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第2章「くねくね」
第1話 見てはいけない形
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その噂には、具体的な名前がなかった。
だからこそ、長く生き残った。
田畑の向こう。
電線の影。
遠くの空。
——細長い何かが、揺れている。
——見たら、駄目だ。
——形を理解したら、終わりだ。
人はそれを、くねくねと呼んだ。
鷹宮探偵事務所に、その言葉が持ち込まれたのは、昼下がりだった。
雨の気配もない、穏やかな午後。前章とは対照的な時間帯だ。
「……精神科からの依頼?」
鷹宮は書類に目を落とした。
久遠が頷く。「正確には、医師個人から。表立って動けないらしい」
依頼内容は単純だった。
短期間に、同じ地域から似た症状の患者が出ている。
・強い不安
・視覚の歪み
・意味のない図形を描き続ける
・共通して、“何かを見た”と言う
「集団ヒステリーだろ」
鷹宮は即座に結論を出す。
「それなら楽なんだけどね」
久遠は端末を操作し、地図を表示した。「発症地点が、妙に揃ってる」
地図上に、いくつかの点が浮かぶ。
郊外。田畑と住宅地の境目。高い建物はない。
「“見える場所”が決まってる」
久遠は言う。「しかも全員、同じ方向を指してる」
鷹宮はペンを回した。「偶然だ」
「偶然にしては、距離が正確すぎる」
久遠は画面を拡大する。「この線……電波塔の配置と一致する」
鷹宮の動きが、一瞬止まった。
「……視覚ノイズか」
「可能性は高い」
久遠は頷く。「特定の角度、特定の距離でだけ発生する視覚的錯誤。脳が“意味のある形”として補完してしまう」
「錯覚だな」
「ただし」
久遠は一拍置く。「“理解したら終わり”という点が、引っかかる」
鷹宮は視線を上げた。「何が言いたい」
「人は普通、見えないものを“理解”しない。
でもこれは、理解しようとした瞬間に壊れる」
沈黙。
「……それが?」
鷹宮は促す。
「“情報”として完成してしまうと、脳が耐えられない」
久遠は低く言った。「まるで——」
言葉を切る。
「まるで?」
「ノイズが、信号に変わる瞬間みたいだ」
鷹宮は何も言わなかった。
⸻
現地は、地図で見た通りの場所だった。
田畑が広がり、遠くに低い山が見える。風が強く、草が波打つ。
「……あれだ」
久遠が指を差す。
遠くの空。電線の向こう。
確かに、何かが揺れている。
細い。
長い。
人のようでもあり、そうでないようでもある。
だが、それ以上の情報が入ってこない。
形が、確定しない。
「見るな」
鷹宮が言った。
「分かってる」
久遠は視線を逸らす。「焦点を合わせない。輪郭を追わない」
それでも、存在感だけが残る。
見えないのに、そこにあると分かる。
「……くねくね、だな」
鷹宮は、背中に嫌な冷えを感じた。
これは、きさらぎ駅の時とは違う。
場所も、時間も、派手な演出もない。
ただ、“形”だけが置かれている。
久遠の端末が、小さく警告音を鳴らした。
「……おかしい」
久遠が眉をひそめる。「脳波じゃない。通信ログでもない。でも——」
「でも?」
「都市のシステムが、ここを“空白”として扱ってる」
鷹宮は、もう一度だけ遠くを見る。
焦点を外したまま。
それでも、分かってしまった。
——あれは、形を持ってはいけない。
理解した瞬間、何かが完成してしまう。
「久遠」
鷹宮は低く言った。
「うん」
「……これは、切り捨てる類のノイズか?」
久遠は、答えなかった。
代わりに、震える息を吐く。
「……分からない。でも」
遠くで、くねくねが、わずかに揺れた。
それは、風のせいではなかった。
「——“見られている”」
その感覚だけが、はっきりと残っていた。
だからこそ、長く生き残った。
田畑の向こう。
電線の影。
遠くの空。
——細長い何かが、揺れている。
——見たら、駄目だ。
——形を理解したら、終わりだ。
人はそれを、くねくねと呼んだ。
鷹宮探偵事務所に、その言葉が持ち込まれたのは、昼下がりだった。
雨の気配もない、穏やかな午後。前章とは対照的な時間帯だ。
「……精神科からの依頼?」
鷹宮は書類に目を落とした。
久遠が頷く。「正確には、医師個人から。表立って動けないらしい」
依頼内容は単純だった。
短期間に、同じ地域から似た症状の患者が出ている。
・強い不安
・視覚の歪み
・意味のない図形を描き続ける
・共通して、“何かを見た”と言う
「集団ヒステリーだろ」
鷹宮は即座に結論を出す。
「それなら楽なんだけどね」
久遠は端末を操作し、地図を表示した。「発症地点が、妙に揃ってる」
地図上に、いくつかの点が浮かぶ。
郊外。田畑と住宅地の境目。高い建物はない。
「“見える場所”が決まってる」
久遠は言う。「しかも全員、同じ方向を指してる」
鷹宮はペンを回した。「偶然だ」
「偶然にしては、距離が正確すぎる」
久遠は画面を拡大する。「この線……電波塔の配置と一致する」
鷹宮の動きが、一瞬止まった。
「……視覚ノイズか」
「可能性は高い」
久遠は頷く。「特定の角度、特定の距離でだけ発生する視覚的錯誤。脳が“意味のある形”として補完してしまう」
「錯覚だな」
「ただし」
久遠は一拍置く。「“理解したら終わり”という点が、引っかかる」
鷹宮は視線を上げた。「何が言いたい」
「人は普通、見えないものを“理解”しない。
でもこれは、理解しようとした瞬間に壊れる」
沈黙。
「……それが?」
鷹宮は促す。
「“情報”として完成してしまうと、脳が耐えられない」
久遠は低く言った。「まるで——」
言葉を切る。
「まるで?」
「ノイズが、信号に変わる瞬間みたいだ」
鷹宮は何も言わなかった。
⸻
現地は、地図で見た通りの場所だった。
田畑が広がり、遠くに低い山が見える。風が強く、草が波打つ。
「……あれだ」
久遠が指を差す。
遠くの空。電線の向こう。
確かに、何かが揺れている。
細い。
長い。
人のようでもあり、そうでないようでもある。
だが、それ以上の情報が入ってこない。
形が、確定しない。
「見るな」
鷹宮が言った。
「分かってる」
久遠は視線を逸らす。「焦点を合わせない。輪郭を追わない」
それでも、存在感だけが残る。
見えないのに、そこにあると分かる。
「……くねくね、だな」
鷹宮は、背中に嫌な冷えを感じた。
これは、きさらぎ駅の時とは違う。
場所も、時間も、派手な演出もない。
ただ、“形”だけが置かれている。
久遠の端末が、小さく警告音を鳴らした。
「……おかしい」
久遠が眉をひそめる。「脳波じゃない。通信ログでもない。でも——」
「でも?」
「都市のシステムが、ここを“空白”として扱ってる」
鷹宮は、もう一度だけ遠くを見る。
焦点を外したまま。
それでも、分かってしまった。
——あれは、形を持ってはいけない。
理解した瞬間、何かが完成してしまう。
「久遠」
鷹宮は低く言った。
「うん」
「……これは、切り捨てる類のノイズか?」
久遠は、答えなかった。
代わりに、震える息を吐く。
「……分からない。でも」
遠くで、くねくねが、わずかに揺れた。
それは、風のせいではなかった。
「——“見られている”」
その感覚だけが、はっきりと残っていた。
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