70 / 260
7、春の学院生活
62、いじめ
しおりを挟む
「ああ……!」
アッシュ・フィーリーは踏み躙られる教科書を見て悲鳴をあげた。まだ一度も開いていない、週明けから使う予定だった教科書は、決して安くない。アッシュは平民の少年で、上昇志向の強い親がじゃっかん無理をして学院に通えるように家計をやりくりしてくれている。たくさん勉強して出世してほしいと言われ続けた少年は、唇を噛んだ。
――自分が悪いのはわかっている。
入学式でつい貴族の陰口をたたいてしまったのだ。
あの時、あの日、アッシュは貴族令息を見ているうちに無性に「気に入らない」と感じたのだ。周りにいる貴族階級の少年少女を視て、何かじっとしていられない気分だったのだ。
けれど、冷静になってみれば平民の自分が貴族の陰口をたたくなんてとんでもないことだったと思えて仕方ない。
どうしてあんな事をしたんだろう? 何故あんな言葉を聞えよがしに言って、自分で自分を破滅に追いやるようなことをしたのだろう。
――それが、魔が差したとしか言いようがないのだった。
自分で自分が制御できない。ドロドロとした醜い感情に支配されて、理性が働かなくなる。してはいけないのに、してしまう。
そんな自分を感じて、それがとても怖かった。
せっかく親が応援してくれているのに、この教科書のようにぐしゃぐしゃに汚れた自分という存在――明るい世界の隅に転がるゴミクズみたいな自分が、みじめだった。
アッシュを囲む少年たちがぎらぎらとした目でコールする。辞めろ、辞めろと。
「上級貴族相手にあんな暴言、死罪になっても仕方ないんだぜ!」
「親兄弟も巻き込まれて断罪されてしまえ」
――学院を辞めるなんて、親にどんな顔をして言えばいいだろう。
100%悪意を持って衝動的に大貴族の令息に暴言を吐いたなんて、言えるわけがなかった。
アッシュは自分が追い詰められているのを痛感した。辞めなければ、彼らはずっとアッシュをいじめるだろう。けれど辞められない。だから、ずっと耐えていくしかない――、
と、視界に春色が跳ねて、飛び込んで来た。
「アッシュ。お待たせですわー!」
まるで親しい者にかけるみたいな明るい声。
母親と思われる美しい貴婦人と執事と、揃いの制服を来た貴族の子飼いと思しき騎士たちを背後に見せながら。
――ネネツィカが天真爛漫な笑みを咲かせて、少年たちを押しのけてアッシュの腕を掴む。ひんやりとした指先の体温に、アッシュの心臓がどきっと跳ねる。
これが現実なのだと感じさせてくれる冷たさは、少女の緊張を伝えてくれた。
「あら? こちらの方々は、学院でお会いしましたかしら! ごきげんよう。アタクシは週明けの学院生活に必要なお買い物にきましたの! あなたたちも、そうかしら?」
ネネツィカがニコニコと少年たちに語り掛ける。
「ラーフルトンさん! こんなところでお会いするなんて奇遇ですね」
「ネネツィカさん、なんでそいつの腕を掴んでるんです?」
伯爵令嬢には好意的で敬うような声と視線を。
令嬢に声をかけられ、腕を掴まれるアッシュには汚物をみるような目を向けて。
少年たちは、何かを感じ取って汗を浮かべた。ネネツィカはとっておきのスマイルを浮かべ、少年たちが感じた『その可能性』を肯定してやった。
「アタクシとアッシュは、一緒に買い物をする約束をしていましたの! アタクシたち、実はとーっても仲が良いんですのよ!」
アッシュの胸がぐっと苦しくなった。
息苦しさを感じて、アッシュはすこし咽た。
――こいつ、庇ってくれようとしてる!!
助かる、と思う一方でいっそうみじめな気分が足元からせり上がってくる。
「あら? 地面に教科書が落ちていますわ。靴跡がついて……」
ネネツィカが恐ろしいものを見つけたように地面に視線を落とすと、母親や護衛たちがいっせいに厳しい顔をして少年たちを見た。
「アタクシ、まさかと思うんですけれど――これは、あなたたちがなさいましたの?」
「あっ、これは!」
「違うんです、オレたちはたまたまフィーリー君が教科書を落としたところに通りかかって……っ」
少年たちは驚いた顔であれこれと言い訳するみたいなことを言って、しまいには逃げて行った。
(あの子たち――エリック様の取り巻きですわ)
ネネツィカは、彼らの背を見つめながらその事実に気付いた。
アッシュ・フィーリーは踏み躙られる教科書を見て悲鳴をあげた。まだ一度も開いていない、週明けから使う予定だった教科書は、決して安くない。アッシュは平民の少年で、上昇志向の強い親がじゃっかん無理をして学院に通えるように家計をやりくりしてくれている。たくさん勉強して出世してほしいと言われ続けた少年は、唇を噛んだ。
――自分が悪いのはわかっている。
入学式でつい貴族の陰口をたたいてしまったのだ。
あの時、あの日、アッシュは貴族令息を見ているうちに無性に「気に入らない」と感じたのだ。周りにいる貴族階級の少年少女を視て、何かじっとしていられない気分だったのだ。
けれど、冷静になってみれば平民の自分が貴族の陰口をたたくなんてとんでもないことだったと思えて仕方ない。
どうしてあんな事をしたんだろう? 何故あんな言葉を聞えよがしに言って、自分で自分を破滅に追いやるようなことをしたのだろう。
――それが、魔が差したとしか言いようがないのだった。
自分で自分が制御できない。ドロドロとした醜い感情に支配されて、理性が働かなくなる。してはいけないのに、してしまう。
そんな自分を感じて、それがとても怖かった。
せっかく親が応援してくれているのに、この教科書のようにぐしゃぐしゃに汚れた自分という存在――明るい世界の隅に転がるゴミクズみたいな自分が、みじめだった。
アッシュを囲む少年たちがぎらぎらとした目でコールする。辞めろ、辞めろと。
「上級貴族相手にあんな暴言、死罪になっても仕方ないんだぜ!」
「親兄弟も巻き込まれて断罪されてしまえ」
――学院を辞めるなんて、親にどんな顔をして言えばいいだろう。
100%悪意を持って衝動的に大貴族の令息に暴言を吐いたなんて、言えるわけがなかった。
アッシュは自分が追い詰められているのを痛感した。辞めなければ、彼らはずっとアッシュをいじめるだろう。けれど辞められない。だから、ずっと耐えていくしかない――、
と、視界に春色が跳ねて、飛び込んで来た。
「アッシュ。お待たせですわー!」
まるで親しい者にかけるみたいな明るい声。
母親と思われる美しい貴婦人と執事と、揃いの制服を来た貴族の子飼いと思しき騎士たちを背後に見せながら。
――ネネツィカが天真爛漫な笑みを咲かせて、少年たちを押しのけてアッシュの腕を掴む。ひんやりとした指先の体温に、アッシュの心臓がどきっと跳ねる。
これが現実なのだと感じさせてくれる冷たさは、少女の緊張を伝えてくれた。
「あら? こちらの方々は、学院でお会いしましたかしら! ごきげんよう。アタクシは週明けの学院生活に必要なお買い物にきましたの! あなたたちも、そうかしら?」
ネネツィカがニコニコと少年たちに語り掛ける。
「ラーフルトンさん! こんなところでお会いするなんて奇遇ですね」
「ネネツィカさん、なんでそいつの腕を掴んでるんです?」
伯爵令嬢には好意的で敬うような声と視線を。
令嬢に声をかけられ、腕を掴まれるアッシュには汚物をみるような目を向けて。
少年たちは、何かを感じ取って汗を浮かべた。ネネツィカはとっておきのスマイルを浮かべ、少年たちが感じた『その可能性』を肯定してやった。
「アタクシとアッシュは、一緒に買い物をする約束をしていましたの! アタクシたち、実はとーっても仲が良いんですのよ!」
アッシュの胸がぐっと苦しくなった。
息苦しさを感じて、アッシュはすこし咽た。
――こいつ、庇ってくれようとしてる!!
助かる、と思う一方でいっそうみじめな気分が足元からせり上がってくる。
「あら? 地面に教科書が落ちていますわ。靴跡がついて……」
ネネツィカが恐ろしいものを見つけたように地面に視線を落とすと、母親や護衛たちがいっせいに厳しい顔をして少年たちを見た。
「アタクシ、まさかと思うんですけれど――これは、あなたたちがなさいましたの?」
「あっ、これは!」
「違うんです、オレたちはたまたまフィーリー君が教科書を落としたところに通りかかって……っ」
少年たちは驚いた顔であれこれと言い訳するみたいなことを言って、しまいには逃げて行った。
(あの子たち――エリック様の取り巻きですわ)
ネネツィカは、彼らの背を見つめながらその事実に気付いた。
0
あなたにおすすめの小説
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい
夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが……
◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。
◆お友達の花々緒さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。
◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。
限界オタクだった俺が異世界に転生して王様になったら、何故か聖剣を抜いて勇者にクラスチェンジした元近衛騎士に娶られました。
篠崎笙
BL
限界ヲタクだった来栖翔太はトラックに撥ねられ、肌色の本を撒き散らして無惨に死んだ。だが、異世界で美少年のクリスティアン王子として転生する。ヲタクな自分を捨て、立派な王様になるべく努力した王子だったが。近衛騎士のアルベルトが勇者にクラスチェンジし、竜を退治した褒美として結婚するように脅され……。
この俺が正ヒロインとして殿方に求愛されるわけがない!
ゆずまめ鯉
BL
五歳の頃の授業中、頭に衝撃を受けたことから、自分が、前世の妹が遊んでいた乙女ゲームの世界にいることに気づいてしまったニエル・ガルフィオン。
ニエルの外見はどこからどう見ても金髪碧眼の美少年。しかもヒロインとはくっつかないモブキャラだったので、伯爵家次男として悠々自適に暮らそうとしていた。
これなら異性にもモテると信じて疑わなかった。
ところが、正ヒロインであるイリーナと結ばれるはずのチート級メインキャラであるユージン・アイアンズが熱心に構うのは、モブで攻略対象外のニエルで……!?
ユージン・アイアンズ(19)×ニエル・ガルフィオン(19)
公爵家嫡男と伯爵家次男の同い年の乙女ゲー転生BLです。
異世界に勇者として召喚された俺、ラスボスの魔王に敗北したら城に囚われ執着と独占欲まみれの甘い生活が始まりました
水凪しおん
BL
ごく普通の日本人だった俺、ハルキは、事故であっけなく死んだ――と思ったら、剣と魔法の異世界で『勇者』として目覚めた。
世界の命運を背負い、魔王討伐へと向かった俺を待っていたのは、圧倒的な力を持つ美しき魔王ゼノン。
「見つけた、俺の運命」
敗北した俺に彼が告げたのは、死の宣告ではなく、甘い所有宣言だった。
冷徹なはずの魔王は、俺を城に囚え、身も心も蕩けるほどに溺愛し始める。
食事も、着替えも、眠る時でさえ彼の腕の中。
その執着と独占欲に戸惑いながらも、時折見せる彼の孤独な瞳に、俺の心は抗いがたく惹かれていく。
敵同士から始まる、歪で甘い主従関係。
世界を敵に回しても手に入れたい、唯一の愛の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる