アレの眠る孤塔

不来方しい

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第三章 親子

021 変化

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 アルネスと俺の過去。繋がりがないようで、大いに一本に繋がっていた。あれからアルネスは不器用にも笑うようになった。俺に触れようとしたとき、遠慮して手が下がるようになった。俺がアルネスの背中を叩くと、安堵の息をこっそり吐くのも知っている。
 千年という期間は、どれだけ果てしないのか見当もつかない。寝ていた俺と、過ごしたアルネスでは経過が違う。何度彼は悲しみに暮れ、世界に絶望しただろうか。
 俺はひとつの設計図を作った。そうと決まれば、行動力の早い俺である。本棚から心臓移植手術という史上難題な本を取り出し、アルネスがいない時間に読みふけった。手術どころか、麻酔もぎりぎりな俺にはとんでも本である。
「ただいま」
「おかえりー。今日はイモ尽くしだぞ」
 ジャガイモのおやきはメイン料理だ。こっそり味見をしたら、美味しくて二枚食べたのは秘密だ。豆のスープも盛りつけ、ふたりでいただきますの儀式をした。俺がやり続けていたら、最近はアルネスも手を合わせるようになった。
「最近は何の本を読んでいるんだ?」
「それ……聞く?」
「答えにくいものを?」
「うーん……まあ。秘密ってことで」
 アルネスはちょっとむっとした顔をした。出会った頃に比べると、本当に分かりやすい。
「父親でも言えないことがあるんだよ。子供の成長だと思って見守ってくれ」
「……無理はするなよ」
 食卓に魚は一切上がらなくなった。レパートリーがいっそう少なくなったが、たんぱく質は他にも摂れるものはある。今は肉や豆がたんぱく源だ。
  漁業禁止令が出てから、俺はしばらく地上に出ることを控えていた。政府の人間が増えたらしく、厳戒態勢が続いている。
 アルネスに父と名乗られて、俺は今までと変わらない生活を送っている。全く戸惑いがなかったといえば嘘になるが、すとんと在るべき場所に気持ちが舞い降りた感じで、アルネスの今までの言動が納得できた。多分、いきなり現れた父と名乗る人物に反抗心や冗談だと言い返す場面だろう。それよりも、家族だという嬉しさの方が突き抜けて上だった。
 過保護だなあと思うことは多々あり、きっと初めて会った息子に対する接し方に頭を悩ませていたに違いない。初めて会う息子は赤子ではなく、それなりに育った俺で、イメージと違っていたはずだ。
「孤塔に行くって話だけど、お邪魔しますって感じで行けないのか?」
「無理に決まっている。私は歓迎されていない」
「けど、うまく入り込めたとして、取り返したら絶対にアルネスだと疑われるんじゃないのか?」
「……そうだろうな」
「家族とは仲良くやってほしいよ」
「凪」
 少し怒ったような、険しい視線のまま俺の頭に手を置いた。
「その段階はとっくに過ぎている。私の言葉に耳を傾けなかったため、このような世界に発展した。私の父は、アンドロイドを作り上げた第一人者だ」
「アルネスも、お父さんにされたのか?」
「自分の息子の心臓を奪い取って、死ねない身体にした。戸惑いすらなかった。実験は成功したと、子供のようにはしゃいでいた」
「なんか……ごめん」
「いや……いい。私も何度も話し合いで解決できないものかと考えた。千年の間で出した結論は『無理』」
 望まぬアンドロイドにされた挙げ句、話し合いを頭の片隅によぎっただけで、アルネスは相当優しいと思う。俺ならどうするだろうか。
「それじゃあ、どうする? 俺に手伝えることは?」
「いい子でいること」
「なんだよそれ」
「お前は仕事をたまに手伝ってくれるだけでいい。無理はしてほしくない」
「なんかキャラ変わってないか? 最初は医学の本を読め読め言ってたのに」
「事情が変わった。私はお前を……その、」
 アンドロイドも血は通っているんだと、改めて感じる。首がほんのりと赤い。
「その……、こんなに愛おしいと感じるとは思わなかった」
「……………………」
「……………何か言え」
「あー、うん。俺も、そんな感じ」
 成人男子と成人しすぎた男子で、なぜ顔を赤くしているんだろうか。恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。俺くらいの年齢なら逆らってもおかしくないのに。こういう世界で目覚めると、家族の有り難みがよく分かる。俺は名付け親を、失いたくない。一緒に生きて、一緒に年を取りたい。
「愛おしいからこそ、やらなければならないことから逃げたくないんだ。なんかさ、できそうな気がするんだよ」
「簡単に言うな」
「アルネスのやることは難しいのは分かるけど、それでも俺は負けたくないよ」
「負ける? 勝ち負けの問題ではないだろう」
「自分に負けたくないってこと」
「お前はやはりサキの子だな。あいつも小さなところでこだわりを見せていた。私が下らないと吐き捨てると、無言で背中をつねられた」
 自らパンドラの箱を開けていくスタイルなのか、それとも俺が勝手に蓋をしたのか。俺の躊躇を察したのか、「聞きたかったら聞けばいいだろう」という目で俺をじっと見る。そう見つめられると、質問は却って出にくいものだ。
「明日の朝ご飯はどうしようかな。食べたいものがあったら言ってくれよ」
 ほじくり返されたくなくて、適当にごまかした言葉でも、アルネスは何も言わないでいてくれた。泣きそうなのは俺の方だ。シュガービーツの一言に、俺の涙はすぐに引っ込んだ。



 漁業禁止令が出てからしばらくは地上に出ることは控えていたものの、アルネスから「もう大丈夫だ、多分」という曖昧でも信じたくなる一言をもらえ、久しぶりの外を味わった。
 やけに心配性なのは、血は繋がっていなくとも俺の父親であるからで、俺はやけに鼻が高かった。こんなかっこよくて素敵な人が俺の親なんだぞ、と外でおもいっきり叫びたいほど、自惚れている。狭い世界で、たったふたりだけの空間。永遠に続いてほしくても、アルネスのために終わりを作りたいとも思う。
「なんだ、これ」
「昼を知らせる放送だ。お前はまだ聞いたことはなかったか」
 滅んだ世界に似つかわしくない、明るく朗らかな男性の声だ。朝の体操でも始めるんじゃないかと思うほどに。
「私の父だ」
「………………は?」
「昼と夜を知らせる放送がある。それと新年。ご丁寧に、忘れずに千年近く流している」
「や……まじかよ」
──みんな! 魚は食べられなくても元気を出さないとダメだぞ! 今日も一日生き残ろう!
 女子高校みたいなノリで、俺は開いた口が塞がらない。アルネスはいつものことだと気にせず、俺に作り置きのサンドイッチを渡してきた。
「この仕事をしていると、私の腕前を聞いていろんな人がやってくる。アンドロイドであったり、助けを求めて人間までも」
「すべての人間が敵じゃないってことか。敵だらけの本拠地にひとりで入り込むんだとばっかり思ってた」
「人間たちだって、新しい世界を築きたい、今の体制を壊したいと思っている人間もいる。誰だって放射能だらけの世界は嫌だろう。敵の方が多いことには間違いないが」
 今すぐにでも飛び出したい気分だ。海に囲まれた孤独に佇む塔にいき、何もかもを壊したい。単純な俺は、そういう考えばかり浮かぶ。
 フロアに誰かが入ってきたと、ランプが知らせる。アルネスはドアを開け、声をかけて患者を出迎えた。
 露凝る日々だというのに白いワンピース一枚で、寒くないのか。感覚がおかしい。けれどこの世界でおかしいのは俺。医師の座る椅子の斜め後ろで、成り行きを見守った。
「新しい……先生?」
 ぷっくりと浮き出た唇から、グロッケンのような音色を奏でる。すらりとした腕を組み、首を傾げた。
「医者の卵のようなものだ。凪、紹介する。彼女はお前が助けた老婆の世話をしていた女性だ」
「ああ……あの」
 していた、と過去形になるのは悲しいところだ。現実は受け止めなければならない。それにしても、おかしなほど妖艶な雰囲気を醸し出した女性だ。黙って見ているのも失礼な気がして、俺はアルネスに視線を移した。
「なんだ?」
「きれいだなって、髪」
「少し、語彙を増やした方がいい」
「キラキラした流れ星みたい」
「そういう意味ではない」
 アルネスは口角を上げ、少し満足げに目を伏せる。誰が何と言おうと、満足している顔だ。だってリンゴのジャムを食べたときと、同じ顔をしているから。
「それで、どうした」
「…………金銭を、受け取りに」
「詳しく、説明してくれ」
 きれいな人が目の前にいるのに、お姉さんは俺から顔を逸らさない。俺の顔が気に入ったわけでもないのに。
「人捜しをしていると、顔の広いアーサー先生に相談しに参りました。まさか、本人とお会いできるなんて。先日の料金の支払いがまだですの」
「支払い? 何の仕事をしてるんですか?」
 美しい女性ほど、鬼の形相になると冷ややかな空気が流れるのだと知った。両手で押さえる指の隙間から見えた目は、鬼女の目をしていた。
「酷いですわ……あんなに激しかったのに……」
「失礼だが、詳しい日にちや時間帯を」
 暗記科目をスラスラと読み上げるのは彼女の得意技なのかもしれない。出るわ出るわ専門用語やらいかに寂しく寝室を涙で満たしたか。すべて用意していた台詞だ。ただし、俺からしたら身に覚えがなさすぎて、目がアルネスと女性を映し目まぐるしく揺さぶられる。彼女がどんな仕事をしているのか、俺が気づいたのは、最期に爆弾を投下してからだ。
「私……彼の子を妊娠しています」
 彼と言いながら視線を向ける先は、どう見ても俺だ。
「君が妊娠しているかどうかは、調べてみないと何とも言えない。本当の父親が誰かも」
「いいえ、いいえ……調べる必要はありません。彼です」
 そう言い、またしても俺を指さした。
 人生の岐路で、崖から突き落とされるかどうかの瀬戸際なのに、実はちょっと嬉しかったりする。自然と出た言葉であって、当の本人は気づいていないだろうが。本当の父親が誰かも、俺も気になる。
「あの、似た人がいるとかは? その日ですけど、俺、外にすら出ていませんよ」
「凪」
「俺にも言わせてよ。誤解されたままなんて気分悪いし」
「誤解も何も、私が嘘を吐いていると?」
「嘘吐きって、そんなはっきり言えませんよ。けど言えるのは、誤解してるってことです」
 他の説を上げるとすれば、俺に似た人と勘違いをしているか、個人的に俺に対する怨みがあるのか。後者でないと思いたい。誰だって怨恨の類は気分の良いものではないのだから。
 アルネスは子を宿しているか調べると言い、俺を追いやった。俺がいる意味ないじゃんとも思ったが、『父親』がいる俺が側にいるときっと彼女も思うところがあるのだろう。
「なんでこうなるかなあ……」
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