。かの人の法力は、普通の死人では太刀打ちできるはずもない。
未だ天上の桜の鍵の中にあって、弟子であり血を分けた親族である紅流児にその想いを残す。幸せであれ、生き抜いて自分の道を行けと、死してなお玄奘を守ろうとする壽慶三蔵が、この沈黙の世界に引きずり込まれた玄奘を守ってくれた。玄奘に、死人が触れることを許さなかった。
壽慶三蔵とは、かくも偉大な高僧であったのだ。壽慶三蔵の法力は、今の玄奘をもしのぐ。般若心経の中から感じられる強い信念と力の渦。おそらく、壽慶三蔵の声は玄奘がこの沈黙の世界に引きずり込まれて直ぐに聞こえてきたはずだ。それは、沙麼蘿に聞こえ始めた聖宮の声と同じように。
「この沈黙の世界でこそ、なし得ると言うことか」
そう、死人しか暮らすことが出来ない思念渦巻くこの世界でこそ、亡くなった人々の真っ直ぐな “想い” だけが光や声となって現れることができた。
「御…師匠様…」
沙麼蘿の視線に、思わず後ろを振り返った玄奘にも見えた僅かな光。姿形は見えずとも、それが壽慶三蔵なのだと、玄奘にはわかった。玄奘が思わず伸ばした手の先に、あの日守ることさえできなかったかの人の姿が見える。だが、その手が届くことはない。
人を想う気持ちは、時に死してもさまよい現れる。それは、この沈黙の世界であればこそ。しかし、それにも限界があるようだ。般若心経を力強く唱えるその姿も、今や暗闇の中に消え行こうとしている。
すべての光が暗闇に消え去った時
「此処は、一体何処なんですか」
と八戒の声が響き渡り、玄奘はハッとして皆に向け振り返った。八戒の言葉に、沙麼蘿はこの世界の真実を語る。
********
手を替え品を替え→さまざまに方法•手段をかえて
思念→思い考えること。常に心に深く思っていること
尊い→とても貴重である様子や、尊重すべきもの
双眸→両方のひとみ
鴇色→鴇の風切羽のような黄みがかった淡く優しい桃色
天華の花→天上界に咲くと言う霊妙な美しい花
意をくむ→人の気持ちや考えを好意的に推察する
般若心経→仏教の全経典の中でも、最も短いもののひとつ。複数の宗派において、読誦(どくじゅ)経典の一つとして広く用いられている
法力→仏法の威力。仏法の功徳の力。仏法を修行して得られた不思議な力
なし得る→物事を達成•遂行することが可能である、と言った意味の表現
次回投稿は6月7日か8日が目標です。
この思念に満ち溢れた空間では、ソレらは様々な姿を見せる。だが、ソレらが口する言葉はただ一つ。“タスケテ”、それだけだ。どれだけの命が、この地で消え去ったのか。
柔らかな長い指先が、力なくそっと沙麼蘿の頬に触れる。頬を撫でて降ろさせるその手は、普通の人ならば “温かく優しい手”、とでも言うのだろうか。
『優しい子』
美しい顔で微笑むその姿さえ、目の前で “タス…ケ…テ…” と言葉を紡ぐ幼子には見えてはいない。
『貴女のその優しさは、とても尊いものよ。沙麼蘿』
先程から聞こえてくるその声に、幼い頃の記憶が蘇る。道界でもっとも美しく高貴な色と謳われた灰簾石色の髪と双眸をして、優しく微笑むその面は皇にとても良く似ていた。鴇色に天華の花が舞う衣の大きな袖がよく沙麼蘿を抱きしめて、耳元でそう囁いたのだ。
「私に、何をさせたい。聖宮」
そう呟く沙麼蘿に、聞こえてくる聖宮の言葉は同じ。
『優しい…子』
それだけだ。
沈黙が広がる暗闇に、何かが駆ける音がする。沙麼蘿が振り返れば、キラキラと銀色の光が近づいて来る。
「琉格泉」
不思議なことに、あれだけ沙麼蘿に纏わりついていた人の形をした幻影達が、琉格泉が近づくと蜘蛛の子を散らすようにサーッと逃げて行く。
「流石は、大勢至菩薩の大神と言うことか」
此処にいる幻影達は、聖なる存在であり獣でもある琉格泉が恐ろしいようだ。辺りの空気までが、怖さにブルブルと震えているかのようにも感じられる。
「ぴゅ~」
“やっと会えた” 、と玉龍の間の抜けた声がしたあと、“皆は何処?” と、小さな頭が辺りを見回す。
「琉格泉、頼めるか」
『あぁ、任せろ』
沙麼蘿の意をくんで、琉格泉は玄奘達を探しに走りだした。
その姿が現れた時、そこには様々な気配があった。そう、自らの身体が淡い光を放つ陽の氣の塊である悟空と、この沈黙の世界に耐性があり夜目がきく邪神の血を引く八戒は別としても、悟浄の周りには華魂と刀の気配が確かにあったし、玄奘の周りにも薄っすらと光を放ち行く道を示したであろう耳元の水晶と、その道を守護するかのように静かに経文を唱える人の気配があった。
琉格泉が悟空を見つけるのは、とても簡単なことだった。この暗闇の中で、陽の氣が発せられる所に行けばいいだけなのだから。八戒は、自ら琉格泉を見つけ合流できた。
そして悟浄は、ただのモノに成り果ててなお弟と息子を守ろうとする刀に導かれ歩く所を琉格泉に見つけられた。そして、玄奘は。
元は雪魂であった玄奘の左の耳朶につけられた小さな水晶の耳トウが、僅かな輝きを見せ玄奘を琉格泉の元まで導いた。だが、思わず沙麼蘿がその睛眸を見開いたのはその後ろ。
神よりも、高僧ではあるが人間の玄奘には、この沈黙の世界に住む者達はさぞや纏わりつき縋りやすかったことだろう。だが、そんな中にあって何故何者も玄奘に縋りつき暗闇の中に引きずり込めなかったのか。それはひとえに、玄奘を暗闇へと引きずり込むことを許さなかった般若心経のせいだ。
今を生きる人間には決して聞こえるはずもないその声、この沈黙の世界に住まう死人にのみ聞こえる凛とした声。かの人の法力は、普通の死人では太刀打ちできるはずもない。
未だ天上の桜の鍵の中にあって、弟子であり血を分けた親族である紅流児にその想いを残す。幸せであれ、生き抜いて自分の道を行けと、死してなお玄奘を守ろうとする壽慶三蔵が、この沈黙の世界に引きずり込まれた玄奘を守ってくれた。玄奘に、死人が触れることを許さなかった。
壽慶三蔵とは、かくも偉大な高僧であったのだ。壽慶三蔵の法力は、今の玄奘をもしのぐ。般若心経の中から感じられる強い信念と力の渦。おそらく、壽慶三蔵の声は玄奘がこの沈黙の世界に引きずり込まれて直ぐに聞こえてきたはずだ。それは、沙麼蘿に聞こえ始めた聖宮の声と同じように。
「この沈黙の世界でこそ、なし得ると言うことか」
そう、死人しか暮らすことが出来ない思念渦巻くこの世界でこそ、亡くなった人々の真っ直ぐな “想い” だけが光や声となって現れることができた。
「御…師匠様…」
沙麼蘿の視線に、思わず後ろを振り返った玄奘にも見えた僅かな光。姿形は見えずとも、それが壽慶三蔵なのだと、玄奘にはわかった。玄奘が思わず伸ばした手の先に、あの日守ることさえできなかったかの人の姿が見える。だが、その手が届くことはない。
人を想う気持ちは、時に死してもさまよい現れる。それは、この沈黙の世界であればこそ。しかし、それにも限界があるようだ。般若心経を力強く唱えるその姿も、今や暗闇の中に消え行こうとしている。
すべての光が暗闇に消え去った時
「此処は、一体何処なんですか」
と八戒の声が響き渡り、玄奘はハッとして皆に向け振り返った。八戒の言葉に、沙麼蘿はこの世界の真実を語る。
********
手を替え品を替え→さまざまに方法•手段をかえて
思念→思い考えること。常に心に深く思っていること
尊い→とても貴重である様子や、尊重すべきもの
双眸→両方のひとみ
鴇色→鴇の風切羽のような黄みがかった淡く優しい桃色
天華の花→天上界に咲くと言う霊妙な美しい花
意をくむ→人の気持ちや考えを好意的に推察する
般若心経→仏教の全経典の中でも、最も短いもののひとつ。複数の宗派において、読誦(どくじゅ)経典の一つとして広く用いられている
法力→仏法の威力。仏法の功徳の力。仏法を修行して得られた不思議な力
なし得る→物事を達成•遂行することが可能である、と言った意味の表現
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