盲目の公爵令嬢に転生しました

波湖 真

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2巻

2-1

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   プロローグ


「アリシアお嬢様、お時間です」

 私は、幼い頃から世話をしてくれている侍女のケイトの声で目を覚ました。
 目覚めるといっても私は生まれつき盲目で、目は全く見えない。だから今が朝かどうかもケイトに言われなければわからない。

「ありがとう、ケイト」

 私はケイトに声をかけると、勢いよく上半身を起こす。
 私の名前はアリシア・ホースタイン。この世界では公爵令嬢だ。
 不思議ではあるが、生まれた時から前世の記憶がそなわっている。
 前世では、日本に住む十八歳の女の子だった。残念なことに、酷い喘息ぜんそくで人生の大部分をベッドの上で過ごし、若くして死んでしまった。
 でも、今際いまわきわで私は願った! 絶対に生まれ変わってやると!
 そして、見事に転生を果たして今がある。
 ただし、転生先のアリシアは生まれながらに目が見えず、あたふたしたのは言うまでもない。
 そんな想定外なことから始まった第二の人生だったが、生まれ落ちたこの世界は、私にとって素晴らしいものだった。
 私を溺愛できあいする優しい両親に恵まれ、仲の良い幼馴染おさななじみかつ、この国の第五王子カイルとは十歳の時に婚約した。
 私はカイルのことが大好きだし、カイルも同じように思ってくれている。
 更にこの世界には魔法があった。残念ながら目が見えない私は上手く使えないが、確かに魔法は存在する。
 それだけでも私はワクワクが止まらなかった。
 そんな幸せな人生に不穏な出来事が起こり始めたのは、十六歳の時だった。
 カイルが通っていた学校を訪れた際、何者かに襲われたのだ。幸い怪我けがはなかったが、目の見えない私には犯人がわからなかった。
 そんな中、カイルの側近候補だったエミリア・フレトケヒト男爵令嬢と出会った。
 初めは仲良くしてくれたが、次第に私への嫌がらせが始まり、変な噂を流すようになった。
 信じられなかったし、信じたくなかったのだが、日に日にエスカレートしていくエミリアさんの行動に疑問を感じた私は、カイルと協力して彼女を調査した。
 その結果、エミリアさんは私をターゲットに、何かをたくらんでいるらしい。
 更に私は、エミリアさんが私と同じ転生者ではないか? ということにも気が付いてしまったのだ。
 私はカイルに、自分が前世の記憶がある転生者で、エミリアさんも同じではないかと打ち明けることにした。
 カイルが信じてくれるのか不安だったが、彼は私を信じてくれて、共にエミリアさんのたくらみをあばいていくことを約束してくれた。
 それだけで、私の心は軽くなった。
 その後のカイルとの……キスを思い出して、私は思わず頬に手を当てた。

「アリシアお嬢様、お支度の準備が整いました」
「あっ、え、ええ、わかったわ」

 ケイトの声で現実に戻った私は、あわててベッドから起き上がったのだった。



   第一章 アリシアと魔法


   ~・~♦ 公爵とアリシア ♦~・~


 ある日の昼下がり、私とカイルはガゼボで通信機という、前世でいうところの携帯電話のような魔道具を使って、パパさんことホースタイン公爵と連絡を取っていた。
 数秒呼び出すと、すぐに聞き慣れた声が響く。

「アリシアかい⁉」

 パパさんは今、王宮の執務室にいるはずだ。
 相変わらずあわてたように話すパパさんの声を聞いて、私は頬をゆるめる。
 パパさんは私を溺愛できあいするあまり、いつも過剰に心配ばかりしているのだ。

「はい、お父様。アリシアです」

 しばらく沈黙が続いた。

「お父様? 聞こえています? お父様?」
「ああ、ごめんよ。アリシア。お父様はここにいるよ。相変わらず可愛い声で、お父様は感動してしまったよ」
「お父様ったら! お元気でしたか?」
「もちろん元気だよ! 元気が無くても、アリシアの声を聞けば元気になる」
「まぁ、ふふふ」

 私とパパさんのやりとりにしびれを切らしたのか、隣に座っていたカイルが私の肩を少し引いて話し出した。

「公爵、お久しぶりです。カイルです」

 カイルの声を聞いて、パパさんの声が少し低くなる。

「これはこれはカイル殿下、ご無沙汰ぶさたしております。今日は一体何事ですか? ハッ! もしや、またアリシアの身になにかあったんじゃ!」
「お父様! 違いますわ。安心なさって? 今日は、のご報告とご相談がありますの。お時間を頂いてよろしいですか?」
「ああ、わかったよ。三十分くらいなら大丈夫だよ」

 私はパパさんに、マチルダさんとエリックさんが報告してきたことについて話した。
 エリックさんはカイルの側近候補で、学校ではカイルと同じ執行部のメンバーに選ばれている。エリックさんは騎士団長の息子で、伯爵家の三男でもあり、私の友達のマチルダさんとは婚約者同士だ。マチルダさんは騎士団の副団長の娘で、男爵令嬢だ。
 この二人にはエミリアさんの調査で色々助けてもらっていた。

「なるほど、それじゃあエミリア嬢自身が、王都でカイル殿下と自分が仲良くしているという噂と、学校におけるアリシアの悪評の両方を流したということかい?」
「はい。ただ、状況証拠ばかりで物証はございませんの。それに、私はエミリアさんに嫌われてしまったようです。折角せっかく仲良くしてくれたのに……とても残念ですわ」

 エミリアさんとのやり取りを思い出すと心が重くなる。

「アリシア……可哀想に。大丈夫かい?」
「はい、ただ、なぜそんなに私を嫌うのかわかりません。なにかをしようとしているようなんですが……」

 実を言うと私は、エミリアさんが私と同じ転生者だから、私を敵視しているのではと考えている。
 しかし、カイルと相談した結果、私の前世や転生については、まだ両親に話さないことにしたのだ。なんと言っても信じられない話なので、余計な心配をかけたくはなかった。
 私の話を聞き終わると、パパさんは納得したように答える。

「なるほどね。でも、お父様は安心したよ。この前カイル殿下にあの男爵令嬢について相談したとは聞いていたけれど、アリシアが未だに一人でどうにかしようと思っているんじゃないかって心配でね。やはり限界はある。それはそうと、危ないことはしていないだろうね?」
「……はい。もちろんですわ」

 パパさんの心配そうな声に、私は少し考えてから答えた。
 怪我けがもしていないし、襲われてもいないもの。危ないことはしていないわよね。
 すると、パパさんは「しょうがないね」と苦笑して、パンッと手を鳴らした。

「よし! では、これからお父様の報告を始めようかな?」
「「え?」」
「え? じゃないだろう? アリシアが襲われたのに、お父様がなにもせずにいるとどうして思ったんだい? この前の話から、フレトケヒト男爵家について調べてみたんだ」

 まだ完璧ではないがと断ってから、パパさんは今現在わかっている男爵家の動きや思惑について話してくれた。
 フレトケヒト男爵家の成り立ちから最近の成功までをまとめ、その中でも『発明』が世に出てからの動きについて詳しく調査していた。

「というわけで、今や知らない者はないと言っても過言ではないという発明が、フレトケヒト男爵家から生まれ続けているんだ。トランプくらいなら可愛いものだったんだが、やはり通信機を発明したことで貴族内での立場が変わったな。野心のある上級貴族がこぞってフレトケヒト男爵を厚遇こうぐうし始めたんだ」
「お父様、それはなぜですの?」
「勿論、資金が大きいよ。身分は高くとも資金繰りが苦しい貴族は沢山いるからね。今やフレトケヒト男爵はこの国でもかなり上位の資産家だよ」
「……そうなんですね」
「でも、それだけじゃない。今アリシアから聞いた話で、疑念が確信に変わったよ」

 パパさんは硬い声で言った。不思議に思った私は、小首を傾げて尋ねる。

「なにがですか?」
「情報だよ。フレトケヒト男爵家には情報が集まる。そう言われているから更に人が集まり、そしてまた情報が集まる。まるで学校でのエミリア嬢のようだよ。もしかすると、彼女は発明だけではなく、男爵家の運営にも深く関わっているのかもしれないな。だって商人達があがめる程なんだろう? それはすなわちエミリア嬢の側にいればもうかるということさ。確かになにかをたくらんでいても不思議じゃないな」

 パパさんの話を聞きながら、話がドンドン大きくなっていくことに焦りを感じる。
 そうなのだ。それ程この世界における『発明』は人々に影響を与えてしまう。
 確かにエミリアさんは、この世界でなにかをしようとしているけど、それはこの国を変えるような大きなことなのかしら?

「お父様、ちょっとお待ちになって!」

 私は、話を続けようとするパパさんを思わず止めた。

「どうしたんだい? アリシア」

 もし私が、エミリアさんの立場だったら、前世の便利なものをこの世界に広めたいとは思うだろう。
 でも、今までのエミリアさんの言動を考えると、彼女の行動理念はもっと単純な気がする。
 興味本位であったり、自分の好き嫌いであったり、ただただ自慢したくて知識を披露ひろうしているように思える。
 前世ではもっと、もっと、危険で物騒ぶっそうなものが沢山あるのだ。それこそ、じゅうなんて可愛いと思えるようなものがいくつも思い浮かぶ。

「お父様、フレトケヒト男爵はわかりませんが、エミリアさんに関してはもっと単純な目的があるんじゃないかと思いますの」
「それはどうしてだい?」

 私はパパさんに、エミリア・フレトケヒトという人の印象を説明する。

「例えば、お父様がおっしゃる通り、エミリアさんが洗脳やお金で人々を取り込んでいると考えると、今この学校にいる必要はありませんわ。こんな小さな世界どころか、この国の根幹に影響を与えられるんですもの。それなのにエミリアさんはまだ学校にいます。それはこの学校の中でしか成しえないなにかがあるからだと思いますの。それは恋愛であったり、嫉妬しっとであったり、もっと自分本位なもの……」

 その時、ずっと黙っていたカイルがおもむろに口を開いた。

「公爵、今の話を聞いて、そして、実際にエミリアと友人として接していて感じたことを言わせていただきます。まず、第一にエミリアは実家を快く思っていませんでした。なので、エミリアが男爵家を利用するというより、男爵が彼女に固執しているという方がしっくりきます。実家からしつこく連絡が来ると嫌そうにあしらっていましたし。第二にアリシアも言っていましたが、彼女は国を変えるとか、家がどうとか、こころざしを持って行動するというより、もっと目先の欲求に忠実なタイプです」

 カイルが話し終わると、しばし沈黙が訪れる。

「なるほど。君たちはエミリア嬢の目的は未だ学校の範囲内にあると考えているということかな?」
「「はい」」

 パパさんがゆっくりと確認する。その言葉に私とカイルは手をキュッとにぎり合って頷いた。

「わかったよ。では、エミリア嬢については二人に任せる。ただ、今のところ彼女と男爵家は目的を共にしていないかもしれないが、今後はわからない。早めの対処が必要だよ?」

 パパさんは冷静に状況を分析して助言してくれる。すると、今度はカイルが少し考えながら話し出す。

「公爵……。僕に策があるのですが、聞いてもらえますか?」
「なんですか。カイル殿下」
「僕が考えている策は、一度エミリアの思惑に乗ってみるというものです。王都の噂やアリシアへの襲撃、その後の嫌がらせの数々……そこから得られる結果は、僕とアリシアの不仲、もしくはアリシアの失脚にあると思います。それならば、僕達が不仲だと思わせることで、エミリアが次の一手を打つ可能性が高まる。今のままでは、残念ながらエミリアがいつ動くかわかりません。もしこの策が上手くいけば、こちらのわなにはめることも、先手を打つことも可能です」

 私はカイルの言葉に驚き、息を呑んだ。

「なるほど、後手後手になっている現状を変えるということですね」
「はい。そのためには僕からアリシアに婚約破棄、もしくはそれを匂わすようなことをする必要があります。本当に不本意ですが、それが確実だと思います。それをエミリアが信じてくれれば、なんらかの行動を起こすでしょう」

 カイルはそこで一旦言葉を区切り、私の肩をしっかりと抱きしめる。

「アリシア、これは嘘だからね! 僕がアリシアとの婚約を破棄するなんてあり得ないことだからね? 絶対に信じないでおくれよ?」
「わかったわ。でも、あの、カイル、それでエミリアさんが動かなかったらどうなるの?」

 カイルの話を聞いて、そう確認せずにはいられなかった。不安な思いが伝わったのか、彼はヒシッと私を抱きしめた。

「これが失敗したら、次は王都の噂通りに、僕がエミリアに近づいて色々聞き出すのが一番いいと思う。でも、僕はそれだけはしたくない。嘘の婚約破棄や不仲ならなんとか! なんとか! 我慢するけど、僕がアリシア以外に好意を持つ振りだけは絶対にしたくない‼」
「カイル?」

 語気を荒らげ、私をギューギュー抱きしめるカイルに困惑していると、パパさんのため息が聞こえた。

「まぁ、いいでしょう。アリシアが辛い目に遭うのだと思うと、お父様の胸は張りけそうだけれど……アリシアはどうかな? 耐えられそうかい?」
「確かにカイルから婚約破棄されるのは嫌ですわ。でも、今は頑張ります! なんならエミリアさんがおっしゃっていたように、高飛車な令嬢の振りだってできますわ」
「頼もしいね。しかし、突然婚約破棄だと騒いだら不自然かもしれない。カイル殿下、不仲になるきっかけは必要ですよ」
「そうですね。少し考えてみます」

 そうして、私達はパパさんとの通信を終わらせた。 


 数日後、未だに私たちは不仲になるきっかけをつかめずにいる。
 それに最近、なぜだかエミリアさんが私に近寄ってくれなくなってしまった。
 話しかけようと近づくと、彼女の取り巻きの方々がささっとかばってどこかに移動してしまうのだ。
 彼女が本当に転生者なのか確認しようにも、こんな調子で上手くいかず、膠着こうちゃく状態が続いていた。
 そんなことを繰り返し、私はどうしたらエミリアさんと話せるかを考えながら、マクスター先生の補習を受けるためにケイトに手を引かれて教室に向かっていた。
 マクスター先生は魔法学の先生で、パパさんの後輩でもある。パパさんからのお願いで、魔法が使えない私に補習してくれるのだ。

「アリシア嬢」

 突然話しかけられて、私は振り向く。

「えっと、その声はアラミック様ですか?」
「はい、その通りです。アラミックです。しかし、凄いですね。少し声をかけただけで私だとわかったんですね」

 アラミックさんの感心したような声が聞こえて、頬が少し熱くなる。
 彼は隣国からの留学生だ。カイルのお友達でもあり、一緒に執行部を運営している。
 少し軽薄な感じはするが、私がチャリティーイベントをした時に的確なアドバイスをくれたり、サポートしてくれたりした。とても優秀で優しい人なのだ。

「そ、それが目の見えない私には必要な力ですの。当たり前のことですわ」
「いや、それにしても素晴らしいですよ。ところでアリシア嬢は、どちらに行かれるんですか?」
「えっと魔法学のマクスター先生の補習を受けに行くところですの。アラミック様は?」
「私ですか……。まあ、散歩……です」

 歯切れ悪く答えるアラミックさん。少し元気がないみたいだ。

「そうですの? でしたら、教室までエスコートしていただけますか? まだ、教室までの道に慣れていなくて」

 にっこり笑ってそう言うと、アラミックさんは「喜んで」と私の手をスッと引いてくれた。一連の動作はとてもスマートで、手慣れているとすら感じる。


 確かに初めて会った時も、女性の扱いに慣れている感じがしたわね。
 それでも、いつもの少し軽い感じがなく、声も沈んで聞こえたのが気がかりだった。

「アラミック様、お節介せっかいかもしれませんが、なにかありましたの?」
「え?」
「すみません、アラミック様の声に元気がないように聞こえてしまって……。もしなにかお困りでしたら、力になりますわ」
「……では、歩きながら少し話してもかまいませんか?」
「はい」

 そうして、アラミックさんは母国であるラングランド王国の話を、ぽつぽつと語り始めた。
 アラミックさんの国はこの国の北に位置している。
 現在、ラングランド王国が、その更に北にあるウオレイク王国から何度も侵攻を受けているらしい。そのため常に戦時体制を取っていて、治安が悪く、教育も遅れている。
 現に、つい最近もウオレイク王国との戦いで友人が怪我けがをしたという連絡があったということで、アラミックさんは心配だと肩を落としていた。

「そうなんですか……。それは心配ですね。隣国はそんなに政情が不安定なのですか?」
「ええ、残念ながらこの国のような学生生活は夢のまた夢です。そのことも、私が祖国の友人達に申し訳ないと感じるところでもあります。王と王太子が宥和ゆうわ政策などと言わずにもっとしっかりしていれば……」

 アラミックさんが呟いた低い声に違和感を覚えるが、なにが引っ掛かったのかわからず首を傾げる。しかし、その違和感を振り払って、隣国に想いをせた。
 すぐ隣の国がそのような状態だなんて……
 ラングランド王国に暮らす人々を思うと、胸が締めつけられる。

「お気の毒に……。あの……一日も早くお友達が回復されることを祈っております」
「ありがとうございます。一つだけ不躾ぶしつけな質問なんですが、アリシア嬢はカイルに上を目指して欲しくはないのですか?」
「上、ですか?」
「はい。私自身、カイルの優秀さに日々驚いています。それこそ王位を目指してもいいのではないかと思うくらい有能です」
「そうなんですね。ありがとうございます」

 婚約者をめられて嬉しくないわけがない。面映ゆさを覚えつつ、私は素直にお礼を言った。

「……しかし、カイルには野心がない。能力も環境も整っているのに、現状に甘んじているように見えてしまうんです。もちろん公爵位が悪いと言うわけではなく……カイルは王子です。王位を目指さなくていいのでしょうか?」

 私は彼のあまりに真剣な口調に、思わず立ち止まる。

「アラミック様は、カイルが王位を目指すべきだとお考えですか?」
「そういう道もあると考えます」
「でも、カイルは第五王子ですし、臣下として王太子様をお支えすることを楽しみにしていますわ」
「それは、貴女が……。いえ、すみません。今の話は忘れてください。どうも友人からの知らせで混乱しているようです」

 そう言って、アラミックさんは私の手を引いてエスコートを再開した。
 私も困惑してしまい、しばらくお互いの間に沈黙が落ちた。

「アリシア嬢、マクスター先生の教室につきました。余計なことを話してしまい申し訳ありません。カイルはアリシア嬢のような優しい心を持つ婚約者がいて、本当にうらやましい限りですよ。話を聞いてくれてありがとうございました」

 アラミックさんは、私の手の甲にキスを落とすと、そのまま行ってしまった。
 手の甲に触れた彼の唇の冷たさが、なぜだか心をざわつかせた。


「おはようございます」

 私は気を取り直して教室のドアを開けた。

「アリシア! 遅かったじゃないか。今、迎えに行こうかと思っていたところなんだよ」
「おはようございます。アリシア嬢」

 教室には既にカイルとマクスター先生が待っていた。カイルは私の側に近寄り、両手を柔らかく包み込む。

「カイル、ごめんなさい。少し遅れてしまったのね」

 なんとなくアラミックさんについては言わない方がいい気がして、遅れたことだけを謝った。きっとアラミックさんも、あんなに気落ちした様子をカイルには知られたくないだろう。

「いや、アリシアが無事なら構わないよ」
「アリシア嬢も来たことですし、早速補習を始めましょう。今日も前回の続きで魔力を外に出して、魔法を発現させる練習をしましょう」
「はい。わかりました」

 本当は私一人で補習を受けるはずだったのだけど、カイルにこの件を話したら、一緒に行くと言って聞かなかったのだ。マクスター先生に相談すると、「女性の理想は父親だと言いますしね」と笑って認めてくれた。台詞せりふの意味については、深く聞かないことにした。

「うー、えい!」
「アリシア。そんなに力まないで」
「アリシア嬢! 何度言ったらわかるんですか‼ 魔法は内なる力を使うのです! 声の大きさは関係ありません!」

 カイルの優しい声と、意外と厳しいマクスター先生の声が教室に響く。
 マクスター先生は魔法が絡むと人が変わる。
 私のように生活魔法さえ使えない生徒は初めてらしく、どうにかして魔法を発現させようと躍起やっきになっているみたい。
 先生が言うには、私の中に魔力は有り余るほどあるらしい。だが、その魔力は体の中を駆け巡るのみで、ちっとも発現しなかった。
 私は、今度は声は出さずに、えいっと気合を入れる。うんともすんとも変化のない状況に、先生もカイルも困っているようだ。

「先生。本当にアリシアは魔法が使えるようになりますか? 全然使えそうには見えないのですが……」
「おかしいですね。文献によれば、病気や怪我けがで盲目となった場合は、その後もそのまま魔法を使えるそうですよ。勿論、生まれつき目が見えないアリシア嬢には、当てはまらないですが……私は成功させたいです」

 先生は、絶対私を実験の被験者と見ていると思ったが、声には出さずにため息を吐く。

「アリシアお嬢様。大丈夫でございますか? 少しお休みさせていただきましょう」

 ずっと側で控えていたケイトが、すかさず私の頬に冷たいタオルを当てて、椅子のある方に誘導してくれる。困り果てた私は、ケイトにも魔法について聞いてみた。
 いつも息をするように魔法を使っているケイトなら、なにか気付いているかもしれない。

「ねぇ、ケイト。貴女はなんでだと思う?」
「アリシアお嬢様の魔法が、発現しない理由でございますか?」
「ええ、魔法の概念は理解したし、先生がおっしゃるには魔力もあるようだし、すぐに使えそうなのに。やっぱり目が見えないとダメなのかしら?」
「お嬢様……。私の私見でよろしいでしょうか?」

 落ち込む私を見かねたように、ケイトが話し始める。


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