ノイズの都市

久遠 司

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第2章「くねくね」

第2話 理解した者から壊れる

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その日の夜、最初の入院者が出た。

鷹宮の端末に届いたのは、簡潔な連絡だった。
昼間に訪れた地域の外れに住む男性。四十代。
突然、強い錯乱状態に陥り、意味のない言葉を繰り返しているという。

「……早すぎるな」
鷹宮は画面を見つめた。

久遠は、昼間の映像を何度も巻き戻している。
焦点を外したまま撮影された、遠景の動画。
画面の中央で、何かが揺れている。

「発症までの時間が短すぎる」
久遠は言った。「見た直後、じゃない。**“考えた”直後だ」

「考えた?」

「形を補完しようとした」
久遠は指を止めた。「脳は、曖昧な情報を嫌う。だから勝手に意味を与える。でも——」

「与えた瞬間、壊れる」

久遠は小さく頷いた。



入院先の病院は、郊外にある小規模な施設だった。
夜の廊下は静かで、消毒液の匂いが強い。

「……あの患者です」

医師に案内され、二人は病室の前に立った。
中から、低い声が漏れている。

「……違う……違う……」

ベッドに縛り付けられた男性は、天井を見つめ、ぶつぶつと呟いていた。
その目は、何かを追っているようで、だが焦点が合っていない。

「何を見たんですか」
久遠が、できるだけ穏やかに問いかける。

男性の唇が、ゆっくりと動く。

「……立ってる……細い……長い……」

「顔は?」

その問いに、男性の身体が強く痙攣した。

「——言うな!」

叫び声が、病室に響いた。
医師が慌てて制止に入る。

「……形を言語化しようとすると、症状が悪化します」
医師は汗を拭った。「だから、詳細な聴取ができない」

鷹宮は、病室の隅に目をやった。
壁際のテーブルに、紙とペンが置かれている。

「……描いたんですか」

医師は、苦い顔で頷いた。
紙には、何本もの線が描かれていた。
細く、長く、途中で折れ曲がり、途切れている。

だが——
それ以上の形になっていない。

「完成させる前に、手が止まる」
医師が言った。「何度も同じところで」

久遠は、その紙をじっと見つめた。
視線を合わせすぎないように、慎重に。

「……“完成”を拒否している」
彼は呟いた。

鷹宮が言う。「脳が、自衛している」



病院を出ると、夜風が冷たかった。
遠くで、救急車のサイレンが鳴る。

「……くねくねは、存在そのものがトラップだな」
鷹宮が言った。

「うん」
久遠は歩きながら答える。「“見える”だけなら問題ない。“考える”と、壊れる」

「きさらぎ駅とは逆だ」

「逆だけど、同じ構造だよ」
久遠は足を止める。「どちらも、“噂が情報として完成した瞬間”に発動する」

鷹宮は眉を寄せた。「誰が、こんな噂を広めた」

久遠は、端末のログを表示した。

「……発信源は、見つからない」
彼は言う。「掲示板、SNS、全部バラバラ。でも——」

「でも?」

「言い回しが、似すぎてる」
久遠は画面をスクロールした。「“理解したら終わり”“形を考えるな”……注意喚起の文言まで一致してる」

「噂が、自分で身を守っているようだな」

「あるいは——」
久遠は言葉を選ぶ。「“壊れすぎないように調整されている”」

鷹宮は、その言葉を反芻した。

「……利用価値がある」

久遠は、否定しなかった。



翌日、さらに二人が発症した。
いずれも、同じ場所で、同じ方向を見たという共通点がある。

地図上に、点が増えていく。
線で結ぶと、一本の歪んだ帯になる。

「……電波塔じゃない」
久遠が言った。「もっと古い」

「地形か?」

「いや」
久遠は画面を拡大する。「視界のノイズだ。人の目にとって、処理しにくい背景」

鷹宮は、ふと気づく。「だから、田畑なんだ」

「そう」
久遠は息を吐いた。「情報量が少ない。だから、脳が補完しやすい」

沈黙。

遠くで、風が吹く。
あの日見た、揺れる“形”が脳裏をかすめる。

「……鷹宮」
久遠が、低く言った。

「何だ」

「この噂、
誰かが“見せたい”わけじゃない」

鷹宮は、歩みを止めた。

「……続けろ」

「“理解できないまま、残したい”」
久遠は言う。「だから、理解しようとした人間だけを壊す」

鷹宮は、ゆっくりと頷いた。

「……ノイズを、ノイズのまま保存する装置か」

その時、久遠の端末が震えた。
新しいログが、赤く点灯する。

「……増えた」
久遠が息を呑む。「発症者、さらに一人」

時刻表示が、目に入る。

03:33

鷹宮は、静かに言った。

「……まただな」

くねくねは、まだ終わっていない。
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