天上の桜

乃平 悠鼓

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第二章

蝦夷菊《二》

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 紫苑しおんは川へと走った。厨房ちゅうぼうの土間に投げ捨てられ、少し汚れた氷を持って。冷たい川の水で大事そうに氷の汚れを取り、冷たい川の水で濡らしたハンカチに包んで白苑びゃくえんの待つ、まるで牢獄のような部屋へと走って帰る。

「白苑、氷をもらったの! わかる、氷よ!!」

 辛そうに息をする白苑の口元や額に冷たいハンカチを当てると、一瞬だけ白苑の表情がやわらいだような気がする。そして

「この氷、溶けない…! 何か術がかけてある」

 白苑の燃えるように熱い身体に、ハンカチで包んだ氷を触れさせていても、ハンカチの中の氷にはほんのわずかしか溶けた様子がない。紫苑はこの氷をくれた、若い男のことを思いだす。

柚葉色ゆずはいろの髪と双眸そうぼうを持つ、王の血族の人だった」

 王の血族ほどの力がある人なら、氷に術をかけることだってできる。紫苑は何もない部屋から氷を割れる物を探しだし何とかいくつかに割ると、一番大きく割れた氷はハンカチで包んで白苑額の上に置き、もう一つの氷は自らのころもを破いて包んでから白苑の首筋に当てた。そして、残った小さな小さな氷の欠片かけらを白苑の口の中に入れる。
 白苑の息遣いが段々と穏やかになり、眠りについて行く。きっと、ほんの一時の眠りだろう。あれだけ白苑の身体にあった沢山のまだらの印であるぶちは、今はどこにもない。全部全部、研修者達に取られた。
 身体を壊しまともに活躍できなくなると部屋を追い出され、この牢獄のような場所が与えられた。いや、牢獄のような場所でもあるだけまし。まだ白苑の身体に価値があると言うことだ。
 だからここに置いてもらうために、食べ物をもらうために、白苑は身体の全てを差し出した。それもこれも、全ては紫苑を生かすため。髪も双眸そうぼうも舌も爪も手足さえも、差し出せるものは何でも差し出した。
 “紫苑は、行けるところまで生きて” そう言った白苑の言葉に従い、紫苑は今まで生きてきた。どんなに辛くても、どんなに苦しくみじめでも、身を削り続ける白苑を見つめながらここまできた。
 でも、それももうすぐ終わり。紫苑は一人で最後まで生き抜くつもりはない。いつだって、自分達は一緒。一緒に生まれ、一緒に育って来た双子の姉弟。この世から消え去る時だって、少しの差はあるかも知れないけど一緒だ。
 その夜は、氷のおかげで二人に束の間の、ほんの少しだけの楽な時間が訪れた。まるで、最後の褒美ほうびとでも言うように。翌日の夕方、紫苑が部屋に戻ると、そこには何もなかった。
 朝いつもように研究所の男達が白苑を連れていき、紫苑は下働きの女中達のもとで働く。いつもと変わらない朝。でも、終焉しゅうえんは突然訪れた。いや、いつだって覚悟はできていたはずだった。でも…。

「白苑は! 白苑は何処どこ…!!」
「うるさい!!」

 研究所に行きすがるように声をあげる紫苑を、研究者達は “邪魔だ!!” と言って蹴り飛ばした。どんなに蹴られようと殴られようと、これだけは引くわけには行かない。

「お願いします! 白苑が何処に行ったのか、教えて下さい…。お願…い…!!」
「廃棄処分だ」
「廃棄…処分…。どこ…に…」

 “ごみ捨て場に決まってるだろう”、その言葉を聞いた紫苑は瞳を見開く。ボロボロになった身体で、足を引きずるようにしてごみ捨て場へと急ぐ。
 此処ここでは、力のない者には物を乞う権利も、選ぶ権利も、生きる権利もない。白苑は、まだらの研究のためにその身体まで差し出したのに、差し出せる部分がなくなったから、もう役に立たなくなったからと、ごみと一緒に捨てられてしまったのだ。
 悲しいのかも悔しいのかわからない涙がこぼれ落ち、前が見えない。途中何度も何度も転びながら、それでも紫苑はごみ捨て場に急いだ。







「ここにいた子供はどうした」
「ここにいた子供…ですか。あぁ、廃棄処分になりましたよ」
「二人共か、一人は普通の子供だったはずだ」
「さぁ、知りませんね」

 本来なら、高貴な血筋の者がこんな地下にやって来ることはない。だがこの場にいるのは、見事な柚葉色の双眸と髪を持つ王族であると思われる男と、上級神である深碧色しんぺきいろの髪と双眸そうぼうを持つ男。そして、雪のように白い髪に黒みがかった赤色牛の血ビーフブラッドの双眸を持つ男をはじめとする、下働きの男では見ることもないような上級神の男達だった。

「探せ」
「はっ」

 深碧色の髪と双眸を持つ男望月ぼうげつの言葉に、後ろに控えていた男達が散らばって行く。連翹れんぎょうから望月がその話を聞いたのは、昨夜のことだった。

厨房ちゅうぼうで、不思議な子供を見かけた」
「不思議な子供?」

 連翹が語る話は、それはそれは不思議なものだった。通常ではあり得ないことだ。

「それは何か、見た目は普通の子供と一緒だが、特殊な力を持っていると言うことか?」
「わからない。だが私が厨房に入るまでは、確かにあの場所に力を持った者などいなかった。それが、私が足を踏み入れた途端だ、厨房の中に力の上昇が見られた」

 上級神になればなれるほど、他者の力を自然と感知できる者が現れる。それは、闘うことが当たり前のこの修羅界では優れた能力の一つで、連翹は他者から放たれる力を見ることに長けるため、立ち回りも戦闘も群を抜いて上手かった。

まだら、か」
「いや、あの子供の身体にはぶちがなかった。本当に何処にでもいる、何の力も持たない子供のようだった」
「じゃ、連翹の勘違いか」
「それも違う。あの子供が厨房から出た途端、厨房にあった力が消えた」
「おかしな話だな、調べてみるか。もしかしたら、とんでもない隠し球になる子供かも知れないぞ」
「あぁ、頼む」

 あの厨房での出会いがなければ、紫苑の命は白苑と共に消えていただろう。まさか、紫苑にまだらの力があるなどと、紫苑自身ですら知らなかったのだから。









********

終焉→生命が終わること。また、その時。臨終。最期


次回投稿は、4月11日か12日が目標です。


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