バーテンダーL氏の守り人

不来方しい

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第一章 大学生とバーテンダー

033 指輪の誓い

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 部屋を出ると例のサングラスの男性たちが待ち構えていた。来たときと違うのは、左右も後ろもがんじがらめにされていない。
 城を出てさらに奥へと進んでいく。道は悪くない。補正されていて、これならば戻るときも迷わないだろう。
 木々に囲まれた白い塔が見えた。サイロに灯台がくっついたような形をしている。不思議で呆けて見入ってしまうが、人が住んでいる外壁の家とは思えない。初めにサイロと認識してしまったのがいけないが、家畜小屋のイメージに繋がった。
 一階は広いフロアになっているだけだが、綺麗に掃除が行き届いていた。階段で上がって行くものだと思ったが、エレベーターつきの面白い建物だ。
 ここから先は付き人ひとりとなり、二人きりでエレベーターに乗る。
「ボタンは三つです。一番上になります」
 男性は高い位置にあるボタンを押した。
「いろいろとありがとうございます。会ってきます」
 一番上の階は、扉が一つだけのシンプルな部屋だ。目の前の大きな扉は、これまた大きな閂錠が突き刺さっている。まるで罪人のような扱いだ。何をしたというのか。
「内側には鍵はかかっておりません。鍵がないのです」
「外側からしか開けられないんですね」
「はい。ですが必要なものは電話一本で本家と繋がり、メイドの者が出ます」
 男性は閂錠を外した。いよいよだ。
 心臓が大きく跳ねた。魚が跳ねたときに水面が揺れるが、収まらず永遠に続いているようで、落ち着かない。
 まっすぐに前を見ろ。目を逸らすな。目的は目の前だ。
 呼吸は吐くことが大事で、一気に空気を押し出した。
 ゆっくりと扉が開くと、隙間から光が漏れた。
「………………あれ?」
 誰もいない。灯台のような外観だったが、中はかなり広かった。シンプルながらも必要な家具はしっかり揃っていて、本棚に並ぶ資料の数が多い。びっしりだ。
「ルイ様を、どうかお願い致します」
 やっと心の声が聞けた。その一言を言うのに、彼からしたら計り知れない勇気が要っただろう。
 施錠の音が強く響いた。罪人だと烙印を押されたような気持ちにかる。たった一度この音を聞いただけで、逃げようとする気が失せる。
 奥の部屋からシャワーの音がした。待っている間、暇なので本棚を漁ることにした。物語もあるし、リキュールの本には付箋だらけだ。
 手に取ろうとしたとき、シャワー室のドアが開いた。
 光の照り返しによりハニーブロンドが艶めかしい色を放っている。濡れた髪を撫でながら、男性は俺の姿を見ると大きく目を見開いた。手からタオルが落ちる。あんな驚いた姿は正真正銘、初めてだ。
「ボンジュール! ジュマペル志樹!」
 挨拶は基本。大事。カタカナ語的な発音で元気良く手を上げると、今度は頭を抱えてしまった。
「ボンジュールと名前だけでいい。日本人は『私の名前は志樹です』とわざわざかしこまって言わないだろう。それと同じだ」
「英語だとマイネームイズってわざわざ言うようなもの?」
「ああ」
 艶々の男は受話器を手に取ると、珍しいフランス語で話し始めた。彼にとっては当たり前の言語でも、俺は池袋で日本語を話す彼に慣れている。
 ソファーで待たせてもらうことにした。ふかふかで身体が沈んでいく。
「今、お茶と菓子を用意してもらう。長旅で疲れただろう」
「大丈夫。ルイの顔見たら吹っ飛んだよ」
 向こう側ではなく、ルイは俺の隣に腰掛けた。バスローブから足が出て、生々しくて見ていられない。外の風景を見ようとしても、窓がない。かろうじて天井に近い位置に鉄格子のはめられた窓があるくらいだ。
「絶望するだろう? 外側からしか開けられない鍵に、鉄格子のある小さな窓が一つだけ。精神的にも追い込まれる」
「逃げようと思わなかったのか?」
「そこの扉を蹴り破って逃げた」
「えっ」
「今ほど頑丈ではなかったんだ。私が数回蹴り破るたび、徐々に固く閉ざされたものに変わっていった」
「へえ! 冷静なルイも思春期の時期はあったんだな」
「私をなんだと思っているんだ」
「あのさ……お願いがあるんだけど」
 隣で腕を大きく広げてみせた。意図に気づいたルイは、目のやり場に困っている。いいからこいと、自分の胸を叩いた。
 ルイは遠慮がちに手を伸ばしたのに、俺を抱きしめる腕は父よりも姉よりも強かった。
「ルイがいなくなってさ、息が出来なかった。苦しくて苦しくてたまらなかった」
「そうか」
「なんだろ……自分でもよく分からないんだよ。俺の兄貴みたいな人で、いっつも俺を支えてくれてさ、ルイに何かあったら絶対に俺が力になると思ってた」
「そうか」
 ルイの手が背中から首へ上がってくる。
「お前、少し熱があるんじゃないのか?」
「リムジンでも寝てきたし、体調は悪くないと思うけど……」
「環境が変われば熱も上がる。今日は早めに休め」
「……どこにも行かない?」
「行かない。というより、行けない」
「なら早めに休む」
 抱き合っていると、閂錠が解錠された。やってきたメイドは小さな悲鳴を上げ、引きつった笑みを見せた。テーブルに豪華なアフタヌーンティーをセットすると、さっさと出ていってしまった。
「こういうの毎日食べてんの?」
「まさか。頼めば用意してくれるが、食べない。全部食べていいぞ」
 シャワーを浴びたばかりなのか、ルイの首も熱かった。
 リムジンでの食欲が嘘のように次々と菓子が入っていく。美味しすぎる。二人分のアフタヌーンティーはほとんど俺が食べてしまった。そしたら「三人分だ」と呆れられてしまった。アフタヌーンティー自体、滅多に食べるものではないし、こうして上に皿を重ねられると適量ってものが分からなくなる。
「詳しい話はすべて明日以降だ。私もお前に話したいことが山ほどある」
 食べた後はシャワールームに放り込まれたが、とにかく広くて何をしていいのか手がさ迷う。あるシャンプーやらボディソープは、池袋で使っているものと一緒だった。
 シャワールームを出ると、ルイと同じバスローブが用意されている。戻るとルイはとっくに寝ていて、寝室のカーテンは開けっ放しだった。
「俺が使うの?」
 ルイはふかふかのソファーに埋もれ、毛布が頭まで掛かっている。
 恐れ多いが、大人三人でも余裕そうなベッドにお邪魔させてもらった。
 考えることも言いたいことがあっても、すべて明日だ。目を閉じれば、三分と経たないうちに眠りに落ちた。



「いやあ、めちゃくちゃ美味かった! ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
 とっても甘い朝食をすべて平らげ、俺は両手を合わせて食べ物の神様に感謝した。フランスでは甘い朝食が定番だと言う。
 片付けに来てくれた女性に「Merci beaucoup」と告げれば、微笑んでくれた。カタカナ語だと「メルシーボークウ」。「どうもありがとう」だ。
「メイドさんはずっとここにいるのか?」
「ああ。食後のお茶の片づけがあるからな。日本語が分からないから問題はないと思うが」
「俺はいいけど、大事な話があるんだ」
 体調も良くなった。寝不足も解消された。美味しい朝食も食べて、これ以上、何も思うことはない。
 俺は鞄の奥底にしまっておいた、例のアレを取り出す。正方形の木箱を見るやルイの顔色が変わる。想定内。
 ちょっと待て、止めろ、今じゃないと、ルイの目は物語っている。もう遅い。俺は昨日から覚悟を決めている。
 中には、シンプルな指輪が入っている。ディミトリさんからお預かりしたものだ。
「マリヨン・ヌー!」
 こういうときは発音より気持ちが大事だ。俺は元気に「結婚して下さい」とフランス語で口にした。
 メイドの女性は固まり、微動だにしなくなった。
 ルイは女性にフランス語でまくし立てると、女性は出ていった。
「……おおよその状況は理解した」
「良かった! 頭の回転の早い上司で助かるよ」
「理解したが、最初から説明しろ」
「悪いけど、言えないんだ。これはルイからベルナデットさんに渡すものだって聞いてる。今の持ち主は、ルイのばあちゃんだってことも」
「ドルヴィエ家に入る方に送るものだ。祖父は祖母に送り、ディミトリも婚約者に送っている」
「何個もあるの?」
「要するに遺産の一部をあなたに渡すほど信頼し、生涯を共にしますという儀式のようなものなんだ」
「ってことは、本来なら俺がもらうのか」
「ちょっと待て」
「言える範囲で教えるよ。ディミトリさんと会って、諸々話して、俺とルイが婚約を結ぶ。ルイはここから出られる。以上」
「諸々話した内容を言え。飛躍しすぎている」
「だから言えないんだって。ディミトリさんと約束したし。ルイの考えなんてお見通しだぞ。どうせ俺を巻き込みたくないとか考えてんだろ」
「お前の考えだって読めている。私と婚約を交わすことで、ベルの代わりにお前自身が見張り役になり、私に自由を与えようとしているだろう」
「い、いえない……」
「目を逸らすな」
「なんだよ、ルイの方が目を逸らしてばっかりだぞ」
「黒い瞳は見られるのが苦手なんだ」
「黒?」
「幼少の頃は瞳の色のせいでいじめを受けていた」
「コンタクトレンズだったのか」
 ルイは目に指を差し、コンタクトレンズを外した。黒い瞳は珍しくものではないはずだが、ルイは瞳孔も角膜も黒い。ここまで目の黒い人も、日本でも珍しい。
「ブラックアイキッズは聞いたことがあるか?」
「ある気がする……」
「日本で言うと、口裂け女やトイレに住みつく幼女のようなものだ」
「都市伝説ってことね」
 ルイはコンタクトレンズをはめ直す。
「こういう家柄で黒い瞳を持つ子供など、いじめの的になるのは時間はかからなかった。私の面倒を見てくれたのは優しかった祖母とユーリくらいだ」
「ずっとここで独りだったのか?」
「ああ。窓は天井近くにあるが、日はほとんど差さないし出入りもできない。外の世界を知らない私を連れ出してくれたのは祖母とユーリだけだった」
 祖母の優しさを思い出すたび、ルイは少し子供に戻った顔をする。いろんなルイを発見できて、俺は嬉しくてたまらない。
「誰の影響でバーテンダーになろうとしたんだ?」
「祖母はお酒をよく嗜んでいた。彼女のコレクションの中に、宝石のように輝くアルコールが何本もあったんだ」
「あー、あー、合点がいった。アプサントもあったんだな!」
「ご名答。一番美しい輝きを放っていたアプサントに私が手を伸ばそうとしたら、こっぴどく怒られた。祖母にアルコールの名前を教えてもらい、私はひとりで調べ尽くした。アプサントだけではない。液体化された宝石が数え切れないほど世界中に存在していた。祖母も一つ一つ手に取り、楽しそうに教えてくれた」
 ルイの声は弾み、次々に出てくるリキュールの名前に耳を傾けた。
「祖母が亡くなる前、私は彼女から日記を託された。私宛の手紙が挟まっていて、ユーリ・ドヌヴェーヌ氏を訪ねろと、地図も添えられていた。師匠には会ったのだろう?」
「会ったよ。不思議な声の人だった。初めて会ったのに、何もかも任せたくなって信じたくなる人だった」
「崖から突き落とすタイプの人だが、間違いではない」
「現に、ユーリさんは俺をここまで導いてくれた。背中を押してくれたんだ。だから俺は、ルイを絶対に連れて帰るって約束した」
 ルイは笑い、足を組み直した。
「子供の頃から外の景色も見えないところに独りでいて、辛くなかったか?」
「日本語では住めば都という言葉がある。メイドを呼べば大方何でも手に入るし、住み心地に関しては悪くない」
 祖母の話から家の話になると、いつものクールなルイに戻った。
「俺が来なかったらさ、ルイはずっとここにいる羽目になってたのか?」
「少なくとも、ベルナデットが見つかるまではな」
「感謝してくれよ」
「余計なお世話もお前の魅力だ」
 ルイは電話をかけると、多分新しいお茶を持ってくるように伝えた。
「どくだみ茶は持ってきてないのか?」
「そんなに好きなのか? パックがまだ残ってるし、持ってくれば良かったよ」
「私の過去を暴かれたんだ。もう一つ、秘密を教えてやろう」
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