鳳凰の梧桐_願いの叶え方 サイドストーリーSS

皆中透

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鳳凰の梧桐

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「本当にいいのか?」

 あなたは、これでもかというほどに私の目を覗き込んで、お確かめになりました。成人した良家の御曹司が、他人を前にしているというのに、ボロボロと涙を流して追い縋っている。何度訊かれても、私の答えは決まっています。だって、他に選択肢などないのですよ? 悩むのも、泣くのも、苛立つのも、もう終わったことです。私たちは、二人でその先の選択肢を選んだのですよ。私は心の中で微笑むと、あなたの腰に手を回して力いっぱい抱きしめた。

「離れずに済むのでしたら、何でも致します。例え、あなたが私に触れることが出来なくなったとしても、それはそれで構いません。だから、あの約束だけは果たしてください。お願い致します」

 私は、そう言いながらあなたのシャツの襟を掴んで唇を引き寄せた。そのまま、優しく触れて、ぐっとくっつけ合って、あなたの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。そして、ゆっくり離れながら、勇気が出せるように、心も離れていけるようにと、目を瞑った。涙は流さないと決めていた。ぶるぶると震える手を必死に伸ばし、精一杯広げた手のひらを前に突き出して、とんっとあなたを突き放した。

「さようなら、照史さん。次に会う時は、もうきっと、私は私ではありませんから。ここで一度お別れして、また新しく恋をしましょう」

 そして、たった今口から注いだ睡眠薬が、あなたを眠らせるのを待って部屋を出ることにした。薬は、旦那様が用意してくださいました。途中であなたの決意が鈍らないようにと。
 目の前が歪みますか。頭がふらつきますか。どうか、すぐに眠ってください。争わずに、すぐに眠って。

 目の前の私の姿が、笑顔であるうちに。

「みちるっ……」

 あなたの手が空を切り、ゴトリと倒れるのを見届けて私は部屋をでた。

 野明未散、享年25歳

 あなたとの梧桐の約束を果たすために、あなたの元を離れます。



◇◇◇◇◇


 何も食べることが出来なかった日の夕暮れでした。
 景色が全部赤く染まっていました。その色は、夕暮れの茜色だったのか、私の怪我が見せた血の色なのか。その区別がつかないほどに、私はボロボロでした。言われのない罪を着せられ、大勢から暴力を受けた。頬からも口からも血が流れ、体はあざだらけ。そんな状態で夕食に現れても、見て見ぬ振りをする先生たち。孤児の住まいなど、そのようなところばかりでした。どこにいてもこんな扱いを受けるのなら、寒気の中で消えてやろうと、そう思っていました。
 冷たい雪の上に横たわって、ぼんやりと空を見上げていた時でしたね。あなたが突然、目の前に落ちて来たのは。心臓が止まりそうなくらいに驚きました。そして、その時に実感しました。私の心臓は、まだ動いていたと言うことを。

「いっいげうじっ……いげうっ……うっ、うぇっ」
「どうしたの?」

 大泣きする直前の一呼吸のタイミングで、私は話しかけてしまいました。あなたは驚きすぎて、泣くことが出来なくなってしまいましたね。その後、感情の持っていきようがなくて、酷く怒られました。私だって、静かに死んでいこうとしていたのに。それを邪魔されて不満ではありましたが、あなたがあまりに綺麗な瞳で泣くものですから、許してしまっていました。

「ぼっちゃま! どうしてこのような場所に……あれ? そちらのお方は?」

 あなたを探していた執事の池内さんが現れた時には、あなたはお怒りになっていらっしゃいましたね。私は不機嫌な人間が大嫌いでしたから、すぐに逃げようとして立ち上がりました。

「なあ、また会える?」

 逃げようとした私に、あなたがお尋ねになりました。私はそれまで、自分に興味を抱かれたことがありませんでした。だから、一瞬答えに詰まったんです。それでも、一生懸命笑顔を作って言いました。

「ううん。私、今日死ぬから。ごめんね」

 そう言って、私はあなたの前から去りました。
 それが、私たちの初めての別離でした。


◇◇◇


「お前、あの時のガルーダ!」

 孤児の私を奨学生として受け入れてくれた学校で、あなたに再会しました。良家のご子息であるあなたは、その中でも群を抜いて目立つ存在でしたね。それなのに、鳳凰と迦楼羅の区別がつかないなんて、ちょっと驚きました。

「私は火を吐いたりしません」

 冷たくあしらった私を、怒ったのだと勘違いして、あなたは一生懸命に話しかけてくださいました。あの時、私は怒っていたのではありません。私のスピリットアニマルが見える方なら、仲良くできるかもしれないと期待しておりました。神獣と共に生きるのは、大変ですから。能力が強すぎてもコントロールするための方法を学ぶこともできず、たくさんの失敗を重ねて、経験して強くなりました。ただ、その過程で友人も家族も失いました。ですから、それまでずっと一人でした。あなたが私を覚えていてくださって、話しかけていただけた時には、それはそれは喜びに満ちていたのです。ですが、それを表す術を私は知りませんでした。ごめんなさい。

 それから七年後、あなたは言いました。

「未散、ずっと俺のそばにいてくれないか。俺は、お前になら自分らしく振る舞える。他の人間には、それが出来ないんだ。これから先も、俺の居場所でいてくれ」

 高校、大学と私たちはずっと一緒でした。未来を共にというあなたの言葉を聞いて、私もそうしたいと思っておりました。でも、私は孤児です。良家どころか、なんの後ろ盾も持たない人間でした。あなたの隣にいることなど、到底無理だったのです。ですから、十六歳の時から旦那様に提案され続けていた案を、受け入れる覚悟を固める必要がありました。私からそのお話をさせていただいた時、あなたは烈火の如くお怒りになりましたね。でも、私とあなたが共に過ごすためには、そうするしかなかったのです。だから、私には一欠片も後悔などありません。今でも、ありません。


◇◇◇


 大学卒業の日、たった一度の逃せないチャンスを手に入れました。そして、未来に望みを託すことに成功しました。その後の多英様のご協力には、感謝してもしきれません。多英様がお約束を下さったから、私はなんの悔いもなく、生まれ持った性別を手放しました。

「未散さん、あなたの望み、私と照史で必ず叶えます。ご安心なさってね。そして、お辛いでしょうけれど、そばでお見守り下さいね」

 多英様は、お亡くなりになるまでずっと、私に良くして下さいました。本来なら、私など多英様にとっては煙たくて仕方がない存在であったはずです。それなのに、私の願いを叶えてくださり、更には第一秘書へと推薦して下さいました。そのお陰様で、私は常にあなたと行動を共にすることができました。世間からは、冷めきった夫婦の酷い奥様だと罵倒されていたにも関わらず、ずっと私の味方でいらっしゃいました。何度もいただいたシロタエギクの花が、とても嬉しかったのを覚えています。

 私は男として生まれ変わった際に、池内姓を頂きました。そして、どこにいても何をしても隠密でいられるように、大気という名前をいただきました。池内姓は永心家に仕える者が与えられる姓ですので、これで私は亡くなるまで永心家に仕えるセンチネルとして生きていくことを保障されました。子を成す機能を奪われる代わりに、私はあなたの隣に居続ける権利を得ました。あなたは男になった私のことも、変わらずに愛して下さいました。どこへ行くにもそばに置いていただきました。私は、毎日身に余る幸せを噛み締めながら生きておりました。そして、永心家のために研鑽を積み、周囲から一目置かれる存在になり得たのです。あの日までは。


◇◇◇


 第一性を変えたことで、あなたからのケアが行き渡らなくなり、疲労が蓄積されるようになってしまいました。時にそれは、子供と顔を合わせることによって悪化しました。そしてそれは、年を追うごとに抗えないものとなり、ついには使命を果たすことができなくなりました。キリッと研ぎ澄まされた思考を持つことができなくなりつつありました。私は、そこで引退する勇気を持つべきだったのです。

「池内、和人がアメリカで誘拐された。今日本で監禁されている。次の選挙までに探し出してくれ」

 今でもあの日のことを思い出すと、気が狂いそうになります。暴力の痛みなど、どうでも良かったのです。相手にミッションを知られてしまい、永心家の名に泥を塗ってしまいました。和人がどういった存在なのかということを、私たち以外に知られてしまいました。晶さんのお父様は、私を暴行した罪で捕まりました。しかも、捕えられた後に旦那様によって口封じがされたと聞いております。晶さんは、孤児になってしまわれた。私と同じ思いをする子供を、私の失態が作り上げてしまった。それが、とても心苦しかったのです。そして、その思いが強すぎて、私は正気を失う時間を持つようになりました。


◇◇◇


 永心の家を出た後、未散である時間と大気である時間が入り混じるようになりました。何をしていても思考が定まらず、気がつくと知らない場所にいることも増えました。

「そろそろ、この世からお暇をしないと、あなたにとてもご迷惑をおかけすることになりそうです。もう、潮時ですね」

 そう嘆いた私に、なぜかあなたは再婚を申し出て下さいました。

「俺はもうすぐ還暦だ。そこで政治を引退する。その後の人生は、お前と共に過ごしたい」

 それはとても嬉しい申し出でした。でも、無理なのです。私は、戸籍上はまだ池内大気なのです。今の日本では、能力者のペア以外は結婚は許されないのです。その事実が、さらに私の正気を奪っていきました。
 時折訪れる正気の時間が、だんだんと生き地獄になって参りました。そして、ふと気がつくと私のそばに晶さんが倒れていたのです。その時、私の右手は腫れていました。何をどう考えても、晶さんを殴ったのだとわかりました。

「私が殺した……?」

 その時、もう限界だと思いました。私は晶さんの体をそこに残して、自宅に戻りました。
 そして、あなたのテレパスに届きそうな時を選んで、別れを告げながら下へ飛びました。

 落ちた後に、晶さんの様子が気になって見に行ったんです。すると、晶さんの体は雪に埋もれた状態で、屋根の吹き飛んだバンガローで冷たく凍っていました。そのそばに、男性が一人いたのです。
 私はあなたにそれを伝えようと、あなたの鳳凰に告げに行きました。それがあなたに伝わった時、数十年ぶりに安堵の心を手に入れた気がしました。

「未散! どうしてこんな……俺たちを置いて行くのか!?」

 あなたは、私の体を拾い集めて形を成して下さいました。それで力を使い果たしたのでしょう? 青白い顔のあなたを見て、あなたの人生に私がいなければ、もっと幸せだったのかと考えてしまいました。でも、私はあなたとの人生に悔いはありません。だから、あなたにも後悔せず、私たち二人の願いを叶えていただきたかったのです。

「あなた、愛しています。どうかあの子達四人を、幸せにして上げて下さいね」

 あの日、あなたと結ばれたあの日。手に入れた宝物たち。それから、三人で秘密にしてきたこと。これから先も、守り通して下さい。そして、晶さんのそばにいた人を捕まえてあげて下さい。あの人からは、悪い人間の匂いがしました。でも、それは染まりきれていない匂いでした。葛藤しているのでしょう。改心する機会をあげて下さい。

「さようなら、照史さん」

 あなたの腕の中で終わることができて、私は幸せです。
 私だけが知っている、優しいあなたが、これからは、子供達とも幸せに暮らせますように。

 私はあなた方を、あの梧桐の木の上から見守っています。
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