池に落ちて乙女ゲームの世界に!?ヒロイン?悪役令嬢?いいえ、ただのモブでした。

紅蘭

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惨劇

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目が覚めた時は窓の外が変に明るかった。そして、騒がしかった。飛び起きてクリスのベッドへと視線を向けると、そこにはクリスの姿は見えない。

乱れた髪を整える暇もなく、私はとりあえず部屋を出た。部屋の外にも誰の姿もない。だけど下からは騒がしい声が絶えず聞こえる。

恐怖と興奮が入り混じった声。女子の声も男子の声も。全力で階段を駆け下りる。もはや走っているのか落ちているのか自分でも分からないくらい動揺していた。

階段を下りる途中ですら嫌なにおいがしていた。それが本当に匂っていたのかは分からない。だけどどうしようもなく気分が悪かった。

声の聞こえる方、そこは食堂だった。寮の中で一番広い場所。

そこに皆はいた。一番最初に飛び込んできたのは赤、だった。真っ赤な血。何人、何十人もの生徒が横たわり、うめいていた。倒れていない他の子達はバタバタと忙しなく動いていた。


「何、これ……」


呆然とそう呟く。それだけで精いっぱいだった。頭の中が空っぽになって考えることができない。私の寝ている間に何が起こったのか。理解できなかった。理解したくなかった。

ただ怪我をした人たちの姿だけが見える。皆一様に血にまみれており、動いている人もいるし、動いていない人もいる。


「は……っ」


自分の呼吸がだんだんと早くなっていくのが分かる。手は、足は、震えていた。立ち尽くしたまま動けなかった。恐怖に体が支配されていた。

何これ。こんなの知らない。こんな、怖いこと、私は知らない。足に力が入らなくなって、座り込みそうになった時だった。


「エレナ!!」


強い声が私を呼び、私はようやく動けるようになった。勢いよく振り返るとそこにはクリスが女の子を一人背負って立っていた。


「あ……クリス……」


それでもまだ頭ははっきりとしておらず、ただクリスの名前を呼ぶことしかできない。クリスはそんな私を一瞥すると、私の前を通って食堂の中に入って行った。私は何もできず、何も言えずクリスの動きを目で追うだけ。

クリスは空いた場所に女の子を置くと、私の方へと戻って来た。よく見るとその女の子も怪我をしている。


「エレナ、どこにいたの? ほら、行くよ」


こんな時でもクリスはいつも通りの声でそう言った。息が上がっているのが分かる。クリスがつけた指輪のお守りから私の魔力が抜けているのが分かる。いつも通りの声を出そうと努力をしているのが分かる。クリスは玄関の方から来た。外がどうなっているのかなんて想像もしたくない。

クリスが動かない私の手を引っ張る。だけど私の足は動かなかった。


「何してんの? そんな場合じゃないよ」


クリスは少し苛立たし気に私へと向き直る。


「……何が起こっているの?」

「え?」


私の問いにクリスは訳が分からないといった表情で私を見た。訳が分からないのは私の方だ。


「今目が覚めて下りてきたらこの状況。意味が分からないわ」


恐怖と混乱で早口になる。空気中に充満する血の匂いは息をするのも嫌になるほどだ。


「今目が覚めた? 部屋で?」

「ええ、その前に一回目が覚めたの。その時にユリウス殿下の声が聞こえたわ。多分、眠らされたんだと思う」

「私は目が覚めたら外に立っていたよ。多分、他の子も」


こんな風に話している暇なんてない。状況なんて外に出たらすぐに分かる。クリスに聞く必要なんてない。分かっているけど、足が動かない。

私は怖いのだ。

人が傷付く姿を見るのが。怖くてたまらない。


「……クリス、怖くて足が動かないの」


外で戦っていることはさっきから分かっている。私も行って戦わないといけない。分かっていても動けない。


「どうにかしてちょうだい」


涙が溢れて、私はクリスに縋った。無理だ。私はこんな状況知らない。ゲームの世界では絶対に起こっていない出来事だ。平和な世界で生まれて育って来た愛玲奈には、私には知らない世界。怖くて動けない。

クリスの瞳が一瞬だけ動揺で揺れた。だけど次の瞬間にはきゅっと唇を噛んで私を見た。


「私だって、こんなこと言いたくないよ。エレナにあの中に行けなんて怖くて言えない。エレナが怪我したらって考えたら今すぐにでもここに閉じ込めたくなる」


クリスの表情が泣きそうに歪む。

……そっか、平和な世界もこっちの世界も関係ないんだ。クリスだって普通に生まれて普通に育って、こんな状況で怖くないわけがない。


「でもね、これをどうにかできるのはエレナだけなんだよ。だから、お願い、一緒に戦って」


クリスの目から涙がこぼれた。それを見た途端、気持ちがすっと軽くなった気がした。怖いのは私だけじゃない。魔力が高くて魔法が使える私がここで頑張らないと、きっと皆倒れてしまう。

深く息を吸って吐くと、先ほどまでの恐怖が嘘だったかのように心が静かになった。怖くないわけがない。でもそれは私だけじゃない。


「クリス、これがはじまって何分くらい?」


すっと足が動いた。外へ向かって早足で歩きながら私はクリスへと聞いた。クリスも早足で私の横に並ぶ。


「十分くらい。状況は一向に良くならないどころが悪くなってる」


十分。たった十分であれだけの数の負傷者が出たことに驚く。


「……ヨハン様とヘンドリックお兄様は?」

「あっちも足止めをくらっているらしい」


できるだけ近くにいるとは言っていたが、それはユリウス殿下も読んでいたようだ。近くにいても足止めを食らってしまっては、いくらお兄様達でもどうしようもない。


「今現場を仕切っているのは?」

「クラウディア様と、ソフィー様」

「ソフィー様?」


初めて聞いた名前に首を傾げると、クリスがすぐに「男子寮の寮母さん」と教えてくれる。なるほど、まだ日も出ていないこの時間に学校にいるのは寮母さんだけか。ヨハンとお兄様が来るまでもちこたえるしかないな。

私はきゅっと唇を固く結んで、外へと飛び出した。
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