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一章 夕凪モラトリアム
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折角なので、と外階段を上り、預かっていた鍵をドアノブに差し込む。二本ある内の小さな方の鍵は、予想に反して抵抗なく捻られた。
「お邪魔しまー……す」
別段必要もないのだけれど、何とはなしに声を掛けながらアルミの戸を開ける。室内を見て、友哉は戸惑った。八畳ほどの和室である。埃っぽくはあるものの、日焼けもしていない畳は綺麗そうで、張り替えの必要もなさそうだ。只、ドアの向こう、直ぐに畳みが張ってあり、中に靴を脱ぐスペースはなさそうだ。
(どんな間取りなんだ、これ……)
踊り場に靴を置けば良いのだろうが、いかに屋根があるといえ、大雨の時には濡れそうだ。二階の玄関を使う場合には扉のついた下駄箱が必要だろう。
ひとまず晴天の今日はその心配はないので、ドアの外にスニーカーを脱ぎ、友哉は和室に足を踏み入れる。靴下の裏の畳の感触は随分と久しぶりのものだ。
ここに引っ越すより前、友哉と叔父は都心も都心、新宿の大久保の付近に住んでいた。雑多な町並みと多国籍な人並みに惹かれて居住を定めた叔父は、それでも、中学三年の終わりから高校二年の初めまで、凡そ一年以上住処を変えることをしなかった。
これは叔父にしてみれば相当に珍しいことで、下手をすれば年に数回、転校の挨拶を繰り返していた友哉にしてみれば、大変に穏やかな学校生活だった。
結局はその喧噪に嫌気がさし、「海が見たい」の一言で住居を変えることになったのもまた、叔父らしいと言えば叔父らしい。
――お前ももう高校生だし、学校変えたくなかったら、一人暮らししてもいいんだぞ。
家からチャリで数分で通える公立高校を受験しようとした時、叔父はそんなことを言った。実際、転学に次ぐ転学で学校での学習を諦め、自主学習メインにしていた友哉の成績はそれなりに良く、担任からもそれなりに有名な私立受験も薦められたのだが。
結局友哉が受けたのは公立高校だったし、こうして叔父が引っ越すとなってからはこちらの公立高への転学試験も悠々とこなした。だってそんなの今更、これまで散々に振り回しておいて、放り出そうだなんて、身勝手な。そんな思いがあったか知れないが、ともあれ、友哉は叔父と共にこの地へ訪れることを選んだ。
おばあちゃんちの匂いみたいな和室を大股で横切り、大きな木枠のガラス窓に手を掛ける。建て付けが悪く、ガタガタと軋む窓を開けると、初夏の風が吹き込んで来た。少しだけ生臭く、重みを孕んだ、涼しい風。
叔父は海が見たいと言った。高台に建つ家の二階からは、遠く国道を挟んだ向こうに、きらきらと輝く海が、確かに見えた。
最早考えるよりも先に、手が勝手に一眼レフを構える。さざめく波が行ったり来たり、白い線になって浜辺を濡らすのを、無意識にレンズに納めた。
海の付近に住んだのは、確か二回目のことになる。前は冬の日本海の薄暗い岩場の海の近くで、丁度叔父と暮らし始めたばかりのやさぐれた友哉はとてもではないが楽しむ余裕などなく、そこも数ヶ月で去ることになり碌な記憶がない。
二階から眺める海は、絶景と言って差し支えなかった。広い砂浜はシーズンになれば海水浴客で賑わうことだろう。今はやっていなさそうだが、海の家らしき家屋も見える。
風が強いのか、畳まれたパラソルの縁がはためいている。白い波は幾重にもなって、砂浜に押し寄せていた。
(……綺麗だな)
風景写真に興味がある訳ではないが、気付けば夢中でシャッターを押していた。切り取られた世界が青に染まる。
遠く水平線に船が見えた。遠くから近くまで、海水の変化が面白くゆっくりとレンズを動かしていた友哉は、ふと、浜辺に金色を見つけて手を止めた。
海岸に似つかわしくない鮮やかな色に、友哉は目を瞬かかせる。ズームして見ると、金色は人の頭だった。
制服姿の青年だった。白いシャツに黒のスラックスは見覚えがある。友哉の通うことになっている高校のものだ。海風に靡く金髪は、男性のものにしては長く見える。ズームレンズの中で、切れ長の瞳が眩しそうに眇められた。青い蒼い、海のような色だ。
思わず、シャッターを切った。絶対に音が届く距離ではないが、青年がふと仰ぐ。レンズ越しに、青の目があった、気がした。
(……綺麗だな)
再び、友哉は心の中で呟く。海に抱いたのと同じ感覚を人を見て思うなんて、おかしな話だ。けれど、その青年は美しかった。標準レンズのズーム機能では限界があるが、憂いを帯びた表情は儚げで、青年の線の細さを際立たせている。
こんな田舎町に――などと言ってしまうと失礼かも知れないが、観光地でもない海辺の町には、妙に不釣り合いな美男子だった。
俄然、興味を引かれた。
一眼レフを下ろすと、肩にストラップを引っかけ、友哉は古い家屋を飛び出した。元々、やることなんて皆無に等しい。こんな荒ら屋でじっとしているくらいなら、海に出て、青年をカメラで捉えている方が、余程マシに思えた。
「お邪魔しまー……す」
別段必要もないのだけれど、何とはなしに声を掛けながらアルミの戸を開ける。室内を見て、友哉は戸惑った。八畳ほどの和室である。埃っぽくはあるものの、日焼けもしていない畳は綺麗そうで、張り替えの必要もなさそうだ。只、ドアの向こう、直ぐに畳みが張ってあり、中に靴を脱ぐスペースはなさそうだ。
(どんな間取りなんだ、これ……)
踊り場に靴を置けば良いのだろうが、いかに屋根があるといえ、大雨の時には濡れそうだ。二階の玄関を使う場合には扉のついた下駄箱が必要だろう。
ひとまず晴天の今日はその心配はないので、ドアの外にスニーカーを脱ぎ、友哉は和室に足を踏み入れる。靴下の裏の畳の感触は随分と久しぶりのものだ。
ここに引っ越すより前、友哉と叔父は都心も都心、新宿の大久保の付近に住んでいた。雑多な町並みと多国籍な人並みに惹かれて居住を定めた叔父は、それでも、中学三年の終わりから高校二年の初めまで、凡そ一年以上住処を変えることをしなかった。
これは叔父にしてみれば相当に珍しいことで、下手をすれば年に数回、転校の挨拶を繰り返していた友哉にしてみれば、大変に穏やかな学校生活だった。
結局はその喧噪に嫌気がさし、「海が見たい」の一言で住居を変えることになったのもまた、叔父らしいと言えば叔父らしい。
――お前ももう高校生だし、学校変えたくなかったら、一人暮らししてもいいんだぞ。
家からチャリで数分で通える公立高校を受験しようとした時、叔父はそんなことを言った。実際、転学に次ぐ転学で学校での学習を諦め、自主学習メインにしていた友哉の成績はそれなりに良く、担任からもそれなりに有名な私立受験も薦められたのだが。
結局友哉が受けたのは公立高校だったし、こうして叔父が引っ越すとなってからはこちらの公立高への転学試験も悠々とこなした。だってそんなの今更、これまで散々に振り回しておいて、放り出そうだなんて、身勝手な。そんな思いがあったか知れないが、ともあれ、友哉は叔父と共にこの地へ訪れることを選んだ。
おばあちゃんちの匂いみたいな和室を大股で横切り、大きな木枠のガラス窓に手を掛ける。建て付けが悪く、ガタガタと軋む窓を開けると、初夏の風が吹き込んで来た。少しだけ生臭く、重みを孕んだ、涼しい風。
叔父は海が見たいと言った。高台に建つ家の二階からは、遠く国道を挟んだ向こうに、きらきらと輝く海が、確かに見えた。
最早考えるよりも先に、手が勝手に一眼レフを構える。さざめく波が行ったり来たり、白い線になって浜辺を濡らすのを、無意識にレンズに納めた。
海の付近に住んだのは、確か二回目のことになる。前は冬の日本海の薄暗い岩場の海の近くで、丁度叔父と暮らし始めたばかりのやさぐれた友哉はとてもではないが楽しむ余裕などなく、そこも数ヶ月で去ることになり碌な記憶がない。
二階から眺める海は、絶景と言って差し支えなかった。広い砂浜はシーズンになれば海水浴客で賑わうことだろう。今はやっていなさそうだが、海の家らしき家屋も見える。
風が強いのか、畳まれたパラソルの縁がはためいている。白い波は幾重にもなって、砂浜に押し寄せていた。
(……綺麗だな)
風景写真に興味がある訳ではないが、気付けば夢中でシャッターを押していた。切り取られた世界が青に染まる。
遠く水平線に船が見えた。遠くから近くまで、海水の変化が面白くゆっくりとレンズを動かしていた友哉は、ふと、浜辺に金色を見つけて手を止めた。
海岸に似つかわしくない鮮やかな色に、友哉は目を瞬かかせる。ズームして見ると、金色は人の頭だった。
制服姿の青年だった。白いシャツに黒のスラックスは見覚えがある。友哉の通うことになっている高校のものだ。海風に靡く金髪は、男性のものにしては長く見える。ズームレンズの中で、切れ長の瞳が眩しそうに眇められた。青い蒼い、海のような色だ。
思わず、シャッターを切った。絶対に音が届く距離ではないが、青年がふと仰ぐ。レンズ越しに、青の目があった、気がした。
(……綺麗だな)
再び、友哉は心の中で呟く。海に抱いたのと同じ感覚を人を見て思うなんて、おかしな話だ。けれど、その青年は美しかった。標準レンズのズーム機能では限界があるが、憂いを帯びた表情は儚げで、青年の線の細さを際立たせている。
こんな田舎町に――などと言ってしまうと失礼かも知れないが、観光地でもない海辺の町には、妙に不釣り合いな美男子だった。
俄然、興味を引かれた。
一眼レフを下ろすと、肩にストラップを引っかけ、友哉は古い家屋を飛び出した。元々、やることなんて皆無に等しい。こんな荒ら屋でじっとしているくらいなら、海に出て、青年をカメラで捉えている方が、余程マシに思えた。
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