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第二章 便利屋として
017 会いたくて会いたくなかった人
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リサの欲しいものというのは、腕時計だった。ウィルがしているのを見て、欲しくなったらしい。
「忙しくてね、欲しいと思っていたはずなのに忘れていたのよ。そういうことってない?」
「あるある。夕食に食べたいものがあったはずなのに、違うものを食べたりしてね。何を食べたかったのかも忘れてたりするよ」
ショーケースの中を嬉しそうに眺める姿は、どう見ても女性である。リサの場合、男性であっても魅力的だ。
ふと、リックは背中に悪寒が走り、後ろを振り返った。
虫の知らせなのか元探偵の勘なのか、とにかく嫌な感じがした。
身体の大きさはアジア人くらいで線も細い。身長でいうと百七十センチあるかないかくらいの男性数人が入ってきた。顔を黒いマスクで隠しているが、マスクをする習慣のないアメリカでは異様な雰囲気だ。
店員もレジの中で非常ボタンを押そうか考えあぐねていたときだ。
男性たちは天井に向かって数発発砲し、リックはリサの頭を掴んでなるべく下に押しながら棚の後ろに隠れた。
「動くな」
癖のある英語で叫ぶと、男の一人はもう一発発砲した。弾は天井ではなくショーケースに向かい、派手な音を立てて粉々になる。
「な、なに……」
「強盗だ。動かないで」
震えるリサの手を握り、目が合うたびに大丈夫だと何度も頷く。落ち着きを取り戻さなくても、握る手にはいくらか熱が戻ってきた。
通路を挟んだ向かい側にいる老婆に目を凝らした。
「…………なんで、」
見間違うはずもなく、屋敷で出会ったあの老婆だった。
ニタア、と不気味に笑う老婆は、あのときの優しい面影はなく、何かに取り憑かれたようにぶつぶつ独り言を言っている。この状況で笑えるなんて、どうかしている。
「リック」
リサは立ち上がろうとするリックの腕を引く。
「どこに行くの」
「様子を見てくる」
「判断を謝ってはだめ。ここにいるのが一番よ」
リサはリックの腕を強く引き、離す様子もない。曲げられない信念が込められていた。
「……こういうとき、ウィルならどうするんだろう……」
死ぬか生きるかの中で、なぜか親の顔ではなくウィルの顔が浮かんだ。頭の中の彼は、余計なことはするな動くなと、早口でまくし立てている。
リックは携帯端末をタップして、誰からもメッセージがないことを確認する。
──強盗にあった。電話できない。
続けて大まかな場所を告げるが、既読になりはしない。当然といえば当然だ。彼は仕事中だろう。
「動くな」
マスクの男はリックではなく、目の前の老婆に銃口を突きつけた。
リサはリックの手を離さなかった。
リックは身体の力を抜いてリサに寄りかかる。ちょうどいい。考えていることが当たっているのなら、男たちは銃を撃たない。もし彼女が彼らの仲間で、見張り役だったとしたら……。
乾いた破裂音が届いた。
スローモーションのようにゆっくりと顔を向けると、血だらけで動かなくなっている老婆が倒れている。
数秒後にまたしても悲鳴が起こった。目の前に起こっている現実に、わけが分からない。現実を受け入れたくない。
男たちは自分たちの言語で何か怒鳴り合っている。彼らの中国語は滑らかなもので、英語よりも流暢だった。
男の一人がリックの腕を掴むと、たどたどしい英語で来いと伝える。
「ダメ。この人は」
「リサ、離してくれ。僕は大丈夫だから」
「でも」
銃口をリサに向く前に、リックは彼女を防ぐように立ち上がった。
連れて行かれる前に、目を伏せたくなるような現実に顔を向ける。
本当に、間違いなく老婆は撃たれた。なのに、真っ白な彼女の顔は笑っているように口角が上がっている。まるで殺された今が一番幸せだと言うように。
黒マスクの男たちはリックを椅子に座らせると、他の客人は外へ出るよう促した。ックと店員を除いて、だ。ほっとした顔の女性はリックと目が合うと、気まずそうにそそくさとフロアを出る。
「リック」
今にも死にそうなほど顔が青白い。リサを宥めるように、リックは大丈夫だと何度も頷く。リックにとって、彼女に銃口が向くことが何より怖かった。男たちの気が変わる前に、早く行ってと何度も伝えた。
「彼女には何か怨みでもあったのか」
独り言を呟き、リックは血の海と化している彼女を見た。
角に隠れて表情は見えないが、ぴくりとも動かない下半身は、残酷な現実を突きつける。
決して男たちに問いかけたわけではなかったが、トリガーに手をかけている一人が口を開いた。
「邪魔だったからだ。お前もああなりたくなければ、おとなしくしろ」
男たちは端末でどこかに電話をかける。外の様子を聞いているが、どうやら他にも仲間がいるらしい。男たちは銃も所持しているし、リックには為す術がない。
「警察が集まってきやがった」
イヤホンを耳に差している男は舌打ちをし、店員に向かって早くしろと吠え出した。
店員は黒いバックを両手で抱え、恐る恐る彼らに渡した。
男はひったくるように鞄を奪うと、中身が本物か確認し始める。
成功を確信しているからか仲間意識からか、隙があまりにも大きすぎる。
「立て」
脳に当てられた黒いブツに、リックの膝は微かに震えた。恐怖なのか武者震いなのか、リックには分からない。だが確かなことは、諦めは最初から持ち合わせていない。奮い立たせるものは、口うるさい刑事の顔だ。
男に連れられるまま、リックはエレベーターに乗る。ドアが閉まる瞬間、もう一発発砲音が聞こえた。リックはぎゅっと目を瞑り、ドアが閉まるまで何とか耐えた。
頭の中で何かがはちきれた音がした。男たちは、用済みになったら間違いなくリック自身も殺すつもりだ。恐ろしいのは、トリガーを引くのに一切の戸惑いがないこと。あきらかに人差し指が慣れていた。
「くそっ……奴ら駐車場も囲ってやがる」
「どうするんだ?」
「あいつら逃げたらしい」
「はあ? 俺たちを置いてか? 裏切りやがったな!」
男たちの話を聞くにやはり仲間がいて、立ち並ぶ他のショップにも不法行為を行ったらしい。完全に幽閉された状態で、逃げ場がない。
「どうするんだ? 車はもうねえぞ」
「用意させる。お前もああなりたくなかったら来い」
強盗は動かない老婆を顎で差す。リックは黙って頷いた。
エレベーターを降りて向かった先は事務所だ。強盗が起きたと知らされたのか、もぬけの殻だった。
男はリックを椅子に座らせて電話をひっつかむと、三つのボタンを押した。
「車を用意しろ。三十分以内に用意できなければ、客の命はない」
要件だけ伝え、男は電話を切った。
電話がかかってきたのは三十分経とうとしているときだった。
横の男二人は顔を見合わせ、拳銃を持っていない男が慎重に電話を取る。もう一人の男にも聞こえるように、スピーカー機能をつけた。
「なんだ」
『車はある。まずは中の残っている人に怪我人がいるかどうか確認させてほしい』
リックは椅子から飛び跳ねそうになるのをこらえた。低い声で、落ち着きのある冷静な声の主。今日一日で何度彼の顔が浮かんだのだろう。よく知る口うるさい刑事だ。なぜ彼が電話に出ているのか。
「怪我人はいないぜ」
マスク越しに男は含んだ笑みを漏らす。
そう、怪我人はいない。死者が二人だ。
『僕は無事だ』
叫ぶように告げると、電話越しの男は息を呑み、一言「分かった」と漏らした。
「忙しくてね、欲しいと思っていたはずなのに忘れていたのよ。そういうことってない?」
「あるある。夕食に食べたいものがあったはずなのに、違うものを食べたりしてね。何を食べたかったのかも忘れてたりするよ」
ショーケースの中を嬉しそうに眺める姿は、どう見ても女性である。リサの場合、男性であっても魅力的だ。
ふと、リックは背中に悪寒が走り、後ろを振り返った。
虫の知らせなのか元探偵の勘なのか、とにかく嫌な感じがした。
身体の大きさはアジア人くらいで線も細い。身長でいうと百七十センチあるかないかくらいの男性数人が入ってきた。顔を黒いマスクで隠しているが、マスクをする習慣のないアメリカでは異様な雰囲気だ。
店員もレジの中で非常ボタンを押そうか考えあぐねていたときだ。
男性たちは天井に向かって数発発砲し、リックはリサの頭を掴んでなるべく下に押しながら棚の後ろに隠れた。
「動くな」
癖のある英語で叫ぶと、男の一人はもう一発発砲した。弾は天井ではなくショーケースに向かい、派手な音を立てて粉々になる。
「な、なに……」
「強盗だ。動かないで」
震えるリサの手を握り、目が合うたびに大丈夫だと何度も頷く。落ち着きを取り戻さなくても、握る手にはいくらか熱が戻ってきた。
通路を挟んだ向かい側にいる老婆に目を凝らした。
「…………なんで、」
見間違うはずもなく、屋敷で出会ったあの老婆だった。
ニタア、と不気味に笑う老婆は、あのときの優しい面影はなく、何かに取り憑かれたようにぶつぶつ独り言を言っている。この状況で笑えるなんて、どうかしている。
「リック」
リサは立ち上がろうとするリックの腕を引く。
「どこに行くの」
「様子を見てくる」
「判断を謝ってはだめ。ここにいるのが一番よ」
リサはリックの腕を強く引き、離す様子もない。曲げられない信念が込められていた。
「……こういうとき、ウィルならどうするんだろう……」
死ぬか生きるかの中で、なぜか親の顔ではなくウィルの顔が浮かんだ。頭の中の彼は、余計なことはするな動くなと、早口でまくし立てている。
リックは携帯端末をタップして、誰からもメッセージがないことを確認する。
──強盗にあった。電話できない。
続けて大まかな場所を告げるが、既読になりはしない。当然といえば当然だ。彼は仕事中だろう。
「動くな」
マスクの男はリックではなく、目の前の老婆に銃口を突きつけた。
リサはリックの手を離さなかった。
リックは身体の力を抜いてリサに寄りかかる。ちょうどいい。考えていることが当たっているのなら、男たちは銃を撃たない。もし彼女が彼らの仲間で、見張り役だったとしたら……。
乾いた破裂音が届いた。
スローモーションのようにゆっくりと顔を向けると、血だらけで動かなくなっている老婆が倒れている。
数秒後にまたしても悲鳴が起こった。目の前に起こっている現実に、わけが分からない。現実を受け入れたくない。
男たちは自分たちの言語で何か怒鳴り合っている。彼らの中国語は滑らかなもので、英語よりも流暢だった。
男の一人がリックの腕を掴むと、たどたどしい英語で来いと伝える。
「ダメ。この人は」
「リサ、離してくれ。僕は大丈夫だから」
「でも」
銃口をリサに向く前に、リックは彼女を防ぐように立ち上がった。
連れて行かれる前に、目を伏せたくなるような現実に顔を向ける。
本当に、間違いなく老婆は撃たれた。なのに、真っ白な彼女の顔は笑っているように口角が上がっている。まるで殺された今が一番幸せだと言うように。
黒マスクの男たちはリックを椅子に座らせると、他の客人は外へ出るよう促した。ックと店員を除いて、だ。ほっとした顔の女性はリックと目が合うと、気まずそうにそそくさとフロアを出る。
「リック」
今にも死にそうなほど顔が青白い。リサを宥めるように、リックは大丈夫だと何度も頷く。リックにとって、彼女に銃口が向くことが何より怖かった。男たちの気が変わる前に、早く行ってと何度も伝えた。
「彼女には何か怨みでもあったのか」
独り言を呟き、リックは血の海と化している彼女を見た。
角に隠れて表情は見えないが、ぴくりとも動かない下半身は、残酷な現実を突きつける。
決して男たちに問いかけたわけではなかったが、トリガーに手をかけている一人が口を開いた。
「邪魔だったからだ。お前もああなりたくなければ、おとなしくしろ」
男たちは端末でどこかに電話をかける。外の様子を聞いているが、どうやら他にも仲間がいるらしい。男たちは銃も所持しているし、リックには為す術がない。
「警察が集まってきやがった」
イヤホンを耳に差している男は舌打ちをし、店員に向かって早くしろと吠え出した。
店員は黒いバックを両手で抱え、恐る恐る彼らに渡した。
男はひったくるように鞄を奪うと、中身が本物か確認し始める。
成功を確信しているからか仲間意識からか、隙があまりにも大きすぎる。
「立て」
脳に当てられた黒いブツに、リックの膝は微かに震えた。恐怖なのか武者震いなのか、リックには分からない。だが確かなことは、諦めは最初から持ち合わせていない。奮い立たせるものは、口うるさい刑事の顔だ。
男に連れられるまま、リックはエレベーターに乗る。ドアが閉まる瞬間、もう一発発砲音が聞こえた。リックはぎゅっと目を瞑り、ドアが閉まるまで何とか耐えた。
頭の中で何かがはちきれた音がした。男たちは、用済みになったら間違いなくリック自身も殺すつもりだ。恐ろしいのは、トリガーを引くのに一切の戸惑いがないこと。あきらかに人差し指が慣れていた。
「くそっ……奴ら駐車場も囲ってやがる」
「どうするんだ?」
「あいつら逃げたらしい」
「はあ? 俺たちを置いてか? 裏切りやがったな!」
男たちの話を聞くにやはり仲間がいて、立ち並ぶ他のショップにも不法行為を行ったらしい。完全に幽閉された状態で、逃げ場がない。
「どうするんだ? 車はもうねえぞ」
「用意させる。お前もああなりたくなかったら来い」
強盗は動かない老婆を顎で差す。リックは黙って頷いた。
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男はリックを椅子に座らせて電話をひっつかむと、三つのボタンを押した。
「車を用意しろ。三十分以内に用意できなければ、客の命はない」
要件だけ伝え、男は電話を切った。
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横の男二人は顔を見合わせ、拳銃を持っていない男が慎重に電話を取る。もう一人の男にも聞こえるように、スピーカー機能をつけた。
「なんだ」
『車はある。まずは中の残っている人に怪我人がいるかどうか確認させてほしい』
リックは椅子から飛び跳ねそうになるのをこらえた。低い声で、落ち着きのある冷静な声の主。今日一日で何度彼の顔が浮かんだのだろう。よく知る口うるさい刑事だ。なぜ彼が電話に出ているのか。
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