私が選ぶ道

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浪人から大学へ

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初めの半年間は順調だった。

自分に甘い人間だということを高校3年間で嫌というほど自覚した私は、逃げられない状況を作るために、毎日8:00の開館から21:00の閉館まで河合塾に通った。文字通り毎日。1年間で行かなかったのは、祖父の葬儀のため九州に赴いた3日間、発熱があった2日間、他塾で1日模試を受けた日、あとは塾が休校日だった数日のみ。他塾で模試を受けた日でさえも、18:00に模試が終われば21:00までは自習室に行った。

前半の模試では初めてC判定が取れたりもして、この時期の浪人生はいい判定が出がちとわかっていてもよいモチベーションになっていた。
自分はだめだ、〇〇大学なんて夢だと思っていたものが、現実味をまとい始めたような気がして、勉強面も精神面もそれなりに安定していた。




11月。共テまで2ヶ月を目前にし、その共テ模試は秋の模試ラッシュの最後に行われた。試験中から、いまいち手応えはなかった。
とはいえ、共テ模試はいつもそう大きく落ち込むことはないのだ。5教科7科目、満遍なく出題されるから、1つうまくいかないものがあっても総合的に見れば毎回それなりの点数には届く。

───────今まではそうだった。 


帰宅後、共テ模試後いつもそうするように、すぐに自己採点をした。1科目ずつ点数を出していくごとに、心に重い楔が打ち込まれる気持ちだった。

よくない、とかではない。悪い。悪すぎる。スマホの電卓が表示した合計点は信じられないものだった。

浪人始まって以来の最低点。ただ最低点だというだけではない。1番とれた模試から100点以上も低かった。現役のときと、そう変わらない点数だった。


問題用紙の束を片手に、私は無言で、自己採点していたリビングから自分の部屋に上がった。部屋のドアを閉めて、ベッドに寄りかかり、ぼんやりと宙を見つめた。

なんだったんだろう、ここまでの半年は。間違いなく私は頑張ってきた。
気持ちが切れて予備校に来る人がだんだん減っていく中、授業のない日曜日も、お盆も誕生日も関係なく毎日予備校に通った。開館から閉館まで勉強した。
苦手な数学と英語に勉強時間の8割を注ぎ、見た瞬間に脳が拒否したくなるような数式やアルファベットの羅列と地道に向き合ってきた。その割に英数がなかなか上がらず、休憩がてら触れるだけの社会と全く触れていない国語ばかりが高い偏差値を叩き出す現状にため息をつく毎日。それでも、英数の配点が圧倒的に高い志望校に受かるにはやるしかない。

頑張っていた。どうだったら頑張っていると言えるのか、そんな定義はわからなかったけど、でもすごく頑張っているつもりだった。だからもうどうしたらいいのかわからなかった。やっぱり頑張っても自分はだめなんだ。


ふと、本棚に並べられた今までの模試の問題用紙の束が目に入った。適当に抜き出してしげしげと眺める。
頑張って、きたんだけどな。
全然、進めてなかったのか。

次の瞬間、大きな破裂音が部屋中に響き渡った。手の中の問題用紙を床に叩きつけた音だった。頭では何も考えられなかった。止まらなかった。本棚から問題用紙を引き出しては床に投げつけ、問題用紙がなくなると問題を解いてきたノートを次から次へと破り捨てた。

私は泣いていた。浪人が始まって初めて流した涙だった。
私は一度落ち込むと長いから、泣いてしまったらもう立ち上がれなくなる気がするから。次に泣くのは春、第一志望に受かったとき。そう決めていたはずなのに。

ひと通り目につく紙の束を散らかした私は、ゼンマイが切れたように座り込んだ。我に帰る余裕もなく、散乱する紙片を視界の隅に、止まらない涙をぬぐうこともできなかった。


「落ち着いたか」
どれくらい経っただろう。父親が部屋のドアをノックして入ってきた。私がドタバタする音は聞こえていたのだろう、教材が散らかった部屋を見ても特に驚いた様子はなかった。
虚な目で座り込む私に、父親は何も言わなかった。
自身も浪人経験者である父親は、私が浪人を決めたときから「1年のうち、絶対にどこかでどうしようもなく苦しいときが来る。浪人とはそういうものだ」と告げていた。今がそうなのだと、おそらく父親は悟っていたのだろう。
沈黙に耐え切れなくなった私はぽつりと呟いた。

「もう無理だよ」
「何が」

私に喋らせようとしていたのかもしれない。それに乗るのはなんだか癪な気もしたが、口火を切ってしまえば止まらなかった。 

「全部。〇〇大なんて無理だし、これ以上頑張れない。私にはやっぱり無理なんだよ。仮に本番なんかの間違いで受かったところでその先やっていけるわけない、その先の方がずっと大変なんだから」

「じゃあどうすんの」

「……受験まで勉強はするよ、浪人生なんだから。毎日予備校にも行くし、そこはこれまで通りちゃんとやる。でも…もう〇〇大は諦める。現役のときより成績自体は上がってるんだから、あとはもう共テの結果見て受かりそうな国立に出すよ」

「一喜一憂するなって高校受験の頃からこれだけ言ってるのにお前も変わらないな。お前はほんとにそれでいいのか?」

「いいも悪いもないよ、仕方ない。それしかないもん」


父親が出て行ってからも、私は動けなかった。日付はとっくに変わっていた。
父親に何を言われても、何を話しても、新たな感情は何も湧かなかった。

私には強さが足りないのだ。父も母も強い人だ。失敗しても、苦しくても、投げ出さずに頑張れる人たちだ。そんな2人を親に持ちながら、私は強くない。これ以上第一志望を目指して、高いところを見て頑張れるほど強くない。その前に心が壊れてしまう気がした。

現役の頃に感じていたプライドは、良くも悪くもなくなっていた。易きに流れた結果たどり着く未来でももうよかった。自分から易きに流れたんじゃない、難きに向かって頑張ってきたけど、登り詰めきれなかった分少しだけ逆方向に流されるだけだ。
側から見たら言い訳でしかないことが、純粋な私の思いだった。側から見たら言い訳でしかないから、朝が来てほしくなかった。こんな私を誰にも知られたくなかった。

それでも私の気持ちに関係なく、また朝は来る。数時間後には家族が起きてきて、また1日が始まる。顔を合わせたくなかった。支えてくれる家族に合わせる顔がなかった。

予備校に行くリュックを背負って、私は静かに家を出た。この時期の北海道の夜明けは遅い。泣き続けて熱った頬に、11月初旬の明け方の空気は冷たかった。
勉強道具が詰め込まれた重いリュックを自転車のカゴに入れ、いつものようにペダルを漕いだ。いつもと違うのは、時刻がまだ電車も走っていない午前4時だということだけだった。


泣き疲れて重い頭を木枯らしで冷やしながら重いペダルを漕いで、自転車は自然と予備校の方へ向かった。毎日通った道を自然と体がなぞっていた。
とはいえこの時間に予備校が開いていないことは当然わかっていた。この季節では外で時間を潰すのは無理だ。仕方なく、目に留まった24時間営業のファミレスに入った。

何も食べる気はしなかったが、そういうわけにもいかないのでお味噌汁だけ頼んで理科基礎の参考書を開いた。どこを目指すことにしようが勉強はしなければならないし、流石に数時間打ちのめされた程度では勉強する癖は抜けていなかった。
寝れていない───────今日に限らず、そもそもこの時期には十分に睡眠をとる気持ちの余裕はなかった───────せいで頭は重く、何時間も泣いたせいで目は真っ赤、瞼は腫れていた。心も体もぼろぼろだった。


そのとき。
「ねえ」
顔を上げると、私とそんなに変わらないだろう、20代くらいの見知らぬ男性2人組。もう会計を済ませて帰るところなのだろう、上着を着て、お釣りであろう小銭を手にしていた。
「好きなもの食べて。勉強頑張ってね」
ひどくやつれている私に何も聞かず、それだけ言って彼らは小銭をテーブルに置いた。
あまりに突然のことで、昨夜の疲れもあり咄嗟に反応できなかった。が、ワンテンポ遅れてようやく頭が追いついた。知らない人からお金をいただくなんてできない。
慌てて返そうとしたが、彼らの姿はもう店内にはなかった。私自身は会計も済ませていない。さっと店を出ることはできず、それ以上探して追いかけるのは無理だった。
一瞬の出来事だったが、夢ではないのはテーブルに残された硬貨たちが物語っていた。
なぜだろう。家族、友達、先生、予備校のチューターさん、色々な人に応援してもらっているのはわかっていた。支えてもらっているのもわかっていた。
誰かに応援されているのは今に始まったことではない。彼らから告げられた言葉自体は、目新しいものではなかった。なのに、なんだか目の奥がずんとした。

彼らがなぜそんなことをしてくれたのかはわからない。彼らの親切に対してそのとき私は何を感じたのかも、今でもはっきりとは言葉で表せない。
ただひとつ確かなのは、頼んだお味噌汁の入ったお椀、理科基礎の参考書、先ほどの小銭が置かれたテーブルを眺めながら、自分に問いかけたことだ。


これで終わりか?、と。

───────終わらせてたまるか。


逃げるのもやめるのも、いつでもできる。心はまだ壊れていない。逃げ出すのは、心が壊れるまであと一滴というところになってからでも遅くはない。
応援し支えてくれる全ての人に、「これ以上は壊れてしまうからもう諦めます」と堂々と言えないうちは、まだ余力はあるはずだ。


数時間後、私はいつもの自習室で机に向かっていた。
朝になっても物音のしない私の部屋を覗いたところもぬけの殻だったことに仰天した両親が送ってきた、安否を心配するLINEにはただ一言、「塾にいます」とだけ返した。
「いつも通りの時間に帰ってきてくださいね。待ってますから」
母からの返信は、今朝の木枯らしとは裏腹に暖かかった。



8:00に予備校が開館すると同時に登校する。
必要な授業は受けて、それ以外の時間は自習室で勉強。21:00の閉館まで。
近くのカフェに移動し、23:00の閉店まで勉強。
帰宅し、また机に向かう。

私は勉強を時間で区切るのが苦手だった。
2時間経ったから休憩しよう、24:00になったから寝よう、ができない。
やろうと思った内容が終わるまで終わりたくない。
今までは強みだったはずのそれが、私を苦しめていた。

やってもやっても、やろうと思った内容が終わらなくなっていた。やってもやっても足りない気がしていた。「今日はここまでにして寝よう」ができなかった。
とはいえ、受験前の冬に生活リズムを崩しすぎてはいけないのはわかっていた。

無理やり机から離れてベットにもぐりこんだ。
ずっと座って勉強するというのは、目に見える体力は使わないが疲労はもちろん溜まる。ちゃんと体と脳は疲れているはずだった。
目を閉じる。そこまで寝つきが悪い方ではない。

今日こそは早く寝なくては。

この時期の受験勉強は体力勝負、必要な睡眠はとらなきゃいけない。
それに元々ショートスリーパーではないのだから、夜寝ない分は昼にツケが回ってくる。
生活リズムを保つためにも、寝なきゃ。

今日も、だめだ。

眠れないのだ。
目を閉じて横になっていればそのうち眠れるとよく言うが、大嘘だ。次から次へと頭に何かが浮かんできて、覚醒し続けている。
頭の中に声が響いていた。今この瞬間、勉強していない、と。おそらく私自身の声だ。
寝ている時間を、勉強していない時間として区切られてしまうのが怖かった。僅差落ちでもなく、浪人が始まってから苦手科目を基礎からやり直してきた私は人一倍勉強しなければならない。苦手科目の配点ばかりが大きい大学を受けるのだから尚更だ。
起きている時間は全て勉強に充てている。でもその時間は、私以外の受験生もみんな勉強しているのだ。他の人より勉強するには、他の人が勉強していない時間───────寝ている時間しか空き容量はない。

ベッドから起き上がり、照明をつけた。布団から抜け出すとひやりとした空気が体をつつむ。暖房が効いているとはいえ、寒がりで冷え性の私には充分な暖かさではなかった。家の暖房は全館空調で、部屋ごとに強弱を設定することはできない。ベッドの中でとっくに寝静まっている家族に暑い思いをさせるのは忍びなく、私はパジャマの上からもこもこのパーカーを羽織り、机に向かった。
どうせ寝れないのに、ベッドの中で何もせず時間を食い潰すほどの余裕はない。
しょっちゅうミスをする戦後史の国際会議を復習するため、私はノートを開いた。


第一志望の入試が数日後に迫っていた。11月の模試直後の状態が私の心身の限界だったとしたら、このとき私の心身は限界を超えていた。

気を強く持とう、と常に思っていないと、勝手に呼吸が浅くなり泣けてくる。
去年の年始の涙とは違っていた。頑張っていることを自分がよくわかっているからこそ、怖かった。これでだめだったら、私は本当にだめってことじゃないか。

努力していない自覚があったときは、そのこと自体に恐怖はあっても「努力していないから今の自分はだめなんだ」という逃げ道があった。でも今はもうない。「努力しても自分はだめだ」と突きつけられるのが怖かった。
直前に怖くなって泣いてしまう弱い部分は、結局去年から何も変わっていなかった。


時計の秒針の音がひどく頭に響く。

逃げたい。
受けたくない。
食事も喉を通らない。

落ちることそのものももちろん怖かったが、ここまでやってきても落ちてしまったら、その後一生自分を否定しながら生きてしまいそうなのが怖かった。そんな人生、苦しすぎて暗すぎて、想像もしたくなかった。


併願校の不合格が続いていたことも大きかった。志望順位が1番下だったところの共テ利用しか合格を貰えていなかった。第一志望対策に全力を注ぎ、何の対策もせずに併願校に特攻していたからおかしな話ではなかったが、「あなたはだめでした」と突きつけられ続けることに心が疲弊していくのも決しておかしな話ではない。

第一志望の試験の前日は、最後の併願校の合格発表日でもあった。法学部を看板学部とし、法曹養成において昔から名門と言われる大学。手応えは正直わからなかった。国立である第一志望と、私立である併願校では問題の傾向も合格に必要な点数も違う。だから感触が掴めなかった。
もっとも、あまり期待はしていなかった。自分の手応えとはあまり関係なく、ここまで不合格が続くと期待するのが怖いを通り越して期待がなくなっていた。だから逆に、「怖いから第一志望の試験が終わるまで合否を見ないでおこう」などの思考にもならず、発表の時間が来ると同時にサイトを見た。


「合格」
桜の写真を背景に、その文字が表示されていた。
私は息を呑み、思わず手で口を押さえた。何度瞬きしても、その文字は変わらなかった。泣かなかった。が、瞳の水分量が増した気がした。嬉し涙ではない、安堵の涙だった。
ようやく、ざわついていた気持ちが落ち着いた気がした。この大学は、国立後期で出願した大学よりも志望順位が高い。つまり、明日と明後日の2日で本当に全てが終わる。泣いても笑っても、これで最後。私の目は、もう揺れていなかった。


第一志望の入試の2日間、気持ちは落ち着いていた。自信があったというのとは少し違う。ただ、胸を張っていた。
会場まで乗り換えなしとはいえ、慣れない東京という大都会に受験本番の娘を1人にすることを心配した母は、会場の最寄りまで送ろうかと提案した。
「1人で行く。舐められたら困るから」
考えるより先に口が動いていた。

大丈夫。私は頑張ってきた、私自身が1番わかっている。
この2日間は、私1人の闘いだ。



やれることはやった。最終科目、日本史の試験の終わりの合図があった瞬間、私は大きく息を吐いた。「終わった!解放!」という気持ちはなかった。「終わったんだ…」という事実を認識するので精一杯だった。実感はなかった。
会場からの帰りの電車で、英単語帳を開かない自分に違和感を覚えた。
東京から北海道に帰っても、何も手につかない日が続いた。ただ、時間がゆっくりと過ぎていくのだけを感じた。

手応えをあてにするなら、どっちに転んでもおかしくなかった。解答速報などは一切見なかった。落ちたなと思ってしまうのが怖かった。



合格発表日。
ホームページに私の受験番号は、なかった。


一瞬、時が止まった。が、本当に一瞬だった。胸の奥から頭まで、何かが迫り上がってきた。
わんわん声を上げて子供のように泣いた。
悔しかった。悲しかった。それでいてそのどちらでもないような、形容できない気持ちで身体中が飽和していた。
泣いては泣き疲れて気絶するように眠り、目が覚めてまた泣くということを何度も繰り返した。浪人中に泣いたときとは比べものにならなかった。19にもなって、自分はまだこんなに泣けたのか、と驚きすら覚えた。

応援し支えてくれた家族や友人、予備校の方々に対しては言いようのない申し訳なさを感じつつも、あまり心配させてはならないと他人の前ではできるだけ気丈に振舞った。それが余計に、ひとりになったときのやりきれない思いを加速させたのかもしれない。


家族は私を気遣い、寄り添ってくれた。部屋に閉じこもって泣き続ける私をそっとしておいてくれた。
3日ほど経ってから、お疲れ様ということでご飯でも食べに行こう、と声をかけてくれた。気は進まなかったが、いつまでも心配させてはいけないとも思い、頷いた。

回転寿司に向かう車の中はみんなあまり喋らなかった。3歳下の弟がぽつりと言った。

「〇〇大って本当に難しいんだね。□□(私)があんなに頑張っても、……受からないなんて」
「……私はあなたが思ってるほどすごくないんだよ」

それしか、私は答えられなかった。

ひどく関係が拗れた期間も長かった弟だ。
プライドに引っ張られて、高校入学までは目に見える成績だけは保っていた私に弟はずっと苦しめられていた。
私は私で、親から厳しく言われず周りからの期待やプレッシャーに必死に応えることも、自分の持つプライドに殺されそうになることもない弟に良い感情は抱いていなかった。

似ていない2人だから、お互い大人になって話さないとお互いを理解できなかったのだ。彼が小6、私が中3ではまだあまりにも子供すぎた。
2年半ほど、全くと言って良いほど喋らなかった。同じ屋根の下で暮らしているのに、お互い見えないかのように、いないものとして扱った。

先に大人になったのは、情けないことに弟の方だった。
私が高2だった秋、全国出場がかかったピアノのコンクール予選の日。
もう2年半言葉を交わすこともなかった彼は、夕方、部活から息を切らして走って帰って来るなり、母に「□□(私)、どうだった!?」と尋ねたらしい。無事決まったよ、と母が答えると、「よかった~~……」とその場に座り込んだ、と。
分かり合えない、憎まれていると思っていた私だったが、このときすでに、弟は家族として私を大切に思ってくれていたのだ。

「お姉ちゃんはあんなにすごいのに」
「お姉ちゃんに負けていられないね」
言われなくても周りがそう思っているのがわかってしまうのだと、和解してから教えてくれた。
それでも、周りがそう思ってしまうくらい、自分の姉はすごいんだ。弟はそう昇華したらしい。
そんなことないんだけどな。でも、そう思ってくれるのは嬉しかった。
そんな彼の尊敬まで、裏切ってしまった気がした。

回転寿司屋さんに着いてから、弟は全然お皿を取ろうとしなかった。両親が食べるように勧めても、「部活で疲れてて眠いし食欲ない、喋ってないと寝ちゃう」と言い、ずっと話していた。彼はもともと話上手で面白い人だ。下の弟や妹も巻き込み、私たち家族のテーブルは楽しく温かい空気に包まれた。私は久しぶりに笑った。無理に作る笑顔ではなく、自然と笑っていた。久しぶりにこんなに笑ったな、というくらい笑っていた。
みんなお腹いっぱいになり、そろそろ帰ろうかというときになってから、弟はぱくぱくとお寿司を食べていた。なんだ、お腹空いてるんじゃん。と言いかけて、気付いた。サッカー部の練習帰り、食べ盛りの男子高校生が食欲ないわけはない。ここ数日、ほとんど部屋から出ずにずっと泣いていた私を笑わせようと、自分が食べることよりも楽しい空気を作ることをずっと優先してくれていたのだろう。答え合わせは今もしていないが、数年に渡る冷戦期間と雪解けを経て良き姉弟となっていた私たちにはそんな確認は必要なかった。
そんなの、また泣いちゃうじゃん。
心を締め付けていたものが、ふっと緩んだような気がした。


どんなにつらくても一度に流せる涙には限りがあるらしい。さらに数日経つと、何時間も涙に暮れるということはなくなった。泣けなくなると、その分空いた容量で頭が勝手に考えてしまう。


私をあれほど泣かせたのは何だったのだろう。

きっとそれは、自分自身への失望だったのだろう。
現役の頃はE判定ばかりだった模試の結果も、浪人した一年で最高はB判定まで上がった。
決して手の届かない場所ではなかったはずだ。

朝8時、予備校が開くと同時に席に座り、夜9時の閉館時間まで机にかじりついた。
それでも足りずに、駅構内の小さなカフェで閉店の23時までシャーペンを握った。
家に帰っても日を跨いで机に向かった。

苦手だった数学を一からやり直し、第一志望の大学の特徴的な難問に慣れるまで、何度も解いて、また解いた。

共通テストの社会や理科基礎は市場に出回っている問題集と過去問をすべてやると決めた。何十冊と積み上げたそれらを、一冊ずつ潰していった。

英語のネックになっていた単語力も、大学受験用の単語帳の中で最難関と言われる真っ黒な分厚い単語帳を、電車でも食事のときも、常に手に持った。
すぐに意味が出てこなかったものに印をつけることを繰り返し、やがて一日に一周のスピードで回せるほどにまでなった。

すべてを捨てて、ただ夢中で、あのキャンパスに通う自分を思い描いた。
それでも、届かなかった。


その事実が、私の中にあった小さな希望を打ち砕いた。
───────「こんな自分でも本気で頑張ればできるんじゃないか」
どこかでそう信じていたかったのだと思う。
今までは、本気で頑張れたことがなかったから。


頑張るって何?努力って何?
それらはすごく高い壁に思えた。自分がそんなことができるなんて思えなかった。


そんな私だったけれど、この1年は、19年の人生で1番、努力に近いと思える場所で生きた1年だった。
だからこそ、それが砕け散った時、私は私に失望した。
あれだけの時間を、体力を、心を注ぎ込んだのに、だめだった。

やっぱり、私はだめなのかもしれない。
頑張っても、だめだった。いや、私は本当に頑張れていただろうか。世間一般で見たら、こんなの努力と呼べるものではないのかもしれない。だとしたら、私はやっぱり頑張れない人間なのだ。だってこの1年の過ごし方すら頑張ったと呼べないなら、私は頑張るなんてできない。

気づけば、そんな言葉が胸の奥を冷たく満たしていた。
 



ふと、壊れかけた11月、父親に溢した言葉が頭に浮かんだ。

「仮に本番なんかの間違いで受かったところでその先やっていけるわけない、その先の方がずっと大変なんだから」

間違いが起こらなかった、つまり受からなかった私に、それは言葉を変えて響いた。

「大学受験すら乗り越えられない私が、文系国家資格最難関と言われる司法試験なんて到底無理なんじゃないか」

そう呟いて、また自分を責めた。
受かっている法学部に入っても、司法試験ではない別の道を探すべきじゃないかとまで思った。



私にとっての「入試」は全て終わっていた。
が、出願した大学全ての入試が終わっていたわけではなかった。国立後期が残っていた。

とはいえ、国立後期よりも上の志望順位である今の大学にすでに受かっているのだから、後期を受ける必要はなかった。実際私は受けない気だったし、受けたくもなかった。

受かっても行かないのに受けることに何の意味があるのか。

そもそも受からないとも思っていた。
法曹になりたい、法学部が強い大学に行きたいという私の目標においてこそ志望順位は今の大学より下だったが、世間的には今の大学より上と評価されている国立大学。決して簡単に受かる場所ではない。 

最後まで苦手だった共テのリサーチはC判定。2次試験の配点が大きいならまだしも、共テと2次の比率は1:1、おまけにこの大学の後期試験の対策は1秒もしたことがない。ここまで悪条件が揃っているのにひっくり返るわけはないのだ。

受かっても行かないんだから合否によって自分の人生は変わらないとは言え、もうこれ以上、不合格という結果自体を目にしたくなかった。
自分の受験番号がない合格発表のページを見たくなかった。
「あなたはだめです」と突きつけられるあの瞬間にもう直面したくなかった。
入試直前とはまた別の意味で、心が限界まで来ていた。


父親は以前からずっと言っていた。受かっても行かなくていいから、後期を受けてみろと。地元だから受けに行くのは楽だし、何よりお前の読む力と書く力はすごいんだからと。

そんなこと言われてもピンと来なかった。本は大好きだったが、読む力も書く力も特に訓練や勉強をしたことはない。国語は得意だったけれど、高校教員として長年多くの生徒を見てきた父親がそこまで言うほど飛び抜けたものではないはずだ。国語だけがなんとなくできる文系というのは決して珍しくない。

数年前から思っていたが、両親は私を過大評価しすぎなのだ。私は誇れる能力なんて持ち合わせていないし、今に生きるような過ごし方なんてしてこなかったし。


後期試験前日の夜になっても、「受けておいで」の親と「受けたくないよ~」の私の攻防は続いていた。結果的に、日が変わる直前になって私が折れた。気が変わったのではない。この1年、予備校の学費、参考書代、受験料など多額のお金を出してくれて、様々な面で支えてくれた親に「せっかく出願はしてるんだし」と言われて仕舞えば、それは私にとって「これも受験料を出してもらってる」と痛感させられるにほかならない。
それだけのことをしてもらったのに第一志望に不合格だったことで、すでに大きく期待を裏切っているのだ。両親にそこまで諭されれば、無碍にはできなかった。


今までの入試とは違い、少しの緊張もなかった。受かる期待も必要もないのだから当たり前といえば当たり前。

試験開始の合図と共に問題を開く。過去問も見ずに来てしまったから、ここで初めて問題形式を知った。へー、大問2問なのか。これで試験時間3時間はなかなかの質量なんだろうな。そんな感想を抱きながら、国立前期以来初めてシャーペンを握った。

さあ、と問題文に目を落とした。その瞬間、目が離せなくなった。「治外法権と領事裁判権の違い」、私が小学生の時からずっと不思議に思ってきた論点。本の虫の血が全身を駆け巡った。目がすごいスピードで文字をとらえ、頭に送り込んでいく。それと競うかのように、送られてきた文字を脳が咀嚼し、要点を抽出して自分の中に落とし込みながら、同時にどこのあたりに何が書いてあるのか、どんな例が出されているのか、コピーするように記憶していた。意識しているわけじゃない。それが私の「読み方」だった。3度の飯より本が好きだと親戚に驚かれた幼い頃から変わらない、私の読み方。何が普通と違うのか自分ではわからないけど、何度も父親が感嘆し褒めてくれた私の読み方。

そこはもう、私にとって入試会場ではなかった。受かるかどうか、いい点がとれるかどうかなんてどうでもよかった。ただ、面白いこの読み物を味わい尽くしたい、この読み物に付された問題を解きたい、私の頭を経由して得られる文章を綴りたいという、学問に対する純粋な好奇心と欲求があるだけだった。前期試験以来一度も使われなかったシャーペンは、3時間、軽快な筆記音を立てながら楽しそうに走り続けた。



帰宅した私に、ダイニングで授業準備をしていた父親は模試の出来でも聞くような調子で「どうだった?」と声をかけた。
「面白い話だった、私がずっと気になってたことドンピシャで説明されててさ。お父さん、治外法権と領事裁判権の違い、わかる?現代の外交官はどちらかというと~」

普通に考えればこういう場面、父親が聞きたかった「どうだった?」はきっとそういうことではないだろう。
でも、冷蔵庫を物色しながら楽しそうに話し続ける私に、父は口を挟もうとはしなかった。最後の入試お疲れ様と母が買ってきてくれていたシュークリームを無事発見し、いそいそとダイニングテーブルに座ると、父は満足げな表情で授業で使うであろう問題にシャーペンを走らせていた。



後期試験の合格発表の日。相変わらず緊張はなかった。もちろんこれ以上不合格を重ねたくはなかったけれど、正直、どうしても受かりたいという気持ちもなかった。受かっても落ちても何も変わらないのだから。
でも面白い文章だったからいいや。久しぶりにそれなりの文章も書けて満足。

友達とカラオケに来ていた私は、スマホで合格発表のWebページを開いた。ずらりと並ぶ受験番号。さすがに後期、倍率は高いようで、並んでいる番号は押し並べて8~10個ずつ飛んでいる。

───────あ。

あった。受験票の写真を表示して番号を確かめる。
1桁ずつ見比べる。全部同じ。私の受験番号。
受かった。国立後期に。私は合格していた。

友達にことわってカラオケの個室から出て、母親と父親それぞれに電話をかけた。

「後期、受かってた」

母親は少し驚いたようだったが、すぐに理解したようでおめでとう、よかったねと何度も繰り返した。途中から少し声が湿っていたのはきっと気のせいではないだろう。帰宅後、改めて面と向かって報告したときにも目を赤くしていたから。
私がこの大学に行く気がないことは母親も当然わかっていたし、今の大学に進学することに賛成してくれてもいた。それでも、国立から合格をもらえたことで少しでも私が救われることに安堵してくれていたのだろう。
私が第一志望に落ちたことに1番心を痛めていたのは母だったのかもしれない。自分をきっかけに法律の道を志し、その大学を目指した娘に、どこかで責任のようなものを感じていたのかもしれなかった。第一志望の合格発表を数時間後に控えた深夜、声を出さずに泣きながらトイレで吐いていた私に気付きドアの向こうから「大丈夫?」と声をかけてくれたのも、不合格の深夜、そっと部屋に入ってきて、眠れずにベッドの中で声を殺して泣いていた私の背中を撫でてくれたのも、母だった。

父親は「おー!だから言っただろ、お前の文章力は普通じゃないんだって」と驚いた様子も見せず、でも嬉しそうに、そしてこれまでと同じように私を評価した。受かったあとで現金なものだけど、もしかしたらそんなに過大評価、ではなかったのかもしれない。


入学は辞退した。元からその予定だったのだから、何の迷いもなかった。
そのときも、今の大学に入学してからも、周りには何度も驚かれた。

「△大蹴ったの!?なんで!?」

返す答えはいつも同じだ。

「私は法曹になりたくて、法律を学びたかったから。それには△大よりこっちがいいと思ったの」

今の大学は第一志望ではなかった。いわゆる滑り止め。
でも、国立後期に合格したことで、今の大学を「選んだ」ことになる。他にも合格をもらった私大はあったけれど、それはまあまた別。

法律を学びたいから、法曹になりたいから、より良い環境として今の大学を選んだ。辞退を勿体無いと言われる大学を迷わず蹴るくらい、私の法律への思いは強かった。
そう改めて認識させてくれることになった。

結果だけ見れば後期を受けても受けなくても、何も変わっていない。でも、受けてよかったと心から思っている。
後から成績開示でわかったことだが、4位合格だった。共テC判定から4位までぶち上げた。褒められたことではないだろうけど、過去問も見ず、対策もせずに。私の武器として当然に備わっていた読む力、書く力はそれを掴み取れるものだった。
私は決してだめじゃない。誇れるものがある。苦しんで無理して身につけたのではない、ただ読書を楽しむ中で得てきた武器がある。過程を踏まえればそれは一種の才能なのかもしれない。
誇れる才能自体は別になくてもいいのだ。でも、私が幼い頃から本と共に生きてきたこと、国語だけはずっと飛び抜けて得意だったこと、その国語力に他の教科でも助けられたこと、それらは偶然や思い込みではなくて事実。それが形として残ったことが私は何より嬉しく、誇らしい。私が歩んできたこれまでは、虚像ではなく私の中に今もきちんと息づいている。


そして、たった一筋の光が差し込んだ。
───────法律が学べる。
10年前恋焦がれた学問が、今度は私を待っていてくれている。

そう思った直後、もう一筋。
───────私には、武器がある。
司法試験に絶対に活きる、読む力と書く力がある。


ぐしゃぐしゃにくすんだ心に、小さな火が灯った。
泣き崩れた私をもう一度立ち上がらせたのは、それだった。


結果で自分に失望したのなら、結果で取り返すしかない。
次に待つ大きな目標。
司法試験合格、そして裁判官任官。
私を受からせてくれた大学で法律を学び、その目標を必ず叶えて、
「私、意外とできるじゃない」───────そう思える自分になるのだと。
第一志望の不合格を、すぐに完全に笑い飛ばすことはできなくてもいい。
まっすぐ前だけを見られなくてもいい。
たまに少し後ろを振り返っても、俯いてしまっても、それでも一歩ずつ、半歩ずつでも、私は次の目標に向かって歩いていけばいいのだと。
 

やりたいことがあるというのは、幸せなことだった。
目標を持てるというのは、幸せなことだった。
希望があるから、私はあの暗闇から抜け出そうと思えた。
やりたいことがある、これからはそれを頑張ればいい。


私は自分が頑張れることを知ったから───────私は、頑張れていたのだろうか。

結果は出なかった。
結果の出ない努力は努力ではない、だろうか。


もちろん、受験勉強で得た知識や思考力は私の財産だ。
でも、その一部はこれから少しずつ薄れていくかもしれない。
問題集のページをめくった手の感覚も、人生で1番高速で頭が回転していた数学の問題も、目が文字列を暗記するほど何度も読み何度もセロテープで補修した日本史の教科書も、いずれ遠い記憶になるかもしれない。

そして、目に見える結果は得られなかった。

それは努力と呼べるのか、努力だとしてなんの意味があるのか。


物心ついてからずっと見ないふりし続けてきた自分の弱さや無能さと否が応でも向き合わざるを得ない1年だった。
私は弱い。私はできない。その思いを抱えて、打ちのめされながら毎日を生きた。プライドをズタズタにされ、土砂降りの中を這うようにして受験を終えた。
吐く程つらかったし何度も何度も絶望したけど、浪人前よりきっとずっと強くなったし自分を知れた。
私の手の中に残った結果は、失敗という名を冠していても、誰かに無価値だと言われても、私にとっては、愛おしく、大切なものだ。

そう思えるのは、これが努力だったからなんじゃないだろうか。

「努力すれば報われる」
「報われるまで頑張ることが努力」
努力したことのなかった私はそんな偉人の言葉を信じて、この1年間自分を鼓舞してきた。

でもきっと違う。
望む形で報われない努力もあるのだ。
私の1年は、あの大学の門をくぐる形では結実しなかった。
でも、私の1年は、きっと努力だった。
努力したから、あれは努力だと自分で思えるのだ。
自分に嘘はつけないことを、私は現役のときに知ったのだから。


大学受験は、19歳の私には人生そのもののように思えた。
でも、それは多分違う。
人生の中の、いくつもある分かれ道の一つにすぎない。
今は心からそうは思えなくても、いつかきっと、思える日がくる。
「あのとき失敗したと思っていたけど、この大学に来てよかった」
そう思える人生を生きることが、努力に報いることなのだ。
そのとき、失敗は失敗ではなくなる。
努力は、結果を超えて、その先の私を支える柱になるのだと。
努力の本当の結果は、その後の私の生き方が決めるのだと。

過去は変えられない。でも、過去の持つ意味は変えられる。
過去が未来を作るのではない。
未来が過去の意味を決める。

浪人したあの1年、本気で頑張れたからこそ、私は今これを考えられる。
それは努力がくれた、かけがえのないものだと思う。

努力の意味は、きっと色々ある。強くなれること、頑張る経験ができること、場合によっては結果が得られること、他にもたくさん。
でも、努力の持つ最も大きな意味は、直接的な結果がどうあれ、自分のその努力に報いようと長い目で人生を眺め、その努力が報われたと感じる未来を拓こうと思えることではないだろうか。自分の人生を、真面目に、能動的に生きようと思えることではないだろうか。


「結局今の大学に行くなら、現役のときに受けておけばよかったのに。多分受かったんじゃない?」
そう言われることもよくある。悪気はないのだろうし、特に苛立ちもしない。側から見たらそりゃそうなのかもしれない。
でも、それは違う。私にとっては。
現役のときに今の大学に受かったとして、それで今の大学に進学した世界線の私は、決して「1年早く入学できた今の私」ではない。断じて、ない。
仮に今、「あなたは現役で今の大学を受けていたら受かっていました。現役のときに戻れるならどうしますか?」と聞かれても、私は迷わずこの道を───────つまり、現役では第一志望以外受けず、浪人する道を選ぶ。
21年生きてきて、「あの1年も楽しかったけど、もしなくても今の私にそんなに影響ないな」と思う年もある、というかそんな年の方が多いかもしれない。でも、浪人の1年は絶対に違う。あの1年の日々がなければ、私は何も変わらなかった。自分の本当の弱さと向き合わないまま20才を迎え、脆いプライドを捨てられないまま、頑張ることを知らないまま大学で司法試験を目指していただろう。
そんな私はきっと、どこかで行き詰まり、自分に絶望し、そのまま潰れて諦めてしまうかもしれない。
名実ともに成人する前に、人生を決める国家資格を目指し始める前に、この1年があって本当に良かったと私は思う。


今思えば私は、頑張れない、大嫌いな自分を変えたくて、逃げられない苦しみの中に自分を投じればもしかしたら少しは変われるかもしれないと一縷の期待を持って、それで浪人を決めたのかもしれなかった。
現役時に受験校を第一志望一本に絞ったのは身の丈に合わないプライドのせいだと思っていたけれど、変わらなければいけない自分の逃げ場をなくそうという私なりの覚悟だったのかもしれない。

肩の力が抜けた。
全てのターニングポイントで理想の結果を出して、完璧な理想の人生を作ることはできない。というか、そんなこと必要ない。
ただ、理想の生き方をしよう。考え方、振る舞い方、人や自分への接し方、物事への向き合い方、それらは自分に委ねられている。
過去の私の日々を無駄にしないように、今日を生きよう。今日の私を無駄にしないように、明日を生きよう。いつか未来で振り返ったとき、それまでの私の努力の跡がたしかにそこまで続いているような、そんな生き方ができたら、きっと全ての努力は本当の意味で報われる。


「頑張る」を知らなかった頃の私を思い出す。

誇れるものはなかった。でもそのことに悩んで、誇れるものを探そうと、見つけようと、深く暗い、冷たい海に飛び込む覚悟を決めることはできた。想像できないほど溺れかけ、もがき苦しむことが予想できても。
それこそが、あの頃の私が持っていた、唯一の誇れるものだったのかもしれない。



19年生きた北の大地に別れを告げた。
私の心にもう迷いはなかった。合格をもらった法学部で勉強して、法曹を目指す。
最初にわたしを待ち受けているのは、法曹養成に力を入れている大学だからこその、司法試験受験生のための研究室の入室試験だった。

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