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 三ヶ月経つのは思ったより早かった。
 今まで皐逢いたさで毎日店を通過していたというのに、ちゃんと玄関を使うようになった。
 試験の日も卒業式の今朝も皐と目を合わせることなく、軽口で話すこともなかった。
 淋しい。それでも自分に対する完全否定をこれ以上知りたくない。
 卒業式では冷めたもので全く涙すら出ず、多分流し尽くしてしまったんだろうと思った。
 だがその感情は忘れようと首を振り、友達二人と揃って講堂を出る。
 外は歓声が上がっていた。校庭の中央では在校生が列を作って卒業生を送り出そうとしていたからだろう。
 保護者も外へ出てくるのを見て、麻衣が声をかける。
「ひなちゃんのお姉さん、来てるんだっけ?」
「あ、そうだった。電話かかってるかも」
 式なんて来なくてもいいのにとひなたは嫌がったが、はるひは保護者として行きたいと頑固に主張していたのだ。
 小脇に抱えていた鞄から取り出し電源を入れるや否や、携帯電話が鳴りだした。
「ようやく出たぁ」
 はるひの消耗しきった声を受信する。
「電源切ってるに決まってるじゃない、卒業式だよ? 今何処?」
「病院!」
 思いも寄らない場所を告げられ、ひなたはあわてた。
「ちょ……何で病院なんかに。何かあったの」
「樹里が産気づいて、救急車乗ってきたとこ」
「え? 産気? 樹里さんが?」
 何の話か分からないひなたに、はるひはいつもと変わらず話を続ける。
「さっき分娩室に入ったばかりだから後で知らせるわ。でもまったくぅ困ったもんよね。全然太らないもんだから産休はぎりぎりでいいですなんて言うんだもの。皐が一緒にやってることが多いから、あいつはひやひやさせられて大変だったけどねぇ」
「ひやひや……」
 文句を聞きながら、ひなたは気が抜けてしまった。
 ……あの特別扱いは、懐妊していた樹里を気遣っていたってこと?
 でもあたしはあそこで振られちゃってるから関係ないか。
「ちょっと、聞いてるの?」
 こくこくと頷くしかできない。
「もう小銭無いから聞いて。あんたに言っとかなきゃ。卒業おめでとう、これで解禁にしてあげるわ。あれじゃ皐が可哀想だからぁ」
 それだけ言って、電話は最初と同じく突然切れる。
 言葉の意味を考える暇もなく、麻衣が肘で小突いた。
「あれ、皐さんだよね?」
 見ると、校門近くの塀に身体を預けて立っている人影があった。遠目でも目立つ。所在なさ気にジーンズのポケットに手を入れたまま、きょろきょろしている。
「ひなちゃんを探してるんじゃない? ほら」
 奈々が手を振ったせいで目があった。あわてるひなたに気付かず、麻衣も奈々も今回の話をしていないのに訳知り顔で早く行きなよと急かす。
「よかった、中に入りづらくってさ」
 渋々ひとりで皐の前に歩くと、皐がほっとした表情で向かえた。何事もなかったかのように笑顔を見せる。
 その一方でひなたは、逢えて嬉しい気持ちと怖い気持ちが同居した、変な顔をしているだろう。
 兄代わりとして来たのだろうか。考えると、ずきん、と胸が痛くなった。
「渡したいものがあるんだ。手、出して」
 久しぶりで対処できないひなたは、皐の言葉におとなしく従う。
 掌に乗せられたのは小さな白い箱。ピンクのリボンで結ばれていた。
「これ、何?」
「いいから開けて」
 不思議に思いながらリボンを解く。
 出てきたのは、口紅だった。
 しかも、色はカーマインレッド。
「この色がいいんだろ。今のお前に似合うのは薄いピンク系だし、相当使いづらい色だろうけど」
「皐ちゃ……?」
「遅くなったけど、合格祝い」
「あ、ああ、合格祝いね。ありがとう」
 普通に喋れていることにほっとしながら、口紅の中身を出し入れする。
 まさか皐がコスメをくれるとは思いもしなかった。あれだけ子供扱いしていたのに。
 いつか使える日が来たら、どぎつい色で皐への想いも塗りつぶせるのだろうか。
「これで大人になれるかな」
 呟いた言葉は、願望も込めて。
 ところが、皐は勝手に大人になられても困る、と言い放った。
「何でよ、あたし子供は嫌だって――」
「っていうかさ、せっかくひなのためにここに戻ってきたのに、何で他の奴に髪触らせてんの。相手が樹里でも気分が悪い」
「え?」
「高校卒業するまではちょっかい出すなってはるに言われてたから、何も返せなかったんだけど……あれってさ、要するにひなは俺のことが好きで、俺と樹里の仲を疑って嫉妬してたってことだよな?」
「えええっ?」
 唐突な出来事に、ひなたは口紅も箱も足元に落としてしまう。
 なに? これって夢だったりする?
 頬をつねる。だが感覚が麻痺しているのか痛感も感じない。
 今日ってエイプリルフールじゃなかったよね?
 まさか皐ちゃんがあたしに嘘をつくなんて。
「お約束過ぎるだろ」
 ひなたの狼狽えぶりを見た皐が吹き出すものだから、
「皐ちゃんひどい……! 純真なあたしを弄んだんだ!」
 抑圧していた感情は一気に口に出る。
「こらこら、人聞きの悪いことを」
 皐は笑いを堪えながら、ひなたの髪に触れた。
「でもまぁ俺も邪険にしてたのは悪いし。もうそれでいいよ、お雛様」
 大きな掌が頭を撫でると、次第に怒りが収まってくる気もする。
 この掌に多分あたしは騙されている。

 忘れた頃、皐は思い出したように言った。
「外側には似合わないけど、ひなの中身はカーマインレッドっぽいよな」
 ――怒髪天を衝きそうなので、皐の言葉は聞かなかったことにした。



(コバルト短編小説新人賞 もう一歩の作品 30枚)
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