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29 マイネの宝物
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俺の長い話を、ゲリンは口を挟むことなく、ただ黙って聞いていた。
「それで俺は王都を逃げ出した。でも気づいたら、王女殿下を出迎えるルシャード殿下を追いかけるみたいに、アプト領に向かっていたんだ。王女と一緒にいるルシャード殿下を見たくないっていう気持ちも強かったけど……それ以上に未練があったのかな。最後に姿を見たいって」
過去の記憶を辿っていると、王宮を飛び出した日のことが昨日のように鮮明に蘇り、あのときの悲しみに襲われそうになった。
俺は宰相のミラに無茶な願いを頼んだあと、寄宿舎の自室に必要なものだけ取りに戻った。
そして一歩足を踏み出そうとしたとたん、本当にこれでいいのかと自問してしばらく動けなくなった。
明日になるのを待ってみようかとも、一瞬だけ思った。
だが、俺は身を隠すように王宮を飛び出し、捜しだされてしまわないように目立たないように王都を移動したのだ。
「途中で、ルシャード殿下と会えなかったのか?」
ゲリンがおもむろに口を開き、俺は小さく首を振った。
「王女らしき人にも会えなかった。そのあとは、もうゲリンが知っての通りだよ。アプト領に着いた俺は、ひとりでカスパーを産んで育てた」
妊娠中は、ルシャードの子が腹にいるのだと考えるだけで心が満たされて嬉しかった。
はじめての発情期でカスパーを授かった。
俺は発情期が終わった直後に、カスパーの妊娠をどこかで直感していたのかもしれない。
「それで、昨日は殿下とどんな話をしたんだ?」
ゲリンにそう訊かれ、過去のルシャードから再会したルシャードの姿が重なる。
「どうして王都を離れたのかって聞かれたけど、理由は当然言えなかった……」
「ルシャード殿下はマイネをずっと捜してたんじゃないのか?」
「うん。そうみたいだ」
ルシャードは、なぜ四年半も死んだはずの俺を捜していたのかわからない。
宰相のミラから真実を聞いてたのだろうか。
昨日、俺をオメガだと気づいていたとルシャードが言ったことを、不意に思い出す。
だとしたら、あの日あの症状をすぐに発情期だとわかったはず。
それを承知しながら、俺を金ノ宮に運んだということか?
ルシャードにとっては、一時の過ちでしかない行為だったのだろうか。
発情期に金ノ宮で過ごした四日間、途切れた記憶が多い。
その中に答えがあるのかもしれない。
「よかったじゃないか。マイネも会いたかったんだろ」
ゲリンは俺の背中を軽く叩きつつ、優しい口調で言った。
その通りだ。ずっと会いたかった。
四年半の間、ルシャードを忘れたことなどなかった。
しかし俺は素直に頷けない。
「でも、殿下には――」
ルシャードは結婚が決まっていた。
白紙になったとは思えないのだ。
「ガッタの王女のことなんだが、ずいぶん前にガッタの商人から結婚したと聞いたことがある」
ゲリンの言葉に俺は驚く。
「本当に?」
「あぁ。それに、四年半前も俺はアプト領主の護衛をしていたが、当時ガッタの王女がアプト領に来たことはなかった」
「そんなはずない。俺は確かに聞いたんだ。ゲリンが知らなかっただけだろ」
「それが本当なら、必ず俺の耳に入ったと思う。王女のように身分の高い方が、アプト領で宿泊するなら領主館しかないし、アプト領を通るだけだとしても領主様に連絡ぐらいあるはずだ。そしたら護衛の俺に伝えられないはずないだろ」
「極秘だったから」
「でも……おかしいだろ? マイネはおかしいとは思わなかったのか?」
「……ちょっとは思ったけど」
あの朝、ルシャードは俺のこめかみに口づけを落として、王女を出迎えに行った。
今後の話を、明日しようと言い残して。
どうして、ルシャードは婚姻の話を一切してくれなかったのかと何度も考えた。
「明日、エモリー院長に確認してみないか?」
ゲリンがそう言うのと同時に、玄関扉が開く音がした。
「ただいま!」
カスパーの元気な声が室内に響く。
俺が「おかえり」と返すと、カスパーは尻尾を揺らしながら駆け寄る。
「おとうさん、へいき、なった?」
カスパーの金色の髪を撫でると、背後の尻尾が弧を描くように勢いよく揺れた。
カスパーは、俺の宝物だ。
その宝物を与えてくれたルシャードには感謝している。
「もう大丈夫だ」
今回の発情期は、前回の発情期から一ヶ月しか間隔が空いていなかった。
しかも抑制剤も効かないという異例なものだった。
原因として考えられるのは、ルシャードと再会したことぐらいか。
ルシャードのフェロモンは、俺の発情を促すのかもしれない。
「おとうさん。て、だして」
カスパーが、俺の手の中にころんと小さな玉を転がす。
「飴?」
「うん。エモリーせんせいに、もらった。にこ、あるから、おとうさんも、どうぞ」
カスパーが笑うと、愛おしさが胸に満ちた。
歯を噛み締める。カスパーだけは何としても手放さない。
「ありがとう」
俺はルシャードに似たカスパーをそっと抱きしめた。
『一緒に王都に帰らないか』
そうルシャードに言われたが、カスパーと暮らす俺の答えは決まっている。
ルシャードに似たカスパーを王都に連れて行くことはできない。
引き離されてしまうかもしれないのだから。
「それで俺は王都を逃げ出した。でも気づいたら、王女殿下を出迎えるルシャード殿下を追いかけるみたいに、アプト領に向かっていたんだ。王女と一緒にいるルシャード殿下を見たくないっていう気持ちも強かったけど……それ以上に未練があったのかな。最後に姿を見たいって」
過去の記憶を辿っていると、王宮を飛び出した日のことが昨日のように鮮明に蘇り、あのときの悲しみに襲われそうになった。
俺は宰相のミラに無茶な願いを頼んだあと、寄宿舎の自室に必要なものだけ取りに戻った。
そして一歩足を踏み出そうとしたとたん、本当にこれでいいのかと自問してしばらく動けなくなった。
明日になるのを待ってみようかとも、一瞬だけ思った。
だが、俺は身を隠すように王宮を飛び出し、捜しだされてしまわないように目立たないように王都を移動したのだ。
「途中で、ルシャード殿下と会えなかったのか?」
ゲリンがおもむろに口を開き、俺は小さく首を振った。
「王女らしき人にも会えなかった。そのあとは、もうゲリンが知っての通りだよ。アプト領に着いた俺は、ひとりでカスパーを産んで育てた」
妊娠中は、ルシャードの子が腹にいるのだと考えるだけで心が満たされて嬉しかった。
はじめての発情期でカスパーを授かった。
俺は発情期が終わった直後に、カスパーの妊娠をどこかで直感していたのかもしれない。
「それで、昨日は殿下とどんな話をしたんだ?」
ゲリンにそう訊かれ、過去のルシャードから再会したルシャードの姿が重なる。
「どうして王都を離れたのかって聞かれたけど、理由は当然言えなかった……」
「ルシャード殿下はマイネをずっと捜してたんじゃないのか?」
「うん。そうみたいだ」
ルシャードは、なぜ四年半も死んだはずの俺を捜していたのかわからない。
宰相のミラから真実を聞いてたのだろうか。
昨日、俺をオメガだと気づいていたとルシャードが言ったことを、不意に思い出す。
だとしたら、あの日あの症状をすぐに発情期だとわかったはず。
それを承知しながら、俺を金ノ宮に運んだということか?
ルシャードにとっては、一時の過ちでしかない行為だったのだろうか。
発情期に金ノ宮で過ごした四日間、途切れた記憶が多い。
その中に答えがあるのかもしれない。
「よかったじゃないか。マイネも会いたかったんだろ」
ゲリンは俺の背中を軽く叩きつつ、優しい口調で言った。
その通りだ。ずっと会いたかった。
四年半の間、ルシャードを忘れたことなどなかった。
しかし俺は素直に頷けない。
「でも、殿下には――」
ルシャードは結婚が決まっていた。
白紙になったとは思えないのだ。
「ガッタの王女のことなんだが、ずいぶん前にガッタの商人から結婚したと聞いたことがある」
ゲリンの言葉に俺は驚く。
「本当に?」
「あぁ。それに、四年半前も俺はアプト領主の護衛をしていたが、当時ガッタの王女がアプト領に来たことはなかった」
「そんなはずない。俺は確かに聞いたんだ。ゲリンが知らなかっただけだろ」
「それが本当なら、必ず俺の耳に入ったと思う。王女のように身分の高い方が、アプト領で宿泊するなら領主館しかないし、アプト領を通るだけだとしても領主様に連絡ぐらいあるはずだ。そしたら護衛の俺に伝えられないはずないだろ」
「極秘だったから」
「でも……おかしいだろ? マイネはおかしいとは思わなかったのか?」
「……ちょっとは思ったけど」
あの朝、ルシャードは俺のこめかみに口づけを落として、王女を出迎えに行った。
今後の話を、明日しようと言い残して。
どうして、ルシャードは婚姻の話を一切してくれなかったのかと何度も考えた。
「明日、エモリー院長に確認してみないか?」
ゲリンがそう言うのと同時に、玄関扉が開く音がした。
「ただいま!」
カスパーの元気な声が室内に響く。
俺が「おかえり」と返すと、カスパーは尻尾を揺らしながら駆け寄る。
「おとうさん、へいき、なった?」
カスパーの金色の髪を撫でると、背後の尻尾が弧を描くように勢いよく揺れた。
カスパーは、俺の宝物だ。
その宝物を与えてくれたルシャードには感謝している。
「もう大丈夫だ」
今回の発情期は、前回の発情期から一ヶ月しか間隔が空いていなかった。
しかも抑制剤も効かないという異例なものだった。
原因として考えられるのは、ルシャードと再会したことぐらいか。
ルシャードのフェロモンは、俺の発情を促すのかもしれない。
「おとうさん。て、だして」
カスパーが、俺の手の中にころんと小さな玉を転がす。
「飴?」
「うん。エモリーせんせいに、もらった。にこ、あるから、おとうさんも、どうぞ」
カスパーが笑うと、愛おしさが胸に満ちた。
歯を噛み締める。カスパーだけは何としても手放さない。
「ありがとう」
俺はルシャードに似たカスパーをそっと抱きしめた。
『一緒に王都に帰らないか』
そうルシャードに言われたが、カスパーと暮らす俺の答えは決まっている。
ルシャードに似たカスパーを王都に連れて行くことはできない。
引き離されてしまうかもしれないのだから。
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