窓辺へ続く青春に僕たちの幕が上がる

不来方しい

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第一章 桜色の日から

022 守りたいもの

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 すれ違った生活に終止符を打つ。
 再び立った門の前で、腹筋に力を入れた。
 祖父の容態については聞いていたものの、いざ元気になった彼に会うとなると気がおかしくなりそうだ。
 門前払いをしたそうな出迎えに手を上げて答え、さっさと中へ入っていく。
「お待ち下さい! 宗家は本日、誰とも会う予定はございません」
「予定がないなら入っていいよな」
「そういう意味では……秋尋様!」
 襖の向こうには、顔色の良くなった祖父がお茶をすすっていた。
 頬は痩せはしたものの、まだまだ現役を通すというほど強い眼差しを感じられる。
「お久しぶりですね」
「何をしにきた」
「テレビをつけているということは、報道をご覧になったようですね。お騒がせして申し訳ございません。言い訳ですが、この家の特殊な事情や私の生まれの情報を売ったのも私ではなく、第三者である何者かです」
「当たり前だ。お前の生まれなど恥ずかしくて誰が口を開けるか」
「私は恥ずかしいと思ったことなどないのですけどね」
 祖父が口を開ききる前に、秋尋が言葉を続けた。
「残念ですが、芸能界とは汚い世界です。お金のためなら過去やプライベートも暴く。今回は運が悪かった」
「運が悪いとだけで、済ませられると思うのか」
 宗家として、自分の娘を離れに追いやった現在も世にさらされ、痛手を負ったのは違いない。
「秋尋様、なにを……」
 秋尋は畳に手をつき、頭も下げた。
「宗家の望みをお聞かせ下さい」
「お前の母親を下坂家へ嫁がせようと思う」
 下坂家とは、藤宮家の分家にあたる。今は下坂家が力は強く、祖父からすれば分家をねじ伏せたいとも思うし、力をつける家は手放したくないとも考えるだろう。
「それだけはご勘弁を。母は年齢的にも子を生むことは難しいです。下坂家へは私が行きます。彼らの跡継ぎは女性ばかりで、なんとしても男がほしいでしょう」
「ならばそれと、母を永久的に屋敷から追放する。それでよいな」
「はい。甘んじて受けさせて頂きます」
 子供だましの駆け引きに心底吐き気がした。
 宗家は母を渡すつもりなど最初からなかった。下坂家に男子がいるが、まだ未成年だ。母を犠牲にすれば、必ず息子がかばうと分かった上での行動だろう。
 秋尋は顔を上げてもう一度頭を下げた。
 襖を閉じて正文に会いに行こうとすれば、彼から姿を現した。
「一発殴っていいか」
「はい」
 遠慮なく、秋尋は拳を握り彼の左頬に当てた。
 息を吸う間もなく殴られた正文は体勢を崩し、廊下に尻をついてしまう。
「俺の恋人に余計なことを言った分」
「分かっています。申し訳なく思っています」
 手を差し出し、彼を立たせた。
「兄さん、さっきの話だけど……」
「ああ。下坂家に行くのは俺」
「倉木さんはいいの?」
「別れさせたかったんじゃなかったのか?」
「そうだけど……その、ラジオ聞いたんだ」
 熱い心を惜しげもなく生放送でぶちまけたのは、無駄ではなかったらしい。
「俺が誰と結婚しても、窓夏に対する愛は変わらない。執着心がひどいんだ下坂家はほしいのは跡継ぎであって、俺じゃない」
「けど……倉木さんは悲しむと思う」
 どの口がそれを言うか。
 秋尋はぐっとこらえ、別れの言葉を口にした。
「それじゃあな、元気でやれよ」
 あっさりしているが、これでいい。正文とは生きる世界が違う。
 離れの家は窓が全開だった。母が顔を出しこちらに気づくと、おいでおいでと手招きする。
「ちゃんと連絡してよ、もう。ご飯は食べた? 体調悪くない?」
「食べたし悪くない。中入るよ」
 母親というのは口うるさい。離れて暮らすと、嬉しくてたまらなくなる。
 部屋はダンボールで山積みだった。
「引っ越しの準備?」
「そう。離れから出て暮らすことになったのよ」
「家から追い出されるっていうのにあっけらかんとしてるな」
「お金は支給されるから、苦労もそんなにないしね」
 祖父と取引をしたが、取引にもなっていない。
 元から決まっていたことを、さも今決めたと言わんばかりに告げられただけだ。
「引っ越しする場所は、一緒に決めよう」
「子供じゃないんだし、別にいいわよ」
「心配させてくれ。俺からしたら、たったひとりの親なんだ」
「はいはい。今ね、候補をふたつくらいに絞ってあるから一緒に行きましょうか」
 母は席を立ってコーヒーを入れてくれた。
「メールでも聞いたけど、窓夏が来たんだって?」
「あんなに可愛らしい子だとは思わなかったわ。引っ越ししたらふたり揃って遊びに来やすくなるわね」
「ああ、必ず会いにいく。……悪いが早々に退散するよ。また近いうちに」
「もう?」
「人が来た」
 まだ熱かったがなんとかコーヒーを一気飲みし、立ち上がった。
 キスで火傷をどうにかしてもらおうと不埒なことを考えつつ、母に対面させまいとさっさと家を後にした。
「さなえ」
「秋尋坊ちゃん」
 大きなお腹を揺らし、恰幅のよい女性は乳母だ。豪快に笑い、怒り、何度も宿題を見てくれた、もう一人の母親。後ろには見張る男がいる。乳母がこちら側の人間であれば、男は向こう側の人間だ。
 睨んでも席を外すように言っても無駄だと知っているので、気づいていないふりをするしかない。
「さなえ、今までありがとう。それとわがまま言ってごめん」
「なにを言っているんですか。坊ちゃんがこんなに大きくなられて、いつも活躍を楽しみにしているんですよ」
「ありがとう。何度伝えても足りないくらいだ。抱きしめてもいいか?」
 さなえは一瞬驚いた顔をするが、頷いて手を広げた。
 エプロンの裾にそっと忍ばせたボイスレコーダーと名刺。
 重みにより、さなえは微かに顔を強ばらせた。
「いつもさなえは助けてくれた。意味の分からなかった算数の宿題も、さなえがいたから解けたんだ」
「それくらいたいしたことないですよ」
「本当に?」
「ええ、もちろんです」
 伝わった。それだけで充分だ。
 助けてくれた。たいしたことない。隠されたキーワードを元に、勘のいい彼女なら動いてくれるだろう。問題は藤宮の人間をかいくぐれるかどうかだ。
 背中を数回叩き、お互いに離れた。
 さなえは何か言いたげだったが、下唇を持ち上げた。
「じゃあ行くよ。さなえに届くように、もっと活躍してみせる」
「ええ、ええ。映画も楽しみにしています。秋尋坊ちゃんの一番のファンです。何かあってファンがいなくなっても、私はいつも味方ですよ」
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