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11、三国同盟と魔王の時代
161、俺はそんな世界も好きだよ
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「妖精王さーん。デミル君……」
黒いローブに身を包み、フードを目深に被ったクレイが小さな家の戸を叩く。学院の同級生であり、冒険者のアッシュ・フィーリーの家だ。
「あーい」
我が家顔でデミルが顔を出して、手に持っていたトーストの端っこからバターをとろりと溢した。
隙間からアッシュの弟たちがこちらを見ているのがわかり、少年は持ってきたお菓子の籠を差し入れた。
「僕、やっぱり派閥集会とか第二王妃のお見舞いとかに行かなくちゃいけないみたいなんです。だから、しばらく此処に来れなくて」
「そっかあ? 病気でもサボれないんだねえ」
「病気じゃないのがバレてるのでしょう」
家の中に招かれて、ちょこんと隅っこに座ると賑やかな大家族がわちゃわちゃ絡んでくる。
「アッシュは、昨日スライムを倒したよ」
「にいちゃんはすごいんだ!!」
駆け出し冒険者の話で、小さな家が湧いていた。両親はとても心配そうで、けれど誇らしそうでもあった。
特別な冬の日の早朝、エリックは蝙蝠羽を伸びやかに広げて術をあわせ、最近日課となりつつある散歩に興じた。
ティーリーなしで空を一人で自在に飛翔するのは楽しいような、寂しいような感覚。風は無色透明で掴みどころなく吹いていて、匂いもあまりない。
肌寒さを感じる視界に、国土が見下ろされる。
ひとりひとりがそれまでの自分だけの人生を背負い、その延長の道のりを未来に向けて、いつか来たる終わりに向けて過ごしている。
それはとても凄いことなのだとエリックは思ったし、愛しいなと感じるのだ。
「だから、暴れちゃダメだよ。俺の可愛いお前たち」
優しく宥める声を掛ければ、民を襲おうとしていた魔物が消えていく。消えた彼らは何処に行くのだろ――エリックはその魂を想い、羽を強く羽ばたかせた。
エリックの母のようなティーリーは悪者にされて、その後は魔王が黒幕だとされた。
人々は言われるがまま、今日はあれが悪役で明日はそれが悪役なのだとわかりやすい物語を飲み込んで、それがわかりやすくて迷わないものであるほど安心する。
新たな悪役にヘイトを向けて、被害者だと認めさせた昨日までの悪役には同情的になる。
「君は自分でそれを利用するのに、恩恵にあやかりながらそんな人々を軽蔑するんだろ。クレイ」
黒いローブ姿でアッシュの家から出て来る友人を見下ろして、エリックは空中で微笑んだ。
「でもさ、俺はそんな世界も好きだよ」
空を滑るように城に帰れば、いつもと同じ騎士が「おかえりなさいませ」と言ってくれる。
羽を畳んで隠して、エリックは笑顔で「ただいま」と笑った。
「魔物が早起きのおじいさんを狙っててね。消えろって念じたら消えてくれたよ」
俺の力は民を守れるようだね、と首を傾げて出かける準備を進めれば、オーガストは「そうですね」と前向きに微笑んだ。
「けれど、その力を失くす方法も探しましょうね。聖女様あたりにも相談してみましょう」
「うん、そうだね」
壁際ではトラン医師がハーブティーを淹れてくれていて、秘密を共有する者同士の優しい香りが部屋を浸した。
王子の部屋は白くて清潔で、曇ることなんて許さないといった空気だけれど、別に外側も内側もどれだけ汚れても、良いのではないだろうか。
どんな風であろうと、自分という存在の軸は実はそんなにブレないのだ。
どんなに泥まみれで、何度転んでも、前に進めれば結局のところは歩き方なんて些末事で、全然構わないのだ。
そんなひとつの事実に、エリックは気づいた。
「俺は、君たちがこうして近くにいてくれるから、安心して前向きになれるよ」
呪術で速めた馬車に乗り、彼女の元に到着すれば国際情勢なんて遠い別の世界みたいに思えてしまう。近くの事でいっぱいいっぱいだ。
例えば遠くで見知らぬ誰かがとても酷い目に遭っていて、そんな知らせを耳にすれば哀れに思うことはあるけれど、身近なそれに比べればどうしても他人事で――でも、いざそれが近くで突きつけられれば、或いはあの憐れなる第三王子やシャジャル第二王妃のように、「ああ、こんなに悲しいではないか」と生々しく痛感するのだろう。
「最近の俺の朝の過ごし方について話そうか。君はきっと驚くよ――」
愛しい恋人は、凍える冬空に春を呼ぶような綺麗なふわふわした長い髪を淑女らしく結い上げていて、エリックが贈った首飾りを日差しに煌めかせていて、少し背伸びした化粧が上品で好ましい。
白い手袋に隠れているけれど、隠れた指先までネイルを施しているだろう。まるでキャンディのような煌めくそれを何度も見ていて、彼女はそんな彩を楽しむのだなと感じるたびに可愛らしいと思ったものだ。
「教会より先に、まずはクレイをいじめに行こうね。あいつ、仮病をいつまでも使って見苦しいようだから。そろそろ止めるように言ってやろう」
なんなら、一緒に混ぜてやってもいいのだけど。
多分来ないんだろうな――エリックは少しだけ残念そうに笑った。
「エリック様、可愛らしい尻尾が丸見えですのよ」
そんなのは何でもないというようにネネツィカが笑って、尻尾を捕まえようと手を伸ばした。
「おっと、掴ませないよっ!」
ゆら、ゆら。尻尾を挑発的に揺らめかせて、エリックはするりと空気に溶けるみたいにそれを消した。
「あら、残念」
「これ、あいつに見せたら、凄いびっくりするだろうな! 卒倒しちゃうかな?」
優しくて穏やかで、少しだけ特別な感じの聖なる日が始まる鐘の音が遠く響いて、ワクワクした。
黒いローブに身を包み、フードを目深に被ったクレイが小さな家の戸を叩く。学院の同級生であり、冒険者のアッシュ・フィーリーの家だ。
「あーい」
我が家顔でデミルが顔を出して、手に持っていたトーストの端っこからバターをとろりと溢した。
隙間からアッシュの弟たちがこちらを見ているのがわかり、少年は持ってきたお菓子の籠を差し入れた。
「僕、やっぱり派閥集会とか第二王妃のお見舞いとかに行かなくちゃいけないみたいなんです。だから、しばらく此処に来れなくて」
「そっかあ? 病気でもサボれないんだねえ」
「病気じゃないのがバレてるのでしょう」
家の中に招かれて、ちょこんと隅っこに座ると賑やかな大家族がわちゃわちゃ絡んでくる。
「アッシュは、昨日スライムを倒したよ」
「にいちゃんはすごいんだ!!」
駆け出し冒険者の話で、小さな家が湧いていた。両親はとても心配そうで、けれど誇らしそうでもあった。
特別な冬の日の早朝、エリックは蝙蝠羽を伸びやかに広げて術をあわせ、最近日課となりつつある散歩に興じた。
ティーリーなしで空を一人で自在に飛翔するのは楽しいような、寂しいような感覚。風は無色透明で掴みどころなく吹いていて、匂いもあまりない。
肌寒さを感じる視界に、国土が見下ろされる。
ひとりひとりがそれまでの自分だけの人生を背負い、その延長の道のりを未来に向けて、いつか来たる終わりに向けて過ごしている。
それはとても凄いことなのだとエリックは思ったし、愛しいなと感じるのだ。
「だから、暴れちゃダメだよ。俺の可愛いお前たち」
優しく宥める声を掛ければ、民を襲おうとしていた魔物が消えていく。消えた彼らは何処に行くのだろ――エリックはその魂を想い、羽を強く羽ばたかせた。
エリックの母のようなティーリーは悪者にされて、その後は魔王が黒幕だとされた。
人々は言われるがまま、今日はあれが悪役で明日はそれが悪役なのだとわかりやすい物語を飲み込んで、それがわかりやすくて迷わないものであるほど安心する。
新たな悪役にヘイトを向けて、被害者だと認めさせた昨日までの悪役には同情的になる。
「君は自分でそれを利用するのに、恩恵にあやかりながらそんな人々を軽蔑するんだろ。クレイ」
黒いローブ姿でアッシュの家から出て来る友人を見下ろして、エリックは空中で微笑んだ。
「でもさ、俺はそんな世界も好きだよ」
空を滑るように城に帰れば、いつもと同じ騎士が「おかえりなさいませ」と言ってくれる。
羽を畳んで隠して、エリックは笑顔で「ただいま」と笑った。
「魔物が早起きのおじいさんを狙っててね。消えろって念じたら消えてくれたよ」
俺の力は民を守れるようだね、と首を傾げて出かける準備を進めれば、オーガストは「そうですね」と前向きに微笑んだ。
「けれど、その力を失くす方法も探しましょうね。聖女様あたりにも相談してみましょう」
「うん、そうだね」
壁際ではトラン医師がハーブティーを淹れてくれていて、秘密を共有する者同士の優しい香りが部屋を浸した。
王子の部屋は白くて清潔で、曇ることなんて許さないといった空気だけれど、別に外側も内側もどれだけ汚れても、良いのではないだろうか。
どんな風であろうと、自分という存在の軸は実はそんなにブレないのだ。
どんなに泥まみれで、何度転んでも、前に進めれば結局のところは歩き方なんて些末事で、全然構わないのだ。
そんなひとつの事実に、エリックは気づいた。
「俺は、君たちがこうして近くにいてくれるから、安心して前向きになれるよ」
呪術で速めた馬車に乗り、彼女の元に到着すれば国際情勢なんて遠い別の世界みたいに思えてしまう。近くの事でいっぱいいっぱいだ。
例えば遠くで見知らぬ誰かがとても酷い目に遭っていて、そんな知らせを耳にすれば哀れに思うことはあるけれど、身近なそれに比べればどうしても他人事で――でも、いざそれが近くで突きつけられれば、或いはあの憐れなる第三王子やシャジャル第二王妃のように、「ああ、こんなに悲しいではないか」と生々しく痛感するのだろう。
「最近の俺の朝の過ごし方について話そうか。君はきっと驚くよ――」
愛しい恋人は、凍える冬空に春を呼ぶような綺麗なふわふわした長い髪を淑女らしく結い上げていて、エリックが贈った首飾りを日差しに煌めかせていて、少し背伸びした化粧が上品で好ましい。
白い手袋に隠れているけれど、隠れた指先までネイルを施しているだろう。まるでキャンディのような煌めくそれを何度も見ていて、彼女はそんな彩を楽しむのだなと感じるたびに可愛らしいと思ったものだ。
「教会より先に、まずはクレイをいじめに行こうね。あいつ、仮病をいつまでも使って見苦しいようだから。そろそろ止めるように言ってやろう」
なんなら、一緒に混ぜてやってもいいのだけど。
多分来ないんだろうな――エリックは少しだけ残念そうに笑った。
「エリック様、可愛らしい尻尾が丸見えですのよ」
そんなのは何でもないというようにネネツィカが笑って、尻尾を捕まえようと手を伸ばした。
「おっと、掴ませないよっ!」
ゆら、ゆら。尻尾を挑発的に揺らめかせて、エリックはするりと空気に溶けるみたいにそれを消した。
「あら、残念」
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