72 / 260
7、春の学院生活
64、鳥は、羽搏いて、「もう怖くない」
しおりを挟む
「あっ。フィーリー君――すみません、俺はちょっと彼を追いますね」
先生がそう言って走って行く。
母はそんな先生を「優しそうな先生ね」と言って見送りながら娘の肩をしっかりつかんだ。今にも後を追いかけそうだったので。
「さあネネツィカ、魔術の講義でつかう杖を買いにいくわよ」
「は、はあい……」
執事ティミオスは『優しそうな先生』が消えた方向を少し気にしている令嬢へとそっと耳打ちした。
「お嬢様、大丈夫ですよ」
その声がすこし機械的にきこえたから、ネネツィカはどきりとして一瞬、執事の顔を視るのをためらった。
「……ええ、そうね……」
相槌を打つけれど、それが正しいリアクションなのかよくわからないまま――時間が過ぎていく。
◇◇◇
そして、週明け。
新入生たちが意気揚々と新しい一週間を開始する。魔術の講義室に足を踏み入れたネネツィカは、推しの講義で張り切りモードのヘレナに引っ張られて最前席に落ち着いた。
「実技は出来る気がしないから、座学で先生に猛アピールするわ」
ヘレナはそう言って燃える瞳を教壇に向ける。
長く、うっそりと伸びた黒髪を背に垂らし、眉間に深い皺を刻んだ表情の魔術の先生が講義室に現れると、室内の照明が数段暗くなったみたいな錯覚を覚えた。
声は低く、唸るように不機嫌で、いかにも人嫌いな気配を濃く漂わせている。
着込んだローブは夜に似合いの昏い色で、ゆったりと揺れるさまは悪夢を誘うよう。
「アンドルート先生だ。ネネツィカ、アンドルート先生だよ」
ヘレナがテンションを上げている。しかし、物凄く小声だ。
――先生に嫌われないように、地雷を踏まないようにしたいの。
講義前にさんざん言い含められたネネツィカは、無言で頷いた。私語をしたくても我慢なのだ――(駄目と言ったヘレナ本人がはしゃいでるのは、気にしないことにした)ネネツィカはヘレナのほうを見ないようにして、行儀よく先生を見た。
伯爵家に副業でやってきて、母とギスギスしたこともあるその姿。
薄い本を読もうとして兄やエイヴンと三角関係の夢を魅せてくれた(思い込み)、ヴァルター・アンドルート先生。
「これより講義を始める。私語は慎むように」
灰色の瞳がじろりと室内を巡り、ひとりの少年のもとで止まる。綿毛みたいにまっしろな髪をしたキュアリアス寮の少年、窓際でノートを破って何かクラフトしようとしている様子の――眼鏡の奥にふしぎな銀色を隠したデミル・マジェスに。
コツコツと足音を響かせて、アンドルート先生がデミルに近付いた。
「――何をしているのかね?」
この世の終わりを告げるような底冷えのする声が、靜かな教室に響く。
ずん、と腹の底に嫌な感じがして、首をすくめてその声に固唾をのむ学生たち。
彼らが怯える鼓動を胸に持て余しながら彫像のように気配を消そうとする中、デミル少年はあっけらかんとして、まったく悪びれることなく席を立ち。
「鳥をつくった!」
なにも怖いものがないような伸びやかで遠慮知らずの声でそう笑って、杖を振った。
「そぉれ、ひゅう~ん! とんでけーっ」
先生が目を見開いた。
杖に指揮されて、紙きれがふわりと浮く。ぐしゃぐしゃの形のそれが、鳥めいた型になる。羽の部分が羽ばたきをみせて、ぱたぱたと講義室の天井を一周し――、
「きみは自由だ!」
デミルが笑うと、そのまま窓の外へと飛んで行った。
「――魔法だ」
誰かが声を零した。
見紛うことなく、それは彼らが憧れる、使える才能を持つ者がとても少ない――ほんものの魔法だった。
――すごい!
先生にびくびく怯えていたアッシュ・フィーリーが、目をキラキラさせてそれを観ていた。
(デミル・マジェス君は、呼吸するように自然に、当たり前に魔法を使えるんだ)
まるで妖精だ、とアッシュは同級生を視た。
白い綿菓子みたいな髪はふわふわで、そういえば耳先がちょっと尖っているかも?
(いいなあ、天才。あんな風に魔法が使えたら、なんでもできちゃうよね。お金を魔法で出したりも、できるのかな? それができたら大変じゃない? ……って、こんなことを考えるから俺は魔法が使えないのか。心が汚れているや……)
デミルの横顔はとても純粋そうで、アッシュと違ってつまらない事を気にしたりうじうじしたり、絶対にしないだろうと思うのだ。
デミルは視線に気づいたようにアッシュを見て、にこっと笑った。
「アッシュ!」
「あ、うん……」
今、講義中だよ。先生めっちゃ見てるし、きいてるよ。
アッシュはびくびくした。
「魔法は、たのしい!」
無邪気に笑う顔を見ていると、アッシュはつまらない事が全部飛んでいくような気がした。
「俺はたぶん実技、できないけどね」
才能がないのだ。でも、興味があった。
そうアッシュが告げると、デミルはにこにこした。
「オイラがいるよ!」
「あ、ありがと……」
「竜がいじわるしても、もう怖くないよ」
――なにをいってるんだろう。
デミルの言葉はなんだかふわふわしていて、よくわからない。
けれど、好意みたいなのは凄く感じた。うまく言えないけれど、ちいさな弟が慕ってくれてるみたい。アッシュはそれが嬉しかった。
「うん。デミルがいっしょなら、怖くないよ」
淡くはにかんで言えば、デミルは嬉しそうに何度も頷くのだった。
先生がそう言って走って行く。
母はそんな先生を「優しそうな先生ね」と言って見送りながら娘の肩をしっかりつかんだ。今にも後を追いかけそうだったので。
「さあネネツィカ、魔術の講義でつかう杖を買いにいくわよ」
「は、はあい……」
執事ティミオスは『優しそうな先生』が消えた方向を少し気にしている令嬢へとそっと耳打ちした。
「お嬢様、大丈夫ですよ」
その声がすこし機械的にきこえたから、ネネツィカはどきりとして一瞬、執事の顔を視るのをためらった。
「……ええ、そうね……」
相槌を打つけれど、それが正しいリアクションなのかよくわからないまま――時間が過ぎていく。
◇◇◇
そして、週明け。
新入生たちが意気揚々と新しい一週間を開始する。魔術の講義室に足を踏み入れたネネツィカは、推しの講義で張り切りモードのヘレナに引っ張られて最前席に落ち着いた。
「実技は出来る気がしないから、座学で先生に猛アピールするわ」
ヘレナはそう言って燃える瞳を教壇に向ける。
長く、うっそりと伸びた黒髪を背に垂らし、眉間に深い皺を刻んだ表情の魔術の先生が講義室に現れると、室内の照明が数段暗くなったみたいな錯覚を覚えた。
声は低く、唸るように不機嫌で、いかにも人嫌いな気配を濃く漂わせている。
着込んだローブは夜に似合いの昏い色で、ゆったりと揺れるさまは悪夢を誘うよう。
「アンドルート先生だ。ネネツィカ、アンドルート先生だよ」
ヘレナがテンションを上げている。しかし、物凄く小声だ。
――先生に嫌われないように、地雷を踏まないようにしたいの。
講義前にさんざん言い含められたネネツィカは、無言で頷いた。私語をしたくても我慢なのだ――(駄目と言ったヘレナ本人がはしゃいでるのは、気にしないことにした)ネネツィカはヘレナのほうを見ないようにして、行儀よく先生を見た。
伯爵家に副業でやってきて、母とギスギスしたこともあるその姿。
薄い本を読もうとして兄やエイヴンと三角関係の夢を魅せてくれた(思い込み)、ヴァルター・アンドルート先生。
「これより講義を始める。私語は慎むように」
灰色の瞳がじろりと室内を巡り、ひとりの少年のもとで止まる。綿毛みたいにまっしろな髪をしたキュアリアス寮の少年、窓際でノートを破って何かクラフトしようとしている様子の――眼鏡の奥にふしぎな銀色を隠したデミル・マジェスに。
コツコツと足音を響かせて、アンドルート先生がデミルに近付いた。
「――何をしているのかね?」
この世の終わりを告げるような底冷えのする声が、靜かな教室に響く。
ずん、と腹の底に嫌な感じがして、首をすくめてその声に固唾をのむ学生たち。
彼らが怯える鼓動を胸に持て余しながら彫像のように気配を消そうとする中、デミル少年はあっけらかんとして、まったく悪びれることなく席を立ち。
「鳥をつくった!」
なにも怖いものがないような伸びやかで遠慮知らずの声でそう笑って、杖を振った。
「そぉれ、ひゅう~ん! とんでけーっ」
先生が目を見開いた。
杖に指揮されて、紙きれがふわりと浮く。ぐしゃぐしゃの形のそれが、鳥めいた型になる。羽の部分が羽ばたきをみせて、ぱたぱたと講義室の天井を一周し――、
「きみは自由だ!」
デミルが笑うと、そのまま窓の外へと飛んで行った。
「――魔法だ」
誰かが声を零した。
見紛うことなく、それは彼らが憧れる、使える才能を持つ者がとても少ない――ほんものの魔法だった。
――すごい!
先生にびくびく怯えていたアッシュ・フィーリーが、目をキラキラさせてそれを観ていた。
(デミル・マジェス君は、呼吸するように自然に、当たり前に魔法を使えるんだ)
まるで妖精だ、とアッシュは同級生を視た。
白い綿菓子みたいな髪はふわふわで、そういえば耳先がちょっと尖っているかも?
(いいなあ、天才。あんな風に魔法が使えたら、なんでもできちゃうよね。お金を魔法で出したりも、できるのかな? それができたら大変じゃない? ……って、こんなことを考えるから俺は魔法が使えないのか。心が汚れているや……)
デミルの横顔はとても純粋そうで、アッシュと違ってつまらない事を気にしたりうじうじしたり、絶対にしないだろうと思うのだ。
デミルは視線に気づいたようにアッシュを見て、にこっと笑った。
「アッシュ!」
「あ、うん……」
今、講義中だよ。先生めっちゃ見てるし、きいてるよ。
アッシュはびくびくした。
「魔法は、たのしい!」
無邪気に笑う顔を見ていると、アッシュはつまらない事が全部飛んでいくような気がした。
「俺はたぶん実技、できないけどね」
才能がないのだ。でも、興味があった。
そうアッシュが告げると、デミルはにこにこした。
「オイラがいるよ!」
「あ、ありがと……」
「竜がいじわるしても、もう怖くないよ」
――なにをいってるんだろう。
デミルの言葉はなんだかふわふわしていて、よくわからない。
けれど、好意みたいなのは凄く感じた。うまく言えないけれど、ちいさな弟が慕ってくれてるみたい。アッシュはそれが嬉しかった。
「うん。デミルがいっしょなら、怖くないよ」
淡くはにかんで言えば、デミルは嬉しそうに何度も頷くのだった。
0
あなたにおすすめの小説
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい
夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが……
◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。
◆お友達の花々緒さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。
◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。
限界オタクだった俺が異世界に転生して王様になったら、何故か聖剣を抜いて勇者にクラスチェンジした元近衛騎士に娶られました。
篠崎笙
BL
限界ヲタクだった来栖翔太はトラックに撥ねられ、肌色の本を撒き散らして無惨に死んだ。だが、異世界で美少年のクリスティアン王子として転生する。ヲタクな自分を捨て、立派な王様になるべく努力した王子だったが。近衛騎士のアルベルトが勇者にクラスチェンジし、竜を退治した褒美として結婚するように脅され……。
この俺が正ヒロインとして殿方に求愛されるわけがない!
ゆずまめ鯉
BL
五歳の頃の授業中、頭に衝撃を受けたことから、自分が、前世の妹が遊んでいた乙女ゲームの世界にいることに気づいてしまったニエル・ガルフィオン。
ニエルの外見はどこからどう見ても金髪碧眼の美少年。しかもヒロインとはくっつかないモブキャラだったので、伯爵家次男として悠々自適に暮らそうとしていた。
これなら異性にもモテると信じて疑わなかった。
ところが、正ヒロインであるイリーナと結ばれるはずのチート級メインキャラであるユージン・アイアンズが熱心に構うのは、モブで攻略対象外のニエルで……!?
ユージン・アイアンズ(19)×ニエル・ガルフィオン(19)
公爵家嫡男と伯爵家次男の同い年の乙女ゲー転生BLです。
異世界に勇者として召喚された俺、ラスボスの魔王に敗北したら城に囚われ執着と独占欲まみれの甘い生活が始まりました
水凪しおん
BL
ごく普通の日本人だった俺、ハルキは、事故であっけなく死んだ――と思ったら、剣と魔法の異世界で『勇者』として目覚めた。
世界の命運を背負い、魔王討伐へと向かった俺を待っていたのは、圧倒的な力を持つ美しき魔王ゼノン。
「見つけた、俺の運命」
敗北した俺に彼が告げたのは、死の宣告ではなく、甘い所有宣言だった。
冷徹なはずの魔王は、俺を城に囚え、身も心も蕩けるほどに溺愛し始める。
食事も、着替えも、眠る時でさえ彼の腕の中。
その執着と独占欲に戸惑いながらも、時折見せる彼の孤独な瞳に、俺の心は抗いがたく惹かれていく。
敵同士から始まる、歪で甘い主従関係。
世界を敵に回しても手に入れたい、唯一の愛の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる