占星術師アーサーと彼方のカフェ

不来方しい

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第三章 母を追って

061 小さな客人

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 甘ったるいスイーツも高級な紅茶もいらない。
 彼方は手ぶらでレイラの部屋のドアをたたく。
「彼方だけど、ちょっと話がしたいな」
 突然、扉に鈍い音と衝撃があり、後ずさった。
 何かを投げつけたのだろう。中からたしなめる声が聞こえる。
 階段下から熱い視線が背中に突き刺さるが、振り向いたら気持ちが折れる。
「別にレイを怒ったりしに来たわけじゃないさ。話がしたいだけで」
 フィンリーは助け船を出した。
「来るならお茶くらい持ってきなさいよ」
「それは君と対等に話ができるときになったらね。子供相手のご機嫌取りをしているわけじゃないから、レイラには必要ないよ」
 扉の向こうが静かになる。
 レイラを見ていて分かったこともある。彼女は大人にもまれた生活を送っていて、自身が子供なのか大人なのか分からないでいる。子供扱いは嫌い、けれど大人になりきれない子供。難しい年頃だ。
 年の離れたアーサーに恋していて、背伸びをしても届かない。イライラが募るのだろう。
 そっと扉が開くと、唇をへの字に曲げたレイラがいる。
「どうしていちいち構うの?」
「誤解されたままでいたくなかったからかな。レイラのためというより、日本人を誤解されたくなかったんだよ。イギリス人にいろんな人がいるように、日本にもいろんな人がいるんだ」
「知ってるわ。あなたは悪くないのに、私が八つ当たりしただけよ。ちょっと考えれば、あなたは私の部屋を知らないのに盗むなんてできっこないのに」
「すごいね、探偵みたいだ」
 レイラは得意げな顔を見せる。
「でも分からないことがあるの。どうしてマルゴがあんなことをしたのか……すごくショックだった」
「お金に不自由なく囲まれた人生を送る人には分からないものさ。マルゴは生まれたときから僕らと境遇は異なる。彼女は孤児院で育ち、とてもお金に苦労してきた。手を伸ばせば手に入れられる僕らとマルゴでは、価値観が違いすぎる」
「どうしたらいいと思う? 価値のあるものを与えたら喜ぶ?」
「与えるって言い方自体が上から下という立場になっている。マルゴも感情のある人間だよ。給料に見合った働きをしているだけで、奴隷でもなんでもない。対等に話さないといけないよ」
「そうなのね……そういう考え方はしたことがなかった」
 思っていた以上に、レイラは大人の考え方ができる子供だった。
 癇癪を起こしたりとまだ感情のコントロールができない部分もあるが、すぐに謝罪もできてどうすればいいかを考えられる。なかなか大人でも難しい問題だ。
「今はひとりにさせて。大丈夫。冷静になれているから。いろいろ……頭がぐちゃぐちゃしてるの。まずはお母様ともお話ししてみる」

 ロビーに戻ると、マルゴたちはすでにいなかった。消沈しきった彼女も冷静になる時間が必要だろう。
「家に戻ったのかと思いました」
「あなたを置いて? ありえないでしょう」
 アーサーは立ち上がると、読みかけの本を閉じた。
「レイラは僕らが思うより大人です。それと、今日は母親に電話をしてみるとのことでした」
「彼女には本物の大人がついています。彼らに任せ、私たちは家へ戻りましょうか」
「じゃあ僕も戻るよ」
「ありがとうございます、フィンリーさん」
「僕は何もしていないって。ほとんど彼方君が話しただけだし」
 フィンリーが二階へ上がっていくと、アーサーとふたりきりになった。
「お疲れ様です。大変な役割を任せてしまいましたね」
「冷静にお話しできました。マルゴさんは大丈夫でしたか?」
「ええ、言いすぎたところは反省していました」
「アーサーさんは、お母さんと何か話しました?」
「その件なのですが……明日、一緒にお茶をしませんか?」
 彼方はアーサーをまじまじと見た。
 あのアーサーが恥ずかしがって目を逸らすなんて、滅多に見られる姿じゃない。
 最近は子供みたいによく笑うようになったが、これは珍しい表情だ。
「母が……お茶はダージリンがいいとか、スイーツはレモンタルトがいなど、張り切ってしまっていて」
「僕も楽しみです」
 ナタリーは、お茶よりも息子と会話ができるのが嬉しいのだろうと想像がつく。
 仕事一筋で今までやってきて、息子との話し方が分からなくなっている。そんな中でお茶をしようと誘われたら、嬉しいに決まっている。
「母にあんな一面があるとは知りませんでした。息子の名前すら覚えているのか不安だったのに」
「名付け親は誰なんですか?」
「父だと聞いています。母はいろんな案を出したらしいのですが、結局決められなかったみたいで」
「愛情があるから、一つには絞れなかったんだと思います」
「そう思いたいです。あなたは私を幸せにする天才ですね」



 奥から聞こえるシャワーの音を聞きながら、アーサーは読みかけの本を開いた。途中で放り出してしまい、気になって屋敷から持ち出してきたものだ。
 内容は、ガソリンスタンドに寄った恋人同士が、数分間トイレに行って目を離したら、助手席にいた彼女がいなくなっていたというもの。
 捜しに捜してようやく犯人を見つけることができた男は、とんでもない事件に巻き込まれているのだと知る。
 最後は生きたまま棺桶の中に入れられていたという話だ。
 もし自分なら、どうやって大切な人を探すだろうか。
 なりふり構わず動いても見つかりはしない。
 ある程度の目星をつけて海を越える方法もある。
 果てしない数年間だったと、背もたれに体重をかけた。
 大切な人だからこそ、失ったときの絶望感は計り知れない。
 もし、いつか、きっと。起こりもしない出来事を想像しては、確かな約束がほしいと願ってしまう。
 まだシャワーの音が続いている。音にかき消されそうなほど小さな音が、外から聞こえた。
 誰かが扉を叩いている。アーサーは本を閉じた。
 そっと扉を開けると、薄いドレスに身を包み、顔を腫らしたレイラが立っていた。
「アーサーお兄様……」
「どうしたのですか。まさか一人で?」
 付き人がいなかった。あまりよくない道を通ってきたのか、ドレスの裾には葉や土がついている。
 抱きついてくる彼女の肩に手を置き、話すように促した。
「アーサーさん?」
 バスローブ姿のまま、彼方はシャワールームから顔を出した。
「カナ、すみませんがお客様を入れても構いませんか?」
 彼方はすぐに現状を把握し、
「もちろんです。お茶入れますね」
「それと、できれば上に何か羽織るなりして下さい」
「そうですよね、すみません。みっともなくて」
「いいえ、みっともないなどとんでもない」
「すぐに着替えてきます」
 レイラを中に招き入れ、ソファーに座らせた。
 ジャージに着替え戻ってきたままの彼に、
「ちょっと電話してきます」
 と伝えた。
「僕はお茶を入れていますね。紅茶でいいですか?」
「お願いします。あなたの入れる紅茶はとても好きです」
 彼方は照れたように笑い、キッチンへ向かった。
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