バーテンダーL氏の守り人

不来方しい

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第一章 大学生とバーテンダー

013 悪夢の詰まった白い花

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 講義の関係もあり、いつもより一時間遅い出勤となった。こっそりフロアに入ると、ルイはいつものように深々と頭を下げる。日本人よりもお辞儀が上手い。俺も彼に見習った。
 なんだろう。いつものルイのはずなのに、美しさの中に雪景色が見える。まだ五月だというのに、ダイヤモンドダストが舞っていた。
 聞くまでもなく、カウンター席を見て納得の理由があった。
「今日は遅い出勤なのね」
「え、な、んで……」
「飲みに来たわ」
 来るのは結構。ここはバーだ。頼んでいるのは恐らくキール。カクテル言葉は『最高の巡り逢い』。ルイがこの間、頼んでくれたカクテルだ。作るところを見たかった。ちなみにミモザは『真心』。どちらも飲みやすく、俺のお気に入りになった。
 占い師のレミさんは、闇に呑まれそうなほど相変わらず全身真っ黒だ。占い師と名乗らなくても、雰囲気が占いますと言っている。
「花岡、あちらのテーブルに」
「はい」
 テーブル席にカクテルを三つ運ぶと、スーツ姿の女性の一人が紙を差し出してきた。
「あの、これ……」
「え」
 ちょっと大きな声が出てしまった。女性の顔は、あなた宛じゃないんです、郵便屋さんになって下さいと苦々しい顔だ。知ってた。ちょっとどきっとしたけれど。
 カードはエプロンのポケットに避難させ、カクテルをテーブルに並べてカウンターに戻ると、レミさんはメニューを覗いていた。
「花岡さんのおすすめは?」
「いきなりですね。そうだなあ……」
 適当に、惹かれる名前のカクテルを指差した。コーラとついたカクテルだ。炭酸が使われているしグラスの形はタンブラーなので、製法はビルドだろう。最初はシャカシャカしない製法は物足りないと感じたが、バー・スプーンでくるくる回す手つきも、今では癖になる。
「それはダメよ」
「炭酸が苦手なんですか?」
「私の今日のバッドカラーは、黒なのよ」
「へ、へえ……」
 ルイに学んでアクセサリーの類を見るが、今日は何もつけていない。
「ちなみにラッキーカラーはなんですか?」
「ないのよ。そういう日もあるわ」
「では、白などいかがでしょう? 黒からはほど遠い色かと思いますが」
「……それが良いわね。お願い。辛口で、度数が高いものがいいわ」
「かしこまりました」
 一枚も二枚もルイが上手だ。登場したのはホワイト・ラムとレモン果汁、そして何かのリキュール。
「ホワイト・ペパーミント・リキュール」
 耳元で呟いて下さった。有り難い。それぞれをシェイカーで混ぜ、冷やしたカクテルグラスに注ぐ。
「お待たせ致しました。マイアミでございます」
 マイアミ。どこかの国の地域みたいだ。
「アメリカのリゾート地よね」
「ええ、まさにマイアミをイメージして作られたカクテルでございます」
 ソファー席のお客さんが立ち上がった。支払いとテーブルを片付けてからカウンターに戻ると、レミさんはつまみを注文していた。ナッツの盛り合わせだ。うちのメニューは、手軽に出せるメニューが多い。他のバーを検索してみたら、唐揚げやピザやパスタも出すバーもある。エレティックはたったふたりで営業しているため、なかなか手が回らない。でももう少し増やしてもいいのではないかと思う。提案してみようか。
「この前はありがとう。秋元は元気だとバーテンダーさんから聞いたわ」
「ええ、それはもう。とてもお元気そうでした」
 ルイはグラスを拭いている。分かりやすいほど『聞いているが聞いていないふり』だ。レミさんの様子を探っている。
「あなた……隠し事はろくなことにならないという相が出ているわ」
「どんな相ですか。隠し事なんて、人間誰でもするでしょう」
 話し方が自信に満ちているせいか、突っ込まれるとどうしても怯んでしまう。
「秋元賢治と何を話したの?」
「特に何も。そもそも、依頼は様子を見てきてほしいじゃなかったんですか?」
「まさか見てくるだけに終えたの? そうなのね?」
「店長、助けて」
 拭き終わったグラスを片づけ、ルイはメニューを渡した。
「つまめるものを頼んでもいいかしら? チーズの盛り合わせがいいわね」
「かしこまりました」
「それで、店長さんは秋元賢治と……」
「それを話す前に、あなたが話すべきことを洗いざらい話してほしい」
「何かしら」
「秋元賢治との関係性だ。この間は理由をつけて話さなかったが、今回は見逃すわけにはいかない」
「……それは言わないといけないの?」
「ならばこの話は終わりで。花岡、冷蔵庫からチーズを出してくれ」
「はーい」
 何かのチーズと何かのチーズと何かのチーズ。俺はチーズの勉強もした方がいいのかもしれない。かろうじて、端に追いやられているブルーチーズは分かる。
「分かった、言うわ。秋元賢治は、私の息子よ」
「隠さねばならない理由は?」
「離れ離れに暮らしていたからよ。親権は元旦那で、教育費も渡していなかったから、会うに会えないの」
「彼の居場所を突き止めた方法は?」
「私は占い師だから」
 全国の占い師に謝るべきだ。
「……まあそれはいい。あなたは私たちに犯罪がらみではないと言った。あの言葉の意味はなんだ」
「意味? どういうこと? そのままだけれど」
「……………………」
 ルイは顎に指を添え、何か考え込んでいる。こういう姿も様になる。
「彼とはいつから会っていないんだ?」
「そうねえ……息子が小学五年生のときに別れたから、それっきり」
 レミさんより、ルイの意図が読めなかった。盛り合わせたチーズをレミさんの前に出し、再び沈黙の渦に巻いてしまった。
「秋元氏と、私は待ち合わせをしている」
「え」
 俺とレミさんは同時に顔を上げた。そんなこと、今初めて聞いた。
「ルイ、どういうこと?」
「彼のお眼鏡に適ったようだ」
「よくそんな言葉知ってんな。日本人でも使っている人は見たことがないぞ」
「連絡先を渡された」
 俺がトイレで腹痛に悶えていたときだろう。荒ぶる美貌は一瞬で人を虜にするのか。恐ろしい。交換ではなく、渡されたと言っているあたり、背景が垣間見えた。
「明日の昼、ランチを共にすることになっている。場所は池袋のホテル内にある和食店だ」
 ホテルと店名、時間帯まで告げ、ルイはキッチン内の掃除を始めた。独り言だと言わんばかりに話すだけ話して。
 残念ながら、俺は講義があるため行けない。俺も行きたかったなあ、和食好きなんだよなあ、とわざとらしく口にすれば、レミさんに睨まれた。占い師らしいミステリアスな面影はない。少し、母の面影が浮かんでいた。

 晩春から初夏への移り変わりで、アスファルトから無理やり顔を出す植物は戸惑いを見せている。確か六月に咲く花で、祖母がお茶にして作ってくれた。しゃがんで観察すると、独特の香りが漂う。
 しっかりと根の張る植物を引っこ抜いた。さらに匂いが強くなった。見よう見まねで、お茶にできるだろうか。
「白い花……血……赤…………」
 過去の記憶がフラッシュバックした。庭に生えていた花に血痕。伝う赤い点に目を奪われ、鍵のかかっていない扉に身を滑らせた。悍ましさと憎しみは、今も風化していない。
 一本、二本、三本。奪われたくないと、雑草扱いの花は抜かせまいと、これでもかと抵抗を示してくる。俺は簡単に命を荒らす。八つ当たりのように、根が切れても奪い続けた。
 子供の声が聞こえ、俺は意識を取り戻した。遠くで子供が俺を見て指を差している。母親は俺と目を合わせず、子供を抱きかかえてどこかへ行ってしまった。
 脇には大量の雑草だ。それと冷えた心と指が残った。爪まで土が入り、取るのが大変だとぼんやり考えていた。
 草を持ち帰り、綺麗に洗うとベランダに干した。確か、祖母はこうして作っていた。カラカラになるまで乾かし、煮出せばお茶ができる。
 ベランダをぼんやり眺めていると、肉体だけでなく、ようやく脳が感知し始めた。夕食の時間だ。冷蔵庫の中は、半額で買った鮭の切り身が入っている。簡単にムニエルを作ることにした。
 冷蔵庫から取り出すと、テーブルに置いていた端末が震える。
──いつになったらうちに来る?
──大学は終わったか?
──お前の写真を見て寂しさを紛らわせている。
 取り出した鮭をしまった。これは明日食べることにしよう。代わりに、空っぽの胃をさらに空にするために、トイレに向かった。
「うっ……うえ………っ」
 手慣れたもので、出しきればすっきりする。よし、夕飯はアイスクリームにしよう。ルイからもらった牛乳で作ったものが、まだ残っている。
 間接的に救ってくれた人にごちそうさまと告げ、来週まで会えない彼を思い浮かべた。アルバイトの日は金土日だが、普段は何をしているのだろう。メールでも送ってみようか。
──普段は何してんの?
──仕事。
 相変わらず返事が早い。俺からのメールを待っているわけではあるまいに。こちらから送る前に、立て続けにメールが届いた。
──夕食は取ったか?
 嘘を吐くのは忍びないので、取った後で心底良かった。
──食べたよ。日本食は美味かった?
──今週、話す。
 終わってしまった。元々、店長とアルバイトの関係性でしかない。普通は業務連絡だけで、長々とメールなんてしない。
 俺は寂しいのかもしれない。賑やかすぎるところは苦手だけれど、しっとりと過ごす時間を求めている。薄暗い部屋で天井を見上げているより、今は誰かのぬくもりが欲しい気分だ。こんなわがままは心の中にだけ閉まっておく。親にだっておねだりしたことはない。
──明日は空いているか?
 さらにメールがたたみかけた。
──営業するの? 講義が終わった後なら空いてるよ。
──夕食でもどうだ?
 文字に釘付けになってしまい、離れない。いいのか。汚れた俺と夕食なんて。
──俺なんかと一緒でいいの?
──急にしおらしいな。大学に迎えに行く。
──俺の通う大学って話したっけ?
──履歴書に書いただろう。
 個人情報の詰まりまくった紙だ。丸裸にされた気分で少し恥ずかしい。
──何時に終わる?
──十六時くらいかな。
──分かった。
 端末を枕元に置いて、身体を起こすとベランダには干したばかりの植物が見える。悪夢も詰まった思い出があるのに、今は過去を振り返るよりも、明日の夕食が楽しみで仕方がなかった。
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