ノイズの都市

久遠 司

文字の大きさ
4 / 11
第1章「きさらぎ駅」

第3話 次は、きさらぎ

しおりを挟む

鷹宮が掴んだ腕は、確かな重みを返していた。
幻覚ではない。噂でもない。人間だ。

だが、その感触の向こうで、世界の手触りが崩れていく。

音が、消える。
線路の金属音も、風も、遠くの街のざわめきも、すべてが一段ずつ削ぎ落とされる。残るのは、低いノイズだけだった。心臓の鼓動に似た、周期的な振動。

「……閉じたな」鷹宮が言った。

久遠は返事をしない。端末を見つめたまま、唇がわずかに動いている。数式を追う癖だ。言葉よりも先に、構造を掴もうとしている。

宮下蓮は、掴まれた腕を振りほどこうともしない。ただ、線路の奥を見つめている。そこには、光とも影とも言えない“次”が口を開けていた。

「……聞こえるんです」
宮下が言った。
「呼び方が、分かるんです」

「誰が呼んでいる」鷹宮は低く問う。

宮下は少し考える素振りを見せたが、すぐに首を振った。「誰でもない。……みんなです」

「“みんな”?」

線路の脇に立つ人影が、同時に一歩、前へ出た。
数人。いや、もっと多い。数えようとした瞬間、数という概念が曖昧になる。彼らは同じ姿勢で、同じ方向を向き、同じ“待機”をしている。

久遠が、喉の奥で息を呑んだ。

「……噂に反応した人間だけが、ここに集められてる」

「選別だな」鷹宮は言う。「信じる準備が整った人間だけ」

宮下が、微かに笑った。「準備、しましたから」

スピーカーが、再び鳴った。

『——お忘れ物は、ありませんか』

その言葉が、直接、脳に触れる。
“忘れ物”という概念が、頭の中を探り始める。後悔、未練、確認しなかった可能性。置いてきた言葉。

鷹宮の視界が、一瞬、歪んだ。

事務所の壁。
コルクボード。
赤い糸で繋がれなかった資料。

切り捨てたデータ。
無意味だと判断したログ。
合理の名の下に、見なかったことにした異常。

——ノイズ。

「……っ」

歯を食いしばる。
腕の力を強める。

「久遠!」鷹宮が叫んだ。

久遠は顔を上げた。目に、恐怖と興奮が同時に宿っている。

「分かった……!」
彼は早口で言う。「これ、都市放送網じゃない。研究用のプロトコルだ。噂を“信号”として扱う設計……」

「いつの話だ」

「十年前」
久遠は、一瞬、視線を逸らした。「封印されたはずの」

線路の奥で、“次”が拡張する。
人影たちが、同時に歩き出した。

宮下も、前へ進もうとする。

「行くな!」
鷹宮は引き戻そうとするが、足元が揺れる。空間が、選択を迫ってくる。

『——次は、きさらぎ』

アナウンスが、完全な宣告として響いた。

久遠の端末が、赤い警告で埋まった。
同期率、上昇。
都市システムの複数レイヤーが、一瞬だけ重なる。

「……午前3時33分だ」
久遠の声が震える。「都市が、一斉に“隙間”を作る」

鷹宮は即断した。

「切れ」

「でも、完全に遮断したら——」

「今だ!」

久遠は唇を噛み、操作を叩き込んだ。
ノイズが、悲鳴のように跳ね上がる。

瞬間、光が反転した。

世界が、巻き戻される。

——

衝撃。

鷹宮は硬い地面に叩きつけられ、息を吐いた。
次に聞こえたのは、現実の音だった。車の走行音。遠くのサイレン。風に鳴るフェンス。

高架下。
仮設階段はない。
看板も、白線も、消えている。

「……成功、したか?」
久遠が荒い息で言った。

鷹宮は、空になった手を見る。
掴んでいたはずの腕は、そこにない。

「……いや」

地面に、スマホが落ちていた。
画面は割れているが、通知が表示されている。

未送信のメッセージ。

《3:33 きさらぎ
次は——》

鷹宮は、静かに言った。

「事件は終わった。
だが——」

久遠が、言葉を継ぐ。

「“駅”は、消えてない」

——

翌日、宮下蓮は行方不明者として処理された。
事故の可能性。自発的失踪。事件性なし。

噂の話は、記録に残らない。



数日後。
鷹宮探偵事務所。

久遠は新しい端末を机に置き、解析結果を表示していた。

「確定したことがある」
彼は言う。「“3時33分”は、時刻じゃない」

鷹宮は椅子に座る。「続けろ」

「都市システムの更新サイクルだ。通信、放送、電力……全部が一瞬だけ同期する“隙間”」

「そこに、噂が割り込む」

「そう」
久遠は画面を拡大した。「噂が“信号”として扱われる」

鷹宮は机を指で叩いた。「誰が、そんな設計を知っている」

久遠は答えない。
沈黙が、過去を連れてくる。

「……十年前の関係者だ」
ようやく、そう言った。

鷹宮は否定しなかった。

その時、端末が震えた。
新着通知。差出人不明。

《次は、くねくね》

鷹宮は画面を見つめ、短く言った。

「……続き物だな」

久遠は、わずかに笑った。

「歓迎するよ。
“ノイズ”は、まだ山ほどある」

窓の外で、街は何事もなかったかのように動き続けている。
人を運ぶ装置として、正しく。

だが、その隙間で。
噂は、次の行き先を準備していた。

——第1章・了。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アルファポリスとカクヨムってどっちが稼げるの?

無責任
エッセイ・ノンフィクション
基本的にはアルファポリスとカクヨムで執筆活動をしています。 どっちが稼げるのだろう? いろんな方の想いがあるのかと・・・。 2021年4月からカクヨムで、2021年5月からアルファポリスで執筆を開始しました。 あくまで、僕の場合ですが、実データを元に・・・。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

投稿インセンティブで月額23万円を稼いだ方法。

克全
エッセイ・ノンフィクション
「カクヨム」にも投稿しています。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

処理中です...