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第三章 現実

023 親子

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 事件は終わった。すべてが解決した。
 そう思いながら過ごしていると、あっという間に夏が来た。
 夏と聞いて思い出すのは、バーベキュー。僕とリチャードの大切な思い出だ。
 バーベキューになると張り切って子供っぽく笑うリチャード。横にいられるのはとても幸せだ。
 今日はふたりで旅行に来ている。一日泊まりの旅行は、久しぶりだった。
 例の事件を上書きしようと、僕もリチャードも夏の事件は口にしなくなった。代わりに、こうして思い出の上書き保存をすればするほど過去の記憶は下に追いやれる。ただ、トラウマだけが存在する思い出じゃない。彼と再び出会えた最高の思い出も、確かにあるのだから。
 夕食はバーベキュー、夜はコテージで泊まり。山に近い場所であり、夜には美しい星が見えるらしい。
 そんな僕らの小旅行に、再び事件が起きた。
「あの、ちょっといいですか?」
 年齢がそう僕と変わらないくらいの女性が声をかけてきた。横には母親と思われる人もいる。
「湿布が何かお持ちではないですか? 母が足を捻ってしてしまって……」
「……持っていますよ。取りにいってきます。ナオはここにいて」
「分かりました」
 僕も持っていたけれど、いち早くリチャードが立った。
 コテージに取りにいく彼を見届けて、強火で焼いた肉を皿に盛った。リチャードは「ナオは何もしなくていい、俺が全部やる」と張り切っていたが、これくらいは許されるだろう。でないと、肉も野菜も真っ黒になる。
「お二人で来たんですか?」
「はい」
「災難でしたね。けれど山は危険もあるし、準備はしっかりした方がいいです。ハイヒールだと、ちょっと危ないかも」
 あまり山に行くような格好ではないと気になった。坂もあるし道もそれほど整っているところではない。下調べもしないでくるはずがないと思うのは、旅行の前の日気分だからだろうか。調べるのも楽しくて仕方ない。
 薬の入った袋を持ってリチャードが戻ってきた。この状況を、リチャードはどう見えているのだろう。
「わざわざありがとう。助かったわ」
 女性たちはお礼を言うと、あっさりといなくなった。
 泊まるつもりもないのか、向かう先はコテージでもない。他に泊まる予定なのか、それとも日帰りか。
 気にしても二度と会うことのない女性たちだ。リチャードも気持ちを変えて、スモアを焼いてくれる。
「どう?」
「年々、腕が上がってますね」
「マシュマロって焼くの難しいんだよな。美味しそうって感じる見た目にするには、数秒の焼き時間が問題だ」
「焦げ目が一気につきますからね。あともう少しっていうのが、丸焦げの原因になったりします」
「君は本当にすごいよ。パンケーキもいつも綺麗に焼くし、オーブンで焼いたキャセロールもパーフェクトだ。俺が一人暮らしだったら、あんなオシャレなものは絶対にテーブルに並ばない」
 スモアを焼くときのリチャードには絶対に話しかけない。集中力が途切れてしまわないように、僕はそっと見守る。
 真剣に僕のために焼いてくれる姿は、スーパーヒーローそのものだ。ふわふわのマシュマロと溶けかかったチョコレートは、どっしりとした甘さがたまらない。それとビスケットの塩味がちょうどいい。
「幸せそうに食べる姿を見ていると、幸せになれる」
 リチャードは食べようとせず、ずっと僕の食べる姿を見ていた。

 べとべとになった身体をふたりで洗い流した後、セシルから電話が入った。僕の親友で、一番の理解者。リチャードとの相談もよく聞いてもらっている。リチャードの弟だし、僕より詳しい。
『今日、そっちの地域で殺人事件が起こったんだって!』
「ええ? どういうこと?」
『ニュースでやってたんだよ! ナオが行くって言ってた場所だし、無事かも分からなかったから。ディックは?』
「誰かと電話するって外にいるよ。後で伝えておくから」
『遅い時間に外出ちゃダメだからね。ちゃんとディックの側にいてよ』
「うん。大丈夫だよ。わざわざありがとね」
 電話を切りもう一度布団を整えた。
 ドアを開けると、ちょうどリチャードが電話を終えたところだった。
「さっきセシルから電話があって……」
「ナオ、ちょっと話がある。中に入ろう」
 背中を押すリチャードの手は優しさと余裕がなく、僕は緊張で肩を上げた。
 施錠して鍵をかけたか確認をし、カーテンも閉める。
 リチャードの警戒心丸出しの行動に、僕はさらに不安を掻き立てられた。
「残念な話をしなくてはならない。近くで遺体が見つかったらしい。さっき同僚が連絡をくれたんだ」
「どこかに行っちゃうんですか……?」
 仕事の邪魔はしたくない。けれど甘い蜜月も邪魔されたくない。
 なんて僕のわがまま。
「行かないよ。君の側にいる。ただ、明日は近くのカフェでゆっくり朝食を取る予定だったろう? キャンセルでいい?」
「あなたが側にいてくれるなら、車の中でもどこでもいいです」
「寂しい思いはさせないよ。大丈夫」
 優しいハグは不安な心を小さくしてくれるが、外の物音が大きくさせる原因でもある。今日は心が不安定。抱きしめて寝てくれないと、眠れないかもしれない。
 口に出していないのに、リチャードは顔にたくさんのキスをしてくれた。ハグも優しい。彼はスーパーヒーローだけれど、実は心の読める超能力者でもある。
「同僚が心配して連絡をくれたんだ。そもそも俺たちの関わる事件じゃない」
「でも気になるでしょう?」
「まあ……それは。職業柄ね。なかなか寝つけないかもしれないが、布団に入ろう」
「はい」
 優しい彼に抱かれて、月や星を見ることもなく目を閉じた。



 リチャードの甘い声でも鳥のさえずりでもない、誰かの声で目が覚めた。
 服を着てベッドから下りると、ドアの閉まる音が聞こえた。
「ちょうど起こそうと思っていたんだ。立てる?」
「なんとか……大丈夫です」
「警察が、昨日の女性二人について話を聞きたいらしい」
「あの親子に?」
「俺が薬を取りに行っていた間に何を話したのか、伝えてもらえるかな」
「分かりました。リチャードは、昨日の親子について、やっぱり思うところがあったんですね」
「格好に違和感があったから。山にあんな高いハイヒールで来る場所じゃない。こじゃれたレストランなら分かるけど」
「僕もそう思いました。もしかして、彼女たちが……?」
「詳しくはこれからだそうだ」
 夏であっても、早朝の山は少し肌寒い。着替えて外に出ると、思っていた以上に大惨事になっていた。
 これでもかとパトカーが並び、完全に包囲された状態。僕らは何も悪いことをしていないのに、心が痛いし苦しめられる。
 なるべく暗くならないように声をかけるが、彼らはそうはいかない。
 警察官たちはしかめっ面のまま、片手を上げた。
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