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第二章
片時雨の村《十一》
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「遅くなった、百花羞」
「何を…おっしゃいます…。また、お会いで…きましたこと…光栄で、ござい…ます。公女、様…」
嘗てあの天上界で見た百花羞は、こんなにも痩せてか弱い感じだったろうか。いや違う、百花羞は健康的で快活、誰からも愛され可愛がられるような女性だった。
紫微宮で働く天人達の中には、蒼宮に幽閉と言う立場にある皇を蔑ろにする者も少なくはない。百花羞のように皇や沙麼蘿を敬う者などごく僅かしかいない。だからこそ、皇も沙麼蘿も百花羞を知っていたし、快く思っていた。
あの日、自分と皇がもっと早く蒼宮に帰り着いてさえいれば誰の命も奪わせなかったものをと、今でもそう思う。
「皇様、お嬢様、大変でございます!」
その日、下界の幾つかの場所に邪神や討伐対象の生き物が次々と出現した。普段なら天界軍だけで事足りるところだが、その数の多さからこの日だけはそれでは足りなかった。その結果として、皇も駆り出され下界に降りることになる。皇が降りるのなら当然沙麼蘿も一緒に行くことになり、二人で下界に降りた。
だが今考えれば、これも誰かの計算のうちだったのだろう。皇と沙麼蘿、あるいは軍の上層部の天人の誰か一人でもいれば、鶯光帝の暴挙は止められたかも知れない。
下界から蒼宮に帰り着くなり、この蒼宮のすべてを取り仕切っている女仙の花薔がただならぬ顔で走りよりってきたことで、皇と沙麼蘿は今この上界で起こっていることを知ることになる。だがその時には、全てが遅かったのだ。
「どうした花薔」
「皇様、連れて行かれたのでございます。料理人や蒼宮に出入りの商人達、紫微宮からこちらに出入りしていた者達まで全て、罪人として連れて行かれたのでございます!」
「罪人、だと」
「はい」
罪人と言う言葉に、皇はいち早く反応を見せた。鶯光帝は普段から、この蒼宮のことも皇のことも信用していない。だからここに出入り出来るのは、商人も紫微宮の使いも鶯光帝が認めた身元がしっかりとした者達ばかりだ。言い換えれば、鶯光帝を裏切ることなどない者達だと言っていい。
「何があった」
「それがお嬢様、詳しくはわからないのです。ただ、鶯光帝の食事に毒らしきものが入っていたと」
「らしき、もの」
「はい」
秩序や法を重んじ、黒どころか灰色も良しとはしない鶯光帝は、清廉潔白な者しか周りに置かない。忠義に厚く、決して自分を裏切らない。
だが、それが一度崩れたらどうなるか。疑心暗鬼に陥おちいった鶯光帝は、疑わしいと思った者は全て罰しなければ気がすまない。
だが…と、皇と沙麼蘿は顔を見合わせる。まさか、紫微宮の食事に毒らしきものが入っていたと言うだけで、蒼宮の料理人や、出入りの商人や天人達までもが連れて行かれたと言うのか。
「それだけではございません、下界に討伐に出向いていた托塔天の二人の息子まで捕らえられたそうなのです」
「馬鹿な、鶯光帝は何を考えている。金吒と木吒は、天界軍の守りの要だぞ」
「皇、二人を罪人にするようならば、上界は荒れる」
「紫微宮へ行く。蒼宮の者は、全て返してもらう」
だが、皇と沙麼蘿が向った時にはもう遅かった。食事の一つに毒が入っていて、毒見役が命を落とすのを目の前で見た鶯光帝は、食材を持って来た商人、料理を作った者、商人が行った場所にいた者、はたまたすれ違った者達までを捕らえ、既に処罰を開始していた。
誰がこの商人に毒を渡したのか、もしかしたら商人も知らない間に毒をしこまれていたのかも知れない。それすらもわからない状況の中、のべつ幕無しに全て捕らえ罪を与えよと言わんばかりの行動だった。
皇が鶯光帝の元へ向かい、沙麼蘿は尋問が行われている場所へと向かう。だがそこは尋問とは名ばかりで、集められた者達を黒四聖獣が待つ暗黒へと落とすための泥犂の入口のような穴が空き、次々と連れて来られた者達が暗黒へと突き落とされていた。
「何も存じません! 私は無実でございます! 信じて下さいませ! 本当に私は、何も知りません!! 私は、私は…! 無実でございます! 」
そう叫んだ百花羞が穴へ落とされる寸前、沙麼蘿はそこに辿り着いた。“やめよ!” その声を聞いた百花羞は、確かに沙麼蘿の猩々緋色の衣を見た。
「公女様……、私は…無…実……」
目の前で、百花羞が突き落とされる瞬間を見た沙麼蘿にできたのは、暗黒へと繋がる道の出口を他の場所に変えることだけだった。黒四聖獣に喰われる未来ではなく、下界と言う地獄で生きて行く未来を与えるだけだったのだ。罪人として下界に落とされれば制約がかけられ、まともに生きていくことができない。だがそれでも、黒四聖獣に喰われるよりはよほどいい。最後まで見えていた白い手が、真っ暗な穴の中に吸い込まれて行くその瞬間を、沙麼蘿は今でもよく覚えている。
「百花羞が何をした、百花羞は望んで蒼宮に出入りしていたわけではない。ただ頼まれ、それを断る事ができなかっただけだ。それを命じたのは、鶯光帝ではないか!」
そうだ、百花羞は時折紫微宮からの使いとして蒼宮に来ていただけだ。鶯光帝の側近中の側近である捲簾大将の許嫁、信頼のおける捲簾の妻になる娘ならば間違いはないと、鶯光帝自身が命じた。ただそれだけの、通された場所以外は何も知らないような女だ。
「琉格泉!!」
百花羞が落とされた穴の奥に、蒼宮の料理人やその家族までが捕らわれ落とされようとしている姿を見て、沙麼蘿は叫ぶ。沙麼蘿のすぐ後ろにいた琉格泉が、全速力で穴の前まで行き役人どもを威嚇する。沙麼蘿は琉格泉に怯える役人達を見ながら、ゆっくりと前へと進み出た。
不用意に近寄って視線でも合わせようものなら、下級神である彼等は一瞬のうちに消え去るだろう。だから沙麼蘿は、ゆっくりと歩きながら言葉を紡ぐ。
「蒼宮にあるものは、人も物も全て皇のものだ。その皇のものに手を出すと言うことがどう言うことか、わかっているのか」
「公女様!!」
その紅い衣を目にし、蒼宮の料理人達が次々に叫びだす。役人達は、自分の後方にいる者が誰なのかを知り、震えるほどの衝撃と恐怖を覚えた。沙麼蘿は、人前では喋ることすらない。だから当然声を聞きた者などいない。
「皇のものを無断で奪うと言うのらば、私も容赦はしないが、それでもよいか!」
その声に、役人達が恐怖に震えながら次々と平伏する。視線が合っただけで下級神の命すら奪う力があるのだ、声を聞いただけでも何か起こるかも知れないと、ただただ身を縮こませ頭を下げ続ける。
後少し早ければ、もっと助けられたであろう沢山の命があった。この日、何十人と言う罪なき人々が罰せられ上界から消えた。そう、あの托塔天の子供達までが黒四聖獣待つ暗黒に落とされたのだ。
「百花羞、よく聞け。私はお前を地獄にはやらぬ。お前はこれから黄泉に行くのだ」
「黄…泉、に…」
「黄泉には聖宮と花薔がいる、二人を助けてやって欲しい。黄泉は邪神達の箱庭だ、苦しいことも多いだろう。だが私が必ず、お前をまた輪廻の輪の中に戻してやる。何の罪もないお前が、地獄の責苦に合うようなことにはさせない」
「で…も、私は…この下界で…罪を」
「お前が下界で罪を犯したと言うのなら、それはあの日お前を暗黒に落とした者の罪に等しい。心配はいらない」
「公女…様、最後に…一つ…だ…け。私の…家族…は…」
「あの後、鶯光帝を止めるには少しの時間を要した。皇が鶯光帝を、私が役人達を止めている間に、捲簾がお前の家族を須弥山に逃がした」
そう言うと、沙麼蘿はちらりと悟浄を見た。前世の記憶など何もない悟浄には、何の会話かわかるはずもない言葉だ。目の前の百花羞と、どれだけ仲睦まじかったかなど、何も知りはしない。
「女仙である花薔が、全ての準備を整えた。お前の家族は、今も須弥山で静に暮らしている。それに弟は、皇に仕えている」
「皇…様…に」
「そうだ、よく働いていると聞いている」
「あ…ぁ…」
「よいか、私がいつか聖宮や花薔と共に必ず輪廻の輪に戻してみせる。そうすれば、長い長い時のはてでまた捲簾にも巡り会える。その時こそ、二人で幸せになれ」
「公…女、様…」
「これを、使い方は聖宮と花薔が知っている。必ず、私がお前達を守る」
“うん” と、双眸が閉じる瞬間百花羞が頷き、一筋の涙を流した。百花羞の手には、小さな紅い匂い袋にも似た形の布がある。この中にあるものが、邪神達から黄泉にいる者を守る力になる。
静に流れる川に、一艘の小舟が浮かぶ。小舟の中には静に眠る百花羞がいて、沢山の花に囲まれていた。この花は、金角や銀角、月亮や李子、八戒や悟浄達が集めて来たものだ。李子は天女の羽衣を百花羞の身体にかけようとしたが、
「それは百花羞がお前に託したものだ。お前の役に立つだろう」
沙麼蘿がそう言ったので、羽衣は李子が受け継いだ。
「玄奘、観無量寿経だ」
その言葉に玄奘が経を唱え始めると、川の横に薄っすらと別の川が現れ始める。それはまるで一本の川が二本に分かれるような形となり、小舟に “こっちにおいで”、とでも言っているようだ。
「オン・マカラギャ・バザロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク」
沙麼蘿はそう呟くと、素早く印を結んだ。小舟を包み込む光は愛染明王の力。黄泉までは、この力が小舟を守る。ふと小舟から川の向こうへと視線を向けた沙麼蘿は、そこに二人の人影を見た。皇と百花羞の弟、百花羞の弟は小舟が見えなくなるまで、ずっと沙麼蘿に頭を下げ続けていた。
片時雨が降り続いていた村には、もう雨は降っていない。次に雨が降る時、それは村全体に降るだろう。だが女狐が消え、好き勝手に降らせていた雨のどれ程がこれから先この村に降るのか降らないのか、それは誰にもわからない。
「行くぞ、黒仙桜の場所はまだ先だ」
玄奘の声に、一行は歩き出す。花弁の縁だけが黒い、そんな桜の木を求めて。
********
快活→気持ちや性質が明るく元気のよいさま
秩序→物事を行う場合の正しい順序、筋道。その社会·集団などが望ましい状態を保つための順序やきまり
清廉潔白→心が清くて私欲がなく、後ろ暗いことのまったくないさま
忠義→主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。また、そのさま
のべつ幕無し→ひっきりなしに続くさま
泥犂→じごく
平伏→顔が地面に付きそうになるほど身を低くして頭を下げる
観無量寿経→浄土三部経の一
今年最後の投稿となります。今年もお読みいただいた皆様ありがとうございます、また来年もよろしくお願い致しますm(_ _)m
この後は少しお休みの期間をいただき、来年の投稿は2月22日か23日を予定しております。
それでは皆様、よいお年をお過ごし下さいませ(*^_^*)
「何を…おっしゃいます…。また、お会いで…きましたこと…光栄で、ござい…ます。公女、様…」
嘗てあの天上界で見た百花羞は、こんなにも痩せてか弱い感じだったろうか。いや違う、百花羞は健康的で快活、誰からも愛され可愛がられるような女性だった。
紫微宮で働く天人達の中には、蒼宮に幽閉と言う立場にある皇を蔑ろにする者も少なくはない。百花羞のように皇や沙麼蘿を敬う者などごく僅かしかいない。だからこそ、皇も沙麼蘿も百花羞を知っていたし、快く思っていた。
あの日、自分と皇がもっと早く蒼宮に帰り着いてさえいれば誰の命も奪わせなかったものをと、今でもそう思う。
「皇様、お嬢様、大変でございます!」
その日、下界の幾つかの場所に邪神や討伐対象の生き物が次々と出現した。普段なら天界軍だけで事足りるところだが、その数の多さからこの日だけはそれでは足りなかった。その結果として、皇も駆り出され下界に降りることになる。皇が降りるのなら当然沙麼蘿も一緒に行くことになり、二人で下界に降りた。
だが今考えれば、これも誰かの計算のうちだったのだろう。皇と沙麼蘿、あるいは軍の上層部の天人の誰か一人でもいれば、鶯光帝の暴挙は止められたかも知れない。
下界から蒼宮に帰り着くなり、この蒼宮のすべてを取り仕切っている女仙の花薔がただならぬ顔で走りよりってきたことで、皇と沙麼蘿は今この上界で起こっていることを知ることになる。だがその時には、全てが遅かったのだ。
「どうした花薔」
「皇様、連れて行かれたのでございます。料理人や蒼宮に出入りの商人達、紫微宮からこちらに出入りしていた者達まで全て、罪人として連れて行かれたのでございます!」
「罪人、だと」
「はい」
罪人と言う言葉に、皇はいち早く反応を見せた。鶯光帝は普段から、この蒼宮のことも皇のことも信用していない。だからここに出入り出来るのは、商人も紫微宮の使いも鶯光帝が認めた身元がしっかりとした者達ばかりだ。言い換えれば、鶯光帝を裏切ることなどない者達だと言っていい。
「何があった」
「それがお嬢様、詳しくはわからないのです。ただ、鶯光帝の食事に毒らしきものが入っていたと」
「らしき、もの」
「はい」
秩序や法を重んじ、黒どころか灰色も良しとはしない鶯光帝は、清廉潔白な者しか周りに置かない。忠義に厚く、決して自分を裏切らない。
だが、それが一度崩れたらどうなるか。疑心暗鬼に陥おちいった鶯光帝は、疑わしいと思った者は全て罰しなければ気がすまない。
だが…と、皇と沙麼蘿は顔を見合わせる。まさか、紫微宮の食事に毒らしきものが入っていたと言うだけで、蒼宮の料理人や、出入りの商人や天人達までもが連れて行かれたと言うのか。
「それだけではございません、下界に討伐に出向いていた托塔天の二人の息子まで捕らえられたそうなのです」
「馬鹿な、鶯光帝は何を考えている。金吒と木吒は、天界軍の守りの要だぞ」
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「紫微宮へ行く。蒼宮の者は、全て返してもらう」
だが、皇と沙麼蘿が向った時にはもう遅かった。食事の一つに毒が入っていて、毒見役が命を落とすのを目の前で見た鶯光帝は、食材を持って来た商人、料理を作った者、商人が行った場所にいた者、はたまたすれ違った者達までを捕らえ、既に処罰を開始していた。
誰がこの商人に毒を渡したのか、もしかしたら商人も知らない間に毒をしこまれていたのかも知れない。それすらもわからない状況の中、のべつ幕無しに全て捕らえ罪を与えよと言わんばかりの行動だった。
皇が鶯光帝の元へ向かい、沙麼蘿は尋問が行われている場所へと向かう。だがそこは尋問とは名ばかりで、集められた者達を黒四聖獣が待つ暗黒へと落とすための泥犂の入口のような穴が空き、次々と連れて来られた者達が暗黒へと突き落とされていた。
「何も存じません! 私は無実でございます! 信じて下さいませ! 本当に私は、何も知りません!! 私は、私は…! 無実でございます! 」
そう叫んだ百花羞が穴へ落とされる寸前、沙麼蘿はそこに辿り着いた。“やめよ!” その声を聞いた百花羞は、確かに沙麼蘿の猩々緋色の衣を見た。
「公女様……、私は…無…実……」
目の前で、百花羞が突き落とされる瞬間を見た沙麼蘿にできたのは、暗黒へと繋がる道の出口を他の場所に変えることだけだった。黒四聖獣に喰われる未来ではなく、下界と言う地獄で生きて行く未来を与えるだけだったのだ。罪人として下界に落とされれば制約がかけられ、まともに生きていくことができない。だがそれでも、黒四聖獣に喰われるよりはよほどいい。最後まで見えていた白い手が、真っ暗な穴の中に吸い込まれて行くその瞬間を、沙麼蘿は今でもよく覚えている。
「百花羞が何をした、百花羞は望んで蒼宮に出入りしていたわけではない。ただ頼まれ、それを断る事ができなかっただけだ。それを命じたのは、鶯光帝ではないか!」
そうだ、百花羞は時折紫微宮からの使いとして蒼宮に来ていただけだ。鶯光帝の側近中の側近である捲簾大将の許嫁、信頼のおける捲簾の妻になる娘ならば間違いはないと、鶯光帝自身が命じた。ただそれだけの、通された場所以外は何も知らないような女だ。
「琉格泉!!」
百花羞が落とされた穴の奥に、蒼宮の料理人やその家族までが捕らわれ落とされようとしている姿を見て、沙麼蘿は叫ぶ。沙麼蘿のすぐ後ろにいた琉格泉が、全速力で穴の前まで行き役人どもを威嚇する。沙麼蘿は琉格泉に怯える役人達を見ながら、ゆっくりと前へと進み出た。
不用意に近寄って視線でも合わせようものなら、下級神である彼等は一瞬のうちに消え去るだろう。だから沙麼蘿は、ゆっくりと歩きながら言葉を紡ぐ。
「蒼宮にあるものは、人も物も全て皇のものだ。その皇のものに手を出すと言うことがどう言うことか、わかっているのか」
「公女様!!」
その紅い衣を目にし、蒼宮の料理人達が次々に叫びだす。役人達は、自分の後方にいる者が誰なのかを知り、震えるほどの衝撃と恐怖を覚えた。沙麼蘿は、人前では喋ることすらない。だから当然声を聞きた者などいない。
「皇のものを無断で奪うと言うのらば、私も容赦はしないが、それでもよいか!」
その声に、役人達が恐怖に震えながら次々と平伏する。視線が合っただけで下級神の命すら奪う力があるのだ、声を聞いただけでも何か起こるかも知れないと、ただただ身を縮こませ頭を下げ続ける。
後少し早ければ、もっと助けられたであろう沢山の命があった。この日、何十人と言う罪なき人々が罰せられ上界から消えた。そう、あの托塔天の子供達までが黒四聖獣待つ暗黒に落とされたのだ。
「百花羞、よく聞け。私はお前を地獄にはやらぬ。お前はこれから黄泉に行くのだ」
「黄…泉、に…」
「黄泉には聖宮と花薔がいる、二人を助けてやって欲しい。黄泉は邪神達の箱庭だ、苦しいことも多いだろう。だが私が必ず、お前をまた輪廻の輪の中に戻してやる。何の罪もないお前が、地獄の責苦に合うようなことにはさせない」
「で…も、私は…この下界で…罪を」
「お前が下界で罪を犯したと言うのなら、それはあの日お前を暗黒に落とした者の罪に等しい。心配はいらない」
「公女…様、最後に…一つ…だ…け。私の…家族…は…」
「あの後、鶯光帝を止めるには少しの時間を要した。皇が鶯光帝を、私が役人達を止めている間に、捲簾がお前の家族を須弥山に逃がした」
そう言うと、沙麼蘿はちらりと悟浄を見た。前世の記憶など何もない悟浄には、何の会話かわかるはずもない言葉だ。目の前の百花羞と、どれだけ仲睦まじかったかなど、何も知りはしない。
「女仙である花薔が、全ての準備を整えた。お前の家族は、今も須弥山で静に暮らしている。それに弟は、皇に仕えている」
「皇…様…に」
「そうだ、よく働いていると聞いている」
「あ…ぁ…」
「よいか、私がいつか聖宮や花薔と共に必ず輪廻の輪に戻してみせる。そうすれば、長い長い時のはてでまた捲簾にも巡り会える。その時こそ、二人で幸せになれ」
「公…女、様…」
「これを、使い方は聖宮と花薔が知っている。必ず、私がお前達を守る」
“うん” と、双眸が閉じる瞬間百花羞が頷き、一筋の涙を流した。百花羞の手には、小さな紅い匂い袋にも似た形の布がある。この中にあるものが、邪神達から黄泉にいる者を守る力になる。
静に流れる川に、一艘の小舟が浮かぶ。小舟の中には静に眠る百花羞がいて、沢山の花に囲まれていた。この花は、金角や銀角、月亮や李子、八戒や悟浄達が集めて来たものだ。李子は天女の羽衣を百花羞の身体にかけようとしたが、
「それは百花羞がお前に託したものだ。お前の役に立つだろう」
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片時雨が降り続いていた村には、もう雨は降っていない。次に雨が降る時、それは村全体に降るだろう。だが女狐が消え、好き勝手に降らせていた雨のどれ程がこれから先この村に降るのか降らないのか、それは誰にもわからない。
「行くぞ、黒仙桜の場所はまだ先だ」
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快活→気持ちや性質が明るく元気のよいさま
秩序→物事を行う場合の正しい順序、筋道。その社会·集団などが望ましい状態を保つための順序やきまり
清廉潔白→心が清くて私欲がなく、後ろ暗いことのまったくないさま
忠義→主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。また、そのさま
のべつ幕無し→ひっきりなしに続くさま
泥犂→じごく
平伏→顔が地面に付きそうになるほど身を低くして頭を下げる
観無量寿経→浄土三部経の一
今年最後の投稿となります。今年もお読みいただいた皆様ありがとうございます、また来年もよろしくお願い致しますm(_ _)m
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