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五年前。
まだルシャードの兄ディアークが即位する以前、ルシャードが王弟ではなく第二王子と呼ばれていた頃に遡る。
二十三歳の俺は王都の外れで両親と兄と一緒に暮らしていたが、オメガなのに未だに発情期の気配がなく、仄かに恋心を抱いていた幼馴染が結婚したことがきっかけとなり、ベータと偽り宮廷で働くことを決心した。
そして、今日。
その望み通り王族付き事務官の試験に見事合格し、はじめて王宮の中に足を踏み入れたのだった。
俺は護衛兵の案内に従って、宮廷内部に進む。
着慣れない文官の制服の襟元を意味もなく触った。
俺が身にまとっているのは白シャツと膝丈のダークグレーの上着。
その上にマントを羽織っている。
護衛兵の背中を追って一際大きな建造物に入る。
俺は天井の高さに圧倒されながら、落ち着いた青い絨毯の長い回廊を歩いた。
ここがアンゼル王国の中枢となる政務宮だ。
固唾を飲み込む。
俺はベータだと偽りの申請をしていた。
これからは誰にもオメガだと悟られてはいけない。
発情期という不利な要素のあるオメガが、文官に採用されることなど本来ないのだから。
――用心しなくては。ここはアルファだらけだ。
オメガの特徴ともいえる可憐な容姿でもない俺は、平凡なベータにしか見えないはずだ。
十歳のバース検査でオメガだという判定に一番驚いたのは、俺自身だったではないか。
発情期のない俺はフェロモンの匂いもしないから、誰にも疑われずに過ごせるはずだ。
護衛兵がひとつの扉の前で立ち止まると、「こちらになります」と言い残し廊下を引き返して行ってしまった。
取り残された俺は、着衣に乱れがないことを確認してから、目の前の扉を控えめにノックする。
扉が開いて現れた男と目が合った。
四角い顔に赤茶色の髪で、歳は俺よりも十は歳上だろう。
同じ文官の制服を着用している。
俺は緊張しながら挨拶をした。
「新しく事務官として参りましたマイネ・オズヴァルドです。よろしくお願いします」
「第二王子殿下の秘書官をしてるハンです。君には今日から第二王子ルシャード殿下の事務官をしてもらう。さあ、入って」
室内にはハンと名乗った人間の男ひとりだけだった。
部屋の中央に簡素な机が並び、左側の壁一面には天井まで届く書棚がある。
右側の壁には入ってきた扉とは別の扉があった。
「そっちの扉がルシャード殿下の執務室の前室と繋がってるんだ。もしかして緊張してる?」
「はい」
俺は素直に頷いた。
第二王子のルシャードは、氷のように冷たいと聞いたことがなる。
「緊張するのはまだ早いよ。殿下は先ほど外に出られてしまったから、紹介はあとになるから。とりあえず王宮内を案内しよう」
そう言って渡された用紙は、宮廷の地図。
俺は現在地を探すけれど、全然わからない。
ようやく第二王子執務室と記入された箇所を見つけ出した。
ここは政務宮の奥まった場所にあるようだ。
早速、ハンに連れ出されて、あちこちと歩き回った。
食堂に資料室に会議室と案内されるが、政務宮だけで驚くほどの広さだった。
地図があっても迷子になりそうだ。
建物内をひと通り案内されると「次は外に行くよ」とハンが言って、政務宮の外へと繋がる扉を開ける。
そこに広がっていたのは中庭だった。
生い茂った草木の匂いが鼻腔をくすぐり、噴水の心地よいせせらぎを耳にする。
俺はほっと息をつく。
「気持ちのいいところですね」
「歩き疲れたから、ちょっと休憩しようか」
ハンが白いベンチに座り、俺も隣に腰を下ろした。
植物にそれほど詳しくない俺でも、奥まで続く中庭が自然な形を残しつつ綺麗に整えられているとわかる。
鳥の鳴き声が聞こえた。
その姿を探して、頭上に視線を彷徨わせると、通りすぎる男と目が合う。
肩に届きそうな銀色の髪で、優しげな笑みを覗かせている男だ。
細めた目の色は濃い緑がかった青。
簡素だが一目で高級だとわかる装いは身分の高さを示している。
立ち上がって挨拶をするハンに俺も倣った。
「見かけない顔だね。誰?」
男に問われ、俺は名乗る。
「今日からルシャード殿下の事務官をつめますマイネ・オズヴァルドです」
「兄上の事務官か?」
その言葉で、男が第三王子のオティリオだと知れた。
確か俺と同じ年齢だったはずだ。
「今度の事務官は長く続くといいね」
オティリオが意味ありげに言うと、ハンが苦笑する。
俺が十一月と半端な時期に採用されたのは、ふたりから察するに前任がすぐに辞めたか辞めさせられたかに違いない。
「兄上には、もう会った?」
そう訊かれた俺は首を横に振りながら「いいえ」と答えた。
「そうか。会ってみればわかると思うけど、兄上はちょっと気難しいところがある。でも誰に対してもそうだから気に病むことはないから」
どう返事をしたらよいものか俺が戸惑っていると、ハンが口を開いた。
「ルシャード殿下に紹介する前から、そのようなことを仰らないでください」
「これぐらい言っておいたほうがいいって。じゃあ、またね」
オティリオは軽快に去っていく。
俺がベンチに座り直すと、ハンが説明した。
「第三王子のオティリオ殿下だよ。気さくな方で今みたいに気軽に声をかけてくださる。ルシャード殿下には兄がひとりと弟がふたりいらっしゃって、その中で唯一の人間なのがオティリオ殿下になる」
「四人ともアルファなんですよね?」
「そうだよ」
生まれつき才能に恵まれたアルファの四人の王子。
第一王子はすでに結婚して子もいるが、他の王子はまだ未婚だったはずだ。
もし万が一、俺に発情期がきたとしたら、王子たちにだけは接近しないようにしよう、と心の中で硬く誓った。
俺は無意識にうなじに手を伸ばす。
ベータと偽っている俺は、もちろんネックガードなどしていない。
まだルシャードの兄ディアークが即位する以前、ルシャードが王弟ではなく第二王子と呼ばれていた頃に遡る。
二十三歳の俺は王都の外れで両親と兄と一緒に暮らしていたが、オメガなのに未だに発情期の気配がなく、仄かに恋心を抱いていた幼馴染が結婚したことがきっかけとなり、ベータと偽り宮廷で働くことを決心した。
そして、今日。
その望み通り王族付き事務官の試験に見事合格し、はじめて王宮の中に足を踏み入れたのだった。
俺は護衛兵の案内に従って、宮廷内部に進む。
着慣れない文官の制服の襟元を意味もなく触った。
俺が身にまとっているのは白シャツと膝丈のダークグレーの上着。
その上にマントを羽織っている。
護衛兵の背中を追って一際大きな建造物に入る。
俺は天井の高さに圧倒されながら、落ち着いた青い絨毯の長い回廊を歩いた。
ここがアンゼル王国の中枢となる政務宮だ。
固唾を飲み込む。
俺はベータだと偽りの申請をしていた。
これからは誰にもオメガだと悟られてはいけない。
発情期という不利な要素のあるオメガが、文官に採用されることなど本来ないのだから。
――用心しなくては。ここはアルファだらけだ。
オメガの特徴ともいえる可憐な容姿でもない俺は、平凡なベータにしか見えないはずだ。
十歳のバース検査でオメガだという判定に一番驚いたのは、俺自身だったではないか。
発情期のない俺はフェロモンの匂いもしないから、誰にも疑われずに過ごせるはずだ。
護衛兵がひとつの扉の前で立ち止まると、「こちらになります」と言い残し廊下を引き返して行ってしまった。
取り残された俺は、着衣に乱れがないことを確認してから、目の前の扉を控えめにノックする。
扉が開いて現れた男と目が合った。
四角い顔に赤茶色の髪で、歳は俺よりも十は歳上だろう。
同じ文官の制服を着用している。
俺は緊張しながら挨拶をした。
「新しく事務官として参りましたマイネ・オズヴァルドです。よろしくお願いします」
「第二王子殿下の秘書官をしてるハンです。君には今日から第二王子ルシャード殿下の事務官をしてもらう。さあ、入って」
室内にはハンと名乗った人間の男ひとりだけだった。
部屋の中央に簡素な机が並び、左側の壁一面には天井まで届く書棚がある。
右側の壁には入ってきた扉とは別の扉があった。
「そっちの扉がルシャード殿下の執務室の前室と繋がってるんだ。もしかして緊張してる?」
「はい」
俺は素直に頷いた。
第二王子のルシャードは、氷のように冷たいと聞いたことがなる。
「緊張するのはまだ早いよ。殿下は先ほど外に出られてしまったから、紹介はあとになるから。とりあえず王宮内を案内しよう」
そう言って渡された用紙は、宮廷の地図。
俺は現在地を探すけれど、全然わからない。
ようやく第二王子執務室と記入された箇所を見つけ出した。
ここは政務宮の奥まった場所にあるようだ。
早速、ハンに連れ出されて、あちこちと歩き回った。
食堂に資料室に会議室と案内されるが、政務宮だけで驚くほどの広さだった。
地図があっても迷子になりそうだ。
建物内をひと通り案内されると「次は外に行くよ」とハンが言って、政務宮の外へと繋がる扉を開ける。
そこに広がっていたのは中庭だった。
生い茂った草木の匂いが鼻腔をくすぐり、噴水の心地よいせせらぎを耳にする。
俺はほっと息をつく。
「気持ちのいいところですね」
「歩き疲れたから、ちょっと休憩しようか」
ハンが白いベンチに座り、俺も隣に腰を下ろした。
植物にそれほど詳しくない俺でも、奥まで続く中庭が自然な形を残しつつ綺麗に整えられているとわかる。
鳥の鳴き声が聞こえた。
その姿を探して、頭上に視線を彷徨わせると、通りすぎる男と目が合う。
肩に届きそうな銀色の髪で、優しげな笑みを覗かせている男だ。
細めた目の色は濃い緑がかった青。
簡素だが一目で高級だとわかる装いは身分の高さを示している。
立ち上がって挨拶をするハンに俺も倣った。
「見かけない顔だね。誰?」
男に問われ、俺は名乗る。
「今日からルシャード殿下の事務官をつめますマイネ・オズヴァルドです」
「兄上の事務官か?」
その言葉で、男が第三王子のオティリオだと知れた。
確か俺と同じ年齢だったはずだ。
「今度の事務官は長く続くといいね」
オティリオが意味ありげに言うと、ハンが苦笑する。
俺が十一月と半端な時期に採用されたのは、ふたりから察するに前任がすぐに辞めたか辞めさせられたかに違いない。
「兄上には、もう会った?」
そう訊かれた俺は首を横に振りながら「いいえ」と答えた。
「そうか。会ってみればわかると思うけど、兄上はちょっと気難しいところがある。でも誰に対してもそうだから気に病むことはないから」
どう返事をしたらよいものか俺が戸惑っていると、ハンが口を開いた。
「ルシャード殿下に紹介する前から、そのようなことを仰らないでください」
「これぐらい言っておいたほうがいいって。じゃあ、またね」
オティリオは軽快に去っていく。
俺がベンチに座り直すと、ハンが説明した。
「第三王子のオティリオ殿下だよ。気さくな方で今みたいに気軽に声をかけてくださる。ルシャード殿下には兄がひとりと弟がふたりいらっしゃって、その中で唯一の人間なのがオティリオ殿下になる」
「四人ともアルファなんですよね?」
「そうだよ」
生まれつき才能に恵まれたアルファの四人の王子。
第一王子はすでに結婚して子もいるが、他の王子はまだ未婚だったはずだ。
もし万が一、俺に発情期がきたとしたら、王子たちにだけは接近しないようにしよう、と心の中で硬く誓った。
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