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第10話 キスしたくなる衝動
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甘い匂いがする。いつもはコーヒーや紅茶をいれることも多いのだが、今日はココアだった。生クリームも少し落とした贅沢仕様。それをテーブルに二つならべてある。
いつもとちがったティータイム、休日なので、ことさらゆっくりできる。まあ、いる場所は仕事先でもある、紫紋の家なのだが。休日まで来てるってどういうことだと、ココアをいれてからツッコミをいれてしまった。
「おや、千夏さん……どうしました、またわからないところでも?」
パソコンのキーボードを打つ手を止めたので、紫紋が首をかしげて聞いてくる。千夏はあわわと頭を横に振った。千夏は今、大学の課題で、歴史のレポートを作っていた。
好きか嫌いかと聞かれれば、圧倒的に嫌いなほうである科目……レポートづくりに手がつかず、ため息をついていた千夏に、昨日紫紋が話しかけてきたので事情を話すと、手伝いますよと言ってきたのだ。
もちろん最初は断った。自分でやることとは思っていたし、あと紫紋は雇用主である。そしてここは雇用先である……仕事場に休日に来て、雇用主に課題を手伝わせるとはいったいどういうことなんだって話である。
純粋に手伝いそうな悪魔にそこまでの話をすると、紫紋は確かに……と言った。言ったあとで、
こう言った。
「じゃあ、恋人を手伝うって体(てい)で来てください、それなら普通でしょ」
あまりにさらりと言うので、千夏はびっくりした。びっくりしたが、まんざら気分が悪くならない自分がいた。言葉を返せない千夏に、紫紋は言った。
「それに私、歴史は得意ですよ……アモンが得意としていましたからね、よく教えられたものです」
紫紋の師匠、アモン……彼に恋を知りたいと思わせる動機づけをした、慈悲と誇りある悪魔。
二百年も探させているというのなら少しでも助力すればいいのにと思うが、そもそも人と深い関係に至れない、紫紋の悪魔としての特性を考えれば、しょうがなかったのかもしれない。
紫紋は自分を助けられたら嬉しいのだろうか……なんとなく言葉からそんな感情が伝わる。
「わかりました、よろしくおねがいします」
千夏は助けてもらえるなら、まあ、私も楽だよねと思うことにした。
ただ実際来てみると、大丈夫かなと心配する自分が出てきて困る。
紫紋がいいと言ってるのだから、甘えたっていいのだ。
「世界史ってなんでこんな難しいんでしょうか……ややこしすぎです」
「ヨーロッパだと国が隣同士で戦争はしやすいでしょうし、結婚による同盟も盛ん……関係が入り組んでるからこそということもあって、分かりづらいでしょうね」
「文字が頭にはいりません」
「歴史は文字じゃありませんよ……人間たちのドラマです。そう思ったら、頭がはいりやすくなりませんかね、面白いドラマってあらすじとか人間関係も覚えているでしょ」
「ああ、そうですね……」
紫紋の教え方は端的でわかりやすい……何より教え慣れている気がする、カウンセリングで人を助けていることも影響しているのだろうか。受け答えも柔らかくて、言葉がするすると頭の中に入ってくる。
「紫紋さんは、教え方、うまいですね」
「アモンの教え方のモノマネです……あの人は本当何でも出来ましたから」
「モノマネだとしてもすごいですけどね……私、歴史面白いんじゃないかって思い始めてきましたし」
「それは本当ですか」
紫紋は目を細めて喜ぶ、私は大きく頷いた。
「ええ、紫紋先生のおかげです」
たとえ、アモンの真似だとしても、千夏の歴史への認識変化は紫紋のおかげなのだ。
千夏の言葉の意図が伝わったのか、紫紋は少し恥ずかしそうに、視線をそらした。
「君は、言葉が上手です」
歴史のレポートが一段落すると、紫紋は歴史に興味を持った千夏に、本の紹介をしてくれた。
「多分生活史とかの本はとっつきやすいかと思いますが、なぜそのような価値観に至ったかとなると、時代背景はひととおり学んだほうが良い気はします。この出版社でしたら、わかりやすくまとめているので……」
「へー、どこの書店でもあるんですか?」
「ちょっと大きかったら、歴史だけじゃなく、受験対策コーナーに置いているところもあるかと」
ここからちょっと歩いた書店にありますねと言った紫紋に、千夏は
「買いに行きたいですねっ」と前のめりになった。
紫紋はそんな千夏に小さく笑う。急に恥ずかしくなって縮こまる千夏に、紫紋は優しく声をかけた。
「君のその前向きなところ、先生はとても好きですよ」
さっき、千夏が紫紋先生と言ったからだろう。だがそれを抜きにしても、あまりに様になるセリフに千夏はドキッとした。最近どうも紫紋と絡んでいるとドキドキする。
なんとなく思い当たる感情があるが、そうだと認識するにはまだ少し壁があった。
「あ、はははは……私、ちょっとカバン取ってきますね」
恥ずかしくて顔も見ていられないのをごまかすように、千夏は立ち上がる。だがいきなり立ち上がってろくにまわりを見ずに動き出したのだから、なんでもないようなところで毛躓いた。
「あ……」
「千夏さんっ」
ふわっとバランスをくずした体。腕は宙を彷徨う。
派手に転ぶと思った瞬間、腕を掴まれ強く引き寄せられる。とすっと腰が落ちるような音がして、閉じてしまった目を開くと、千夏は紫紋の腕の中にいた。
「し、紫紋さん」
「もう、驚きましたよ……」
大丈夫ですかと紫紋は千夏の顔を覗き込んでくる。千夏は目を見開く。
そのキレイな瞳を見た時、距離が一気に縮まったのを感じた時、衝動を覚えた。
……キスがしたい、と。
紫紋と初めて会って、一晩を過ごした際に、キスは交わしていた。けれど、あの時とは確実に何かが違う、もっと熱っぽい感情が千夏を駆け巡っていた。薄っすらとわかっていた。わかっていたけど、いざ自覚すると、燃えるような感情に自分がおかしくなりそうだった……
紫紋に、本気で恋をしていた。
いつもとちがったティータイム、休日なので、ことさらゆっくりできる。まあ、いる場所は仕事先でもある、紫紋の家なのだが。休日まで来てるってどういうことだと、ココアをいれてからツッコミをいれてしまった。
「おや、千夏さん……どうしました、またわからないところでも?」
パソコンのキーボードを打つ手を止めたので、紫紋が首をかしげて聞いてくる。千夏はあわわと頭を横に振った。千夏は今、大学の課題で、歴史のレポートを作っていた。
好きか嫌いかと聞かれれば、圧倒的に嫌いなほうである科目……レポートづくりに手がつかず、ため息をついていた千夏に、昨日紫紋が話しかけてきたので事情を話すと、手伝いますよと言ってきたのだ。
もちろん最初は断った。自分でやることとは思っていたし、あと紫紋は雇用主である。そしてここは雇用先である……仕事場に休日に来て、雇用主に課題を手伝わせるとはいったいどういうことなんだって話である。
純粋に手伝いそうな悪魔にそこまでの話をすると、紫紋は確かに……と言った。言ったあとで、
こう言った。
「じゃあ、恋人を手伝うって体(てい)で来てください、それなら普通でしょ」
あまりにさらりと言うので、千夏はびっくりした。びっくりしたが、まんざら気分が悪くならない自分がいた。言葉を返せない千夏に、紫紋は言った。
「それに私、歴史は得意ですよ……アモンが得意としていましたからね、よく教えられたものです」
紫紋の師匠、アモン……彼に恋を知りたいと思わせる動機づけをした、慈悲と誇りある悪魔。
二百年も探させているというのなら少しでも助力すればいいのにと思うが、そもそも人と深い関係に至れない、紫紋の悪魔としての特性を考えれば、しょうがなかったのかもしれない。
紫紋は自分を助けられたら嬉しいのだろうか……なんとなく言葉からそんな感情が伝わる。
「わかりました、よろしくおねがいします」
千夏は助けてもらえるなら、まあ、私も楽だよねと思うことにした。
ただ実際来てみると、大丈夫かなと心配する自分が出てきて困る。
紫紋がいいと言ってるのだから、甘えたっていいのだ。
「世界史ってなんでこんな難しいんでしょうか……ややこしすぎです」
「ヨーロッパだと国が隣同士で戦争はしやすいでしょうし、結婚による同盟も盛ん……関係が入り組んでるからこそということもあって、分かりづらいでしょうね」
「文字が頭にはいりません」
「歴史は文字じゃありませんよ……人間たちのドラマです。そう思ったら、頭がはいりやすくなりませんかね、面白いドラマってあらすじとか人間関係も覚えているでしょ」
「ああ、そうですね……」
紫紋の教え方は端的でわかりやすい……何より教え慣れている気がする、カウンセリングで人を助けていることも影響しているのだろうか。受け答えも柔らかくて、言葉がするすると頭の中に入ってくる。
「紫紋さんは、教え方、うまいですね」
「アモンの教え方のモノマネです……あの人は本当何でも出来ましたから」
「モノマネだとしてもすごいですけどね……私、歴史面白いんじゃないかって思い始めてきましたし」
「それは本当ですか」
紫紋は目を細めて喜ぶ、私は大きく頷いた。
「ええ、紫紋先生のおかげです」
たとえ、アモンの真似だとしても、千夏の歴史への認識変化は紫紋のおかげなのだ。
千夏の言葉の意図が伝わったのか、紫紋は少し恥ずかしそうに、視線をそらした。
「君は、言葉が上手です」
歴史のレポートが一段落すると、紫紋は歴史に興味を持った千夏に、本の紹介をしてくれた。
「多分生活史とかの本はとっつきやすいかと思いますが、なぜそのような価値観に至ったかとなると、時代背景はひととおり学んだほうが良い気はします。この出版社でしたら、わかりやすくまとめているので……」
「へー、どこの書店でもあるんですか?」
「ちょっと大きかったら、歴史だけじゃなく、受験対策コーナーに置いているところもあるかと」
ここからちょっと歩いた書店にありますねと言った紫紋に、千夏は
「買いに行きたいですねっ」と前のめりになった。
紫紋はそんな千夏に小さく笑う。急に恥ずかしくなって縮こまる千夏に、紫紋は優しく声をかけた。
「君のその前向きなところ、先生はとても好きですよ」
さっき、千夏が紫紋先生と言ったからだろう。だがそれを抜きにしても、あまりに様になるセリフに千夏はドキッとした。最近どうも紫紋と絡んでいるとドキドキする。
なんとなく思い当たる感情があるが、そうだと認識するにはまだ少し壁があった。
「あ、はははは……私、ちょっとカバン取ってきますね」
恥ずかしくて顔も見ていられないのをごまかすように、千夏は立ち上がる。だがいきなり立ち上がってろくにまわりを見ずに動き出したのだから、なんでもないようなところで毛躓いた。
「あ……」
「千夏さんっ」
ふわっとバランスをくずした体。腕は宙を彷徨う。
派手に転ぶと思った瞬間、腕を掴まれ強く引き寄せられる。とすっと腰が落ちるような音がして、閉じてしまった目を開くと、千夏は紫紋の腕の中にいた。
「し、紫紋さん」
「もう、驚きましたよ……」
大丈夫ですかと紫紋は千夏の顔を覗き込んでくる。千夏は目を見開く。
そのキレイな瞳を見た時、距離が一気に縮まったのを感じた時、衝動を覚えた。
……キスがしたい、と。
紫紋と初めて会って、一晩を過ごした際に、キスは交わしていた。けれど、あの時とは確実に何かが違う、もっと熱っぽい感情が千夏を駆け巡っていた。薄っすらとわかっていた。わかっていたけど、いざ自覚すると、燃えるような感情に自分がおかしくなりそうだった……
紫紋に、本気で恋をしていた。
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