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14、宝石のような日々
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灯里さんが手術を受けてから一週間が過ぎた。
予後は良好で、灯里さんは無事に三日で一般病棟に移された。
私も蓮人くんも連日お見舞いに行っている。
「灯里さん、こんにちは。調子はどうですか?」
私が病室をたずねると、灯里さんは笑顔で出迎えてくれた。
ちなみに灯里さんは集団部屋ではなく個室で療養している。蓮人くんがお金を支払って、人見知りの灯里さんのために取り計らったらしい。蓮人くんは毎日、灯里さんをよく見舞っているようだった。
「響子さん、こんにちは。もうすっかり良いのよ。最近は病棟の中を散歩もしているの」
「ええっ!? 動いてだいじょうぶなんですか?」
「先生が言うには、むしろ寝たきりのほうが良くないらしくて。体調が良ければ病院の中を歩くようにって言われているのよ」
灯里さんの治療は順調に進んでいるようだ。
私の日々は灯里さんのお見舞い、増宮米店のアルバイト、ボクシングの避け方のトレーニング。そして彩花荘の日々で過ぎ去っていった。
何気ない日常だけど、掛け替えのない日々。
灯里さんが退院した日は、彩花荘でささやかなパーティーも行った。
灯里さんに無理がないように短い時間で、帰りも蓮人くんが送っていった。
九月も半ばに差し掛かったとき、メッセージアプリにお父さんから連絡があった。
緊張して文章を開くと『げぬふきか?』とよくわからないメッセージ……。
「酔ったお前のお父さんが、元気か? って送ろうとしたんじゃないか?」
蓮人くんがそう分析した。確かにそう読めなくはない、のかな。
お父さんは今もお酒浸りの生活を続けているのか……。
心配だ、家に帰ったらまずはお父さんの生活習慣を改めさせなければ。
私は『元気だよ、お父さんも身体を大切にね』と返信を送って眠りについた。
彩花荘での日々を過ごしていたある日、私がお昼ご飯を買いに中央公園のお祭りに出かけると、また公園の隅っこに輪投げ屋さんがあった。
中央公園の中で、この屋台だけは店を出したり消えたりしている。
私はいつものように輪投げに挑戦することにした。
「五十円ね」
相変わらず帽子を目深にかぶったおじさんが言う。
(今日こそは真ん中の棒に引っかけてやるぞ!)
気合いを込めて投げた輪は、見事真ん中の棒にくるりと収まった。
「やっと中心に投げられた! やったぁ!」
「おめでとう、じゃあ商品はこれだ」
おじさんが出したのは、抱えるほどの大きさのぬいぐるみ。
どこかで見覚えがある――。
そう思ったとき、おじさんが目深に被った帽子をおもむろに脱いだ。
そしてその奥には……お父さんの顔があったのだ。
「お父さん!?」
私が大慌てで声を掛けると、おじさんも屋台もすぅっと煙のように消え、私が手渡されたぬいぐるみだけが残った。
(どうしてお父さんが裏御神楽町に……)
お父さんは日々、絶望していたことだろう、というのはわかる。
だけど自宅で酒浸りのお父さんが、どうやって裏御神楽町に来るのか。
「出たり消えたりする屋台に、お父さん……もしかして……」
お父さんは、夢の中でだけ裏御神楽町に来ていたのではないだろうか。
そう考えると、神出鬼没だったこの屋台の有り様も頷けるところがある。
考えてみれば毎回ハズレで渡されたキャンディーもどこか懐かしい味がした。
それに、このぬいぐるみ――。
「私が子供のころ欲しいって言って、結局買ってもらえなかったやつ……」
やっぱり、お父さんは夢の中で裏御神楽町に来ていたのだ。
泡沫の眠りの中で短い時間だけ、この救いのある町にやってきていたお父さん。
胸が痛くなる。九月ももう下旬。もうすぐ私も家に帰るときだ。
名残惜しいけど、私は前に進まなきゃいけない。自分で決めた事。
『二十九日には家に帰るから。時間はちょっとわかんないけど……高校の準備もあるし月が替わる一日前には戻っておこうと思う。お母さんも二十九日に戻る?』
私が夜、メッセージアプリを送るとお母さんからはすぐ返信があった。
『高校のことを考えたらそれが良いわね。じゃあお母さんもその日の夕方くらいに帰るわ。二か月ぶりに会うなんてなんか不思議ね』
文末にはニコッと笑う顔文字のマーク。お母さんは今日もマイペースなようだ。
翌朝、彩花荘の朝食が終わったとき、私はふたりに告げた。
「私、いろいろ悩んだけど二十九日に帰ることにしました」
「響子!? ……そうか、寂しくなるなぁ……もうあとちょっとじゃねーか」
「まぁ、ギリギリまでねばるのがお前らしいな」
灯里さんの家に体調を見に行くときに、灯里さんにも私が現実世界に帰る日を告げ、アルバイトのときに都子さんにも日にちを告げる。
「そんなワケで、急ですけど今月末まででアルバイトのほうも……」
「むしろ、ギリギリまでバイトに付き合ってくれたんねぇ、ありがたいわぁ」
都子さんは笑っていた。
そして、ボーナスだと言っていつもより多めに日給をくれた。
遠慮しようかとも思ったけど、私はありがたく受け取ることにする。
「都子さん、週三日って少ない勤務でしたが、二か月間ありがとうございました!」
「お礼を言うのはこっちよぉ、二か月ゆっくり出来ちゃった。ありがとね。あっちに帰る響子ちゃんが、幸せになれること祈っとるわ」
増宮米店からの帰り道に蓮人くんと合流して、ボクシングの避け方トレーニング。
蓮人くんはいつもより早めのパンチを繰り出してくる。私はそれを教わったことを思い出しながらかわしていった。
その様子を見て、蓮人くんが頷いた。
「上出来だ。こんだけ避けられれば、お前の親父さんの酔っぱらったパンチなんて簡単にかわせるだろ。あとは過度に緊張しすぎないことだな。緊張は身体をこわばらせるだけで、ろくなことがない。まぁ、うまく行くことを願ってるよ」
今日でトレーニングは終了だ、と付け加えた蓮人くんとともに彩花荘に戻る。
遅めの夕食を食べて、食器も片づける。
この食卓も、最初はナスときゅうりとしその浅漬けしかなかったんだっけ。
今じゃそれすら懐かしい。私が作っていたもののレシピは秀男さんに一応伝授しておいたけど――危なっかしかったなぁ。
でもいざとなれば天才である蓮人くんが何か作るだろう。前と違って、調理器具も調味料もあるのだから。
翌日、九月二十八日。私が裏御神楽町で過ごす最後の一日。
私はゆっくりと裏御神楽町を見て回った。
一年中お祭りをしている町。中央公園に足を運ぶ。ずらりと並んだ屋台に、真ん中の出舞台。あそこで太鼓を叩いていた三日間がいまでは懐かしい。
「いろんなことがあった二か月だったな……夢みたい」
夜は定食屋兼居酒屋転々で、秀男さんと蓮人くんがささやかな送別会をしてくれた。
話はもっぱら今までの思い出話ばかり。
出会ったばかりのころのこと。食卓がひどかったこと、トイレ風呂共同に私がショックを受けていたこと、アルバイトやトレーニングのこと――。
ありふれたことばかり話していた気がするけど、そんなありふれた毎日が私には輝かしい宝石のようだったんだ。ふたりの顔を見ながら、私はそう実感した。
帰りは温泉に浸かって帰る。「響子ー! もうあがるぞー!」という男湯から聞こえてくる秀男さんの声。これまた前に温泉に来た時のようで懐かしい。
そんな風に裏御神楽町と彩花荘の思い出を満喫して、私の裏御神楽町での最後の一日が終わりを告げた。布団に横になる。
『私は強い子! 元気な子!』
かつてはおまじないを唱えなきゃ眠りにもつけなかった日々。だけどここに来てからはそんなおまじないもいつの間にか必要なくなった。
私は寂しさを感じながらも、静かに満たされた気持ちで眠りについたのであった。
予後は良好で、灯里さんは無事に三日で一般病棟に移された。
私も蓮人くんも連日お見舞いに行っている。
「灯里さん、こんにちは。調子はどうですか?」
私が病室をたずねると、灯里さんは笑顔で出迎えてくれた。
ちなみに灯里さんは集団部屋ではなく個室で療養している。蓮人くんがお金を支払って、人見知りの灯里さんのために取り計らったらしい。蓮人くんは毎日、灯里さんをよく見舞っているようだった。
「響子さん、こんにちは。もうすっかり良いのよ。最近は病棟の中を散歩もしているの」
「ええっ!? 動いてだいじょうぶなんですか?」
「先生が言うには、むしろ寝たきりのほうが良くないらしくて。体調が良ければ病院の中を歩くようにって言われているのよ」
灯里さんの治療は順調に進んでいるようだ。
私の日々は灯里さんのお見舞い、増宮米店のアルバイト、ボクシングの避け方のトレーニング。そして彩花荘の日々で過ぎ去っていった。
何気ない日常だけど、掛け替えのない日々。
灯里さんが退院した日は、彩花荘でささやかなパーティーも行った。
灯里さんに無理がないように短い時間で、帰りも蓮人くんが送っていった。
九月も半ばに差し掛かったとき、メッセージアプリにお父さんから連絡があった。
緊張して文章を開くと『げぬふきか?』とよくわからないメッセージ……。
「酔ったお前のお父さんが、元気か? って送ろうとしたんじゃないか?」
蓮人くんがそう分析した。確かにそう読めなくはない、のかな。
お父さんは今もお酒浸りの生活を続けているのか……。
心配だ、家に帰ったらまずはお父さんの生活習慣を改めさせなければ。
私は『元気だよ、お父さんも身体を大切にね』と返信を送って眠りについた。
彩花荘での日々を過ごしていたある日、私がお昼ご飯を買いに中央公園のお祭りに出かけると、また公園の隅っこに輪投げ屋さんがあった。
中央公園の中で、この屋台だけは店を出したり消えたりしている。
私はいつものように輪投げに挑戦することにした。
「五十円ね」
相変わらず帽子を目深にかぶったおじさんが言う。
(今日こそは真ん中の棒に引っかけてやるぞ!)
気合いを込めて投げた輪は、見事真ん中の棒にくるりと収まった。
「やっと中心に投げられた! やったぁ!」
「おめでとう、じゃあ商品はこれだ」
おじさんが出したのは、抱えるほどの大きさのぬいぐるみ。
どこかで見覚えがある――。
そう思ったとき、おじさんが目深に被った帽子をおもむろに脱いだ。
そしてその奥には……お父さんの顔があったのだ。
「お父さん!?」
私が大慌てで声を掛けると、おじさんも屋台もすぅっと煙のように消え、私が手渡されたぬいぐるみだけが残った。
(どうしてお父さんが裏御神楽町に……)
お父さんは日々、絶望していたことだろう、というのはわかる。
だけど自宅で酒浸りのお父さんが、どうやって裏御神楽町に来るのか。
「出たり消えたりする屋台に、お父さん……もしかして……」
お父さんは、夢の中でだけ裏御神楽町に来ていたのではないだろうか。
そう考えると、神出鬼没だったこの屋台の有り様も頷けるところがある。
考えてみれば毎回ハズレで渡されたキャンディーもどこか懐かしい味がした。
それに、このぬいぐるみ――。
「私が子供のころ欲しいって言って、結局買ってもらえなかったやつ……」
やっぱり、お父さんは夢の中で裏御神楽町に来ていたのだ。
泡沫の眠りの中で短い時間だけ、この救いのある町にやってきていたお父さん。
胸が痛くなる。九月ももう下旬。もうすぐ私も家に帰るときだ。
名残惜しいけど、私は前に進まなきゃいけない。自分で決めた事。
『二十九日には家に帰るから。時間はちょっとわかんないけど……高校の準備もあるし月が替わる一日前には戻っておこうと思う。お母さんも二十九日に戻る?』
私が夜、メッセージアプリを送るとお母さんからはすぐ返信があった。
『高校のことを考えたらそれが良いわね。じゃあお母さんもその日の夕方くらいに帰るわ。二か月ぶりに会うなんてなんか不思議ね』
文末にはニコッと笑う顔文字のマーク。お母さんは今日もマイペースなようだ。
翌朝、彩花荘の朝食が終わったとき、私はふたりに告げた。
「私、いろいろ悩んだけど二十九日に帰ることにしました」
「響子!? ……そうか、寂しくなるなぁ……もうあとちょっとじゃねーか」
「まぁ、ギリギリまでねばるのがお前らしいな」
灯里さんの家に体調を見に行くときに、灯里さんにも私が現実世界に帰る日を告げ、アルバイトのときに都子さんにも日にちを告げる。
「そんなワケで、急ですけど今月末まででアルバイトのほうも……」
「むしろ、ギリギリまでバイトに付き合ってくれたんねぇ、ありがたいわぁ」
都子さんは笑っていた。
そして、ボーナスだと言っていつもより多めに日給をくれた。
遠慮しようかとも思ったけど、私はありがたく受け取ることにする。
「都子さん、週三日って少ない勤務でしたが、二か月間ありがとうございました!」
「お礼を言うのはこっちよぉ、二か月ゆっくり出来ちゃった。ありがとね。あっちに帰る響子ちゃんが、幸せになれること祈っとるわ」
増宮米店からの帰り道に蓮人くんと合流して、ボクシングの避け方トレーニング。
蓮人くんはいつもより早めのパンチを繰り出してくる。私はそれを教わったことを思い出しながらかわしていった。
その様子を見て、蓮人くんが頷いた。
「上出来だ。こんだけ避けられれば、お前の親父さんの酔っぱらったパンチなんて簡単にかわせるだろ。あとは過度に緊張しすぎないことだな。緊張は身体をこわばらせるだけで、ろくなことがない。まぁ、うまく行くことを願ってるよ」
今日でトレーニングは終了だ、と付け加えた蓮人くんとともに彩花荘に戻る。
遅めの夕食を食べて、食器も片づける。
この食卓も、最初はナスときゅうりとしその浅漬けしかなかったんだっけ。
今じゃそれすら懐かしい。私が作っていたもののレシピは秀男さんに一応伝授しておいたけど――危なっかしかったなぁ。
でもいざとなれば天才である蓮人くんが何か作るだろう。前と違って、調理器具も調味料もあるのだから。
翌日、九月二十八日。私が裏御神楽町で過ごす最後の一日。
私はゆっくりと裏御神楽町を見て回った。
一年中お祭りをしている町。中央公園に足を運ぶ。ずらりと並んだ屋台に、真ん中の出舞台。あそこで太鼓を叩いていた三日間がいまでは懐かしい。
「いろんなことがあった二か月だったな……夢みたい」
夜は定食屋兼居酒屋転々で、秀男さんと蓮人くんがささやかな送別会をしてくれた。
話はもっぱら今までの思い出話ばかり。
出会ったばかりのころのこと。食卓がひどかったこと、トイレ風呂共同に私がショックを受けていたこと、アルバイトやトレーニングのこと――。
ありふれたことばかり話していた気がするけど、そんなありふれた毎日が私には輝かしい宝石のようだったんだ。ふたりの顔を見ながら、私はそう実感した。
帰りは温泉に浸かって帰る。「響子ー! もうあがるぞー!」という男湯から聞こえてくる秀男さんの声。これまた前に温泉に来た時のようで懐かしい。
そんな風に裏御神楽町と彩花荘の思い出を満喫して、私の裏御神楽町での最後の一日が終わりを告げた。布団に横になる。
『私は強い子! 元気な子!』
かつてはおまじないを唱えなきゃ眠りにもつけなかった日々。だけどここに来てからはそんなおまじないもいつの間にか必要なくなった。
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