霊救師ルカ

不来方しい

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6-帰宅

037 虚言と名言

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 エレベーターの三階で止まり、三階を押そうとしてくれた─実際には押せていないが─目に見えない男性にお礼を言う。
 ちょうど悠が来たところで、入ろうかドアノブに手を掛けている男性と鉢合わせた。今度は透けてもいない、血の通った人間だ。
「ご用でしたか?」
 声をかけると、男は肩を震わせ小さな肩が余計に縮こまった。見覚えのある後ろ姿に、悠は名前を呼んでみた。
「もしかして……翔太君?」
 つい先週会ったばかりの少年だ。武井翔太は悠を見て、ほっとした様子で頭を下げた。
「この前は、ありがとうございました」
「どういたしまして。アンティークショップに用?それとも……ルカさん?」
 少年の視線が揺らめいたのは、動揺の証だ。
「中入ればいいのに」
「でも、緊張しちゃって」
「どうして?」
「だって……あんな綺麗な人、見たことなくて」
「あー……そうだよね」
 悠はうんうんと納得した。悠も田舎で初めてルカを見たとき、天使の存在を疑わなかったほどだ。一人だけ妖艶で煌々としたオーラを放っていた。
「でもルカさんは綺麗とか言われるの、あんまり好まないよ」
「そうなんですか?あんなに綺麗なのに」
「用があるなら普通に聞けば大丈夫だよ。行こう」
 カランカランとベルが鳴り、はたきを掛けていたルカは微笑しながら振り向いた。
「武井さんですね。ようこそ、SHIRAYUKIへ」
「ど、どうも……こんにちは」
 彼の纏う空気が張りつめ、翔太は固まったまま動かなくなった。
「一緒にティータイムはいかがですか?」
「はっはい、喜んで」
 困った笑みを浮かべるルカも、破壊力がある。翔太は紅潮させたまま、さらに硬直してしまった。
 奥の部屋に案内すると、翔太は感嘆のため息を吐いた。お茶をしたり取引場としても使われる部屋は、一切手を抜くことなくアンティークで彩られている。悠にとっては見慣れた部屋だが、改めて見るとシンプルで落ち着きのある部屋だ。
「これ、何の香りですか?何か匂う」
「サンダルウッドです。和名では白檀びゃくだんといいます。リラックス効果と集中力を高める香りです」
「リラックス……?」
 ルカがいると緊張する、と言いたげな顔で、テーブルを凝視する。
 小ぶりのデニッシュが花柄の皿に置かれ、テーブルに三つ置かれた。もちろん冷たいアイスティーもある。
「秋ですので、栗のデニッシュをご用意しました。デニッシュはお好きですか?」
「食べたことないです」
「紅茶と良く合いますよ」
「……甘くて美味しい」
 サクサクの生地に栗のクリームと細かく切られた栗が乗り、アクセントに黒ゴマが利いている。
 緊張が解れてきたところで、ルカは本題に触れた。
「お父上は、こちらにいらっしゃるのをご存知なのですか?」
 翔太はグラスを置き、ルカを見ては目を逸らし、何度か繰り返した。
「では、あなた個人で動いているのですね」
「なんか、頭が変で、本人に聞けば分かるかもしれなくて」
「変とは?」
 ルカは優しく問いただした。悠は黒子に徹している。
「ルカさんが……頭から離れないんです」
 ぴし、と張りつめた空気に変わった。ルカは一笑したまま固まっている。動かなくなったのは悠も同じだ。
「頭から離れないのですか……そうですか」
「寝ても起きてもずっとルカさんがいて、ご飯も食べられなくて、父さんにも何かあったのかって心配された。ルカさんって目に見えないものが見えるんでしょ?だから、何か分かるかもしれないと思って」
「恐らくですが、不調と霊魂の類は関係ないかと」
「そうなの?じゃあなんで……」
 憑かれているとでも思ったのだろう。泣きそうに顔が歪み、助けを求めるように今度は悠にすがった。困惑したままだが、なんとか答えるしかない。いきなりワンピースの少女が現れた。不穏な空気を察したのか、元来た壁をすり抜けて消えてしまった。
「ルカさんに憧れを持っているからだと思います。自分を変えたい気持ちの表れなんじゃないかと」
「夢にまで出てくるんだよ?」
 グラスを持つルカの手が一瞬止まったのを、悠は見逃さなかった。だが気づかないふりをした。
「どんな夢を見るの?」
「は、恥ずかしくていえないよっ」
「恥ずかしいことなの?」
「う、うん……」
 今度はルカが黒子に徹する番だ。残ったデニッシュを綺麗な指先で掴んでいるが、あの大きさではルカの腹は満たされないだろう。冷蔵庫にまだ残りが入っていればいいと、切に願う。
「ルカさんの夢を見ると頭がぼーっとするし、身体もおかしくなるし。どうしたらいいか分からないよ」
 悠は天使とばっちり目が合った。視線の意味は理解した。余計なことは喋るな、である。そして任せきりですみません、とも読み取れた。
「悠さんは、ルカさんのことどう思う?」
「僕に振るの?」
「聞かせてほしいです。ルカさんの夢見たりしますか?」
 悠はもう一度ルカを見る。にっこり笑い、笑顔で誤魔化した感じだ。
「見るよ。ルカさんの夢も見るし、滅多に話さない学校の人の夢も見たりするよ。夢ってそんなもんじゃない?昔のことがいきなり鮮明に映ったり、覚えのない体験をしたり。銃を持った人に追いかけられたこともあったよ。でもなかなかやられなくてさ、そこで目が覚めた」
 未だにルカを見られない視線は、アイスティーに向けたままだ。
「じゃあさ、まっすぐルカさんを見つめてみて。どんな気持ちになるか」
「恥ずかしいよ……」
「そうすれば、少しは謎が解けるかもしれない」
 しどろもどろになりながらも、翔太はルカに視線を送る。だが目が合った瞬間、悠に助け船を求めた。顔が無理だと言っている。
「なるほど。あなたは憑かれています」
 今まで黙してデニッシュを食べていたルカが、ようやくここで口を開いた。今度は悠がグラスに翳した手が止まる。
「疲れてる?」
「疲労という意味ではありません。ようやく姿を現してくれました」
「え、え」
 ルカは足を組み、目を細めながら翔太の後ろを眺めた。
「私とて完璧な人間ではないのですよ。なかなか見えないものも存在しています」
「僕の後ろに、何かいるの?」
「ええ、います。正しくは、いました。妖精です」
 デニッシュがめちゃりと潰れ、指に栗のクリームがついた。綺麗な食べ方とは言えず、だが悠はすべてルカのせいにすることにした。
「あなたに珍しい人種の夢を見るよう、魔法をかけたのです」
「妖精なんて簡単に信じられないよ」
「目に見えないものは、あっさりと信じるべきではありません。ですが私には見えるのです。妖精も、霊も。例えば、今朝あなたは納豆を食べようとして醤油をテーブルに零したことも知っています」
「な、なんで」
「見えるからです。そして、教えてくれました」
「そんな……どんな妖精なの?」
「そうですね……」
 指は唇に置いたまま、数秒押し黙った。
「真っ黒な妖精です」
「妖精って、羽根が生えてて可愛い感じの子じゃないの?」
「さすが知識が広い。ですがそれは本の中の空想世界です。実際の妖精はまるで異なっている」
 まだ成長期に達していない少年は、高めの声で頭を抱えた。
「今日からあなたは私の夢を見ません。悪い妖精は、私が追い払いました」
「本当ですか?」
「ええ、もしかしたらまだ名残があり、稀に見てしまうかもしれません。ですが徐々に回数が減っていきます。間違いありません」
「そうですか……」
「あなたはとても博識で素晴らしい男性です。人に憧れを持つのはあなたの心が成長したがっている証なのです」
 ルカの言葉は悠にもしっかりと刻まれた。虚言と名言を繰り返すルカだが、人を思いやる優しさは人並み以上に備わっている。悠も、何度も救われた。
「私はあなたに賞嘆を向けられ、大変嬉しく思いますよ、武井さん」
 この世のものとは思えないほど美しい顔は、吸い込まれそうなほど美の象徴だった。



 武井翔太がSHIRAYUKIに来てから数日後、ふくよかな身体を揺らしてやってきたのは、父親であるモモコだった。ルカはやっときたか、という顔で一礼する。
「私が来たのもアンタの手の内ってことね」
「ようこそ、武井信長様」
「モモコよ!」
「今回は特別に、悠の入れた緑茶でもてなしましょう。悠、お願いできますか?」
「任せて下さい。最近入れてないから鈍ってるかもしれないですけど」
 玉露の場合は沸騰したてのお湯は使わない、味が均等になるよう注ぎ足す、景森ツネの教えだ。三人分のお茶を入れると、海苔煎餅と共にテーブルに並べた。
「やっぱり緑茶よね」
「紅茶はお嫌いですか?」
 悠は和菓子も勧めながら、モモコに尋ねた。
「コーヒーと紅茶なら、コーヒー派ね」
「覚えておきますね」
「私は忘れました」
「可愛くないわ、本っ当に可愛くないわ」
 しれっと言うルカは、悠の入れたお茶を口につけた。
「大方予想はつきますが、ご用件を伺いましょう」
「息子の翔太のことよ。あの子に何を言ったの?落ち込んで食事も喉を通ってないのよ」
「妖精がついていたので追い払いました、と」
 モモコの眉間にはしわが溜まり、憎々しい顔のまま宙に向けた。
「まったく信じていなかったわ」
「でしょうね。騙せる嘘とは思っておりませんので」
「じゃあなぜ」
「私なりの、意思表示をしたつもりです」
 興奮するモモコとは違い、ルカは落ち着いている。
「一つ、申し上げましょう。性別、年齢、国籍問わず人を愛し、差別をしないという教えを、私は幼少時代から受けております。間接的にノーを表したのは、彼のためでもあります。私はこの国がとても好きという以外に、諸事情があり日本におります。それがある限り、私は人を愛すことはできません」
 きっぱりと、ルカは断言した。
「幸い、あなたの息子さんは私への思いを半分も気づいていないご様子でした。お気づきならば、わざわざアンティークショップへ赴いたりしないでしょう。まだ傷が浅い。あとはいろいろな経験をし、ときには父であるあなたが助け船を出して差し上げて下さい」
 モモコの目にはうっすらと涙が溜まっている。零れないよう、モモコはそっと目を閉じた。
「人を好きになり、愛し返してくれる確率は一体どれほどなのでしょうね」
「アンタは選り取り見取りじゃないの」
「ご冗談を。お茶のお代わりはいかがですか?」
「もう帰るわ。もし翔太がアンタのことをまだ好きだと言うなら、あんな性悪男は止めておけって伝えておく」
「ええ、ぜひそのようにお願い致します」
 最後にお茶のお礼を述べたモモコは、振り返らずにエレベーターの中に入った。
 紅茶缶の中には茶葉がもう入っておらず、悠は新しく缶の蓋を開けた。花の香りが広がるヌワラエリヤは、ストレートで飲むのが一番美味しい。
「空調が強すぎましたね」
「ルカさんがちょっと寒そうにしてたので、あったかい紅茶にしました」
「もしかして、悠はヌワラエリヤが好きなのですか?」
 水色だけで当てるルカは流石である。ゆらゆらと揺れる水面は透き通り、褪せていない。
「どれも美味しいですよ。でもヌワラエリヤとか、ダージリンファースト・フラッシュとか、晴れやかな香りがする紅茶が好みだって最近気づきました」
「覚えておきます」
「翔太君、ちょっと顔色良くなってましたね」
「ええ。ですが今はまだそっとしておくのが良いでしょう。まだ解決したわけではありませんから」
 ニュースでは、虐めではなく傷害事件だと今もまだ取り上げられている。SNSでも犯人捜しが頻繁に行われていた。悠はあえて学校については触れなかった。腫れ物を扱うくらいが、今はちょうどいいと判断した。
「そうだ。妖精って、実際にいると思いますか?」
「私は妖精は見えません。ですが、霊は見えます。妖精が見える人がいても不思議ではありません。日本人が思っている以上に、ヨーロッパでは多くの人が存在を信じていると思いますよ」
「そうなんですか?」
「妖精注意と書かれた看板が立っているくらいですから」
「すごいなあ」
「あなたにも、お見せしたいです」
「ルカさんと一緒に行ったら、きっと楽しいと思います」
 ルカは少し驚いた顔をし、やがて破顔しながらカップを両手で持った。弱められた空調のせいか温かい紅茶のせいかは分からないが、ルカは少し熱を帯びた。
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