霊救師ルカ

不来方しい

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12-真夏の事件簿

063 豪華客船

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 美術鑑定士である早見和成はやみかずなりは、鑑定の仕事を終え一段落息をつき、顧客からの頂き物である菓子箱を開けた。餡のつまった最中は銀座の有名店のものだ。早見は有り難く頂戴する。
 外でバイクが一台止まった。客かと腰を上げるが、郵便局員だった。早見を見つけると頭を下げ、サインがほしいと訴える。
 男が去った後、早見は茶封筒の差出人を確認し、顔をしかめた。
柴田朝次郎しばたあさじろうか……」
 美術鑑定士の集まりで、何度か彼と会った経験があった。若い男子を好む柴田はゴールデンウィーク中も問題を起こしたと、風の噂で早見の耳にも入っていた。彼ほどの男ならば、マスコミに漏れてももみ消せるほど力がある。
「早見さん」
 顔を上げると、珍しい人物がいた。絶世の美男子とでも言うべきか、イタリア出身の美術鑑定士である。名前と出身地以外は謎に包まれた男だが、早見は出身地すら偽りであると知らない。
「随分久しいですね」
「ええ。やはりあなたのところにも届いたのですね」
 狙ったかのようなタイミングのようだ。
「お時間があるのなら上がりますか?最中を頂いたんです」
「お言葉に甘えます。早見さんに、お話があり参りました」
 年齢は聞いたことはないが、十歳以上は離れているたろうと早見は予想する。日本語は日本人より堪能だ。
 温めの緑茶と最中で一息つき、早見は本題を切り出した。
「先ほどの話ですが、ご用件を伺いましょう」
「確認ですが、茶封筒は柴田氏からでよろしいですね?」
「はい。柴田朝次郎からのものです」
「逃げ場のない旅になりますね」
 何か含みのある言い方だった。
「まだ詳しく見ておりませんが、美術鑑定士同士が集まり、親睦を深める交流会と書かれていました。それと切符が一枚」
「私への封筒には、二枚です」
「二枚?」
 訝しみながら師匠の分かと尋ねれば、イタリア人気取りの男は違うと切り替えした。
「早見さん、あなたに頼みがあるのです」
 妖艶な笑みで艶やかな唇が開くと、早見は声が上擦った。



 太陽がアスファルトに惜しげもなく熱を与えているが、今宵は雲に隠れ、豪雨になると携帯端末のニュースが伝えている。風で枝が揺れるたび、止まっていた小鳥たちが一斉に飛び立った。
 信号が赤になり、車が止まった。悠はふとほとりにある池に目を向けた。池には蓮のように葉が水面を覆っている。浅沙あさざは黄色の小さな花が咲き、天候が晴れだと意味していた。これらの花は雨の日は咲かない。
「どうしました?」
 車体の揺れにおとなしくなっていたルカは、外を見つめる悠に声をかけた。少し声が掠れている。
「浅沙が咲いてるんです」
「あの黄色の花ですか?」
「はい」
 ルカは悠に覆い被さり、顔を並べて池を眺めた。
「絶滅危惧種に指定されている花なんですよ」
「そうだったのですか。珍しいものを見ました」
 やがて信号も青に変わり、ルカも元の位置に戻った。
「もう少しで着きますよ」
 柴田朝次郎の従者が、のんびりと口を開いた。リムジンにはルカや悠のほか、美術鑑定士が数名乗っている。久しぶりの再会にワインを飲みながら談笑する者や、一人で雑誌を読む者、ルカのように距離を置く者など様々だ。
「可愛い坊やね」
 宝石で散りばめた指は怪しく光り、本物の輝きを示していた。
「年はいくつ?」
「二十と……少し」
「それなら私と二十近く差がありそうね」
「そうですか」
「ワインは飲める?」
「お酒はあまり」
 ルカと何度か酌み交わしているが、飲めるとは言わなかった。
「無理矢理飲ませるわけにはいかないものね」
「景森悠といいます」
「朝倉コウよ。主に装飾品の鑑定が得意なの。お兄さんは随分と花に詳しいようだけど」
「本で得た知識です」
「まあ、それはすごい。私はてんでダメよ。花だの木だの。花言葉は一つも知りやしないわ」
 真っ赤なルージュを付けた唇がよく動く。悠には見覚えがあった。バラエティー番組で、たまに見かける美術鑑定士だ。間近で見ると妖艶な雰囲気があり、画面越しとはまるで異なる印象を受けた。
「あ」
「どうしました?」
「ルカさんってカサブランカみたいですね。花言葉は壮大な美しさって意味です。しっくりきた。納得」
「ちよっとルカ、何なのこの子」
 噴火まではいかなくとも、眉間に皺を寄せた朝倉はヒステリックな声を上げた。テレビでよく見る姿だ。
「悪気はないのです」
 ルカは喉の奥で笑っている。
「いつもこうなの?」
「たまに」
「何か、気に障りましたか?」
「別に。ああもう、なんでもないわ」
 朝倉はもう一度なんでもないと言い、ワインボトルを傾けた。悠は目の前の女性ではなく、横で目を閉じるルカを眺めた。
 交通量の多い都会から離れた楽園は趣がある。悠は田舎を思い出し、そわそわと落ち着かない気持ちになった。小千鳥こちどりが川の畔で何か口に加えていて、やがて嘴の奥に吸い込まれていった。
「本当に柴田も来るんだろうなあ」
 村田茶一むらたさいちと妻の美代子は寄り添いながら、従者の春日に声を掛けた。
「ええ、朝次郎様はすでにスイートルームでお待ちしていますよ」
「けっ。自分だけかよ」
「皆様はスイートとまではいきませんが、充分すぎるほど広く、バスタブ付きでとても心地良い空間ですよ」
 船は柴田が一からデザインしたもので、今回のクルーズツアーも柴田が企画を立てたものだ。仕事の繋がりがあり、ふたりだけではなく数人の美術鑑定士が招待された。
 高級ホテルと勘違いするほど、世間から隔離された一室だった。ほのかに香る海特有の匂いは、ここは陸地ではないと認識させる。窓から見える景色は瞬きをするたびに景色が変わっていく。
「美術鑑定士に留まらず、いろんな仕事をしているんですね」
「悠は船旅は初めてでしたね」
「はい。おじいちゃんとおばあちゃんは海外で経験があって、よく話は聞いてました」
「不本意ですが、今日の夕食だけは柴田氏と取る手筈になっています。あとは自由です。無料チケットですから、楽しみましょう」
「楽しむって顔じゃないですよ」
「柴田氏の目的がはっきりするまでは油断できません。私の側から離れないように。決して離れないように」
「判りました。でも一緒に探検はしたいです」
「映画館やジムなども完備されています。ひと通り回るのも良い経験でしょう」
 悠はバルコニーへ出て、海を眺めた。水面は見える範囲全てに広がっていて、水鳥が魚を求めて下降していく。見事に嘴で加え、魚の鱗はギラギラと照り輝いている。
「飛んでいるのはウミネコですね」
「カモメと違うのですか?」
「ウミネコは嘴が赤いんです。カモメは渡り鳥で、冬にやってくるんです」
 飛び交うウミネコたちは魚の群れを発見したためか、一定の位置に集まっていた。
「本や映画でありましたよね?こういうの」
 悠は手すりから手を離し、両手を広げた。ルカは後ろから悠のベルトを掴み、落ちないよう支えた。
「歌でも歌うべきですか?」
「それいいですね。ルカさんの歌声好きですし。やっぱりお母さんから学んだんですか?」
「ええ。母がピアノを弾き、私は横で歌を歌う。母はとても喜んでくれました。幸せだった」
「ルカさんのお母さんにぜひ会わせて下さいね」
「……近いうち、必ず」
 口を開けた波が船を巻き込み、小さいながらも飲み込もうと攻撃的に襲ってくる。今回の船旅に不安を抱えるルカの顔は、歪んでいた。

「君も来てくれたんだね。嬉しいよ、悠」
「はあ、どうも」
「ゴールデンウィーク以来だね。この船は気に入ってくれたかな?本当は同じ部屋がいいかと思ったんだが、一緒では緊張してしまうだろう?けれど数日間は一緒なんだ。またこうして夕食を共にしようではないか」
「はあ」
 適当にあしらえ、質問はするな、名前を呼ぶなと柴田対策を口酸っぱく教えられた悠は、はあ、と返すだけに留めた。柔らかなチキンステーキにナイフを入れると簡単に裂け、マッシュドポテトをチキンに乗せた。
「それで、今日私たちを集めたのには理由があるんでしょ?」
 朝倉コウはすでに二杯目のワインに入っている。
「ああ、あるとも。スペインの蚤の市は知っているかね?」
 その場にいた全員が頷いた。ただし悠を除いてだ。
「悠のためにも説明しよう。スペインはアンティークの宝庫で、一般人も購入出来るように蚤の市が開かれるほどだ。そこで、今年は大々的にオークションが開催される」
「ああ……そういやそうだったな」
 村田茶一は興味なさげに呟いた。プライドの高そうな物言いは顔付きに表れていて、リムジンの中でも何かとルカに突っかかっていた。原因は妻の美代子である。ルカに好意を寄せる素振りを見せたために、茶一の態度は徐々に悪化していった。
「皆も欲しいものはあるだろう。そこで、共同戦線を張ろうかと考えている」
「この方々とですか?」
 新井雄一はうんざりと、ワインを煽る。彼はこれで五杯目だ。
「共同戦線とは?」
 早見和成は意見をまずは聞こうと、グラスを置いた。
「欲しい商品をそれぞれ言い合い、他の奴らに買い占めをさせないようにするんだ」
「つまり?」
「特殊なやり方で行うオークションでな、札を掲げるのは一人三回までと決められている」
「なるほど。限界まで出せる金額がお互いに分かれば、手に入る確率も高くなるってわけだ」
「やり方には賛成。けれどメンバーは納得できねえな。ろくに骨董品を判らんような子供は勘弁だ」
 茶一は悠を見ては鼻で笑った。歓迎されていないと察し、恥ずかしくなった悠はそっとフォークを置く。
「同意見です。私もメンバーには賛成致しかねます。懐に入る人数は決まっておりますので、残念ながらその他を入れる余裕はございません。ほぼ初めてお会いする方と組むより、部下と組む方が兎の登り坂だと思いませんか?」
「ルカ、良いこと言うじゃない。私も慣れているメンバーの方がいいわ」
「君たちはどうかね?」
 朝次郎は他の者に目を向けた。
「まあ……別に俺は組んでもいいぜ。欲しいブツもあるしよ」
 茶一が肯定すると、妻の美代子も頷いた。
「自分は遠慮しておきます。店もほとんど一人で切り盛りしていますし、一人の方がやりやすい」
 共同戦線を張るのは柴田朝次郎、村田夫妻、新井雄一だ。元々全員入ると予想していたわけではなく、朝次郎は妥当な人数だと満足げに頷いた。早見は丁重にお断りした。
 デザートのティラミスは、瞬時に平らげたルカにお裾分けをする。
「ルカさんって甘味専用胃袋がありますよね」
「実は、私自身もそのように感じていました。ではそろそろ戻りましょうか」
「そちらのミスター・フロリーディアは寝るようだし、悠は我々とビリヤードでもどうかね?」
「遠慮します。ごちそうさまでした」
 逃げるように立ち去り、ふたりは探索も兼ねて屋上へ上がった。悠は小声でありがとうと呟くが、波や風の音に消されてか、ルカは何の態度も示さなかった。期待に応えるためには、まずアンティークを学ばなければならない。頬を両手で揉み解すと、ルカは小さく笑った。
 屋上はプールであり、回りは多数のベンチがある。クルーはトレーを持ち、飲み物を勧めながら動き回っていた。
 ビリヤード場やスポーツジムなども完備されている。大きなホールでは、昼間はコンサート、夜はダンスパーティーが開かれる。
「ルカさん大変です」
「どうしました?」
「この船、図書館があるみたいです」
「ならば、行きましょうか?」
「はい」
 デッキを降り、クルーに場所を聞いて図書館へ向かった。人はまばらで、部屋以外で落ち着ける場所だ。日本語の本だけではなく、洋書も多く並んでいる。
「何か借りていきますか?」
「ちょっと見たかっただけです。きっと全部読むまで止まらなくなります」
「私も少々見たいので、こちらで過ごしましょうか」
 それなりの広さを誇る図書館内で一旦別れ、手一杯広げても掴めないほど大きな本棚を前に、悠は視線を巡らせた。すでに読破した本もある。
 本棚の裏でことんと床に何かが落ちた音が鳴り、悠は顔を上げた。相手は気づいていない。しゃがんでも角にいる人は気にする素振りを見せず、本を手にしている。利き手で掴むと手を差し出した。
「これ、落としましたよ」
 受け取るというより、その人物は素早く悠の手からむしり取った。顔は本棚の死角になっていて見えない。しかもフードを被っていた。身体のサイズに合っていないパーカーに、白い手袋をした手。男か女かも判らない風貌の人物は、足早に図書館から出ていってしまった。

 ふたりは早々と客室に戻った。悠は探検がてらトイレや風呂のドアを開け、感嘆の息を漏らす。中でも目に付くのは骨董品の数々だ。柴田朝次郎が厳選したもので、趣味の良さと悪さを兼ね揃えた男である。
「このアンティークはいつのものですか?」
 悠は横に広いチェストを指差した。
「一九三〇年代のものですね。材質はマホガニー。英国のアンティークになります」
「SHIRAYUKIでも扱っていますよね。気になってたんです。あんまり中に入らなそうだけど、部屋に置いたらレトロで映えそう。マホガニーってなんですか?」
「赤茶色が特徴の高級木材で、豪華客船や楽器などに使用されてきましたが、今は取引自体難航です。マホガニーを使用した家具は、アンティークでしかほぼ手に入りません。どうしました?」
 アンティークを語るルカに、悠は見守るような視線を向けていた。
「何でもないです。ルカさんのアンティークを語るうんちくは素晴らしいと思ってただけです。僕はアンティークも好きですけど、うんちくを語るルカさんはもっと好きです」
 ルカは沈黙という返事を残し、鞄を持ったままバスルームへ直行した。
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