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第10章 Side 小泉
第18話 互いの想い
しおりを挟む朝、顔を洗い終わって洗面所を出ると、珠喜が寝室から出て来た。起きたばかりのようでまだ寝巻き姿だ。胸元のボタンがひとつだけ外れており、胸が見えそうになっていた。慌てて胸元から目を逸らした。
「……おはよう。昨日、毛布掛けてくれたんだよな?ありがとう」
「あ、うん」
いつもなら「おはよう!」と元気の良い挨拶が返ってくる。だが、様子がおかしい。目を逸らして寝ぐせのついた髪の毛をいじっている。
「……どうした?何かあったか?」
「えっ、もしかして昨日のこと覚えてないの?」
「昨日のこと?」
しばらく考えてみた。確か、缶ビールを2本飲み、珠喜に仕事の愚痴をぶちまけた。記憶はそこで途切れていた。酷く嫌な予感がした。
「もしや俺、お前に何かしたか?お前を傷つけるようなこと、してないよな?」
珠喜は顔を真っ赤にして押し黙ってしまった。彼女のただならぬ様子に一気に不安が押し寄せる。
「ちょっと待て……俺は一体お前に何をした……?」
思い切って尋ねると、彼女は寝巻の裾を両手でぎゅっと掴み、更に顔を真っ赤にして俯いたまま呟いた。
「キ、キス……された。あと……触られた。胸とか足とか……」
驚きとショックのあまり倒れそうになった。
「じょ、冗談だろ?」
「ううん。冗談じゃない……ホントだよ」
彼女は顔を上げた。頬は真っ赤に染まっている。俺は愕然とした。今にも膝から崩れ落ちそうになった。グッと堪えながら何とか声を絞り出した。
「その……謝って済むことじゃないだろうが、す、すまなかった!俺は酔うと気が大きくなる上に記憶無くすタイプで……その……本当に何も覚えてないんだ。傷つけてしまったなら本当に……申し訳ない……!」
両手を膝の上に置き、深々と頭を下げた。警察に突き出される覚悟までした。だが、彼女から返ってきたのは意外な言葉だった。
「大丈夫だよ。傷ついてなんかないから」
驚いて咄嗟に顔を上げると、彼女は優しい笑顔を浮かべていた。頬にはまだ微かな赤みが残っている。
「い、いや、でもよ……」
「仕事で色々あってお酒で忘れたかったんでしょ?そんな日もあるよ。だから、これからも遠慮しないでお酒飲んだらいいじゃん」
「珠喜……」
思わず胸が熱くなってしまった。感動して言葉を失っていると、珠喜が再び目を逸らした。その頬はまた真っ赤に染まっている。口を開けて必死に何かを言おうとしていた。
「ん?どうした?」
「あっ、えーっと……その……嫌じゃなかったよ?賢弥さんにキスされるのも体を触られるのも……」
「……えっ」
思いがけない言葉に唖然としていると、珠喜はハッとした顔をした。慌てて両手で顔を覆うと、再び寝室に引っ込んでしまった。俺はしばらくその場から動けなかった。
(今のは一体どういう意味なんだ……)
先程の彼女は全くの素の状態だ。色仕掛けではない。
(珠喜は俺のことを……いや、そんなまさか!)
俺は激しく動揺してしまい、その日の仕事は全く身が入らなかった。だが、良いこともあった。例の大事な商談は失敗に終わったが、俺の実力を認めてくれている上司や同僚、仲間が労いの言葉を掛けてくれたのだ。俺は心底ホッとした。良い仲間、この会社を紹介してくれた井伏のオヤジ、そして俺の愚痴を聞いてくれた珠喜に心から感謝した。
「努力は無駄じゃない、か……」
彼女の言葉を再び口に出してみる。同時に彼女の花のような明るい笑顔を思い出した。その時だった。脳裏にある映像が過った。よく見知った古びた映画館の中、俺は小さな女の子と向かい合っていた。彼女は俺の手からポップコーンを受け取ると嬉しそうに満面の笑顔を浮かべた。俺はハッとした。その笑顔にとても見覚えがあったからだ。
「あの女の子は……」
―――――
その日の夜、俺と珠喜はいつものように二人で夕飯を食べていた。メニューはカレーライスとサラダ。カレーを一口食べて俺は察した。
(味が薄い……)
彼女が作ったカレーを何度か食べたことはあるが、いつも美味しく出来ていた。今日に限って失敗している理由はひとつしかない。昨日の泥酔事件だ。途端に申し訳ない気持ちで一杯になり、居た堪れなくなった。ふと前を見ると、彼女も同じ様子。スプーンを口に運ぶ手が何だかぎこちない。すると、沈黙に耐え切れなくなったのか、彼女が突然口を開いた。
「け、賢弥さん、あのね」
「……どうした?」
「ア、アタシ……賢弥さんのことが好きなの!」
「……は?」
驚きのあまり、俺は言葉を失ってしまった。どうしたらいいのか分からず、咄嗟に口をついて出たのは全く思ってもいない言葉だった。
「……いい加減にしろよ。おっさんだからって俺のこと馬鹿にしてんだろ?」
珠喜は驚いて目を丸くした。慌てて椅子から立ち上がり、必死にこう言った。
「ち、違う!アタシ賢弥さんのこと、おっさんだなんて思ったことない!この間も言ったでしょ?!不器用ですぐ怒るし子供っぽいし口悪いけどめっちゃ優しい!そういう賢弥さんのことがアタシは好き!大好きなの!」
俺は激しく動揺した。彼女の気持ちは嘘ではない。彼女は今、俺に素直な気持ちをぶつけてくれたのだ。嬉しくないはずがなかった。だが、自分の気持ちを認めたくなかった。酷だとは思いつつも、俺はわざと彼女を突き放した。
「……悪いが、俺にとってお前は子供みたいなもんだ。良くて年の離れた妹だな。家に泊めてやってるのはお前があっちの世界の人間だからだ」
その途端、珠喜の表情が曇った。大きな瞳が微かに潤んでいる。だが、すぐにいつもの笑顔を浮かべるとわざと明るい口調で言った。
「そ、そうだよね……へ、変なこと言ってごめん。今のは忘れて」
そして、俺の返答も聞かずにリビングを出て行ってしまった。悲しげで潤んだ瞳、切ない表情に胸が酷く傷んだ。俺は自分の気持ちを認めたくなかったのではない。認めるのが怖かったのだ。このまま珠喜と付き合っても、また裏切られるかもしれない。そう思うと怖い。珠喜を信じ切れないのだ。向こうの世界でのあの出来事は俺自身が思う以上にトラウマになっているようだった。今の俺には一歩を踏み出す勇気がない。
(俺もお前のことが好きだ……と、素直に抱き締めてやれたら……どんなに……)
俺は頭を抱えた。胸が苦しくて切なくて堪らなかった。
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