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第二章
始まりの終わり《一》
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「静かな良い所です」
「あぁ、そうだな」
西へ西へと向かう旅の途中。八戒が昔暮らしていた村があった場所まで、あと大きな街を二つ過ぎればいいと言う所で立ち寄った小さな村。
ポツリと呟いた八戒の言葉に、悟浄も頷きながら答えた。これと言った名物もなく栄えていると言うわけではないが、静かな小さな宿屋の窓から見える山の緑は青々としていて、ピーンと張り詰めていた玄奘一行の気持ちを優しくほぐしてくれた。
「この所、ひっきりなしだったからな」
窓から外を眺めていた玄奘も、静かに呟く。斑の攻撃を受けてからと言うもの、手を変え品を変え誰かしらに追い立てられるように此処までやって来た。
だがあれ以来、斑や邪神達が出てくることはない。それが、玄奘達の心に一抹の不安を残していた。なにか、とんでもないことを画策しているのではないかと。
そんな中、買ってきていた饅頭にかぶりついていた悟空は、前々から思っていたことを口にした。
「なぁ、姉ちゃん。天上の桜って、いったいなんなんだ」
悟空のその言葉に、八戒や悟浄、玄奘までもが振り返って沙麼蘿を見つめた。“天上の桜”、それを護るために玄奘達は闘っている。自らの手を血に染め上げて、その命をかけてまで。
悟空達が聞いた話は、“世界が欲しくば天上の桜を奪い取れ、世界を死守したくば天上の桜を護り抜け。それが、天上の桜のすべてだ” ただそれだけだった。
いったいそれがどんな大きさで、どんな色をしていて、どんな物なのか。どうやってできた物のか、誰も何一つ知らない。
その知らない物を護り抜くために、悟空達は命懸けで闘っているのだ。
もちろん、それぞれの信念はある。玄奘は、御師匠様から託された天上の桜の鍵の護り手として。いや本心は、唯一の親族であった御師匠様と兄弟のように育った兄弟子達を殺された敵を討つため。
八戒と悟浄は両親や姉、殺された村人達の復讐のため。悟空は、須菩提の命を助けるため。そのために闘っている、天上の桜が何かも知らずに。
おそらく、天上の桜のすべてを知っているのは沙麼蘿しかいない。“それを知ってどうするつもりだ” と、沙麼蘿なら言うのだろうか。
だが、沙麼蘿から返ってきた言葉は、思いもよらないものだった。
「天上の桜。それは、鬼に恋した哀れな天女のなれの果てさ」
「お…に?」
沙麼蘿が初めて天上の桜を見たのは前世、まだ幼かった頃だ。釈迦如来に連れてこられ何度か道界に来ていた頃、皇に手を引かれ訪れた蒼宮の中庭で見た。
『ほら見て、沙麼蘿。とっても綺麗でしょう! 僕も母上も、この桜が大好きなんだよ!』
何にも関心を示すこともなく、めったに声に反応することもない沙麼蘿が、その皇の言葉に道界に来て初めてその面を上げた。
幼子が身につけるには不釣り合いにも思える赤い猩々緋色の衣を着て、輝く宝相華の飾りを身につけた幼子が天を仰ぐように大きな大きな満開の桜の大木を見上げた。その時、確かにその桜は
『あぁ…』
と声を上げ、ザワザワとざわめきを見せ満開の桜の花弁をこれでもかと言うほど散らせた。
面を上げた幼子の見事なまでに煌く白金の髪と、その真っ赤な鳩の血色の双眸が、間違いなく桜の大木の心を掴んだからだ。
忘れようとしても忘れられない人、この心を今も掴んで離さない人。どれだけの年月が経とうとも、決して消えることのない想いを、桜の大木は沙麼蘿の姿を見て改めて確認した。
その面差しが似ているわけでも、色合いが似ているわけでもない。だが、白金の髪と鳩の血色の睛眸が、天上の桜に鉛丹色の睛眸と浅葱鼠色をした髪を持った優しい鬼の顔を思い起こさせたのだ。
ハラハラと満開の桜の花弁が泪のように散る様を見て、“この桜は生きているのだ” と沙麼蘿は思った。それからと言うもの、天上の桜は幾年も蒼宮で美しく咲き誇っては、沢山の花弁を散らせて行くことになる。
「姉ちゃん、鬼って?」
何だそれ?、と首を傾けた悟空の隣で
「おいおい、鬼ってのは昔話に出てくる架空の生き物なんじゃないのかよ」
と、悟浄が声を上げる。そう今や鬼の存在は、架空の作り話なのだと思われている。
「いや、文献の中には確かに鬼に関するものがある」
「えぇ、私も父から鬼の話を聞いたことがあります」
玄奘は金山寺や翡翠観にあった文献から、八戒は父親がしてくれた話から、鬼と言う生き物を知っているようだ。
「鬼と鬼神は、違うのか?」
鬼と言われ、悟空の頭に真っ先に浮かんだのは鬼神だった。だが、“いや” と、沙麼蘿はその首を左右に振る。
「鬼は、その昔滅んで行った種族の一つだ。人でも妖怪でもなく、神でもない。人や妖怪よりは長生きたが、神のように長くは生きられない。ちょうど妖怪と神の間に存在するような、そんな種族だった。だが彼等は、自ら滅びの道を選び、ひっそりと静かに世界から消えて行った」
沙麼蘿だって、実際に鬼に会ったことはない。沙麼蘿が生まれた頃には最後の鬼がいたらしいが、沙麼蘿が知る鬼は釈迦如来や聖宮の記憶の中から垣間見た鬼。そして天上の桜が時折見せる、鉛丹色の睛眸と浅葱鼠色の髪をした鬼だった。
沙麼蘿は、大人達の記憶と天上の桜から鬼を知ったのだ。
********
一抹→ほんのわずか。かすか
画策→はかりごとをめぐらす。ひそかに計画を立てること。また、その計画
不釣り合い→つりあわないこと。また、そのさま
面差し→顔つき。顔立ち。面だち
鉛丹色→酸化鉛のやや赤みを強くした鮮やかな橙色
浅葱鼠色→曇天の空の色に近い青緑色をおびた渋い鼠色
架空→空中に架け渡すこと。根拠のないこと。また、事実に基づかず、想像によってつくりあげること
垣間見る→物のすきまから、こっそりとのぞき見る。また、ちらっと見る。物事のようすなどの一端をうかがう
次回投稿は23日か24日が目標です。
「あぁ、そうだな」
西へ西へと向かう旅の途中。八戒が昔暮らしていた村があった場所まで、あと大きな街を二つ過ぎればいいと言う所で立ち寄った小さな村。
ポツリと呟いた八戒の言葉に、悟浄も頷きながら答えた。これと言った名物もなく栄えていると言うわけではないが、静かな小さな宿屋の窓から見える山の緑は青々としていて、ピーンと張り詰めていた玄奘一行の気持ちを優しくほぐしてくれた。
「この所、ひっきりなしだったからな」
窓から外を眺めていた玄奘も、静かに呟く。斑の攻撃を受けてからと言うもの、手を変え品を変え誰かしらに追い立てられるように此処までやって来た。
だがあれ以来、斑や邪神達が出てくることはない。それが、玄奘達の心に一抹の不安を残していた。なにか、とんでもないことを画策しているのではないかと。
そんな中、買ってきていた饅頭にかぶりついていた悟空は、前々から思っていたことを口にした。
「なぁ、姉ちゃん。天上の桜って、いったいなんなんだ」
悟空のその言葉に、八戒や悟浄、玄奘までもが振り返って沙麼蘿を見つめた。“天上の桜”、それを護るために玄奘達は闘っている。自らの手を血に染め上げて、その命をかけてまで。
悟空達が聞いた話は、“世界が欲しくば天上の桜を奪い取れ、世界を死守したくば天上の桜を護り抜け。それが、天上の桜のすべてだ” ただそれだけだった。
いったいそれがどんな大きさで、どんな色をしていて、どんな物なのか。どうやってできた物のか、誰も何一つ知らない。
その知らない物を護り抜くために、悟空達は命懸けで闘っているのだ。
もちろん、それぞれの信念はある。玄奘は、御師匠様から託された天上の桜の鍵の護り手として。いや本心は、唯一の親族であった御師匠様と兄弟のように育った兄弟子達を殺された敵を討つため。
八戒と悟浄は両親や姉、殺された村人達の復讐のため。悟空は、須菩提の命を助けるため。そのために闘っている、天上の桜が何かも知らずに。
おそらく、天上の桜のすべてを知っているのは沙麼蘿しかいない。“それを知ってどうするつもりだ” と、沙麼蘿なら言うのだろうか。
だが、沙麼蘿から返ってきた言葉は、思いもよらないものだった。
「天上の桜。それは、鬼に恋した哀れな天女のなれの果てさ」
「お…に?」
沙麼蘿が初めて天上の桜を見たのは前世、まだ幼かった頃だ。釈迦如来に連れてこられ何度か道界に来ていた頃、皇に手を引かれ訪れた蒼宮の中庭で見た。
『ほら見て、沙麼蘿。とっても綺麗でしょう! 僕も母上も、この桜が大好きなんだよ!』
何にも関心を示すこともなく、めったに声に反応することもない沙麼蘿が、その皇の言葉に道界に来て初めてその面を上げた。
幼子が身につけるには不釣り合いにも思える赤い猩々緋色の衣を着て、輝く宝相華の飾りを身につけた幼子が天を仰ぐように大きな大きな満開の桜の大木を見上げた。その時、確かにその桜は
『あぁ…』
と声を上げ、ザワザワとざわめきを見せ満開の桜の花弁をこれでもかと言うほど散らせた。
面を上げた幼子の見事なまでに煌く白金の髪と、その真っ赤な鳩の血色の双眸が、間違いなく桜の大木の心を掴んだからだ。
忘れようとしても忘れられない人、この心を今も掴んで離さない人。どれだけの年月が経とうとも、決して消えることのない想いを、桜の大木は沙麼蘿の姿を見て改めて確認した。
その面差しが似ているわけでも、色合いが似ているわけでもない。だが、白金の髪と鳩の血色の睛眸が、天上の桜に鉛丹色の睛眸と浅葱鼠色をした髪を持った優しい鬼の顔を思い起こさせたのだ。
ハラハラと満開の桜の花弁が泪のように散る様を見て、“この桜は生きているのだ” と沙麼蘿は思った。それからと言うもの、天上の桜は幾年も蒼宮で美しく咲き誇っては、沢山の花弁を散らせて行くことになる。
「姉ちゃん、鬼って?」
何だそれ?、と首を傾けた悟空の隣で
「おいおい、鬼ってのは昔話に出てくる架空の生き物なんじゃないのかよ」
と、悟浄が声を上げる。そう今や鬼の存在は、架空の作り話なのだと思われている。
「いや、文献の中には確かに鬼に関するものがある」
「えぇ、私も父から鬼の話を聞いたことがあります」
玄奘は金山寺や翡翠観にあった文献から、八戒は父親がしてくれた話から、鬼と言う生き物を知っているようだ。
「鬼と鬼神は、違うのか?」
鬼と言われ、悟空の頭に真っ先に浮かんだのは鬼神だった。だが、“いや” と、沙麼蘿はその首を左右に振る。
「鬼は、その昔滅んで行った種族の一つだ。人でも妖怪でもなく、神でもない。人や妖怪よりは長生きたが、神のように長くは生きられない。ちょうど妖怪と神の間に存在するような、そんな種族だった。だが彼等は、自ら滅びの道を選び、ひっそりと静かに世界から消えて行った」
沙麼蘿だって、実際に鬼に会ったことはない。沙麼蘿が生まれた頃には最後の鬼がいたらしいが、沙麼蘿が知る鬼は釈迦如来や聖宮の記憶の中から垣間見た鬼。そして天上の桜が時折見せる、鉛丹色の睛眸と浅葱鼠色の髪をした鬼だった。
沙麼蘿は、大人達の記憶と天上の桜から鬼を知ったのだ。
********
一抹→ほんのわずか。かすか
画策→はかりごとをめぐらす。ひそかに計画を立てること。また、その計画
不釣り合い→つりあわないこと。また、そのさま
面差し→顔つき。顔立ち。面だち
鉛丹色→酸化鉛のやや赤みを強くした鮮やかな橙色
浅葱鼠色→曇天の空の色に近い青緑色をおびた渋い鼠色
架空→空中に架け渡すこと。根拠のないこと。また、事実に基づかず、想像によってつくりあげること
垣間見る→物のすきまから、こっそりとのぞき見る。また、ちらっと見る。物事のようすなどの一端をうかがう
次回投稿は23日か24日が目標です。
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