上 下
8 / 85
一章

好奇心は猫を殺す

しおりを挟む
「違う!」

 大切な親友だったとは思いもしなかったが、奥野なら麻友を任せても大丈夫の様な気がした。花耶が慣れないながらも橋渡しを買って出ようとしたが、それは秒で却下されてしまった。大切な親友に対してのその言い方に、そこまできっぱり言い切らなくてもいいのではないかと思う。とはいえ、麻友は奥野を怖がっていたので、それはそれでホッとしたのだが。

「え?違うんですか?」
「違う」
「そんな…課長なら麻友を任せられると思ったのに…」
「どうしてそうなる…」
「でも、そうなると条件に合う人って他にいましたっけ?あ、もしかして支社の方とかですか?」
「支社で知ってる奴なんているのか?」
「いませんけど…」
「だろうな。支社の奴なら誰かなんて聞かないからな」

 そう答える奥野は、ソファに片膝を立てて座っていたが、膝に肘を置いて額に手を当てていた。その姿は何だか疲れているようにも見えた。

「それは…そうですが…本社で条件に合うような人、他にいましたっけ」

 花耶はもう一度社内の同じ歳の女子社員の記憶を引っ張り出したが、先ほどの四人以外で条件に合う人物は思い至らなかった。花耶は仕事で接点がなければ覚える事がないが、さすがに同じ歳の社員は全員頭に入っている。
 となると花耶が小柄とした基準が奥野とずれていたのかもしれない。奥野は身長がかなり高いので、小柄の基準が花耶とは違う可能性は十分にあった。

「じゃ、秘書課の海崎さん?」
「違う」
「企画の佐藤さんとか?」
「それも違う」
「ええ?」

 同じ歳の女子社員全員の名前を挙げたのに、どれも違うと言われてしまった。花耶はもう一度社員リストを頭の中で広げたが、既に上げた5人以外で女子社員はいなかった。となれば…

「あ…課長って、もしかして…」
「何を想像しているのか知らんが、多分違うと思うぞ」
「まだ何も言ってないのに…」
「じゃ言ってみろ」
「え?いいんですか?」
「たった今言おうとしただろうが」
「それは…そうですが…」
「言っておくが、俺は男には興味はないからな」
「…」
 
 先手を打たれてしまって、花耶は何も言えなくなった。実のところ、社内の肉食女子や美人勢が奥野を落とそうとトライするも惨敗続きだったため、社内でその手の噂があったのだ。面倒見のいい奥野は後輩にも人気があり、木戸の様な信者と呼ばれる存在がまた、その噂に信憑性を与えていた。噂の出所は玉砕してプライドを傷つけられた女性達なのだが、彼女たちの妄想は残念ながら外れていたらしい。
 結局話は振出しに戻ってしまい、誰か忘れていないかと記憶を引き出そうと、花耶はこめかみに指をあてて目を瞑ってみた。実は先ほどから頭が思うように動かないと感じたからだ。酔いが回ってきたのを自覚すると共に、これ以上酔うのはまずいと感じた。酔いと眠気を冷まそうと、強引に誰か見落としていなかったっけ…と意識を同じ歳の社員に戻した。

 花耶と同じ年は全部で六人いて、五人は既に却下されてしまった。となると残る一人は自分だが、さすがにそれはないだろう。言い方は悪いが、社内カーストの最上位にいる奥野と底辺の自分では話にならない。それに、奥野の様なはっきりした性格なら、こんなまどろっこしい話はしないような気がする。そもそも好かれる要素が見つからないし、それに至るほどの接点がない。
 花耶にとっては自分に好意を向けるのは、痴漢や変質者の類だと信じているので、もし奥野がそうだったら全力で逃げ出す相手という事になるが、今のところそのような兆候は見られなかった。過去の経験から、変態を見る目には自信があったのだ。
 そもそも、何でこんな話になっているのだろう…と改めて今の状態を不思議に感じた。そもそも自分には関係ないし、別にどうでもいい話だ…酔いの影響か、花耶の思考は迷走し始めていた。

「まだわからないか」

 花耶が同じ年の女子社員に集中しようと、必死に酔いと軽い眠気に抵抗していると、奥野が声をかけてきた。いくら考えても同じ歳の女子社員はこの六人しか浮かんでこない。

「五人以外に誰かいましたっけ…本社で間違いないんですよね?」

 酔いと眠気のせいか、段々と考えるのがかなり面倒くさくなってきた花耶は、奥野に投げ返す方向に切り替えた。どうせ自分には関係ないし、面倒くさいので別に教えてくれなくてもいいかな、という気になっていたのもある。元々他人のプライベートには興味がないだけに、無理をしてまで聞き出そうと言う気がない花耶だった。こめかみの指はそのまま、考え込むようにもう一度目を瞑った。

「六人だし、本社だな」
「そこは合ってるんですよね。じゃ残ってるのって…」

 そこまで言いかけて、花耶は残りが自分だという事にまた行き着いたが、いやいや、そんな筈はないと思い、そういえば花耶は高卒での入社だから奥野が花耶の年を把握していない可能性もありそうだ、という事に思い至った。花耶が入社した時、奥野は支社にいたから知らなくても当然だし、むしろ知らないだろう。いや、知らない筈だ。

「残ってるのは?」
「…え~っと、誰でしたっけ…」

 自分の名前を言ってはいけない気がして、花耶はあえて言葉を濁した。もしかしたら他に忘れている人がいるかもしれなかったし、自分だと言って違ったら恥ずかしいことこの上ない。そんな勘違いをしているなんて思われたら、今後の仕事もやりずらいことこの上ないし、花耶のプライドが許さなかった。会社では大人しくしているが、それも自分を守るための擬態であって、花耶自身は決して周りが思うような大人しく気弱な性格ではなかった。

(ひぇっ、何でこんな近くに…?)

 目を瞑ったままも失礼かと恐る恐る目を開けると、至近距離に奥野の顔があって花耶はうろたえた。いつの間にか奥野は花耶の方に身を乗り出していて、その距離はこれまでになく近い。双眸をわずかに細め、口元に笑みを浮かべた奥野は、花耶の語彙力では表現しきれないほどの色気を放っていた。見た事もないような雰囲気を纏う奥野に戦慄いた花耶が後ろに下がろうとしたが、さすがに上司相手にあからさまに距離を取るのもどうかと思われた。この状況下でどうリアクションしていいのか困っていると、ふと唇に何かが触れた感触があった。唇に触れたのは奥野の親指で、奥野はそう言うとゆっくりと花耶の下唇を撫でていた。

(は…?な、何…?)

 なぜ奥野がそんな事をしているのか、どうしてこんな状況になっているか理解が付いて行かず、花耶はされるがまま奥野から視線が外せなかった。奥野が触れた部分が熱を持ったように感じてそこに意識が集まる。

「はっきり言わないと分からないか?」

それとも、わざと気付かない振りしてる?と薄く笑い、一瞬だけ目に鋭さが加わった。花耶は突然の事に頭が真っ白になって奥野を見上げるしかできなかった。そんな花耶の様子に、奥野はそれまでの雰囲気を和らげると優し過ぎるほどの笑みを向け、花耶の唇に自身のそれをそっと重ねると、息がかかるかどうかの距離で視線を合わせた。

(…ぇえっ?)

どアップのイケメン上司を至近距離で見る事になった花耶は大いに混乱していた。奥野の手に顎をとられてしまい、視線を外す事も出来ない。

「わ、わざだなんて…めめ、滅相もないです…」
「スルースキルも大事だが、時と場合によるな」
「そ、そうですか…」
「やり過ぎると相手を煽る事になる」
「……」

 煽ったつもりなどなかったが、奥野の言い方ではどうやら知らぬ間に煽っていた事になっているらしい。そんなつもりは微塵もないのだが。

「俺が好きなのは、花耶、おまえだ」

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:328

ほろ甘さに恋する気持ちをのせて――

恋愛 / 完結 24h.ポイント:411pt お気に入り:17

人権終了少年性奴隷 媚薬処女姦通

BL / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:58

愛及屋烏

BL / 連載中 24h.ポイント:163pt お気に入り:5

メロカリで買ってみた

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:234pt お気に入り:10

風ゆく夏の愛と神友

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:489pt お気に入り:1

宇宙は巨大な幽霊屋敷、修理屋ヒーロー家業も楽じゃない

SF / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:65

窓側の指定席

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:1,640pt お気に入り:13

二番煎じな俺を殴りたいんだが、手を貸してくれ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:404pt お気に入り:0

処理中です...