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第二章
蝦夷菊《一》
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幕間のような短い話で、邪神側の昔話。
蝦夷菊→古くから夏の切り花や、お盆、彼岸の仏花として重宝されてきた花。
花言葉は、「変化」「信じる心」「美しい思い出」「同感」「追悼」など
********
地よりも深い修羅界の奥に、禍々しい氣を放つ邪神の王が住まう宮殿があった。この巨大な宮殿の中には、王族の住居の他にも様々な施設が入っている。
王族が暮らす内殿に入れるのは一部の者のみ、それ以外の者は外殿に住まい働いていた。その外殿の中にある厨房の前を通り過ぎた時に、女の耳に届いた声。
「お願いします、小さな氷でいいんです。ひとかけの氷を、ひとかけの氷をお兄ちゃんのために下さい! お願いします!!」
その声に、女は振り返って厨房の中を見た。半色の襦裙を着たその女の衣の裾には山々の刺繍が施され、その上には十五夜の月が浮かんでいる。
「お願いします、何でもします! ひとかけの氷をわけて下さい!!」
中で叫び声を上げるのは、まだ十二歳ほどの子供だった。だがその子供の声に耳を傾ける者など誰もいない。
ここは修羅界、邪神や鬼神が住まい暮らす宮殿だ。何をするにも物を言うのは自分の力のみ。力のない者には物を乞う権利も、選ぶ権利も、生きる権利さえ与えらることはない。
「うるさいね! あっちへお行き!!」
厨房で働く女の足が、子供に向かって蹴り上げられる。その姿に、半色の襦裙を着た女、紫苑は嘗ての自分の姿を垣間見る。
「お願いします、氷を、氷を下さい!」
厨房で真っ赤になった両手を地面について、頭を擦り付けるようにして頼んだ。弱い自分を守るため、無理をして身体を酷使し、その身を削りながらも生きている双子の弟、白苑の身体が燃えるように熱いのだ。
もう言葉さえ発することができないその唇が、“熱…い、熱…い” とわずかに動く。雪は降ってはいないが、外は身をきられるほどの寒さ。その中を、薄着の紫苑は冷たい川の水を求め走る。
紫苑や白苑に、自分の物など何もないにひとしい。茶碗さえ持たない紫苑は、まだ白苑が元気だった頃下界に行き活躍した褒美にと渡された金子で買って来てくれたただ一つの自分の物である、綺麗な色の花が刺繍されたハンカチを持ち川へと急ぐ。
外の空気よりさらにさらに冷たい川の水に手を入れハンカチを濡らすと、来た道を急いで白苑の元まで戻る。それを何度繰り返したか、冷え切った手足はもう感覚さえわからない。
そうまでして戻って濡れたハンカチを白苑の口元まで持って行っても、与えられる水もその冷たさもわずか。白苑の身体の熱に触れれば、すぐに冷たさはなくなってしまう。せめてひとかけの氷があれば、自分にも何か一つでも力があれば、白苑のような斑の力があれば…。
『大丈夫、紫苑は僕が守るから』
まだ幼かった頃に聞いた白苑の声が、脳裏に響き渡る。紫苑と白苑は、たった二人きりの家族だった。天上界と闘うための武器、兵器としてあらゆる種族の血を掛け合わされ造られた斑である紫苑と白苑には、両親の記憶すらない。
通常、邪神達が良いできだと言う斑には、身体の何処かに必ず斑がある。その斑が多ければ多いほど何かしらの強大な力を持ち、優秀だと言われていた。だがその反面、強大な力を持つ者は無理な掛け合わせにより喜怒哀楽の一部が欠けていたり、心を病んでいたり、短命だったりと、難がある場合が多い。
双子として生まれた紫苑と白苑は正反対だった。斑のくせに斑を一つも持たない紫苑と、身体の至る所に斑を持つ白苑。幼い頃には斑が出ない子供もいるため、五歳までは紫苑だって大事に育てられてきた。
だが、その後も身体のどこにも斑がでなかった紫苑は、いらない者役立たずとして捨てられる寸前まできた。だがそれを、双子の白苑が必死になって止めたのだ。
斑の中でも最上級の身体を持つ白苑の願いは聞き入れられ、役立たずと言われながらも紫苑は白苑に与えられた部屋で過ごし、同じ食事をして暮らしてきた。だがそれが長く続かないことは紫苑と白苑もよく知っていた。
それは、同じ場所で暮らすたくさんの斑達を見ていればわかることだ。白苑のような斑は短命が多く、十歳をすぎると身体を壊していくことが多い。それでも行けるところまでは二人で行こうと誓いあった。
喜怒哀楽や他人への思いやりが欠けた斑が多い中で、どの種族の血がどう表れたのかはわからないが、紫苑と白苑を互いを “片割れ” と言い自分の分身のように感じ、姉弟仲がとても良かった。
白苑は弱い紫苑を守り、紫苑は無理を強いられる白苑をいつも支え続けた。二人なら、何も怖いものなどない。ただ、片割れが消え去ることだけが怖かった。
そんな中、身を削られ続けた白苑の、これが最後の言葉になるかも知れないと紫苑は感じ、なんとか冷たい水を氷をと、頭を下げ続けた。自分はどうなってもいい、白苑の最後に少しでも身体を楽にしてあげられたら、その身体の辛さをやわらげてあげることができたらなら。
厨房で働く女が、“うるさい、邪魔よ!!” そう言って手に持つ鍋を紫苑に投げつけようとしたその時、這いつくばるようにしていた紫苑の目の前に、コロンと掌に乗るほどの氷が投げ捨てられた。急いで顔を上げた紫苑の視線の先にいたのは、柚葉色の髪と双眸を持つ若い男。
一目見ればわかる、自分達などとは身分が違う。邪神の中でもかなりの力を持つ王の血族。
「どうした、氷だ」
男に声をかけられた紫苑は、地面に頭を擦り付け “ありがとうございます! ありがとうございます!!” と何度も何度も礼を行った。
「もういい、邪魔だ行け!」
厨房から何よりも大切な物を抱くように氷をハンカチに包んで走り去る紫苑と、その後ろ姿を見つめる若い男。それが、紫苑と連翹の初めての出会いだった。
********
半色→淡い渋みの紅紫色
這いつくばる→よつんばいに伏す。平伏する
柚葉色→深く暗い緑色
次回投稿は3月18日か19日が目標です。しばらくの間はゆっくり更新になります。
蝦夷菊→古くから夏の切り花や、お盆、彼岸の仏花として重宝されてきた花。
花言葉は、「変化」「信じる心」「美しい思い出」「同感」「追悼」など
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地よりも深い修羅界の奥に、禍々しい氣を放つ邪神の王が住まう宮殿があった。この巨大な宮殿の中には、王族の住居の他にも様々な施設が入っている。
王族が暮らす内殿に入れるのは一部の者のみ、それ以外の者は外殿に住まい働いていた。その外殿の中にある厨房の前を通り過ぎた時に、女の耳に届いた声。
「お願いします、小さな氷でいいんです。ひとかけの氷を、ひとかけの氷をお兄ちゃんのために下さい! お願いします!!」
その声に、女は振り返って厨房の中を見た。半色の襦裙を着たその女の衣の裾には山々の刺繍が施され、その上には十五夜の月が浮かんでいる。
「お願いします、何でもします! ひとかけの氷をわけて下さい!!」
中で叫び声を上げるのは、まだ十二歳ほどの子供だった。だがその子供の声に耳を傾ける者など誰もいない。
ここは修羅界、邪神や鬼神が住まい暮らす宮殿だ。何をするにも物を言うのは自分の力のみ。力のない者には物を乞う権利も、選ぶ権利も、生きる権利さえ与えらることはない。
「うるさいね! あっちへお行き!!」
厨房で働く女の足が、子供に向かって蹴り上げられる。その姿に、半色の襦裙を着た女、紫苑は嘗ての自分の姿を垣間見る。
「お願いします、氷を、氷を下さい!」
厨房で真っ赤になった両手を地面について、頭を擦り付けるようにして頼んだ。弱い自分を守るため、無理をして身体を酷使し、その身を削りながらも生きている双子の弟、白苑の身体が燃えるように熱いのだ。
もう言葉さえ発することができないその唇が、“熱…い、熱…い” とわずかに動く。雪は降ってはいないが、外は身をきられるほどの寒さ。その中を、薄着の紫苑は冷たい川の水を求め走る。
紫苑や白苑に、自分の物など何もないにひとしい。茶碗さえ持たない紫苑は、まだ白苑が元気だった頃下界に行き活躍した褒美にと渡された金子で買って来てくれたただ一つの自分の物である、綺麗な色の花が刺繍されたハンカチを持ち川へと急ぐ。
外の空気よりさらにさらに冷たい川の水に手を入れハンカチを濡らすと、来た道を急いで白苑の元まで戻る。それを何度繰り返したか、冷え切った手足はもう感覚さえわからない。
そうまでして戻って濡れたハンカチを白苑の口元まで持って行っても、与えられる水もその冷たさもわずか。白苑の身体の熱に触れれば、すぐに冷たさはなくなってしまう。せめてひとかけの氷があれば、自分にも何か一つでも力があれば、白苑のような斑の力があれば…。
『大丈夫、紫苑は僕が守るから』
まだ幼かった頃に聞いた白苑の声が、脳裏に響き渡る。紫苑と白苑は、たった二人きりの家族だった。天上界と闘うための武器、兵器としてあらゆる種族の血を掛け合わされ造られた斑である紫苑と白苑には、両親の記憶すらない。
通常、邪神達が良いできだと言う斑には、身体の何処かに必ず斑がある。その斑が多ければ多いほど何かしらの強大な力を持ち、優秀だと言われていた。だがその反面、強大な力を持つ者は無理な掛け合わせにより喜怒哀楽の一部が欠けていたり、心を病んでいたり、短命だったりと、難がある場合が多い。
双子として生まれた紫苑と白苑は正反対だった。斑のくせに斑を一つも持たない紫苑と、身体の至る所に斑を持つ白苑。幼い頃には斑が出ない子供もいるため、五歳までは紫苑だって大事に育てられてきた。
だが、その後も身体のどこにも斑がでなかった紫苑は、いらない者役立たずとして捨てられる寸前まできた。だがそれを、双子の白苑が必死になって止めたのだ。
斑の中でも最上級の身体を持つ白苑の願いは聞き入れられ、役立たずと言われながらも紫苑は白苑に与えられた部屋で過ごし、同じ食事をして暮らしてきた。だがそれが長く続かないことは紫苑と白苑もよく知っていた。
それは、同じ場所で暮らすたくさんの斑達を見ていればわかることだ。白苑のような斑は短命が多く、十歳をすぎると身体を壊していくことが多い。それでも行けるところまでは二人で行こうと誓いあった。
喜怒哀楽や他人への思いやりが欠けた斑が多い中で、どの種族の血がどう表れたのかはわからないが、紫苑と白苑を互いを “片割れ” と言い自分の分身のように感じ、姉弟仲がとても良かった。
白苑は弱い紫苑を守り、紫苑は無理を強いられる白苑をいつも支え続けた。二人なら、何も怖いものなどない。ただ、片割れが消え去ることだけが怖かった。
そんな中、身を削られ続けた白苑の、これが最後の言葉になるかも知れないと紫苑は感じ、なんとか冷たい水を氷をと、頭を下げ続けた。自分はどうなってもいい、白苑の最後に少しでも身体を楽にしてあげられたら、その身体の辛さをやわらげてあげることができたらなら。
厨房で働く女が、“うるさい、邪魔よ!!” そう言って手に持つ鍋を紫苑に投げつけようとしたその時、這いつくばるようにしていた紫苑の目の前に、コロンと掌に乗るほどの氷が投げ捨てられた。急いで顔を上げた紫苑の視線の先にいたのは、柚葉色の髪と双眸を持つ若い男。
一目見ればわかる、自分達などとは身分が違う。邪神の中でもかなりの力を持つ王の血族。
「どうした、氷だ」
男に声をかけられた紫苑は、地面に頭を擦り付け “ありがとうございます! ありがとうございます!!” と何度も何度も礼を行った。
「もういい、邪魔だ行け!」
厨房から何よりも大切な物を抱くように氷をハンカチに包んで走り去る紫苑と、その後ろ姿を見つめる若い男。それが、紫苑と連翹の初めての出会いだった。
********
半色→淡い渋みの紅紫色
這いつくばる→よつんばいに伏す。平伏する
柚葉色→深く暗い緑色
次回投稿は3月18日か19日が目標です。しばらくの間はゆっくり更新になります。
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