12 / 67
第一章 大学生とバーテンダー
012 捜し人
しおりを挟む
秋元賢治。占い師のレミさんの関係者で、俺と近い年代。バーで働いている。情報はこれだけだ。とにかく様子を見てくるだけで、それ以外に何をするだとか、何も言われていない。不特定多数の男性が働いていたら、秋元氏が誰か分からずに終わってしまう。写真の一枚でもあればいいが、後の祭りだ。
「秋元さんの顔って分かる?」
「知らんな。状況に応じた対応で、凌いでいくしかない」
信号に引っかかり止まると、ルイは俺の顔をじっと見てきた。
「どうした?」
「これから行くバーについて、どこまで知っている?」
「何も。説明もなかったし」
「……そうか」
青だ。回りのサラリーマンが歩き出し、引き寄せられるように俺たちも前に進んだ。
「ルイ、ちょっと不機嫌じゃないか?」
あれだ。私服を褒めなかったから機嫌が悪いのかもしれない。
「ヤバいところなのか? マリファナが売買されてるような。清潔感あって今日の格好も似合ってるぞ」
「そういう意味のヤバいならば、心配はいらない……多分。日本のマリファナ事情など、私は詳しくはないが」
多分と言われても、ルイがいてくれるなら大丈夫な気がした。根拠はないけれど、不思議と安心させてくれるのだ。
エレティックと同じように、地下に通じる階段を下りる。ドアノブに手をかけたとき、ルイは振り返った。
「私の側にいろ」
「う、うん……いるよ」
「なぜ照れる」
「そんな風に言ってもらったの初めてだ。なんか、ぐっときた。ドラマであるような、プロポーズみたい」
守られているみたいで、嬉しさと驚きか戦っている。火花が散るほどバチバチだ。
「……行くぞ」
ルイはもう正面を向いていて、ドアノブが動いた。開いた瞬間、お酒の香りが外までなだれる。
もう一度整理しておこう。名前は秋元賢治氏で、年齢は俺と同じくらい。こんな整理整頓なんか、まったく無意味だと入って知った。
バーはアルバイト先しか知らないので、基本となるバーはエレティックだ。フロアはカウンターにソファー席、カーテンに仕切られた席もある。席に座るのも店員も、すべて男性。女性は一人もいない。ルイにキョロキョロするな、と目で指摘された。
ルイはカウンターに腰掛け、俺は隣に座った。
「ミモザと、キール」
ミモザは知っている。エレティックに来るお客さんも、よく注文しているからだ。キールは初めてだが、確か赤色のカクテルのはず。
「キールはフランスで誕生したカクテルだ。白ワインと、カシス・リキュールを使用する」
「だから赤いんだな。俺、飲んでもいい?」
「ああ」
なぜこの二つなんだろうか。
「ちなみに、カクテル言葉は?」
ルイの眉間に皺が寄る。そんな顔をしていたら癖になるぞ。
「後で自分で調べろ」
バーテンダーは俺の前にキールを置いた。耳元で話したつもりなのに、俺たちの話は筒抜けのようだ。秋元氏の話はすべきではないだろう。
真っ赤というほどではないが、綺麗な赤だ。カシス・リキュールの量によって、色が変わる。ルイはミモザを傾けたので、俺もワイングラスを当て乾杯した。
「あ、美味しい」
ついでに、つまみも注文してくれた。チーズを頼むあたり、フランス人っぽい。俺なら枝豆か唐揚げが定番だ。締めならラーメンかお茶漬け。
ちびちび飲んでいると、大柄な男性が隣に座った。椅子が軋み、避けようにも椅子が動かない。
「ひいっ」
変な声が出た。腰に回された手は、紛れもなく隣に座るルイのもので。何を考えているのか分からない顔でグラスを傾ける男は、じっと遠くを見つめている。
「え、な、なに?」
ルイの耳元で囁くと、左隣の大柄な男はどこかへ行ってしまった。しかも大きな舌打ち付きだ。
「どういうこと? 俺、何かしたか?」
「……私の心の静寂を保つ気があるのなら、黙っていろ」
「黙るのか? 喋っちゃダメ?」
「余計なことは何もするな。他に飲みたい酒は?」
「じゃあ……ミモザで」
ルイはミモザを二つ頼んだ。ミモザのカクテル言葉も後で調べよう。
「細長いグラスだな。見たことがあるよ」
「フルート型シャンパングラス。特徴は炭酸が抜けにくい」
「これ、オレンジジュースと何入ってんの?」
「シャンパン」
「おお、例のあれか。シャンパーニュ地方のやつ」
メールで教えてもらったアルコールだ。奥野さんにちょっとは良いところを見せられたと思う……主にルイの良いところを。
ミモザを口にしつつ、カウンターより向こうにいる二人を眺めた。年齢は三十から四十代くらい。俺と同年代には見えないので、まず秋元氏ではない。
動き回るスタッフは、皆若く見える。二十代と言っても違和感はない。数人の中に秋元氏はいるか、あるいは今日は休みということもある。
「お気に召しましたか?」
「え? ま、まあ……そうですね」
ミモザを作ってくれたバーテンダーは微笑み、注文を受けたカクテルを作っていく。炭酸水を作った何かだ。
「なあ、ちょっとトイレに行ってきてもいい?」
「ああ」
席を外そうとしたとき、とんでもないものが目に飛び込んできた。
カーテン席で、スタッフとお客さんが重なり合っていた。淡い表現で重なり合う、だ。それ以外になんと言ったらいいのか。
お客さんは交わるのに夢中で俺に気づかない。店員は視線だけを俺に向け、小さく笑った。恥ずかしくなり、できるだけ早歩きでフロアを逃げるように去った。
「な、なんだあれ……」
キスシーンなんて、テレビでしか見た経験がない。というより、生で見たことがある人がいるとすれば、どんな状況で見たのか聞きたい。人生初の破廉恥な行為は、頭をグラスでたたかれるほどの衝撃の強いものだった。
俺はここはただのバーだと思っていた。思い込みで、もしかしてここはそういう店なんじゃないのか。そのためのカーテンがある席で、女人禁制のバーで、だから女性がいない。
トイレから出ようとしたとき、ちょうど入り口に見知らぬ男性が立っている。
「すみません」
避けて通ろうとしたが、男性は肘に近い二の腕を掴んできた。振り解いて距離を取ると、暗闇のせいで見えづらかった男性の顔が映る。俺の隣に座った人だ。
「さっきの色男はいいのか?」
何がいいのか、答えに難しい質問だ。下手に答えはせず、沈黙という答えを出した。
「来いよ」
手首を掴まれそうになり、はねのけた。男性は気を悪くするどころか、海外ドラマの役者のように口笛を吹いた。男性に触れられること自体、俺はトラウマになってしまっているのかもしれない。思い込みだと思い込み、頭を振った。
「このバーにはよく来るんですか?」
「まあな。お前は見ない顔だ。初めてだろう?」
「人を捜しています」
男性は俺の前髪を指先に絡め取った。払いのけた手は、トイレの壁に押しつけられる。俺は逃げ場がない。腕の中に閉じ込められた。
「ちょっとした味見させろよ」
アルコール臭を漂わせ、顔を近づけてくる。臀部に力を入れて耐えたのにもかかわらず、耐久できなかったものが背中を伝って首と頭に上る。髪の毛にまで伝い、耳にかかる毛の先が鬱陶しいとざわめいた。
「同意無き行為は犯罪に等しい」
あと数センチというところで、唇が離れていく。色男のご登場だ。店に向かってきたときよりも、格段に機嫌が悪くなっている。片目が隠されている分、底が見えにくい。
「悪かったな。お手つきでも具合の良さを確かめたかったもんでよ。それで、捜している人は誰なんだ?」
「行くぞ」
ルイは俺の手首を掴むと、男性の質問には答えずに歩き出した。
席には戻らず、例のフロアを出て地上に出た。外の空気に触れ、代金の支払いについてどうしようと浮かぶが、彼らはまたお越し下さいと声をかけた。ちゃっかり四杯分の酒とつまみ代を支払ってくれたのだろう。
大型連休ということもあり、夜でも人は多い。すれ違う女性が口元に手をやり、小さな悲鳴を上げる。手を引かれた子供は指を差し、母親は固まっている。そうだろう。ルイはかっこいいから目立つ。俺も鼻高々だ。
駅前に来ると、ルイは俺と繋ぐ手をようやく離してこちらを見た。
「お前にGPSチップでも埋め込んだ方がいいのか?」
「スマホがあるけど。犬じゃあるまいしさあ」
「……………………」
ルイは眉間の皺を解す。
「……トイレが、長い」
「……もしかして」
心配してくれたのか。いくら待っても戻ってこない俺のことを。ううん、と唸った。長すぎるトイレに返す言葉は、けっこう責任が付きまとう。
「今度、何か奢らせてくれ」
「断る。黙って貯金しろ」
「へへー」
「お前が腹痛に唸っている間、おおよその情報は手に入れた」
「すいませんねえ、トイレが長くて。秋元さんが誰か分かったのか?」
「茶髪を後ろで縛っていた男性がいただろう」
いた。鮮明に記憶に残っている。それどころか、目が合った。お邪魔してはいけないと、すぐに顔を背けたが。
ルイは携帯端末を出し、誰かに電話している。相手は占い師のレミさんだ。挨拶もそこそこに、お元気そうでした、と述べる。
「も、もう電話はいいのか?」
「ああ。様子を見てきてほしい、が依頼だった。無事成し遂げた今、解放された。この後の予定は?」
「特にないけど……」
「何か食べたいものは?」
「えー、えーと……焼き肉かな」
「分かった」
後ろをついていく。ルイと出会った場所も新宿で、焼き肉を食べた場所。懐かしの道を辿る先は、ふたりで食べた焼き肉屋だ。値段が値段なので、ルイのご忠告通りに貯金させてもらおう。
アルコール類は頼まず、炭酸ジュースで乾杯した。しがない大学生が食べてもいいのか判断に迷う牛肉は、お腹いっぱいになるまで食べさせてもらった。
今度は俺の端末にメールが届いた。
──お前、今誰と一緒なんだ?
顔を上げ、辺りを見回すも壁だ。壁壁壁。正面だけはきれいな顔。
ここまで来るとき、おかしなことはなかったか。つけられている感じもなかったが、あいにく人の殺気や包むオーラに敏感な質じゃない。
「食べ足りないか?」
「いやいやいや……充分です。久しぶりにこんなに気持ちも満たされたよ。牛にもお礼が言いたいくらい」
「骨の髄まで感謝だな」
「確かに、牛骨のスープも美味しかった」
「メールは誰からだ?」
口を開きかけて、強く閉じた。流れで言わせようとする魂胆か。騙される寸前だった。
「大丈夫だよ、ありがとな」
「何かあったら言え」
「なあ、なんでそんなに優しくするんだ?」
「……………………」
「だんまりだと、良い男からミステリアスな良い男に格上げだぞ」
「お前の思考回路は理解不能だ。大した理由もない」
ごまかしの意味も込めて、タッチパネルを渡された。最後の飲み物を頼もうとするが、炭酸水はもう入らない。
「ルイもホットコーヒーは飲む?」
「……………………」
「あっごめん、ふたつ注文しちゃった」
「なら飲むしかないだろう」
数分後、ラストオーダーとなるホットコーヒーがふたつ届いた。扉が開く瞬間、身体が蛇に締めつけられたように固くなった。先輩じゃないと分かっていても、ただの条件反射に気持ちがついていかない。
砂糖もミルクもなしで、ブラックだ。ルイもどちらも入れず、ストレートで飲む。どちらも見向きもしない。良い男に選ばれなかった砂糖たちは、寂しそうにテーブルの片隅にいた。
「秋元さんの顔って分かる?」
「知らんな。状況に応じた対応で、凌いでいくしかない」
信号に引っかかり止まると、ルイは俺の顔をじっと見てきた。
「どうした?」
「これから行くバーについて、どこまで知っている?」
「何も。説明もなかったし」
「……そうか」
青だ。回りのサラリーマンが歩き出し、引き寄せられるように俺たちも前に進んだ。
「ルイ、ちょっと不機嫌じゃないか?」
あれだ。私服を褒めなかったから機嫌が悪いのかもしれない。
「ヤバいところなのか? マリファナが売買されてるような。清潔感あって今日の格好も似合ってるぞ」
「そういう意味のヤバいならば、心配はいらない……多分。日本のマリファナ事情など、私は詳しくはないが」
多分と言われても、ルイがいてくれるなら大丈夫な気がした。根拠はないけれど、不思議と安心させてくれるのだ。
エレティックと同じように、地下に通じる階段を下りる。ドアノブに手をかけたとき、ルイは振り返った。
「私の側にいろ」
「う、うん……いるよ」
「なぜ照れる」
「そんな風に言ってもらったの初めてだ。なんか、ぐっときた。ドラマであるような、プロポーズみたい」
守られているみたいで、嬉しさと驚きか戦っている。火花が散るほどバチバチだ。
「……行くぞ」
ルイはもう正面を向いていて、ドアノブが動いた。開いた瞬間、お酒の香りが外までなだれる。
もう一度整理しておこう。名前は秋元賢治氏で、年齢は俺と同じくらい。こんな整理整頓なんか、まったく無意味だと入って知った。
バーはアルバイト先しか知らないので、基本となるバーはエレティックだ。フロアはカウンターにソファー席、カーテンに仕切られた席もある。席に座るのも店員も、すべて男性。女性は一人もいない。ルイにキョロキョロするな、と目で指摘された。
ルイはカウンターに腰掛け、俺は隣に座った。
「ミモザと、キール」
ミモザは知っている。エレティックに来るお客さんも、よく注文しているからだ。キールは初めてだが、確か赤色のカクテルのはず。
「キールはフランスで誕生したカクテルだ。白ワインと、カシス・リキュールを使用する」
「だから赤いんだな。俺、飲んでもいい?」
「ああ」
なぜこの二つなんだろうか。
「ちなみに、カクテル言葉は?」
ルイの眉間に皺が寄る。そんな顔をしていたら癖になるぞ。
「後で自分で調べろ」
バーテンダーは俺の前にキールを置いた。耳元で話したつもりなのに、俺たちの話は筒抜けのようだ。秋元氏の話はすべきではないだろう。
真っ赤というほどではないが、綺麗な赤だ。カシス・リキュールの量によって、色が変わる。ルイはミモザを傾けたので、俺もワイングラスを当て乾杯した。
「あ、美味しい」
ついでに、つまみも注文してくれた。チーズを頼むあたり、フランス人っぽい。俺なら枝豆か唐揚げが定番だ。締めならラーメンかお茶漬け。
ちびちび飲んでいると、大柄な男性が隣に座った。椅子が軋み、避けようにも椅子が動かない。
「ひいっ」
変な声が出た。腰に回された手は、紛れもなく隣に座るルイのもので。何を考えているのか分からない顔でグラスを傾ける男は、じっと遠くを見つめている。
「え、な、なに?」
ルイの耳元で囁くと、左隣の大柄な男はどこかへ行ってしまった。しかも大きな舌打ち付きだ。
「どういうこと? 俺、何かしたか?」
「……私の心の静寂を保つ気があるのなら、黙っていろ」
「黙るのか? 喋っちゃダメ?」
「余計なことは何もするな。他に飲みたい酒は?」
「じゃあ……ミモザで」
ルイはミモザを二つ頼んだ。ミモザのカクテル言葉も後で調べよう。
「細長いグラスだな。見たことがあるよ」
「フルート型シャンパングラス。特徴は炭酸が抜けにくい」
「これ、オレンジジュースと何入ってんの?」
「シャンパン」
「おお、例のあれか。シャンパーニュ地方のやつ」
メールで教えてもらったアルコールだ。奥野さんにちょっとは良いところを見せられたと思う……主にルイの良いところを。
ミモザを口にしつつ、カウンターより向こうにいる二人を眺めた。年齢は三十から四十代くらい。俺と同年代には見えないので、まず秋元氏ではない。
動き回るスタッフは、皆若く見える。二十代と言っても違和感はない。数人の中に秋元氏はいるか、あるいは今日は休みということもある。
「お気に召しましたか?」
「え? ま、まあ……そうですね」
ミモザを作ってくれたバーテンダーは微笑み、注文を受けたカクテルを作っていく。炭酸水を作った何かだ。
「なあ、ちょっとトイレに行ってきてもいい?」
「ああ」
席を外そうとしたとき、とんでもないものが目に飛び込んできた。
カーテン席で、スタッフとお客さんが重なり合っていた。淡い表現で重なり合う、だ。それ以外になんと言ったらいいのか。
お客さんは交わるのに夢中で俺に気づかない。店員は視線だけを俺に向け、小さく笑った。恥ずかしくなり、できるだけ早歩きでフロアを逃げるように去った。
「な、なんだあれ……」
キスシーンなんて、テレビでしか見た経験がない。というより、生で見たことがある人がいるとすれば、どんな状況で見たのか聞きたい。人生初の破廉恥な行為は、頭をグラスでたたかれるほどの衝撃の強いものだった。
俺はここはただのバーだと思っていた。思い込みで、もしかしてここはそういう店なんじゃないのか。そのためのカーテンがある席で、女人禁制のバーで、だから女性がいない。
トイレから出ようとしたとき、ちょうど入り口に見知らぬ男性が立っている。
「すみません」
避けて通ろうとしたが、男性は肘に近い二の腕を掴んできた。振り解いて距離を取ると、暗闇のせいで見えづらかった男性の顔が映る。俺の隣に座った人だ。
「さっきの色男はいいのか?」
何がいいのか、答えに難しい質問だ。下手に答えはせず、沈黙という答えを出した。
「来いよ」
手首を掴まれそうになり、はねのけた。男性は気を悪くするどころか、海外ドラマの役者のように口笛を吹いた。男性に触れられること自体、俺はトラウマになってしまっているのかもしれない。思い込みだと思い込み、頭を振った。
「このバーにはよく来るんですか?」
「まあな。お前は見ない顔だ。初めてだろう?」
「人を捜しています」
男性は俺の前髪を指先に絡め取った。払いのけた手は、トイレの壁に押しつけられる。俺は逃げ場がない。腕の中に閉じ込められた。
「ちょっとした味見させろよ」
アルコール臭を漂わせ、顔を近づけてくる。臀部に力を入れて耐えたのにもかかわらず、耐久できなかったものが背中を伝って首と頭に上る。髪の毛にまで伝い、耳にかかる毛の先が鬱陶しいとざわめいた。
「同意無き行為は犯罪に等しい」
あと数センチというところで、唇が離れていく。色男のご登場だ。店に向かってきたときよりも、格段に機嫌が悪くなっている。片目が隠されている分、底が見えにくい。
「悪かったな。お手つきでも具合の良さを確かめたかったもんでよ。それで、捜している人は誰なんだ?」
「行くぞ」
ルイは俺の手首を掴むと、男性の質問には答えずに歩き出した。
席には戻らず、例のフロアを出て地上に出た。外の空気に触れ、代金の支払いについてどうしようと浮かぶが、彼らはまたお越し下さいと声をかけた。ちゃっかり四杯分の酒とつまみ代を支払ってくれたのだろう。
大型連休ということもあり、夜でも人は多い。すれ違う女性が口元に手をやり、小さな悲鳴を上げる。手を引かれた子供は指を差し、母親は固まっている。そうだろう。ルイはかっこいいから目立つ。俺も鼻高々だ。
駅前に来ると、ルイは俺と繋ぐ手をようやく離してこちらを見た。
「お前にGPSチップでも埋め込んだ方がいいのか?」
「スマホがあるけど。犬じゃあるまいしさあ」
「……………………」
ルイは眉間の皺を解す。
「……トイレが、長い」
「……もしかして」
心配してくれたのか。いくら待っても戻ってこない俺のことを。ううん、と唸った。長すぎるトイレに返す言葉は、けっこう責任が付きまとう。
「今度、何か奢らせてくれ」
「断る。黙って貯金しろ」
「へへー」
「お前が腹痛に唸っている間、おおよその情報は手に入れた」
「すいませんねえ、トイレが長くて。秋元さんが誰か分かったのか?」
「茶髪を後ろで縛っていた男性がいただろう」
いた。鮮明に記憶に残っている。それどころか、目が合った。お邪魔してはいけないと、すぐに顔を背けたが。
ルイは携帯端末を出し、誰かに電話している。相手は占い師のレミさんだ。挨拶もそこそこに、お元気そうでした、と述べる。
「も、もう電話はいいのか?」
「ああ。様子を見てきてほしい、が依頼だった。無事成し遂げた今、解放された。この後の予定は?」
「特にないけど……」
「何か食べたいものは?」
「えー、えーと……焼き肉かな」
「分かった」
後ろをついていく。ルイと出会った場所も新宿で、焼き肉を食べた場所。懐かしの道を辿る先は、ふたりで食べた焼き肉屋だ。値段が値段なので、ルイのご忠告通りに貯金させてもらおう。
アルコール類は頼まず、炭酸ジュースで乾杯した。しがない大学生が食べてもいいのか判断に迷う牛肉は、お腹いっぱいになるまで食べさせてもらった。
今度は俺の端末にメールが届いた。
──お前、今誰と一緒なんだ?
顔を上げ、辺りを見回すも壁だ。壁壁壁。正面だけはきれいな顔。
ここまで来るとき、おかしなことはなかったか。つけられている感じもなかったが、あいにく人の殺気や包むオーラに敏感な質じゃない。
「食べ足りないか?」
「いやいやいや……充分です。久しぶりにこんなに気持ちも満たされたよ。牛にもお礼が言いたいくらい」
「骨の髄まで感謝だな」
「確かに、牛骨のスープも美味しかった」
「メールは誰からだ?」
口を開きかけて、強く閉じた。流れで言わせようとする魂胆か。騙される寸前だった。
「大丈夫だよ、ありがとな」
「何かあったら言え」
「なあ、なんでそんなに優しくするんだ?」
「……………………」
「だんまりだと、良い男からミステリアスな良い男に格上げだぞ」
「お前の思考回路は理解不能だ。大した理由もない」
ごまかしの意味も込めて、タッチパネルを渡された。最後の飲み物を頼もうとするが、炭酸水はもう入らない。
「ルイもホットコーヒーは飲む?」
「……………………」
「あっごめん、ふたつ注文しちゃった」
「なら飲むしかないだろう」
数分後、ラストオーダーとなるホットコーヒーがふたつ届いた。扉が開く瞬間、身体が蛇に締めつけられたように固くなった。先輩じゃないと分かっていても、ただの条件反射に気持ちがついていかない。
砂糖もミルクもなしで、ブラックだ。ルイもどちらも入れず、ストレートで飲む。どちらも見向きもしない。良い男に選ばれなかった砂糖たちは、寂しそうにテーブルの片隅にいた。
1
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
月弥総合病院
御月様(旧名 僕君☽☽︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる