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第四章 セリアンスロップ共和国

15 マイアの決断

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 酒樽の山に感激した後、市場にある食堂で昼食を取った。メリベルも一緒である。
 メニューは、メリベル以外、同じ魚定食だった。ネルルクは、しばらく血を飲まなくても平気らしい。

 食後は開発中の工業団地と、闘技場を見学して帰路についた。

 「明日は、議員の仕事がありますので、ご一緒できません。私の代わりに、キリルが迎えに来ます」

 帰りの馬車内で見学の礼を言うと、ネルルクが明日の予定を切り出した。

 「想定される質問を書き出しました。ご参考に」

 細い巻物を取り出し、クレアに手渡した。

 「手厚いご支援、痛み入ります」

 帰宅後は、着替えが終わった頃に、クレアとマイアがやってきた。クレアは、巻物をいくつか抱えている。

 「想定問答を、一緒に作ってもらおうと思って」

 「まず、自力で考えるのよ」

 マイアが教師らしく指南した。その通りである。
 ネルルクの善意に頼り過ぎると、反対派に突き崩されるかもしれない。

 ただ、俺たちは政治家ではない。専ら試験対策の感覚で、しばらく質問を捻り出した。

 「うん。一通り出尽くしたわね。国の基本的情報、国情の違い、特産物及び交易の利点」

 「竜人の宝物賠償の件については、どうするんだ?」

 とエサム。

 「クセニヤ議員との面会で合意した内容を、補足の形で話す。書面を取り交わしていないし、後から条件が増えて長引くとこじれる。やりとりを広く公開した方が良い」

 クレアが答えた。仕事に関しては、敬語抜きで滑らかに話せるようだ。

 「公開したことで、お怒りになるかも」

 グリリが言う。クレアは肩をすくめた。

 「そこは仕方がない。そうなったなら、だったことになろう」

 つまり、公開して怒るなら、裏で要求を増やす算段だったと認定する、という意味だ。
 クセニヤ議員はプライドが高そうだから、この推定が正しいとは限らないけれども、非公開にすれば結果的に要求が増える可能性は高い、とも思う。

 「マイアは、それで大丈夫?」

 俺は聞いてみた。もし彼女が残るつもりならば、なるべく居心地を良くしてあげたい。

 「そうね。いいんじゃないかしら」

 大丈夫ではないかもしれない。少々心配になる。

 「ひとまず残るとしても、いつでも帰ってきていいんですよ」

 クレアも同じことを感じたのだろう。マイアは笑ってみせた。

 「ご心配なく」

 その後、俺は物資集積場で感じた心配と、考えた対策を、クレアに伝えた。
 彼女は報告書に盛り込む、と言ってくれた。関税の概念が元からこの世界にあったかどうか知らないが、彼女の理解は早かった。これで一安心である。

 そこで召使いが風呂の用意をしにやってきたので、お開きになった。


 夕食後、翌日の準備ということで即解放され、ぐっすり眠った朝からネルルクは姿を見せなかった。メリベルも。
 あるじ不在でも、召使いたちは執事の指揮のもと、手際よく俺たちの世話をした。

 議会へは警備員以外、武装した者は立入禁止とのことで、今日もエサムとグリリは鎧なしである。
 毎日予定が立て込んで、まとまった鍛錬の時間も取れない。

 「こうもご馳走三昧の日々を送っていると、鎧がきつくなりそうだ」

 エサムが腹を撫でる。元々太めのドワーフ体型だったのが、この数日で輪郭に緩みが出てきたようにも見える。

 「体を鍛える動きを、繰り返したらいいと思う」

 暇を見てはストレッチをするグリリが言う。
 こちらは闇魔法で人間の形になっているだけで、運動の必要もない筈なのだが。

 そのうち約束通りキリルが迎えに来て、昨日と同じ馬車に全員乗り込んだ。キリルは数日ぶりの娘との再会に、嬉しさを隠せない。

 「放っておいて済まんなあ。軍の訓練も見せられないし。時期によっては、採用試験なら見学できるんだが」

 などと、とにかく娘に話しかけていた。彼女は大人しく耳を傾けている。

 グリリとエサムは窓の外を眺めていた。グリリは市内観光後、再び元の雰囲気に戻った。憑き物が落ちたみたいだった。
 バルヴィンの店を確認できたのは、収穫だった。

 クレアは、巻物の確認に余念がない。俺は思い出して訊いてみた。

 「ネルルク議員からの書は?」

 「誤解を招くといけないので、屋敷へ置いてきた」

 「困らない?」

 「内容は、頭に入っているから、大丈夫」


 いよいよ議会に到着した。警備兵に身体検査と持ち物検査を受け、建物に入る。キリルは敬礼を受けただけで、検査を免除された。

 最初は控室へ通された。

 「もしかして、議場へ入れるのは公使とマイアだけですか」

 キリルに訊いてみた。彼の表情で返答が予測できた。

 「ああ。ニーカとクレア公使だけだ。残念だが、決まりで、な」

 予想していたことで、驚きはない。次の質問をすべきかどうか。

 「魔法を使って音を聞いたら、罰せられますか」

 キリルが驚いて考え込む。

 「風魔法か。前例はないな」

 「全部の音を拾うことは、できないと思います。公使とマイアの発言だけでも聞ければ」

 本当はもう少し範囲を広げられるのだが、警戒されないために付け加えた。

 「そういう対策はしていないんだよな。確か、禁じる規則もなかった筈。別に秘密の話をしている訳じゃなし。やってみたらいいんじゃないか。何かまずかったら、俺に連絡して」

 考え込んだのは、警戒のためではなかったようだ。俺は礼を言った。
 迎えが来た。キリルとマイア、クレアが席を立つ。

 「健闘を祈る」

 エサムが言った。クレアは緊張気味に、マイアは穏やかな笑顔で頷いた。


 前日に見学させてもらえたのは、幸運だった。お陰で、控室から議場への距離も、方向も、議場の席の配置も、把握できている。要は、盗聴である。

 これで盗撮ができればテレビ中継だが、そういう魔法は知らない。光魔法で鍵開けもできるのに、透視がないのは矛盾している。
 いつか、新しい魔法を開発できるようになったら、試してみようと思う。

 魔法をかける中心点を、発言席にすべきかクレアにすべきか迷って前者にする。何も聞こえない。範囲を広げると、徐々に人の気配を感じられるようになってきた。

 「キリルが護衛につくなんて珍しいな」

 「あの竜人娘のためだろう。レクルキスで見つかったらしいぞ」

 「ほう。レクルキスに竜人が?」

 俺に聞こえるのだから、クレアやマイアにも聞こえているに違いない。クレアは、プレッシャーに耐えられるだろうか。

 「どんな感じだ?」

 エサムに話しかけられて、集中が途切れた。グリリも隣から覗き込んでいる。スピーカー魔法が欲しい。俺は状況を説明した。

 「ただ待つのは辛いな。襲われる心配はないのか?」

 「もしそうなったら、すぐ教える」

 グリリは本体になれば俺の聞いている音を拾えるが、エサムには猫の姿までしか教えていない。だから、口をつぐんでいる。

 再び議場に意識を向けると、クレアが話を始めていた。

 「‥‥損害を少しでも回復できるよう、失われた品々の聞き取りを予定しております」

 クレアの声が微かに震えているように思える。クセニヤ議員の顔を見るまでもない。案じている間に、公使の演説は終わった。議長が質問を受け付ける。

 「レクルキス国と国交を開く件と、元皇帝の財宝返還の件は、分離すべきだ」

 見知らぬ議員、いいことを言ってくれる。そうだ、そうだ、という声も聞こえる。

 「元皇帝は報復として、レクルキス国を襲撃した。その賠償を求められないのならば、相殺そうさいで良いのではないか」

 また違う誰かが発言する。ここで議長が、クセニヤを指名した。

 「国交の件と賠償の件を分けることに異存はない。だが、盗まれた品々は個人の所有にかかる。国同士の賠償と問題が異なる。故に、相殺はできない」

 「フセヴォルドは、その個人的恨みのために他国へ侵攻したのだぞ。賠償だけ共和国に押し付けるなど、それこそ筋が違う」

 新たな声が鋭く入る。怒気を含んでいる。
 ここで議会が紛糾し始めた。俺は一旦聞くのを止めて、エサムたちに状況を説明した。

 「裏で処理した方が恨まれず、早く済んだんじゃねえか?」

 「どうせ、完全には返せない。細く長い請求が、未来永劫えいごう続く可能性もあった」

 俺も、グリリの意見に賛成だった。議場の方に注意を向けると、議長が場を収めようとしているところだった。

 「まず、レクルキス国との国交を開くかどうかの採決を、行いましょう」

 喧騒けんそうにも負けない、落ち着いた女性の声である。クセニヤ議員といい、女性の割合が高い議会のようだ。揉めている時も、男女の声が半々だった。

 採決では、満場一致でレクルキスとの国交を取り結ぶことに決した。早速エサムたちに伝える。
 俺たちは喜ぶというより、安堵した。賠償の件は措いといて、とりあえず任務成功である。

 休む間もなく次の議題。ここでマイアが登壇した。

 「私は、およそ六十五年前、レクルキスで生を受けました。母は竜人ポリーナ、父は竜人キリルです。マイアと名付けられ、馬人によって育てられました。レクルキスにおいては、魔法学院という教育機関で、指導教授を務めております」

 戸惑いと感嘆の声が相半ばする。竜人で六十五歳は、まるっきり子ども扱いらしい。子どもが教育指導役という戸惑いと、それほどまでに優秀なのか、という感嘆のようである。

 「私はこの度、レクルキス国公使の随行として参りましたが、セリアンスロップ共和国を故郷と感じております。皆様が受け入れてくださるのならば、私は当地に留まり、両国間の架け橋となるべく活動したいと思います。なお、この件については既に王の許しを得ております」

 議長がクセニヤ議員を指名する。

 「我々竜人は、彼女が共和国の一員となることを歓迎する」

 淡々と発言した。賠償交渉を暴露した件で恨んでいるかもしれないが、国交の時といい、議員として冷静に判断しているのだろう。

 「そりゃ竜人は歓迎するだろうさ。その娘さんは、どうせ蝙蝠人の嫁に差し出されるんだろ? そうしたら短い寿命で外交を支えるなど、無理なんじゃないか」

 新たな声が上がった。竜人と蝙蝠人の関係は、議員の間で周知のようだ。

 「私が成人するまでに三十年ほど猶予があります。それに、まだ蝙蝠人に嫁ぐとは決まっておりません。レクルキスの王家は人間です。少なくとも三十年あれば、何がしかの外交的成果を上げることは可能です」

 「承知しているならいいさ」

 先ほどの声が応じた。キリル以外にも、マイアの身上を案じてくれる人がいると知って、俺はホッとした。
 マイアが魔法学院を去るのはショックだが、予想はしていた。後は、共和国の方で受け入れるかどうかである。

 「では決を取ります」

 こうしてマイアは、セリアンスロップ共和国の国民として、認められた。

 また次の議題。レクルキス関係の話は終わったらしい。時間のかかる賠償問題は後回しである。
 俺はエサムたちに今の話を伝えた。そのうちマイアたちも戻ってくるだろう。

 「そうか。やっぱり残るか」

 エサムも同じ予想をしていた。

 「賠償の話がつくまで、わたくし達は帰れないのか?」

 グリリは次の心配をしている。確かに、大問題である。一旦帰国して、財政に詳しい者と交代した方がいいようにも思う。それにしたところで、被害の概要と請求額は明らかにしておかねばなるまい。

 「何か騒がしいぞ」
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