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心狂う愛人者

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43章

ドアの前に誰かが立っている。
そいつは私に話しかけてきた。
「櫻木。出てこい。そこに籠もりきりじゃ何も変わらない」
声は牙忍だっけか。確かそんなやつの声だった気がする。
今の櫻木には関係ないが。
私は牙忍を放置した。
だけど数分経つとドアが変な音を立て始めた。
その音の正体は牙忍がドアを破壊しようとする音だと櫻木は気づくのが遅すぎた。
ドアがバキバキバキと崩れ落ちていく。
崩れたドアの向こうに牙忍の姿が見える。
月明かりに照らされてシルエットしか見えないが。
邪魔。
と櫻木は思った。
とりあえず足元にあったカッターを牙忍の顔に投げつける。
牙忍は手でカッターを強引に止めた。
カッターを受け止めた手から血が滴り落ちる。
すぐに怪我が治らない死ねる人間。
その事実がまた櫻木を狂わせる。
「なんでお前が死ねて私が死ねないんだ!」
今の彼女の最優先事項は自らの命を断つこと。しかしそれは能力という呪いによって達成できない。
だけど目の前の牙忍はそれを実行できる。
櫻木は羨ましかった。
牙忍は自傷行為をしたのかぼろぼろになった櫻木の衣服を見て痛々しそうに目を歪めた。
そして
「お前が黒山のことを狂うほど愛していたのはわかる。だけど今のお前は黒山が愛したお前じゃない。黒山は日頃から言ってたぞ。『あいつの笑顔が好きだ。だから俺が櫻木とあいつの笑顔を守らなきゃな』って」
牙忍が少しずつ部屋に入り歩を進めながら言う。
「あいつも確かにやり方ってもんはあったと思う。自分が死ねばこうなることは予想できたはずだしな。だけどな」
牙忍は櫻木の目の前に到達し、櫻木と同じ目線になるように座った。
それは子供に安心感を与えるような仕草。
「あいつが守ろうとしたのは今のお前みたいな櫻木愛花じゃない。笑顔が眩しい普通の櫻木愛花だ。それを吐き違えるんじゃねぇ」
そう言った牙忍は櫻木の目をじっと見つめる。
彼女が何を考えているかは本人しかわからない。
だけど伝えたいことは全部伝えた。
あとは見守るだけだ。と牙忍は思った。
数秒、間をおいてから櫻木の目から涙が出てきた。
瞬間
牙忍が後ろから何者かに背中を貫かれた。
背中の中心を確実に突いたその凶器は大きい槍。
槍の先端から血が滴る。
「けっ。そんなテンプレみたいな言葉。反吐が出るぜ」
槍の主は言う。
槍の主は槍を牙忍から引っこ抜く。
牙忍が横にバタリと倒れる。
牙忍の向こう側に居たのはキングだった。
血が滴る槍を持って部屋の入口に立つ死神。
「少し早いが殺しに来たぜ。生徒会」
キングが槍を肩に載せながら言う。
牙忍は浅い息を吐いているから生きてはいるだろう。だがキングが牙忍に歩いて近づいてくる。
そして牙忍のもとへ着くと
牙忍の刺された腹を足で踏む。
瞬間に牙忍の口から血反吐が吐かれる。
「ムカつくんだよそういう説教を聞くと。お前が知ってるものだけが世界じゃねぇぞ」
キングは踏みながら足を押し付ける。
牙忍の体が小さく跳ねる。
牙忍は力を振り絞りキングの足を掴むが刺された影響で力が入らず足は動かない。
その様子を櫻木はただ見る。
だが何かが変わりつつあった。
「櫻木…」
牙忍がかすれた声で言う。
「黒山を…生き返らせる…方法は…ある。会長から…教えてもらった…」
それを聞いた櫻木の目に生気が戻る。
「お前に残ってるのは…絶望だけじゃねぇ…だから…」
牙忍は血を吐きながら言う。
それを伝えるために。
希望を残すために。
「笑ってくれ」
黒山に見せた笑顔を。心の底からの笑顔を。
黒山を救ってきたのは、強くしたのは間違いなく櫻木だ。
だから今回も。
いつものように。
私が信二くんにされたように。
「私が助けなくちゃ…」
狂おしいほど愛している彼を救うため。
私を助けてくれた彼を救うため。
彼が居ない私自身を救うため。
狂気だって利用してやる。
「信二くんが居なくたって…私は戦える!」
その瞬間、蜃気楼にてプログラムが付与した能力が発現する。
異人ではなく秘術師として櫻木は覚醒。
『心狂う愛人者』。
それが彼女の秘術名。
「見ててね信二くん」
そう言った櫻木は狂気という牢獄に囚われる。
櫻木の雰囲気が一気に変わる。
牙忍を踏みつけるキングがそのあまりにもおぞましい雰囲気で数歩後ずさる。
その雰囲気は狂っているとしか言いようがないおぞましい雰囲気。
櫻木から常時ナイフが放出されているような尖った雰囲気。
そして櫻木は笑う。
黒山にしたのと同じ様に。
狂った笑いを。
その様子をを見たキングは思わず冷や汗をかく。
黒山を失った櫻木はもう戦力ではない。と思っていたが誤算だったな。キングはそう考える。
「そんな風になっても俺は倒せないぜ?」
とキングは櫻木を挑発する。
だが返事に飛んできたのは鋭い眼光だった。
キングを射抜くその目はそれだけで凶器のように思える。
そして
「信二くんを助けるために犠牲になって」
と櫻木は言った。
そこから戦闘が始まる。
ますはキングが槍を持って櫻木に突撃する。
その槍をいとたやすく櫻木が刃の根本を掴む。
キングが「まじかよ」っと思った次の瞬間。
掴んだ手の隙間から灰色の煙が噴出された。
キングは警戒していたためすっと後ろに避ける。
しかしそれを見た櫻木は一瞬でキングの目の前に移動し、驚くキングを廊下方向に蹴り飛ばす。
その蹴りの威力は絶大でまずは壁を破壊したが、威力は落ちず、さらには窓すら壊してキングは中庭に落下していった。
ここは2階だったため落ちたキングは受け身を取って背中を痛めた程度で致命的な怪我はしなかった。
落下したキングに近くで待機していた数十人の下位メンバー達が駆け寄ってくる。
キングは俺に構うな!逃げてろ!とすぐに叫んだが遅かった。
キングが落ちてきた2階から灰色の煙が溢れてくる。
そしてとてつもないスピードで中庭へ侵略してくる。
キングはちっと舌打ちをして下位メンバー1人を連れて煙と反対方向へ逃げる。
他の下位メンバーたちも逃げようとするが煙の侵略スピードが早すぎて逃げ切れない。
下位メンバーたちは煙の中に取り込まれていった。
しばらくキングと連れ出された1人の下位メンバーは絶望していた。
煙は割と一瞬で消え、中から無傷の下位メンバーたちが現れた。
しかし様子がおかしい。
各々自分の頭を地面に押し付けたり、他の下位メンバーに噛み付いたり異常な行動をしていた。
「どう?絶望の気分は」
2階から櫻木がキングを見下ろして言う。
「なんなんだこれ!一体どうなってんだ!」
キングは櫻木に叫ぶ。
それに櫻木は不気味に笑って
「これが概念の力。そっちのリーダーと同じような力だよ」と言う。
櫻木が使ったのは『狂気の概念』。これにあてられた者は気を狂わせ奇行に走る。抵抗策はない。
そしてこの概念は概念の中で1番自由に操れる概念。櫻木が概念を自室から中庭に落とせたのはこれの影響だ。
キングは激怒した。
自分の仲間をこんな風にした櫻木に。
しかしそれでキングはようやく理解した。
仲間を殺されることで芽生える怒りの感情を。
それを体現した櫻木の恐ろしさを。
「だけど引くわけには行かねぇんだ」
生徒会さえ倒してしまえば後は容易い仕事。1人はもう殺した。せめてこいつさえ殺せば大打撃になることは間違いない。
そこで櫻木が狂った笑いで狂ってしまった下位メンバー達を指差す。
すると下位メンバーたちの動きがピタッと止まる。
そして櫻木は言う。
「やっちゃないな」
すると狂ったはずの下位メンバーが一斉にキングたちに向かって走り出した。
これが狂気の概念のもう1つの効果。
人が操って概念を扱う時限定で概念の操作者が概念に囚われたものに対し目標物を設定することができる。
いわゆるゾンビに近いものだ。
狂った下位メンバーはキングたちに飛びかかる。
「ちぃ!」とキングは数十本のやりを生み出し下位メンバーを払いのける。

「ぎゃああああああああああ」
という叫びを聞きキングは後ろへ振り向く。
そこには背後を取った下位メンバーたちが唯一助けた下位メンバーを引きずり込んでいた。
キングはとっさに手を伸ばす。
しかしその思いも虚しく彼の姿は引きずり込まれ消えていった。
ゾンビの様になった元仲間たちの手によって下位メンバーは四肢を引きちぎられ、終いには体を全て食われ絶命した。
その様子を見てキングは悟った。
あれはは化け物だ。自分1人では勝てる相手ではない。
だが
「せめて一矢報いてから死にてぇよな!」
キングはまず自身の周囲に無数の槍を生やす。
下から生えた槍によって下位メンバーたちは串刺しにされ動けなくなる。
中には刺しどころが悪く絶命する者も居た。
「巻き込んじまって悪かったな」
キングは下位メンバー全員にそう言った。
これが彼にできる最大限の謝罪だった。
そして
「栄光なる処刑」
叫ぶ。心の底から。
あいつだけは許さないと。
強化した身体能力で大きく飛ぶ。
その高さは櫻木が立っている高さと同じ高さ。
そして手を櫻木にかざす。
「無限の放出!」
そう叫ぶとキングの周囲100メートル内に溢れんばかりの槍が無数に現れた。
それはすべて櫻木に狙いを定めている。
「罪を償え!」
それが発射された。
無数の矢は一糸乱れず櫻木に向かって飛んでいく。
櫻木の概念はあくまでも人に関するだけの概念。物体に効果はない。
それは合っていた。
櫻木に体を無数の槍が貫き、背後の屋敷すらも貫通する。
無数の槍を受けた櫻木は原型を留めずに消失していた。
だがキングは知らなかった。
彼女が何の異人だったのかを。
「私の家ごと壊すのは聞いてないって」
中庭下から声が聞こえた。
殺したはずの声。
「なんで生きて…」
キングは呟く。
しかしそれを櫻木が地獄耳で拾い答える。
「黒山くんの不死能力は私の能力だったんだよ」
キングはこう思っていた。
『不死能力は黒山の能力』と。
だが現実は違った。不死能力は黒山の能力ではなく櫻木の能力だった。
そしてこの事実を知るのは生徒会のみ。
櫻木は前線で戦うことが少なくだいたいは後方支援か傍観に回っていた。
そのためディストはこの事実を知らなかった。
そしてそれが発覚した時点でキングは「倒すのは不可能」と決めきり、逃げに転ずる。
「逃さないよ!」
振り向き逃げるキングに櫻木が狂気の概念を放出する。
狂気の概念はまるで火砕流のような速さでキングを追いかける。
段々と距離を詰め、あと数歩で追いつくといった瞬間に何かが起こった。
キングの体が突然消えた。
何も前兆なく一瞬で消えたのだ。
狂気の概念は標的を失い、透明になり消えていく。
それと同時に狂ってしまった下位メンバーはバタバタと倒れていった。
「逃しちゃったか。ごめんね会長たち」
生きるものが居なくなった中庭を見て櫻木は言う。
下位メンバーたちは全員狂い死んでいる。起き上がることはない。
これが秘術、そして概念。
そして一歩でも間違えば世界が崩壊してしまうほどの力。
それを思った時櫻木は喜び震えた。
自分自身の手で世界が終わらせられるのだから。
だが
「できるなら信二くんと2人きりの世界を作りたいよね~」
櫻木はそう言って笑う。

「…派手にやったな」
奏臣がぼろぼろになった櫻木邸を門から見て言う。
直ぐ側には櫻木とさっき奏臣に治してもらった牙忍もいる。
「いや~。やったのはほとんど組織のせいなんだけど~」
櫻木は頭をかいて笑う。
牙忍がポツリと「今は組織じゃなくてディストなんだけどな」と呟く。
門を開け中に入りながら奏臣は
「…少し待っていろ。直してくる」と言い空を飛んで破壊された箇所へ向かう。
牙忍がまた「直すってやっぱりあの人おかしいぜ」と呟いた。普段なら黒山以外の呟きには絶対に反応しない櫻木だったが、
「今に始まったことじゃないですよ」と珍しく話を返したのだった。
すると
ギョォウオンという禍々しい音とともに櫻木邸が何かの結界に覆われた。
しかしこれを貼っているのは奏臣だとわかっているため2人は特に反応しなかった。
そして数分経つと結界が解かれて、破損した箇所が完全に修復されている櫻木邸が2人の目の前に現れたのだった。
ヒョーンと空を飛んで奏臣が2人の元へ着地する。
「…終わりだ。解散」と言い暗くなった道を歩く。
牙忍は
「何をどうすればあの短時間でこのでっかい屋敷を直せるんだよ」と最後に呟いて自身も帰路につくのだった。
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