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終章、御伽噺な恋をして
155、それが自然で、当たり前なんだ。
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ひんやりとして、妙に緊迫した空気だ。
鼻腔に感じられるのは、ちょっと埃とかカビっぽい匂いだ。
僕は壁を見た。長方形のブロックがいくつも積まれたような壁は、表面がぼこぼこしている。古めかしい。ブロックとブロックの隙間にいつから溜まっているのかわからないような埃がある。
現実から逃避するような意識が戻されるのは、くいっと腰を抱くようにしてノウファムが僕を抱き寄せるからだ。
「寝ていなくていいのか? 熱は?」
耳元に囁く声が、なんとなく過保護なお兄さんだ。
「今日は、体調がよく……」
ちらっと視線を彷徨わせると、その視線は仮面のない父フューリスと衝突していた。何もない空間にバチバチ火花みたいなのが散っている気がする。怖い。
「所かまわずベタベタするのは品性に欠けると思うんだなぁ。それってどういうスタンスでやってるの? 義理のお兄さん? 義理の父としては、義理の息子には節度というものを求めたくなるんだなぁ」
「そなたは俺の臣下ではなかっただろうか。ちなみにこの者は俺の恋人である」
氷のような声に僕の背筋がゾッとした。
「臣下ですよ。危機にさらされた可哀想で無力な殿下をお助け申し上げてきた第一の忠臣と讃えてくださってもよいですよ」
なんだかギスギスした空気だ。仲が悪い。単純に不仲だ。そんな雰囲気だ。僕はおろおろと視線を彷徨わせた。
「エーテル、自分の所有物みたいに扱う恋人ってどう思う。当家は人権という概念を広めていきたいね」
父が僕の腕を引っ張って引き戻そうとする。ノウファムはむすりとして父の手を払いのけた。
「成人済の息子に支配的に接する父親もいかがなものかと。人権という概念はぜひ広めていきたいな」
「ひえ……」
人権。人権ってなんだ――僕はよくわからないまま、二人の中間で凍り付いた。
「殿下、弟に手を出す兄をどのように思われる?」
「フューリス殿。血が繋がってないならよいのでは」
「殿下、家族って血の繋がりが全てではないと思うんだなぁ……」
「フューリス殿。それは良い考え方だ。共感する」
噛み合っているような噛み合っていないような不思議な会話が続く中、父の手のうちで黄金のランプがきらきらと輝いた。
「どうして 喧嘩するの」
きらきらとした声は無邪気で、まっすぐだった。
ランプの精は元気そうだ。
冷え冷えだった場になんだか清涼な風がすーっと注ぎ込んだみたいで、僕はホッと息をした。
「人は喧嘩をする生き物だ。生きていて他者がいると喧嘩をするのだ」
ステントスが楽し気に体を揺らして、ランプに手を伸ばす。
「たまに仲直りもする。拗れて殺し合ったりもする」
父は警戒したように一歩退いた。
「おっと、これはだめだよ。渡せないよ」
父フューリスは、意外と根っこの部分が真面目だったり慎重だったりするのかもしれない。
お祭り騒ぎのときなどは、すごく大雑把で勢い大事って感じの振る舞いをみせていたけれど――あるいは、それは特殊な魔女家を率いる者としての仮面みたいなものなのかも。
僕は父をみていて、そんな印象を抱いた。
「友達」
ステントスがぽつりと呟く。
「友達、寂しい」
黄金のランプが声に反応して、きらきらと美しく輝きを放つ。無言だ。無言のきらめきだ。
ただ、しずかに光っているだけ。それが、なんだか無性に胸を熱くさせる。惹き付ける。なんだかそこに特別な何かがあるように思わせる。
ステントスが何を言いたいのかも、よくわからない。
友達ってランプ? いつ友達になったの?
寂しいのはランプ? ランプが淋しいの?
別の生き物が別の生き物を見つめていて、僕たちの言葉で不思議を紡ぐ。
何かを言っていて、意味がわかるようでいて、わからないようでもある。
それは御伽噺みたいで、よくわからないけど神秘的だった。
その指がゆっくりとランプに伸びて、指先が黄金に触れた瞬間は幻想的だった。
ただ、指先が触れただけ。
なのに、それが「ただの現象」ではないように感じられるのだ。
世の中にはそういう感情を覚えさせる現象がたまにある。
理屈ではないのだ。その感覚は。
「友達、一緒に行く」
妖精の勇者が笑うと、僕は伝説の中に傍観者として迷い込んだような気分になった。
まるで、物語のワンシーンをぼんやり眺めているような。
けれど、今僕は同じ空間に存在している。この空間のちょっと冷えた空気を肌で感じていて、埃の匂いを捉えていて、僕が「はっくしょん」ってくしゃみでもすればこの完成された絵画みたいな神聖な空気は台無しになるのだ。
それってすごく不思議な現実で、特別な現在だな――僕はふわふわと高揚する自分を自覚しながら、そーっと深呼吸した。微かに感じられる有機的な匂いが誰のものか感じると、心に温かな感情が充ちる。
ここはちょっとひんやりしている場所だけど、だからこそ温かさが引き立てられるみたいなのだ。
「お父様」
ステントスの発言を理解しようと目を眇めている父に気付いて、僕は子供みたいに声をあげた。
「ステントスは、僕たちに害を与えるようなことはしません」
ステントスがローブを揺らすのがわかって、僕はその白さに目を細めた。
あまり会話したことがなくても、いつの間にか親しみみたいなものを覚えている。この存在をわかったような気持ちが湧いている。
僕が彼を覚えたみたいに、きっと彼も僕を覚えてくれた。
「お父様。安易な奇跡は不公平だと思いますが、努力で手繰り寄せた奇跡はいかがでしょうか?」
仲が良いというわけではないけれど、それは心地の良い感覚だった。
「時間をかけてちょっとずつ友達になったんです。僕たち」
――存在自体が奇跡みたいな、白い妖精の勇者と。
「……お父さんと今度、魔術比べをしようか、エーテル?」
父はふとそう言って遊戯に誘うような温度で『記憶を失う前の僕に向けていたような』目を向けた。
――懐かしい感覚が胸に湧く。
「僕、勝ちますよ」
不遜に口の端を持ち上げると、自分が何倍にも強くなれたような感覚が出てきた。
――強がってたんだ。
――負けるもんかと思っていた。
……何に? 誰に?
……きっと、全部に。何もかもに。過去の僕には多分、そんなところがあった。
過去の世界の僕はロザニイルという存在に危機感を感じたことがあった。自分が特別だと思っていた僕は、ロザニイルの才能も感じ取っていたのだ。
ロザニイルが聖杯に選ばれてその才能を開花できないとわかると、安心した。これで僕が一番でいられるって思ったのだ。そんな醜い部分があったのだ。
だから、僕がロザニイルに向けていた嫉妬は罪深い。
その才能への嫉妬を最初にしていて、聖杯になってからはその嫉妬が薄らいだ代わりに、ノウファムと番える立場であることへの嫉妬を抱いたのだ。
「俺は、応援すればよいのか?」
ノウファムがもそもそと手を動かして、父に睨まれている。
僕はそろそろとその表情を見て、眉をさげた。
「……僕が負けたときに、慰めてください」
「それでいいのか」
喉奥で笑いをかみ殺すような気配がくすぐったくて、安心する。
昔の僕と自分が再会して溶けるような感覚の中で、僕は父の声が空間に響くのを聞いた。
「大切な人が誰かを愛するようになる。他人の気持ちはその人のものだから、どうしようもできない」
「我が家はそれをよしとしている血筋であった」
「大切な君が幸せでいてほしい。そんな気持ちをよしとする血筋であった」
ああ。現実って、どうしようもできない――それでも、いいんだ。
僕が強くても、弱くても。
努力が報われても、報われなくても。
……例え、世界が滅びても。思い通りにならなくても。
どうしようもできない。それでいいんだ。それでよかったんじゃないか。それが自然で、当たり前なんだ。
僕はそっと目を閉じて、穏やかな気持ちで頷いたのだった。
「手を繋いで『頑張った』って言ってくれたら、それでよいのです」
そうしたら、僕はその瞬間に幸せになれるのだ。だから、僕もそうしてあげたいと思うのだ。
「僕も、あなたにそうしてあげます」
ほわほわと言葉を紡げば、ノウファムは機嫌よく僕の手を握って微笑してくれた。
鼻腔に感じられるのは、ちょっと埃とかカビっぽい匂いだ。
僕は壁を見た。長方形のブロックがいくつも積まれたような壁は、表面がぼこぼこしている。古めかしい。ブロックとブロックの隙間にいつから溜まっているのかわからないような埃がある。
現実から逃避するような意識が戻されるのは、くいっと腰を抱くようにしてノウファムが僕を抱き寄せるからだ。
「寝ていなくていいのか? 熱は?」
耳元に囁く声が、なんとなく過保護なお兄さんだ。
「今日は、体調がよく……」
ちらっと視線を彷徨わせると、その視線は仮面のない父フューリスと衝突していた。何もない空間にバチバチ火花みたいなのが散っている気がする。怖い。
「所かまわずベタベタするのは品性に欠けると思うんだなぁ。それってどういうスタンスでやってるの? 義理のお兄さん? 義理の父としては、義理の息子には節度というものを求めたくなるんだなぁ」
「そなたは俺の臣下ではなかっただろうか。ちなみにこの者は俺の恋人である」
氷のような声に僕の背筋がゾッとした。
「臣下ですよ。危機にさらされた可哀想で無力な殿下をお助け申し上げてきた第一の忠臣と讃えてくださってもよいですよ」
なんだかギスギスした空気だ。仲が悪い。単純に不仲だ。そんな雰囲気だ。僕はおろおろと視線を彷徨わせた。
「エーテル、自分の所有物みたいに扱う恋人ってどう思う。当家は人権という概念を広めていきたいね」
父が僕の腕を引っ張って引き戻そうとする。ノウファムはむすりとして父の手を払いのけた。
「成人済の息子に支配的に接する父親もいかがなものかと。人権という概念はぜひ広めていきたいな」
「ひえ……」
人権。人権ってなんだ――僕はよくわからないまま、二人の中間で凍り付いた。
「殿下、弟に手を出す兄をどのように思われる?」
「フューリス殿。血が繋がってないならよいのでは」
「殿下、家族って血の繋がりが全てではないと思うんだなぁ……」
「フューリス殿。それは良い考え方だ。共感する」
噛み合っているような噛み合っていないような不思議な会話が続く中、父の手のうちで黄金のランプがきらきらと輝いた。
「どうして 喧嘩するの」
きらきらとした声は無邪気で、まっすぐだった。
ランプの精は元気そうだ。
冷え冷えだった場になんだか清涼な風がすーっと注ぎ込んだみたいで、僕はホッと息をした。
「人は喧嘩をする生き物だ。生きていて他者がいると喧嘩をするのだ」
ステントスが楽し気に体を揺らして、ランプに手を伸ばす。
「たまに仲直りもする。拗れて殺し合ったりもする」
父は警戒したように一歩退いた。
「おっと、これはだめだよ。渡せないよ」
父フューリスは、意外と根っこの部分が真面目だったり慎重だったりするのかもしれない。
お祭り騒ぎのときなどは、すごく大雑把で勢い大事って感じの振る舞いをみせていたけれど――あるいは、それは特殊な魔女家を率いる者としての仮面みたいなものなのかも。
僕は父をみていて、そんな印象を抱いた。
「友達」
ステントスがぽつりと呟く。
「友達、寂しい」
黄金のランプが声に反応して、きらきらと美しく輝きを放つ。無言だ。無言のきらめきだ。
ただ、しずかに光っているだけ。それが、なんだか無性に胸を熱くさせる。惹き付ける。なんだかそこに特別な何かがあるように思わせる。
ステントスが何を言いたいのかも、よくわからない。
友達ってランプ? いつ友達になったの?
寂しいのはランプ? ランプが淋しいの?
別の生き物が別の生き物を見つめていて、僕たちの言葉で不思議を紡ぐ。
何かを言っていて、意味がわかるようでいて、わからないようでもある。
それは御伽噺みたいで、よくわからないけど神秘的だった。
その指がゆっくりとランプに伸びて、指先が黄金に触れた瞬間は幻想的だった。
ただ、指先が触れただけ。
なのに、それが「ただの現象」ではないように感じられるのだ。
世の中にはそういう感情を覚えさせる現象がたまにある。
理屈ではないのだ。その感覚は。
「友達、一緒に行く」
妖精の勇者が笑うと、僕は伝説の中に傍観者として迷い込んだような気分になった。
まるで、物語のワンシーンをぼんやり眺めているような。
けれど、今僕は同じ空間に存在している。この空間のちょっと冷えた空気を肌で感じていて、埃の匂いを捉えていて、僕が「はっくしょん」ってくしゃみでもすればこの完成された絵画みたいな神聖な空気は台無しになるのだ。
それってすごく不思議な現実で、特別な現在だな――僕はふわふわと高揚する自分を自覚しながら、そーっと深呼吸した。微かに感じられる有機的な匂いが誰のものか感じると、心に温かな感情が充ちる。
ここはちょっとひんやりしている場所だけど、だからこそ温かさが引き立てられるみたいなのだ。
「お父様」
ステントスの発言を理解しようと目を眇めている父に気付いて、僕は子供みたいに声をあげた。
「ステントスは、僕たちに害を与えるようなことはしません」
ステントスがローブを揺らすのがわかって、僕はその白さに目を細めた。
あまり会話したことがなくても、いつの間にか親しみみたいなものを覚えている。この存在をわかったような気持ちが湧いている。
僕が彼を覚えたみたいに、きっと彼も僕を覚えてくれた。
「お父様。安易な奇跡は不公平だと思いますが、努力で手繰り寄せた奇跡はいかがでしょうか?」
仲が良いというわけではないけれど、それは心地の良い感覚だった。
「時間をかけてちょっとずつ友達になったんです。僕たち」
――存在自体が奇跡みたいな、白い妖精の勇者と。
「……お父さんと今度、魔術比べをしようか、エーテル?」
父はふとそう言って遊戯に誘うような温度で『記憶を失う前の僕に向けていたような』目を向けた。
――懐かしい感覚が胸に湧く。
「僕、勝ちますよ」
不遜に口の端を持ち上げると、自分が何倍にも強くなれたような感覚が出てきた。
――強がってたんだ。
――負けるもんかと思っていた。
……何に? 誰に?
……きっと、全部に。何もかもに。過去の僕には多分、そんなところがあった。
過去の世界の僕はロザニイルという存在に危機感を感じたことがあった。自分が特別だと思っていた僕は、ロザニイルの才能も感じ取っていたのだ。
ロザニイルが聖杯に選ばれてその才能を開花できないとわかると、安心した。これで僕が一番でいられるって思ったのだ。そんな醜い部分があったのだ。
だから、僕がロザニイルに向けていた嫉妬は罪深い。
その才能への嫉妬を最初にしていて、聖杯になってからはその嫉妬が薄らいだ代わりに、ノウファムと番える立場であることへの嫉妬を抱いたのだ。
「俺は、応援すればよいのか?」
ノウファムがもそもそと手を動かして、父に睨まれている。
僕はそろそろとその表情を見て、眉をさげた。
「……僕が負けたときに、慰めてください」
「それでいいのか」
喉奥で笑いをかみ殺すような気配がくすぐったくて、安心する。
昔の僕と自分が再会して溶けるような感覚の中で、僕は父の声が空間に響くのを聞いた。
「大切な人が誰かを愛するようになる。他人の気持ちはその人のものだから、どうしようもできない」
「我が家はそれをよしとしている血筋であった」
「大切な君が幸せでいてほしい。そんな気持ちをよしとする血筋であった」
ああ。現実って、どうしようもできない――それでも、いいんだ。
僕が強くても、弱くても。
努力が報われても、報われなくても。
……例え、世界が滅びても。思い通りにならなくても。
どうしようもできない。それでいいんだ。それでよかったんじゃないか。それが自然で、当たり前なんだ。
僕はそっと目を閉じて、穏やかな気持ちで頷いたのだった。
「手を繋いで『頑張った』って言ってくれたら、それでよいのです」
そうしたら、僕はその瞬間に幸せになれるのだ。だから、僕もそうしてあげたいと思うのだ。
「僕も、あなたにそうしてあげます」
ほわほわと言葉を紡げば、ノウファムは機嫌よく僕の手を握って微笑してくれた。
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