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第一章
027 眠り繋がれた琥珀の愛─⑦
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「仕事が終わり次第、ホテルで話せますか?」
「はい、それはもちろん。お知り合いの方じゃ……ないですよね」
「テレビ局に知り合いは一人もおりません。嫌な思いをさせましたね」
「嫌な思いはめちゃくちゃしました。ただそれはフィンリーさんのせいじゃなくて、向こうの話し方とか、もろもろの問題です」
「もろもろですか」
「とにかく、気にしないで仕事に取り組みます」
残りの数時間、ほぼ集中できなかったが、接客はフィンリーがすべて行い、アクセサリーもすべて完売した。
同業者らしき男性が厳めしい顔で─フィンリーをだが─こちらを見ていた。しょせんは顔か、と吐き捨てる声は確かに耳に届き、口を開きかけたとき、
「片づけをお願いします、アルバイトさん」
と邪念のない微笑みを向けられ、元気よく返事をした。
いつもは彼の店でしか働いていないが、こうして同業者が集まる場へ来るとよく判る。見目麗しいのは有利に働くと。アクセサリーを目的でさまよう人たちは、まず店主の顔を見る。そして惹かれるままに店へ誘われる。
人目を引く顔は羨ましいと思うときもあった。それがいかに残酷なことだったのか、すぐに思い知らされた。アルバイトを初めて数週間後に、フィンリーの顔をちらちら見る客がやってきた。彼女はいきなり泣き出し、あなたからは商品を買えないとすぐに出ていってしまったのだ。後日メールが届いたが「見た目に自信のない私はあなたを見て、さらにひどく陰鬱な気持ちになった。あなたの顔は見られないので他で買います」とまったく非のない戦慄の内容だった。恨みつらみは受け取る意味はない、とフィンリーは真顔のままメールを削除した。
一つ判ったのは、フィンリーはあまりにも慣れすぎているということ。おそらく、他にも似た経験があったのだろう。そういう慣れはハルカの心を鋭い刃物で抉っていく。「あなたの顔が羨ましい」などと少しでも思った自分を呪いたかった。
だがフィンリーはそれを武器に店を営業していない。流暢な日本語や宝石やアンティークの知識、死力の趣味だと言いきった紅茶など、学ばなければ得られない。
「俺、フィンリーさんの話を聞くのが好きです」
「それはそれは」
「勉強になるし、話し方が優しいからすごく楽しい。紅茶の話は、少し早口になって面白いし。オタクなだけある」
「誰がオタクだ」
「だから、ホテルでの話も楽しみにしています」
彼に微笑むと、道行く女性がこちらを見てぶほうと吐きかけている。大丈夫か、と視線を送ると、彼女は顔を赤くしながら走り去ってしまった。
「大丈夫かな」
「…………問題ないでしょう。私もあなたのことを聞くのがとても楽しみです」
「俺のこと? 好きな食べ物とか?」
「のどぐろ」
「あ、それは知ってたか」
「魚全般ですか」
「正解でーす。肉も好きですけどね」
ホテルへ戻ってきて、フィンリーとはレストランで待ち合わせをし、バイキングで好きなものをそれぞれ食べた。
「バーにでも行きませんか?」
「お酒飲むんですか?」
「もう飲めるでしょう」
「そうですね。二十歳ですし。でも最初のお酒は、実は父親と飲もうかって話をしてあるんです。前に山梨のワインをくれたでしょ? あれを二人で空けようって約束をしてて」
「それは失礼しました。ぜひともお父様と楽しんで下さいませ」
「なのでノンアルでも構いませんか? バーに置いてあるかな」
「あると思いますよ。では、参りましょう」
静かな夜景の見えるバーだ。恋人同士で座っている男女を邪魔しないように離れて座った。
渡されたメニュー表には、何十種類とメニューがある。文字だけではなく絵もあり、グラスや液体の色など判りやすい。
「モヒートってなんですか?」
「ミントの葉や砂糖をレモンやライムとともに潰し、ホワイト・ラムを加えたものでございます。ノンアコールをお求めなら、ラムは使わずにお作りいたします」
店員は愛想よく答えた。
「ノンアコールのコーラモヒートで」
「私はアプリコットフィズを」
「かしこまりました」
楽しみだなあ、と隣にいる彼にぼやくと、フィンリーは予期せぬ表情をしていた。バイキングでケーキを食べていた顔とは違い、とても厳しい。
「ど、どうしたんですか」
「単刀直入に、あなたに聞きたいことがあります」
「なんでしょう。怖いなあ」
「あなたはフランス語を話せるのですね」
不穏な空気、張りつめた空気、緊張感のある空気。すべてに似たようで、名前のつけられない空気だった。
「それも、ほぼ完璧に」
「……………………」
「一つ、あなたに謝罪をしなければならないことがあります。あなたをアルバイトととして雇ったのは、こちらの最悪な都合のためです」
「最悪な都合」
「あなたの家系は柔道一家で道場があると話していました。ネットで調べたらすぐに出てきました。日本でとても有名な道場で、オリンピック選手を何人も輩出していると」
「確かに、そうですね」
「さらにあなたのおじいさまが道場をここまで大きくしたとも」
「造ったのは確かに祖父です」
「人種について聞くのはたいへん憚られるのですが、フランス人であるとホームページに書かれていました」
「……………………」
「私はとある事情によって、フランスという国を避けています。日本にきてやっと逃れられると思いきや、現れた日本人はフランスの血を持つ日本人。逃れられない運命だとも思いました。同時に、あなたが私を見張っている、いわゆるスパイなのかもしれないと。それならばいっそ近くに置いて動向を探るのも手だと思いました」
「すると、俺をアルバイトに雇った理由は大まかにそれですか」
「ええ、大まかには。ただ、あなたの熱心さや素直さを持つ未成年がスパイなわけがないとすぐに考えを改めたのも事実です」
「……俺がフランス語を話せるって、どうして気づいたんですか?」
「確信を得たのは、久慈市へ行ったときです。琥珀掘りをしていたとき、あなたは『サイエ』と叫びました。日本語だと『やった』など喜びを表します。よほど話し慣れていないと、まず口から出ません。本日、通りかかった女性に店名を聞かれたとき、漁師と罪人の単語の違いを完璧に答えた。それに店名である『pécheur』の意味を私は一切教えていない。あなたは聞こうともしなかった。元から知っていたから聞く必要がないのだと存じました」
「参ったな……」
カウンターにグラスが二つ置かれた。コーラモヒートもアプリコットフィズも、琥珀を思い浮かぶ液体だ。
ライムの酸っぱい味がコーラによく合う。
「はい、それはもちろん。お知り合いの方じゃ……ないですよね」
「テレビ局に知り合いは一人もおりません。嫌な思いをさせましたね」
「嫌な思いはめちゃくちゃしました。ただそれはフィンリーさんのせいじゃなくて、向こうの話し方とか、もろもろの問題です」
「もろもろですか」
「とにかく、気にしないで仕事に取り組みます」
残りの数時間、ほぼ集中できなかったが、接客はフィンリーがすべて行い、アクセサリーもすべて完売した。
同業者らしき男性が厳めしい顔で─フィンリーをだが─こちらを見ていた。しょせんは顔か、と吐き捨てる声は確かに耳に届き、口を開きかけたとき、
「片づけをお願いします、アルバイトさん」
と邪念のない微笑みを向けられ、元気よく返事をした。
いつもは彼の店でしか働いていないが、こうして同業者が集まる場へ来るとよく判る。見目麗しいのは有利に働くと。アクセサリーを目的でさまよう人たちは、まず店主の顔を見る。そして惹かれるままに店へ誘われる。
人目を引く顔は羨ましいと思うときもあった。それがいかに残酷なことだったのか、すぐに思い知らされた。アルバイトを初めて数週間後に、フィンリーの顔をちらちら見る客がやってきた。彼女はいきなり泣き出し、あなたからは商品を買えないとすぐに出ていってしまったのだ。後日メールが届いたが「見た目に自信のない私はあなたを見て、さらにひどく陰鬱な気持ちになった。あなたの顔は見られないので他で買います」とまったく非のない戦慄の内容だった。恨みつらみは受け取る意味はない、とフィンリーは真顔のままメールを削除した。
一つ判ったのは、フィンリーはあまりにも慣れすぎているということ。おそらく、他にも似た経験があったのだろう。そういう慣れはハルカの心を鋭い刃物で抉っていく。「あなたの顔が羨ましい」などと少しでも思った自分を呪いたかった。
だがフィンリーはそれを武器に店を営業していない。流暢な日本語や宝石やアンティークの知識、死力の趣味だと言いきった紅茶など、学ばなければ得られない。
「俺、フィンリーさんの話を聞くのが好きです」
「それはそれは」
「勉強になるし、話し方が優しいからすごく楽しい。紅茶の話は、少し早口になって面白いし。オタクなだけある」
「誰がオタクだ」
「だから、ホテルでの話も楽しみにしています」
彼に微笑むと、道行く女性がこちらを見てぶほうと吐きかけている。大丈夫か、と視線を送ると、彼女は顔を赤くしながら走り去ってしまった。
「大丈夫かな」
「…………問題ないでしょう。私もあなたのことを聞くのがとても楽しみです」
「俺のこと? 好きな食べ物とか?」
「のどぐろ」
「あ、それは知ってたか」
「魚全般ですか」
「正解でーす。肉も好きですけどね」
ホテルへ戻ってきて、フィンリーとはレストランで待ち合わせをし、バイキングで好きなものをそれぞれ食べた。
「バーにでも行きませんか?」
「お酒飲むんですか?」
「もう飲めるでしょう」
「そうですね。二十歳ですし。でも最初のお酒は、実は父親と飲もうかって話をしてあるんです。前に山梨のワインをくれたでしょ? あれを二人で空けようって約束をしてて」
「それは失礼しました。ぜひともお父様と楽しんで下さいませ」
「なのでノンアルでも構いませんか? バーに置いてあるかな」
「あると思いますよ。では、参りましょう」
静かな夜景の見えるバーだ。恋人同士で座っている男女を邪魔しないように離れて座った。
渡されたメニュー表には、何十種類とメニューがある。文字だけではなく絵もあり、グラスや液体の色など判りやすい。
「モヒートってなんですか?」
「ミントの葉や砂糖をレモンやライムとともに潰し、ホワイト・ラムを加えたものでございます。ノンアコールをお求めなら、ラムは使わずにお作りいたします」
店員は愛想よく答えた。
「ノンアコールのコーラモヒートで」
「私はアプリコットフィズを」
「かしこまりました」
楽しみだなあ、と隣にいる彼にぼやくと、フィンリーは予期せぬ表情をしていた。バイキングでケーキを食べていた顔とは違い、とても厳しい。
「ど、どうしたんですか」
「単刀直入に、あなたに聞きたいことがあります」
「なんでしょう。怖いなあ」
「あなたはフランス語を話せるのですね」
不穏な空気、張りつめた空気、緊張感のある空気。すべてに似たようで、名前のつけられない空気だった。
「それも、ほぼ完璧に」
「……………………」
「一つ、あなたに謝罪をしなければならないことがあります。あなたをアルバイトととして雇ったのは、こちらの最悪な都合のためです」
「最悪な都合」
「あなたの家系は柔道一家で道場があると話していました。ネットで調べたらすぐに出てきました。日本でとても有名な道場で、オリンピック選手を何人も輩出していると」
「確かに、そうですね」
「さらにあなたのおじいさまが道場をここまで大きくしたとも」
「造ったのは確かに祖父です」
「人種について聞くのはたいへん憚られるのですが、フランス人であるとホームページに書かれていました」
「……………………」
「私はとある事情によって、フランスという国を避けています。日本にきてやっと逃れられると思いきや、現れた日本人はフランスの血を持つ日本人。逃れられない運命だとも思いました。同時に、あなたが私を見張っている、いわゆるスパイなのかもしれないと。それならばいっそ近くに置いて動向を探るのも手だと思いました」
「すると、俺をアルバイトに雇った理由は大まかにそれですか」
「ええ、大まかには。ただ、あなたの熱心さや素直さを持つ未成年がスパイなわけがないとすぐに考えを改めたのも事実です」
「……俺がフランス語を話せるって、どうして気づいたんですか?」
「確信を得たのは、久慈市へ行ったときです。琥珀掘りをしていたとき、あなたは『サイエ』と叫びました。日本語だと『やった』など喜びを表します。よほど話し慣れていないと、まず口から出ません。本日、通りかかった女性に店名を聞かれたとき、漁師と罪人の単語の違いを完璧に答えた。それに店名である『pécheur』の意味を私は一切教えていない。あなたは聞こうともしなかった。元から知っていたから聞く必要がないのだと存じました」
「参ったな……」
カウンターにグラスが二つ置かれた。コーラモヒートもアプリコットフィズも、琥珀を思い浮かぶ液体だ。
ライムの酸っぱい味がコーラによく合う。
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