バーテンダーL氏の守り人

不来方しい

文字の大きさ
38 / 67
第二章 フィアンセとバーテンダー

038 カンヌでの出会いは特別なもの

しおりを挟む
 午前中に警察官の方が来て、ねほりはほりいろんなことを聞かれた。被害届を出したときにも同じ説明をしたが、漏れがあるかもしれないと俺は一つ一つ言葉を選びながら、もう一度順を立てた。
 落ち込んだ中にも朗報はあって、一筋の光が差し込んだ。メイドの 女性が見つかったらしい。重野カズアキ氏が関わっていたというのは俺の思い込みで、家出をして別の男性の家にお世話になっていたとか。安堵はできない事案だが、怪我もなく見つかって良かった。
 教授に事情を説明すると、無理して来るな、絶対に来るなと念を押されてしまった。その代わり、さらに増えたレポートたち。ルイに手伝ってもらおう。ドイツ語もお世話になった。
 エプロンを着用し、カウンターの中に立つ。アルバイトとして珍しい光景ではないのに、今日はぴりぴりするような緊張状態にある。
「そう緊張なさらずに」
 俺の気持ちを汲み取ってくれたのか、ユーリさんは穏やかな顔を見せた。
「まずはルイから習ったことを活用し、好きに作ってみなさい」
「はいっ」
 自由度が高ければ高いほど、難易度が跳ね上がる。けれど決められたレールの上より、俺は好きだ。
 思い入れの強いカクテルはいくつかあって、心にしまっておいた一つを取り出す。
 グラスに氷を入れ、コーヒー・リキュールと炭酸水を注ぐ。バースプーンで撹拌。ルイと同じ持ち方をして混ぜてみるが、綺麗な音が出ない。
「できました。カルーア・ソーダです」
「なぜこちらを?」
「俺が炭酸が好きって知ってた上でルイが作ってくれた、初めてのカクテルなんです」
「思い入れのあるカクテルというわけですね。いただきましょう」
 ユーリさんは色を確認し、ひと口含んだ。喉仏が動き、彼が何か言うまで俺は黙って見守った。
「…………ふむ」
「どうですか?」
「まずは味に関して。それなりと言いますか、美味しくないです」
「うわあ……」
 ジェントルマンの笑顔が突き刺さる。
「店で出せるレベルにはほど遠い。そもそも、リキュールと炭酸水がしっかりと混じっていない。この作り方であれば、炭酸が早く抜けていってしまう」
「入れ方って同じじゃないんですか?」
「まったく違います。炭酸水を注ぐとき、氷に当てないようにするのです。撹拌のときは、氷が溶けるのを一秒でも防ぐために軽く持ち上げながら撹拌します」
 まったく気にしていなかった。短時間で、ルイはそこまで計算して作っていたのか。緊張で俺の喉も鳴った。
「ただ……」
「ただ?」
「いえ……何も。バースプーンの持ち方はあの子から?」
「はい。見よう見まねでやってみたら、教えてくれました」
「持ち方はそちらで構いません」
「もう一回作ってもいいですか?」
 ユーリさんはまぶたを持ち上げ、口角を上げた。



 煌びやかな街並みを見ていると、一瞬でも地元を忘れられる。私はこの街は嫌いではない。時折、受け入れられていないようで劣等感が次々と沸いてくる。私が持ち合わせていないものは、ここの住人は山ほど持っている。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
 カウンターにあるリキュールの瓶を見て、足が止まる。過去に見た光景に、懐かしさが込み上げているだろう。心躍るような出来事ばかりではないが、息子が家族を覚えたのもあの頃があったからだ。
「志樹は?」
「部屋で寝ています。お茶を入れますので部屋に行きましょうか」
「ならここでお茶をいただきます」
「本当に? キッチンで何か作っていたようですが」
 息子はカウンターに荷物を預け、部屋に戻った。
 鍋ごと運んで来ては台に置くので、私はスープ皿とグラスを取る。
 フライパンで軽くパンを焼いていると、何かおかしいのか席から視線を感じる。日本のパンは柔らかく、ふっくらとしている。私は硬めのパンが好きだが、慣れるとこれはこれで美味しい。
「師匠が作ったわけではないのですか?」
「なぜ?」
「野菜の切り方が彼とは異なる」
 ルイは慣れているのか、柔らかいパンを口に入れても戸惑いがない。
「フロアで食事とは、あなたも変わりましたね。公私混同しない主義ではありませんでしたか?」
「ときと場合によります」
「今朝作った野菜スープの余りを、彼がアレンジしたのですよ。なんでも器用にこなせるタイプですね。飲み込みも早い。それに勢いもある」
「勢い?」
「初めにカクテルを作らせてみたら、しっかりと形は完成させてくれました。誰かさんの真似なのか、悪い癖もよく似ている。彼の一番の長所は、迷いなく純粋に作れるところですね」
「……………………」
「なんです?」
「……いえ、特に」
「ふふ……あの子を見ていると子供だったあなたを思い出します。似てはいませんが、通じるものがある」
「……志樹は……なんと?」
「カクテルを作ってみたかったと、堪えきれない思いを爆発させていました」
「そうですか。私では、味を教えることはできません」
「あの子に何を言ったのです? 悩み多きお年頃とはいえ、少し様子がおかしかったですよ」
 ユーリはグラスにミネラルウォーターを注ぎ、スープ皿の横に置いた。
「いずれ辞めるときが来る。まずは勉学第一に考えろと。できれば……エレティックにいてほしいですが、それは彼の人生だからと伝えました」
「なるほど、前半しか伝わっていなかったようですね」
 見覚えがあるのか、渋い表情である。
「彼の作るカクテルの中には、真剣さの中に失望と悲しみの色が見えました。必死に追いつこうともがいている。私は花岡さんの作るカクテルが好きです」
「随分褒めるのですね。私のときとは大違いだ」
 グラスの中の氷が音を立てて崩れた。
「あなたにもだいぶ褒めたつもりでしたが? 何か癪に障ることでも?」
「もういいです」
「そうむくれないで」
 身長も伸び、身体つきもしっかりした。だが子供っぽい性格は変わらないままで、私は手を伸ばして彼を抱き寄せた。
 ルイは私の肩に頭を預けたまま、何も言わない。
 青のリボンでまとめられたストレートの髪は私の肩に落ち、やがて流れていく。
「リボンは変えないのですか?」
「……ベルからもらったものですから」
 ルイは心に悲痛を伴い、沈黙した。
 我が息子は、綺麗な花が咲く道より茨だらけの道を裸足で歩き続ける。人生にはときにスパイスも必要であるが、彼は甘い蜜をあえて吸わない。
 花岡さん、あなたはルイの人生に深く関わりすぎている。蜜を差し出せる人になれるのか、それともぬかるみに浸かるだけ浸かって、息子の前から消えるのか。



 感情を押し殺した方が楽だと知ったのは、物心がついたときだ。俺には皆が思う自由も猶予もなく、親に対する反抗期がやってきたのは他の子供より早かった。
 将来の夢なるものを絵にする授業を受けていたとき、宿命を反論するかのように、俺は破壊された墓石と空から星どす黒い隕石が落下する絵を描いた。俺だけ褒めてもらえはしなかったが、何より自身が納得する絵だった。
 祖母の葬儀がひと段落し、改めて彼女からの手紙を読んだ。家族と呼べるか分からないが、血筋の繋がりのある人間も四六時中俺の側を離れない乳母やボディガードたちも、この手紙のことを知る者はいない。
「ユーリ・ドヌヴェーヌ……」
 地図と住所が記された手紙は、俺が期待していたものと違っていた。初めは封筒に間違ったものを入れてしまったのではないかと思ったが、俺へ託した日記にわざわざ挟んでいたのだ。過誤はないと思える。
 カンヌまでは車で三十分とかからない。ボディガードなしで出かけたのはいつ以来だろうか。ベルナデットと会うときすら、必ず誰かしら側にいる。私に自由は与えられない。
 カンヌはフランスの中でも名の知れた街だが、一人歩きの名前とは違い穏やかな街だ。映画より、俺は海の街だと思う。
 レストランなどが立ち並ぶ通りは、観光客で賑わいを見せている。記載されている場所へ来たのだが、一軒家というわけではなさそうだ。しかし看板が出ていない。
「どうしましたか?」
 突然開いたドアに、全身が悲鳴を上げた。手からすり抜ける紙を取ろうとし、俺はむしり取るように奪う。触れられたくはない、祖母の意思。
「あなたは、リーゼロッテをご存知か?」
 祖母の名を口にした瞬間、全身に火が点ったように焼けついた。何度口にしても、彼女の笑顔を見れはしないし名を呼んでくれることもない。葬儀の間、捨てた感情が芽生え衝動が一気に押し寄せた。
「入りなさい」
 俺の背に回った手が大きく、力強い。任せて大丈夫だと、瞬時に悟った。
 レストランにしてはアルコールの香りが漂い、懐かしい。祖母もよく飲んでいた。俺は宝石のような液体がとても好きだった。手を伸ばしたらこっぴどく叱られ、まだ早いと言いながらも一つ一つ教えてくれた。
「ここは……?」
「バーです。お酒を提供する店ですよ」
 たくさんの椅子があるのに彼は俺を座らせはせず、奥の部屋へ行くので私も追いかけた。
 こじんまりとした部屋だった。草のような香りで満たされ、映画で観たことのある家具がある。
「私は日系フランス人でね、日本について調べているうちに日本の家具を趣味で集めるようになったのです」
「日本……」
 アジアの言語の中で、唯一学んでいる言語だ。難しくて疎かになりがちだが、挨拶程度ならば支障はないとお墨付きを頂いた。
「畳、刀、壷、こちらは枯山水かれさんすい
「枯山水?」
「日本の庭園です。ミニチュアですがね」
「日本には……このような美しいものがあるのか……」
「あなたのフランス語は美しい。まだ小学生くらいの年齢で、とてもはきはきしている。刀はともかく畳や壷を知っているのは少し語学のたしなみがあるのではないんですか?」
 自信があるわけではないが、習いたての日本語を披露してみる。
「素晴らしい。教科書通りの文章ですね」
「何か問題でも?」
「違和感がある。それは話せているとは言いません。教科書に書かれていることなんて、お手本中のお手本ですよ。基礎を学ぶための基礎でしかない。そこから自分の感性を信じて磨いていくしかないのです。お茶を入れたいところですが、まずは自己紹介といきましょうか」
「……ルイ」
「リーゼの名を口にしていましたが、ファミリーネームも名乗って頂きたいものです」
「……………………」
「私はユーリ・ドヌヴェーヌと申します。あなたの血筋は存じておりますよ。ドルヴィエさん」
「知っているのなら聞くな」
「態度が悪い。そちらが本性でしたか」
「うるさい」
「ついでに口も悪い。お茶を入れましょうね、小さなお客様」
 ユーリは私の悪意ある態度にも笑い、立ち上がった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

処理中です...