天上の桜

乃平 悠鼓

文字の大きさ
190 / 205
第二章

片時雨の村《十一》

しおりを挟む
「遅くなった、百花羞ひゃっかしゅう
「何を…おっしゃいます…。また、お会いで…きましたこと…光栄で、ござい…ます。公女、様…」

 かつてあの天上界で見た百花羞は、こんなにもせてか弱い感じだったろうか。いや違う、百花羞は健康的で快活、誰からも愛され可愛がられるような女性だった。
 紫微宮しびきゅうで働く天人達の中には、蒼宮そうきゅう幽閉ゆうへいと言う立場にあるすめらぎないがしろにする者も少なくはない。百花羞のように皇や沙麼蘿さばらうやまう者などごくわずかしかいない。だからこそ、皇も沙麼蘿も百花羞を知っていたし、こころよく思っていた。
 あの日、自分と皇がもっと早く蒼宮に帰り着いてさえいれば誰の命もうばわせなかったものをと、今でもそう思う。







「皇様、お嬢様、大変でございます!」

 その日、下界のいくつかの場所に邪神や討伐とうばつ対象の生き物が次々と出現した。普段なら天界軍だけで事足りるところだが、その数の多さからこの日だけはそれでは足りなかった。その結果として、皇もり出され下界に降りることになる。皇が降りるのなら当然沙麼蘿も一緒に行くことになり、二人で下界に降りた。
 だが今考えれば、これもの計算のうちだったのだろう。皇と沙麼蘿、あるいは軍の上層部の天人てんじんの誰か一人でもいれば、鶯光帝おうこうてい暴挙ぼうきょは止められたかも知れない。
 下界から蒼宮に帰り着くなり、この蒼宮のすべてを取り仕切っている女仙じょせん花薔かしょうがただならぬ顔で走りよりってきたことで、皇と沙麼蘿は今この上界で起こっていることを知ることになる。だがその時には、全てが遅かったのだ。

「どうした花薔」
「皇様、連れて行かれたのでございます。料理人や蒼宮に出入りの商人達、紫微宮しびきゅうからこちらに出入りしていた者達まで全て、罪人として連れて行かれたのでございます!」
「罪人、だと」
「はい」

 罪人と言う言葉に、皇はいち早く反応を見せた。鶯光帝は普段から、この蒼宮のことも皇のことも信用していない。だからここに出入り出来るのは、商人も紫微宮の使いも鶯光帝が認めた身元がしっかりとした者達ばかりだ。言いえれば、鶯光帝を裏切ることなどない者達だと言っていい。

「何があった」
「それがお嬢様、詳しくはわからないのです。ただ、鶯光帝の食事に毒らしきものが入っていたと」
「らしき、もの」
「はい」

 秩序ちつじょや法を重んじ、黒どころか灰色も良しとはしない鶯光帝は、清廉潔白せいれんけっぱくな者しか周りに置かない。忠義ちゅうぎに厚く、決して自分を裏切らない。
 だが、それが一度くずれたらどうなるか。疑心暗鬼ぎしんあんきに陥おちいった鶯光帝は、疑わしいと思った者は全て罰しなければ気がすまない。
 だが…と、皇と沙麼蘿は顔を見合わせる。まさか、紫微宮の食事に毒らしきものが入っていたと言うだけで、蒼宮の料理人や、出入りの商人や天人達までもが連れて行かれたと言うのか。

「それだけではございません、下界に討伐に出向いていた托塔天たくとうてんの二人の息子まで捕らえられたそうなのです」
馬鹿ばかな、鶯光帝は何を考えている。金吒きんたく木吒もくたくは、天界軍の守りの要だぞ」
「皇、二人を罪人にするようならば、上界は荒れる」
「紫微宮へ行く。蒼宮の者は、全て返してもらう」

 だが、皇と沙麼蘿が向った時にはもう遅かった。食事の一つに毒が入っていて、毒見役が命を落とすのを目の前で見た鶯光帝は、食材を持って来た商人、料理を作った者、商人が行った場所にいた者、はたまたすれ違った者達までを捕らえ、すで処罰しょばつを開始していた。
 誰がこの商人に毒を渡したのか、もしかしたら商人も知らない間に毒をしこまれていたのかも知れない。それすらもわからない状況の中、のべつ幕無まくなしに全て捕らえ罪を与えよと言わんばかりの行動だった。
 皇が鶯光帝の元へ向かい、沙麼蘿は尋問じんもんが行われている場所へと向かう。だがそこは尋問とは名ばかりで、集められた者達を黒四聖獣こくしせいじゅうが待つ暗黒へと落とすための泥犂ないりの入口のような穴がき、次々と連れて来られた者達が暗黒へと突き落とされていた。

「何も存じません! 私は無実でございます! 信じて下さいませ! 本当に私は、何も知りません!! 私は、私は…! 無実でございます! 」

 そう叫んだ百花羞が穴へ落とされる寸前、沙麼蘿はそこに辿たどり着いた。“やめよ!” その声を聞いた百花羞は、確かに沙麼蘿の猩々緋しょうじょうひ色のきぬを見た。

「公女様……、私は…無…実……」

 目の前で、百花羞が突き落とされる瞬間を見た沙麼蘿にできたのは、暗黒へと繋がる道の出口を他の場所に変えることだけだった。黒四聖獣にわれる未来ではなく、下界と言う地獄で生きて行く未来を与えるだけだったのだ。罪人として下界に落とされれば制約がかけられ、まともに生きていくことができない。だがそれでも、黒四聖獣に喰われるよりはよほどいい。最後まで見えていた白い手が、真っ暗な穴の中に吸い込まれて行くその瞬間を、沙麼蘿は今でもよく覚えている。

「百花羞が何をした、百花羞は望んで蒼宮に出入りしていたわけではない。ただ頼まれ、それを断る事ができなかっただけだ。それを命じたのは、鶯光帝ではないか!」

 そうだ、百花羞は時折紫微宮からの使いとして蒼宮に来ていただけだ。鶯光帝の側近そっきん中の側近である捲簾大将けんれんたいしょう許嫁いいなずけ、信頼のおける捲簾の妻になる娘ならば間違いはないと、鶯光帝自身が命じた。ただそれだけの、通された場所以外は何も知らないような女だ。

琉格泉るうの!!」

 百花羞が落とされた穴の奥に、蒼宮の料理人やその家族までが捕らわれ落とされようとしている姿を見て、沙麼蘿は叫ぶ。沙麼蘿のすぐ後ろにいた琉格泉が、全速力で穴の前まで行き役人どもを威嚇いかくする。沙麼蘿は琉格泉におびえる役人達を見ながら、ゆっくりと前へと進み出た。
 不用意に近寄って視線でも合わせようものなら、下級神である彼等かれらは一瞬のうちに消え去るだろう。だから沙麼蘿は、ゆっくりと歩きながら言葉をつむぐ。

「蒼宮にあるものは、人も物も全て皇のものだ。その皇のものに手を出すと言うことがどう言うことか、わかっているのか」
「公女様!!」

 そのあかい衣を目にし、蒼宮の料理人達が次々に叫びだす。役人達は、自分の後方にいる者が誰なのかを知り、震えるほどの衝撃しょうげきと恐怖を覚えた。沙麼蘿は、人前ではしゃべることすらない。だから当然声を聞きた者などいない。

「皇のものを無断でうばうと言うのらば、私も容赦ようしゃはしないが、それでもよいか!」

 その声に、役人達が恐怖に震えながら次々と平伏へいふくする。視線が合っただけで下級神の命すら奪う力があるのだ、声を聞いただけでも何か起こるかも知れないと、ただただ身をちぢこませ頭を下げ続ける。
 後少し早ければ、もっと助けられたであろう沢山の命があった。この日、何十人と言う罪なき人々が罰せられ上界から消えた。そう、あの托塔天の子供達までが黒四聖獣待つ暗黒に落とされたのだ。






 
「百花羞、よく聞け。私はお前を地獄にはやらぬ。お前はこれから黄泉よみに行くのだ」
「黄…泉、に…」
「黄泉には聖宮せいぐうと花薔がいる、二人を助けてやって欲しい。黄泉は邪神達の箱庭だ、苦しいことも多いだろう。だが私が必ず、お前をまた輪廻りんねの輪の中に戻してやる。何の罪もないお前が、地獄の責苦せめくに合うようなことにはさせない」
「で…も、私は…この下界で…罪を」
「お前が下界で罪を犯したと言うのなら、それはあの日お前を暗黒に落とした者の罪に等しい。心配はいらない」
「公女…様、最後に…一つ…だ…け。私の…家族…は…」
「あの後、鶯光帝を止めるには少しの時間を要した。皇が鶯光帝を、私が役人達を止めている間に、捲簾けんれんがお前の家族を須弥山しゅみせんに逃がした」

 そう言うと、沙麼蘿はちらりと悟浄を見た。前世の記憶など何もない悟浄には、何の会話かわかるはずもない言葉だ。目の前の百花羞と、どれだけ仲睦まじかったかなど、何も知りはしない。

「女仙である花薔が、全ての準備を整えた。お前の家族は、今も須弥山で静に暮らしている。それに弟は、皇に仕えている」
「皇…様…に」
「そうだ、よく働いていると聞いている」
「あ…ぁ…」
「よいか、私がいつか聖宮や花薔と共に必ず輪廻の輪に戻してみせる。そうすれば、長い長い時のはてでまた捲簾にも巡り会える。その時こそ、二人で幸せになれ」
「公…女、様…」
「これを、使い方は聖宮と花薔が知っている。必ず、私がお前達を守る」

 “うん” と、双眸そうぼうが閉じる瞬間百花羞がうなずき、一筋の涙を流した。百花羞の手には、小さな紅い匂い袋にも似た形の布がある。この中にあるものが、邪神達から黄泉にいる者を守る力になる。





 静に流れる川に、一そうの小舟が浮かぶ。小舟の中には静に眠る百花羞がいて、沢山の花に囲まれていた。この花は、金角や銀角、月亮げつりょう李子りし、八戒や悟浄達が集めて来たものだ。李子は天女の羽衣はごろもを百花羞の身体にかけようとしたが、

「それは百花羞がお前にたくしたものだ。お前の役に立つだろう」

 沙麼蘿がそう言ったので、羽衣は李子が受け継いだ。

「玄奘、観無量寿経かんむりょうじゅきょうだ」

 その言葉に玄奘が経を唱え始めると、川の横に薄っすらと別の川が現れ始める。それはまるで一本の川が二本に分かれるような形となり、小舟に “こっちにおいで”、とでも言っているようだ。

「オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク」

 沙麼蘿はそう呟くと、素早く印を結んだ。小舟を包み込む光は愛染明王あいぜんみょうおうの力。黄泉までは、この力が小舟を守る。ふと小舟から川の向こうへと視線を向けた沙麼蘿は、そこに二人の人影を見た。皇と百花羞の弟、百花羞の弟は小舟が見えなくなるまで、ずっと沙麼蘿に頭を下げ続けていた。





 片時雨が降り続いていた村には、もう雨は降っていない。次に雨が降る時、それは村全体に降るだろう。だが女狐が消え、好き勝手に降らせていた雨のどれ程がこれから先この村に降るのか降らないのか、それは誰にもわからない。

「行くぞ、黒仙桜こくせんざくらの場所はまだ先だ」

 玄奘の声に、一行は歩き出す。花弁はなびらふちだけが黒い、そんな桜の木を求めて。









 ********

 快活→気持ちや性質が明るく元気のよいさま
 秩序→物事を行う場合の正しい順序、筋道。その社会·集団などが望ましい状態を保つための順序やきまり
 清廉潔白→心が清くて私欲がなく、後ろ暗いことのまったくないさま
 忠義→主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。また、そのさま
 のべつ幕無し→ひっきりなしに続くさま
 泥犂→じごく
 平伏→顔が地面に付きそうになるほど身を低くして頭を下げる
 観無量寿経→浄土三部経の一


 今年最後の投稿となります。今年もお読みいただいた皆様ありがとうございます、また来年もよろしくお願い致しますm(_ _)m

 この後は少しお休みの期間をいただき、来年の投稿は2月22日か23日を予定しております。

 それでは皆様、よいお年をお過ごし下さいませ(*^_^*)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

Another World-The origin

ファンファン
SF
現実に飽きた世界を、本物の「業」が震撼させる。 九十二歳、一之進。かつて国宝を打ち上げ、戦場を駆けた「生ける伝説」。 隠居した彼が手にしたのは、息子から贈られた最新のVRギアだった。 ステータス? スキル? そんなものは関係ない。 「本物」が振るう一撃は、物理演算さえも置き去りにする。 これは、役目を終えたはずの老兵たちが、電脳世界で再び「魂の火」を灯すまでの物語。

処理中です...