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七章、勇者の呪いと熱砂の誓い
140、堕ちたいの
しおりを挟むSIDE エーテル
――空を覆い尽くすような、小妖精の群れ。
どこからか突然湧いた群れは、イナゴの群れに似ている。イナゴよりよほど恐ろしい、ひとつひとつの個体が知性と魔力を持つ妖精の群れだ。
それは、まるでこの世の終わりを思い出させるような光景だった。
「あれはなに……?」
右側に立つドゥバイドの声を聞きながら、僕は首を振った。
胸の奥で心臓が早鐘のように騒いでいる。
――あの妖精はどこから湧いたのか。
『大陸連合軍』が布陣する方向から湧いたのではないか。それを思うと、不安で仕方なかった。
「うへえ、ちっこい妖精が大量だ。気持ち悪いな……」
ロザニイルが僕の左隣で眉を寄せている。
「飛竜が落ちてるぞ。見ろよ……ヤバいんじゃねえの、あれ。あっ、結界にも食いついてら……腹減ってんのかな……こっち来たらヤバいんじゃねえかな」
言いながら、ロザニイルは密やかに僕の首輪に手を添えた。
身体と手で隠すようにして、隠し持っていたらしきナイフが取り出される。小さな刃が首輪の瑕に当てられる。拘束を今こそ断とうとするのがわかって、どきりと緊張が背を走る――僕は息を殺して右側にいるドゥバイドの様子を窺った。ドゥバイドの目は、遠くの変事に釘付けになっている。
「やだ、あの変なの、結界に群がってるわ。結界がダメージを受けてるじゃない。あまり長くは持たないかしら。大陸連合軍側も飛竜が落ちたりしたようだけど……あれは妖精なの?」
――気を逸らさないといけない。
僕はドキドキしながら言葉を選んだ。
「ええ、妖精です。ごらんください、小さいけれど、羽が生えているのがよくよく目を凝らすと視えると思います。魔法のアイテムに封印されていた、古い時代の妖精たちですね。古い時代は、そこら中をあんな妖精が飛んでいたのだと本で読んだことがありますよ……楽しいですねドゥバイド様、世の中って何が起きるかわからないですね?」
ドゥバイドが目を眇めて「小さすぎない?」と笑っている。
「小さい羽虫が大量に群れてるのって、ゾッとするわ。……羽虫といったら怒られるかしら?」
「聞こえたら怒るかもしれませんね、妖精たちにとっては僕たちのほうが下等な羽虫でしょうから」
かちゃり、と小さな音がして、首に解放感を覚える。
――外れた。
自由を感じた瞬間、僕はロザニイルからナイフを受け取って彼の壊れかけの首輪を一気に破壊した。かちゃり、と二人分の首輪が床に落ちる硬質な音が響くと同時に、僕たちは二人がかりでドゥバイドを抑え込んだ。
「……っ!? あ、アナタたち……!」
油断していたのか、ドゥバイドは呆気にとられた顔で、ろくな抵抗もせずに抑えられた。
「悪いな、ドゥバイド様。オレたち囚われのお姫様ってガラじゃなくてさ。いや、エーテルは似合うかもしれないけど」
「僕も似合わないよ」
ロザニイルがドゥバイドを拘束する横で、僕は不死の剣アルフィリオンに手を伸ばした。
――伝説級の特別な剣だ。
指先が触れた瞬間、僕の心にふわりと高揚感が湧いた。
――この剣をノウファムにあげたら、きっと似合うだろうな。
――ノウファムは、無事なのだろうか。
「悪い子たちね……!」
ドゥバイドが眉間にしわを寄せて唇を尖らせている。微妙に愛嬌を感じさせる表情なのが、ずるい。
僕は不死の剣アルフィリオンを両腕で抱きしめた。
――僕はこの宝をノウファムにあげるんだ。新しい剣だよって言って、モイセスみたいに投げてあげよう。
そんな未来を思い描けば不安や憂鬱が紛れるような気がして、僕は意識して口の端を持ちあげた。
「ドゥバイド様、僕は悪い魔術師なんですよ」
黄金のランプが視界の隅で煌めいているのが見えて、言葉を足す。
「――これも、刺激的で楽しいのではありませんか? ドゥバイド様?」
楽しいと思わせることができたなら、ランプの奇跡が介入することはないだろう。
そう踏んだ僕の狙い通り、ドゥバイドは苦笑するように目を瞬かせて大人しく頷いたのだった。
「世の中は、計算通りにいかないのが楽しいわね。エーテルちゃん」
首輪が外れた僕たちは、ドゥバイドを拘束したことを知らせながらハレムの美男子たちの首輪を外して、浄化や治癒の術をかけてまわった。
「僭王ドゥバイドは拘束した。お前たちは今から自由の身なんだ。オレたちの仲間、大陸連合軍がすぐそこまで来てる。なんか小せえ妖精が群れて暴れてるっぽいけど、内側から呼応して大陸連合軍と共闘しようぜ! あと、杖が欲しい。杖だれか頼む。武器倉庫とかにあったりしないか?」
ロザニイルが溌剌とした声を張り上げる。
建物内部を照らす照明に鮮やかな赤毛が艶めいている。助けられた美男子たちが何人かその姿に見惚れるのを、僕は見た。
ロザニイルは頼もしくて、格好良いんだ。
僕の自慢の友達なんだ。
もうひとりの『兄さん』なんだ。
僕は誇らしい気持ちになった。
「武器倉庫の鍵なら、ここにある!」
「俺たちも戦うぞ……! 武器庫は上の階だ! この階段を登っていこう!」
「おおっ、案内サンキュー。名前なんだっけ」
「ミュスク。こっちはアルファンドラだ……みんな、自由になれるぞ!」
見覚えのある二人が仲間の美男子たちに呼びかけると、美男子たちは次々と協力の意思を口にした。
「村に帰れる!」
「嫁を迎えにいきたい……新婚だったんだ」
「ミュスク、アルファンドラ。お前たちはドゥバイド係かな。拘束したまま、部屋に閉じ込めておこう」
「了解した」
「ドゥバイド様、失礼します」
ミュスクとアルファンドラが折り目正しく返事をして、ドゥバイドの身柄を預かる。僕はロザニイルと視線を交わし、急いで杖を探した。
武器倉庫で杖を見繕ったロザニイルがいつもハネムーン隊でしていたみたいにリーダーぶって杖を振る。
「オレたち、お前たちで……砂漠の国を、元に……戻す!」
「おーっ」
美男子たちが武器を手に雄々しく叫ぶ。
揃った声は空間をひとつの意思に染めたような錯覚をおぼえさせて、心に希望と勇気をもたらした。
「ここからここまでの連中は、ドゥバイドの監視な。変な気を起こすかもしれねえから、ちゃんと生かしとけよ。お前たちはオレたちと一緒に外に……」
美男子たちが武器を手に声を揃えて、ロザニイルと一緒に駆け出そうとする。
――と、その時、異変が起きた。
「わっ!?」
「な、なにをするんだ!?」
後方の美男子たちが悲鳴をあげる。
「!?」
見れば、武器庫で武器を調達した美男子たちの一部が団結し、剣や弓をこちらに向けている。
「おれたちの主、ドゥバイド様をお助けしろ!」
「ドゥバイド様は奴隷に優しいご主人様だった。前にいたところより快適で、過ごしやすかった!」
「ずっと奴隷として生きて来たんだ。いまさら解放されてもどうやって生きろっていうんだよ。オレは奴隷のままがいい」
「薬だ。薬が欲しい――現実よりも夢をみているほうが気持ちいいんだ。俺を現実に戻さないでくれ」
美男子たちの一部は、思いもよらない言葉を吐きながら昨日までの仲間を傷つけていった。
「おい、お前ら正気かよ。奴隷のままがいいだって。現実に戻りたくないって……」
ロザニイルがショックを受けた顔をしている。
ああ、――僕はミュスクとアルファンドラが『ランプを手にしたご主人様』を守るように傍を固め、反抗する美男子たちの中央で眼光鋭く僕たちを睨んでいることに気が付いた。
「愛しているんです、ご主人様を」
「俺たちはご主人様に忠誠を誓っているんだ」
ドゥバイドは軽く咳込んでから指の腹で唇を拭う仕草を見せた。
指が去ったあとの唇は赤く濡れて、楽し気に笑みを浮かべていて、僕はぞくりとした。
印象的な瞳が歪んだ感情に輝いている。
爛々とした目が僕をまっすぐに見つめて、窓辺に寄る。
そして、妖しい声を響かせた。
「楽しいわね、王国の聖杯?」
――僕の身分を知っていたんだ。
僕は神聖な気分で、ドゥバイドを見た。
「……楽しかったわ、エーテルちゃん」
ランプを抱えて、ドゥバイドが窓枠に脚をかける。
「アナタたちも、ありがとう。おかげでアタシ、……勝ち逃げできる」
ドゥバイドは自分を守るよう肉の壁となる美男子たちに愛し気に息を吐き、数回、また咳込んだ。
手をあてることのない口元から赤い液体が零れる。
それを拭うこともなく微笑む表情は、美しかった。
「ランプの精霊――愛しているわ。最期に、とびきり刺激的な夢を」
夢見るような声がゆっくりとランプに最期を希うのを、僕は聞いた。
空は無数の小妖精に塞がれて、終末を思わせる昏さだ。
周りで美男子たちやロザニイルが何かを叫んでいて、世界には感情の波をうねらせる音が騒々しく充ちていた。
そんな中、ドゥバイドの言葉はなぜかとても静かに僕の耳に届いた。
「アタシは空を飛び」
窓枠をつかむ手が放されて、ドゥバイドの全身が窓の外へとふわりと飛び出した。
「そして、堕ちたいの」
大きな身体は、重力に引かれるまま外へと落ちていった。
僕は彼を邪魔する気にもならず、ただその光景を見つめていた。
――絵は、まだ未完成なのに。
――もう少し待っていれば、王子様が来るのに。
……死ぬんだ。貴方は、そうやって逃げるんだ。
――僕は、彼に逃げられてしまったんだ。また負けたんだ。
僕はその最期を眼で追うこともかなわず、ハレムの王が消えた窓をじっと見ていた。
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