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一章 夕凪モラトリアム
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イルカショーは問題なかった。最前列だけあって水は盛大に被ったけれど、真夏ということもあり気持ちが良い程だった。
友哉の隣で湊もきゃっきゃと笑い声を上げていた。
問題は、ショーの後だった。
――間もなく、ペンギンの餌やり体験が始まります。整理券をお持ちのお客様は、ペンギン水槽の前にお集まりください――
ショーが終わったら体験か、移動が忙しないな。そんなことを思いながら立ち上がる友哉の隣で、小さく啜り泣く声がした。
ぎょっとして左隣を見れば、大きな瞳が涙を湛えている。
「ペンギン……ごはん……上げたかった……」
「あー、そうだね、ペンギンさんの餌やりしたかったね」
「仕方ないだろう、整理券がもうなかったんだから」
相手に共感して宥めようとする母親の横から、父親が余計なことを言う。一瞬泣き止みかけた子が再びしゃくり上げるのを見て、母親が険のある視線を父親に向けた。
(まあ凪を捨てた時点で駄目親父だとは思ってたけど……別に家庭持った所で、駄目なもんは駄目だな)
些か辛辣に、友哉は内心思う。例えそれが真実だったとて、馬鹿正直に子供に言う必要はないだろうに。
ちょっと余計なことは言わないで下さいよ、仕方ないだろ本当のことなんだから、ひそひそと両親が言い合う横で、湊は今にも泣き喚きそうに顔を歪めている。
友哉たちも想像だにしなかったことだが、この水族館の餌やり体験は朝一に整理券がなくなる程の人気であるらしかった。偶々開園とほぼ同時に到着した友哉らはゲット出来たが、券は開園三十分程でなくなってしまったようだった。ゆっくり来る親子連れにまで行き渡らないのは仕方がないと言えば仕方がないが、それにしても言い方というものがあるだろうに。
呆れる友哉のTシャツの裾が、傍らからつんつんと引っ張られた。
「友哉……これ、いいか?」
小さな声音が耳に吹き込まれる。思わずまじまじと右隣を見れば、青い瞳が真剣に友哉を見上げていた。
(だから、こういう時ばっか名前で呼ぶのは、卑怯だろって……)
閉口しながらもその上目遣いに弱い自覚はある。友哉はごそごそと尻ポケットを探ると、些か乱暴に整理券を凪の手に押しつけた。
ありがとう、と薄い唇が素直に礼を告げる。凪は立ち上がると友哉の前を過ぎ、子供の前にしゃがんだ。
真っ赤な目で湊は、それとは知らずに兄を目をやる。両親が息を呑んで凪を見た。
「ペンギン、餌やりしたかったのか?」
「……うん」
「じゃあ、……これ、やるよ」
凪は自分の分と友哉の分、二人の整理券を子供の手に握らせた。くしゃくしゃだった子供の顔が、見る見る輝き始める。
「わあ、いいの?!」
「ああ、その代わり……あんまり泣いて、困らせるなよ、湊」
凪は立ち上がると弟の頭をそっと撫でた。両親に目は向けず、背を向ける後ろ姿に、はっとしたように母親が大きく頭を下げていた。
ずんずんと凪はスタジアムを抜けると、友哉を置き去りに足早にドームを通り過ぎる。
「凪、ちょっと待てって、……なーぎ、凪ちゃん」
まるで先程と逆の状況に、苦笑しながら友哉は凪の背を追う。大股に追いつき凪の顔を横から覗き込む。差し込む陽光に揺らめく水槽の隣、立ち止まった凪が細めた目で友哉を見上げた。
「これで……良かったよな」
困ったような戸惑ったような、幼くなる凪の表情に、ぐっと胸が詰まった。
父親に対して思うことはあるだろう、弟に対しても弟の母親に対しても、言いたいこともいっぱいあっただろう。
それでも凪は全てを飲み込んで、弟の存在を受け入れた。
凪は優しい。無愛想でぶっきらぼうで不器用だけれど、会ったその日からずっと、優しかった。
「ああ……いいんじゃないか」
友哉は答える。普段だったらもっと、他人事のように答えるだろう。だが、凪のことは他人事には出来なかった。他人事にしたくなかった。
友哉の返事に、凪の瞳が三日月を描く。凪の安堵したような表情に、ぎゅっと胸の奥が締め付けられるのを感じた。
友哉の隣で湊もきゃっきゃと笑い声を上げていた。
問題は、ショーの後だった。
――間もなく、ペンギンの餌やり体験が始まります。整理券をお持ちのお客様は、ペンギン水槽の前にお集まりください――
ショーが終わったら体験か、移動が忙しないな。そんなことを思いながら立ち上がる友哉の隣で、小さく啜り泣く声がした。
ぎょっとして左隣を見れば、大きな瞳が涙を湛えている。
「ペンギン……ごはん……上げたかった……」
「あー、そうだね、ペンギンさんの餌やりしたかったね」
「仕方ないだろう、整理券がもうなかったんだから」
相手に共感して宥めようとする母親の横から、父親が余計なことを言う。一瞬泣き止みかけた子が再びしゃくり上げるのを見て、母親が険のある視線を父親に向けた。
(まあ凪を捨てた時点で駄目親父だとは思ってたけど……別に家庭持った所で、駄目なもんは駄目だな)
些か辛辣に、友哉は内心思う。例えそれが真実だったとて、馬鹿正直に子供に言う必要はないだろうに。
ちょっと余計なことは言わないで下さいよ、仕方ないだろ本当のことなんだから、ひそひそと両親が言い合う横で、湊は今にも泣き喚きそうに顔を歪めている。
友哉たちも想像だにしなかったことだが、この水族館の餌やり体験は朝一に整理券がなくなる程の人気であるらしかった。偶々開園とほぼ同時に到着した友哉らはゲット出来たが、券は開園三十分程でなくなってしまったようだった。ゆっくり来る親子連れにまで行き渡らないのは仕方がないと言えば仕方がないが、それにしても言い方というものがあるだろうに。
呆れる友哉のTシャツの裾が、傍らからつんつんと引っ張られた。
「友哉……これ、いいか?」
小さな声音が耳に吹き込まれる。思わずまじまじと右隣を見れば、青い瞳が真剣に友哉を見上げていた。
(だから、こういう時ばっか名前で呼ぶのは、卑怯だろって……)
閉口しながらもその上目遣いに弱い自覚はある。友哉はごそごそと尻ポケットを探ると、些か乱暴に整理券を凪の手に押しつけた。
ありがとう、と薄い唇が素直に礼を告げる。凪は立ち上がると友哉の前を過ぎ、子供の前にしゃがんだ。
真っ赤な目で湊は、それとは知らずに兄を目をやる。両親が息を呑んで凪を見た。
「ペンギン、餌やりしたかったのか?」
「……うん」
「じゃあ、……これ、やるよ」
凪は自分の分と友哉の分、二人の整理券を子供の手に握らせた。くしゃくしゃだった子供の顔が、見る見る輝き始める。
「わあ、いいの?!」
「ああ、その代わり……あんまり泣いて、困らせるなよ、湊」
凪は立ち上がると弟の頭をそっと撫でた。両親に目は向けず、背を向ける後ろ姿に、はっとしたように母親が大きく頭を下げていた。
ずんずんと凪はスタジアムを抜けると、友哉を置き去りに足早にドームを通り過ぎる。
「凪、ちょっと待てって、……なーぎ、凪ちゃん」
まるで先程と逆の状況に、苦笑しながら友哉は凪の背を追う。大股に追いつき凪の顔を横から覗き込む。差し込む陽光に揺らめく水槽の隣、立ち止まった凪が細めた目で友哉を見上げた。
「これで……良かったよな」
困ったような戸惑ったような、幼くなる凪の表情に、ぐっと胸が詰まった。
父親に対して思うことはあるだろう、弟に対しても弟の母親に対しても、言いたいこともいっぱいあっただろう。
それでも凪は全てを飲み込んで、弟の存在を受け入れた。
凪は優しい。無愛想でぶっきらぼうで不器用だけれど、会ったその日からずっと、優しかった。
「ああ……いいんじゃないか」
友哉は答える。普段だったらもっと、他人事のように答えるだろう。だが、凪のことは他人事には出来なかった。他人事にしたくなかった。
友哉の返事に、凪の瞳が三日月を描く。凪の安堵したような表情に、ぎゅっと胸の奥が締め付けられるのを感じた。
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