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第二章
始まりの終わり《八》
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「桜花、今日は家にいた方がいい。天衣は俺が捜してくる」
「風…信」
床から起き上がろうとした桜花を急いで止め、その大きな手ですっかり細くなってしまった桜花の肩を抱きしめて、風信は優しくその身体を布団の上に横たわらせた。
「大丈夫だ、天衣は俺が見つけて来る。必ず天上界に帰してやる。そうすれば、桜花は元気になる!」
日に日にやせ衰えて行く桜花は、もう朝から夕方まで山道を歩くこともできない。白く美しかった手もその身体も、まるで植物の葉が干からびていくように変わって行く。
“時間がない。早く桜花を天上界に帰さなければ、桜花が死んでしまう。俺が、俺が、桜花を助けなければ!” 長い年月をたった一人でこの山奥で過ごしてきた風信にとって、ある日突然現れた天女は光そのものだった。
明るく朗らかで優しい桜花は、自分を恐れたり蔑んだりはしない。何時も笑顔で風信を見つめ、沢山話しかけてくれる。
桜花と出逢ってからの風信には、楽しい想い出しかない。桜花を見つめ言葉を交わせば、どんなに寒い日も心が暖かくなった。
母を亡くし誰からも受け入れられず、たった一人で生きて行くと決めた。一人でも寂しくも苦しくもない、そう思っていた。桜花と出逢うまでは。
だが、桜花と一緒に住むようになってからの自分の生活はどうか。そこには何時だって明るい光と優しさと温もりがあった。昔、母と暮らしていた時のように。
何をするにもやり甲斐があった。狩り一つにしても、桜花に食べさせてやるのだと思えばとてつもなくやる気が出た。桜花の笑顔が、風信にとっては何よりも大切な守りたいものになって行ったのだ。
だが、天界のように強い陽の氣が降り注ぐ場所でなければ、天女は生きては行けない。こんなに早く桜花が弱るとは思いもしなかった。“早く何とかしなければ、早く天衣を見つけなければ、桜花が消えてしまう” 風信は
「行ってくる」
と言うと、桜花の身体に布団を掛けてやり足早に出て行った。
「行って…らっしゃい」
桜花が、力なく風信を見送る。ここ数日は、床の中から出ることもできないでいる。風信は、桜花が初めてこの家に来た頃と変わらず大きく力強いのに。
彼は、その大きな背中に狩りの道具を背負い今日も出かけて行った。この所、風信の帰りは遅い。
早目に狩りを終えた彼は、泥だらけになりながら空に星が出るまで天衣を捜してくれているのだ。桜花の為に。
風信が、この桜花と言う名前をつけてくれた頃は、まだ桜花には生命力も力もあった。どんなに山の中を歩いても、遅くまで天衣を捜しても、疲れることもなかった。でも、今は…。
「私がいなくなったら…、風信は一人ぼっちに…なってしまう」
風信は、桜花を天上界に戻す為に必死に天衣を捜し回ってくれている。自分が、一人になってしまうことも厭わずに。
「もう少し、もう少しだけ…でいいの」
桜花は、天井に向け伸ばした指先を、その手を見つめる。生命力を無くし、毎日のように干からびて行く手。
天衣すら無くし、何も持っていなかった桜花を助け、色々なことを教えくれた鬼。色々なモノをくれた鬼。
“風信を、一人ぼっちにしたくない” 短い生しか持たない天女に出来ることは少ない。それでも、人ではない自分を大切にしてくれた風信を、一人にしたくない。
「まだ、一緒に…いたい」
スッーと桜花の双眸から、一筋の泪が伝い落ちた。
「桜花、今帰った。桜…花、大丈夫か!」
「風…信。大丈夫よ、おかえりなさい」
今日の風信の帰りも遅い、空には星が瞬いていると言うのに。桜花の天衣捜しのため、時が経つのも忘れているのだ。
“せめて、夕餉の支度だけでも”、桜花は必死で立ち上がった。天女である桜花は、本来食事などは取らない。だから、食事の支度などしたことはなかった。
だが風信と暮らすようになり、彼が作ってくれた食事を共に取るようになって、桜花もその手伝いをするようになった。風信は必要ないと言ってくれたが、共に何かをすると言うことが楽しかったのだ。
でも、今の桜花にはその食事の支度ですらままならず、竈まで来たところで力尽きてしまった。家に帰ってきたばかりの風信は、倒れた桜花に駆け寄り抱き起こす。
「さぁ」
風信に抱き上げられ、桜花は床へと戻る。
「ごめんなさい。せめて食事の支度くらいしたかったのに、何もできなかった」
「何を言う。桜花は、そんな心配はしなくていい。今日も、天衣は見つからなかった。だが、いい狩りはできた。上手い肉が手に入ったからな、今から力のつくものを作ってやる。少し待っていてくれ」
「風信」
朝早くから夜遅くまで、桜花のために天衣を捜し続け疲れているだろうに、疲れた表情など一つも見せずに風信は食事を作る。鬼である彼には、本当にたいしたことではないのかも知れない。でも…
「私が、天女なんかじゃなく天人、いいえ普通の人間だったらよかったのに」
竈で食事を作る風信の背中を見つめ、桜花はポツリと呟く。
「もし桜花が人間だったら、俺を見ることすらなかっただろう。桜花が天女だったからこそ、俺は桜花と出逢えたんだ」
桜花の呟きは風信に聞こえていたようで、煮込んだ鍋を持ち此方へとやって来た。
「さぁ、食べよう。うまいぞ」
鍋からお椀に入れられたソレを、桜花は両手で受け取った。今まで氷のように冷たかった指先が、ほのかに温かくなって行く。そして風信の笑顔に、桜花の心までもが温かさで満たされていくのだ。
「いつまでも、この時が続けばいいのに」
だが、桜花の願いは叶うことはない。
********
床→布団を敷いたねどこ
朗らか→心にこだわりがなく、晴れ晴れとしていて明るいさま
蔑む→他人を、自分より能力•人格の劣るもの、価値の低いものとみなす。見下げる。見下す
厭わない→『嫌がらない』『行動するのをためらわない』といった意味の言い回し
瞬く→光がチラチラする。光が明滅する
夕餉→夕食
竈→上に鍋、釜などをかけ、下から火を燃やして、物を煮炊するようにしたもの
天上界の呼び方について
•天界は主に、下界の人々や天上界の軍を呼ぶときに使う(天界軍など)
•天上界は主に、神仏や天女などが使う
•上界は主に、神々で位の高い者が使う
次回投稿は12月15日か16日が目標です
「風…信」
床から起き上がろうとした桜花を急いで止め、その大きな手ですっかり細くなってしまった桜花の肩を抱きしめて、風信は優しくその身体を布団の上に横たわらせた。
「大丈夫だ、天衣は俺が見つけて来る。必ず天上界に帰してやる。そうすれば、桜花は元気になる!」
日に日にやせ衰えて行く桜花は、もう朝から夕方まで山道を歩くこともできない。白く美しかった手もその身体も、まるで植物の葉が干からびていくように変わって行く。
“時間がない。早く桜花を天上界に帰さなければ、桜花が死んでしまう。俺が、俺が、桜花を助けなければ!” 長い年月をたった一人でこの山奥で過ごしてきた風信にとって、ある日突然現れた天女は光そのものだった。
明るく朗らかで優しい桜花は、自分を恐れたり蔑んだりはしない。何時も笑顔で風信を見つめ、沢山話しかけてくれる。
桜花と出逢ってからの風信には、楽しい想い出しかない。桜花を見つめ言葉を交わせば、どんなに寒い日も心が暖かくなった。
母を亡くし誰からも受け入れられず、たった一人で生きて行くと決めた。一人でも寂しくも苦しくもない、そう思っていた。桜花と出逢うまでは。
だが、桜花と一緒に住むようになってからの自分の生活はどうか。そこには何時だって明るい光と優しさと温もりがあった。昔、母と暮らしていた時のように。
何をするにもやり甲斐があった。狩り一つにしても、桜花に食べさせてやるのだと思えばとてつもなくやる気が出た。桜花の笑顔が、風信にとっては何よりも大切な守りたいものになって行ったのだ。
だが、天界のように強い陽の氣が降り注ぐ場所でなければ、天女は生きては行けない。こんなに早く桜花が弱るとは思いもしなかった。“早く何とかしなければ、早く天衣を見つけなければ、桜花が消えてしまう” 風信は
「行ってくる」
と言うと、桜花の身体に布団を掛けてやり足早に出て行った。
「行って…らっしゃい」
桜花が、力なく風信を見送る。ここ数日は、床の中から出ることもできないでいる。風信は、桜花が初めてこの家に来た頃と変わらず大きく力強いのに。
彼は、その大きな背中に狩りの道具を背負い今日も出かけて行った。この所、風信の帰りは遅い。
早目に狩りを終えた彼は、泥だらけになりながら空に星が出るまで天衣を捜してくれているのだ。桜花の為に。
風信が、この桜花と言う名前をつけてくれた頃は、まだ桜花には生命力も力もあった。どんなに山の中を歩いても、遅くまで天衣を捜しても、疲れることもなかった。でも、今は…。
「私がいなくなったら…、風信は一人ぼっちに…なってしまう」
風信は、桜花を天上界に戻す為に必死に天衣を捜し回ってくれている。自分が、一人になってしまうことも厭わずに。
「もう少し、もう少しだけ…でいいの」
桜花は、天井に向け伸ばした指先を、その手を見つめる。生命力を無くし、毎日のように干からびて行く手。
天衣すら無くし、何も持っていなかった桜花を助け、色々なことを教えくれた鬼。色々なモノをくれた鬼。
“風信を、一人ぼっちにしたくない” 短い生しか持たない天女に出来ることは少ない。それでも、人ではない自分を大切にしてくれた風信を、一人にしたくない。
「まだ、一緒に…いたい」
スッーと桜花の双眸から、一筋の泪が伝い落ちた。
「桜花、今帰った。桜…花、大丈夫か!」
「風…信。大丈夫よ、おかえりなさい」
今日の風信の帰りも遅い、空には星が瞬いていると言うのに。桜花の天衣捜しのため、時が経つのも忘れているのだ。
“せめて、夕餉の支度だけでも”、桜花は必死で立ち上がった。天女である桜花は、本来食事などは取らない。だから、食事の支度などしたことはなかった。
だが風信と暮らすようになり、彼が作ってくれた食事を共に取るようになって、桜花もその手伝いをするようになった。風信は必要ないと言ってくれたが、共に何かをすると言うことが楽しかったのだ。
でも、今の桜花にはその食事の支度ですらままならず、竈まで来たところで力尽きてしまった。家に帰ってきたばかりの風信は、倒れた桜花に駆け寄り抱き起こす。
「さぁ」
風信に抱き上げられ、桜花は床へと戻る。
「ごめんなさい。せめて食事の支度くらいしたかったのに、何もできなかった」
「何を言う。桜花は、そんな心配はしなくていい。今日も、天衣は見つからなかった。だが、いい狩りはできた。上手い肉が手に入ったからな、今から力のつくものを作ってやる。少し待っていてくれ」
「風信」
朝早くから夜遅くまで、桜花のために天衣を捜し続け疲れているだろうに、疲れた表情など一つも見せずに風信は食事を作る。鬼である彼には、本当にたいしたことではないのかも知れない。でも…
「私が、天女なんかじゃなく天人、いいえ普通の人間だったらよかったのに」
竈で食事を作る風信の背中を見つめ、桜花はポツリと呟く。
「もし桜花が人間だったら、俺を見ることすらなかっただろう。桜花が天女だったからこそ、俺は桜花と出逢えたんだ」
桜花の呟きは風信に聞こえていたようで、煮込んだ鍋を持ち此方へとやって来た。
「さぁ、食べよう。うまいぞ」
鍋からお椀に入れられたソレを、桜花は両手で受け取った。今まで氷のように冷たかった指先が、ほのかに温かくなって行く。そして風信の笑顔に、桜花の心までもが温かさで満たされていくのだ。
「いつまでも、この時が続けばいいのに」
だが、桜花の願いは叶うことはない。
********
床→布団を敷いたねどこ
朗らか→心にこだわりがなく、晴れ晴れとしていて明るいさま
蔑む→他人を、自分より能力•人格の劣るもの、価値の低いものとみなす。見下げる。見下す
厭わない→『嫌がらない』『行動するのをためらわない』といった意味の言い回し
瞬く→光がチラチラする。光が明滅する
夕餉→夕食
竈→上に鍋、釜などをかけ、下から火を燃やして、物を煮炊するようにしたもの
天上界の呼び方について
•天界は主に、下界の人々や天上界の軍を呼ぶときに使う(天界軍など)
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