緑の魔法と香りの使い手

兎希メグ/megu

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十五章:懐かしの村とプロポーズ

188.幕間:百戦錬磨な詩人の苦悩〜朴念仁を添えて

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今回は幕間です。
幕間を二本ほど挟んで、次章に移る予定です。

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それは、ベルが森に逃げる少し前の事……。

隠れ家のような酒場に、二人の男が集っていた。

いつもの派手な帽子を外し、ラフな格好で酒を嗜む泣き黒子が色っぽい金の髪の青年が、深いため息を吐く。
「はあ……」

ランプの光に淡く照らされた店内で、柔らかな椅子の背に凭れて上質な酒を呷るアレックスは、連れの様子に首を傾げた。「何だ、随分とらしくなく落ち込んでるな、ドミニクス?」

「それは、そうですよ。この私が、あの純粋無垢な幼い顔をした女性に振り回されているのですから」
ツマミのナッツを一つ齧って、また大きくため息を吐く。
この一ヶ月、国内有数の人気詩人であるドミニクスは、一人の女性に振り回されている。

稀な黒髪の、小柄な少女めいた女性……ベルに。

「一体何が不満だと言うのでしょう。朝な夕なに彼女の下へと通い、私の思いは告げているんですよ。彼女の様子からしても嫌われてはいない筈なのです。なのに、一ヶ月経っても彼女から良い返事はない」

全くもって理解不能だ、と、ドミニクスは嘆く。
商家の娘に貴族の娘、都会の世慣れた娘達を相手にしても百戦百勝の男が、世慣れぬ様子の娘一人に振り回されているのだから、確かに不思議ではある。
事実として、ドミニクスに頰を赤らめたり、見惚れる様子はあるのだから尚更に謎だ。

物慣れない様子は時に愛らしく、見惚れてくる仕草は純粋な憧憬を思わせ、しかしきっぱりとした拒絶は男の心を折る。
ベルという人は、浮世を渡る洒落男にとっても何を考えているのか分からない女性だった。

一ヶ月、だ。ドミニクスがこんなにも長い間心を占有された人物は他にいない。
時には調査の為に平行して複数の女性を口説き回る事もある第一王子の密偵は、実に困惑していた。


そんな男に、テーブル越しに友が笑う。
「いやあ、ベルもやるな。女癖の悪さでは王都一の色男をここまで振り回すなんて。まあ、そう落ち込むな。お前なら次があるさ、色男」
燻し具合も良い獣肉の厚切りベーコンを豪快に食らうアレックスは、そんな辛気臭い友人を満面の笑顔で笑い飛ばす。
良い酒と良いツマミがあって、そこで陽気にならない酒飲みはいないだろう。
だから、アレックスはそこでこの話が終わると……そう思っていたのだが。

「冗談ではないですよ、次なんて。彼女でなければ駄目なんです」
そう言って、ぐいと酒精の高い酒を飲み干す。もう随分と酒は進んでいて、酔っ払ったからかドミニクスの目は据わっている。
「はぁ? 何でだ? 仮に殿下のお役に立つ為の結婚だとしても、選択肢はベルだけじゃないだろう」
アレックスの呆れた声に、逆に何を言っているのかというようにドミニクスは反論した。
「いいえぇ、駄目ですね。あの素晴らしい魔力は王族に仕えるよい血筋を産むでしょうし、彼女に従うシルバーウルフも見逃せない。それに、貴方がおう……おっと」
そこで喋り過ぎたとぱっと口を塞ぐが、もう遅い。

「あー、やっぱりな。殿下はまだオレの事を諦めてなかったか」
アレックスはお代わりで頼んだシカ肉のステーキを豪快に、しかし綺麗に平らげて、ナプキンで口元を拭うと 「諦めが悪い」 とぼやく。
ドミニクスもまた健啖ぶりを見せてステーキを一枚ぺろりと食べると、水代わりのフルーツ割りエールを飲みながら言った。
「そりゃあ、貴方が無事復帰出来るのなら、誰だって王都へ戻って欲しいと思うでしょう。ここ数十年というもの見せかけの栄光に酔い、王都はすっかり骨抜きだ。次世代を担う飛龍すら倒せる高位冒険者が王都には居ないのです」

意気込んで言った言葉に、返る言葉は冷めたものだった。

「はあ? なら何で大金掛けてオレの腕に呪いなんて掛けたんだよ」
「それは……」

二人の間に沈黙が降りる。

結局は、そこに辿り着くのだ。

「何度も言っているが、オレは王都へ復帰する気はない。何も、貴族の全てが信用ならないとは言わんさ。だが、全面的に信用していられる存在でない事も確かだ」
「それは……必ず殿下が正します」
「いつかは、な。そうなるかも知れないが、あの浮かぶ島は何世代も掛けてゆっくりと内部から腐っていったんだ。改革は、そう簡単にはいかないぞ」
「……言われなくとも、そんな事分かっています。だからこそ、今は殿下の味方が一人でも多く必要で」

ドミニクスの必死の言葉に、しかしアレックスは全く表情を変えずにいる。
どれだけ友が心砕いても、彼の中には大きな不信という名の氷は、溶けずに冷たく固まったまま。

「オレは天には帰らない。かつては、あの地にあった事を光栄だと思っていたさ。だがそれは昔の事だ」
まるで遥か上空に浮かぶかの島を見上げるよう、天井を睨むアレックスに、ドミニクスは声を掛けられない。
アレックスはふと大きく息を吐き出し、そして正面を向いた。

「オレを釣る為にベルを使うのは止めろ。純粋に能力を買うか、女性として好意を覚えて口説いたならまだしも、後見役狙いなんてとんでもなく失礼だろう。恥を知れ。案外、そんな所を見透かされているのかも知れんぞ」
「……そう、なんでしょうか」

睨みつけるようにして言った朴念仁の言葉に、ドミニクスはふと気づく。
自分は、あれだけ口説いていたというのに、ベルという女性をまともに見ていたのだろうか? と。

「困ったな、瞳の色すらまともに知らない……」
思い出すのは、特徴的な黒髪と、小柄な体躯と、照れたように染まる頰の色だけ。
彼の脳裏にはぼんやりとした、焦点の定らぬ印象ばかりが浮かぶ。

ドミニクスは焦った。
彼女は何を言っていただろう? 困ります、の陰にあった言葉の裏を私は読むべきではなかったのか。
彼女は何を見透かしていたのだろう。時折不信が滲む様子だった彼女は、上っ面だけの言葉を正しく受け止めていたからこそ、真意を疑い告白に答えられずにいたのではないか。
そして彼は、自嘲した。

「本当に、私は何を見ていたのでしょうね……婚姻を願う相手の、何を」

仕方なく、彼はまた酒を飲む。

その日、世慣れた男は、およそ始めて恋という形のないものに途方に暮れた。



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