【完結】夕凪モラトリアム

赤坂 明

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一章 夕凪モラトリアム

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 会場には子供のしゃくりあげる声が響く。決して気まずくなる必要もないのに、何故か気まずい思いで、友哉は傍らの子供をちらと見た。
 赤いベンチに腰掛ける幼稚園くらいの子供は、真っ赤な目を必死に擦っている。隣から宥める母親の声が控えめなのは、こちらに気を遣ってのことなのだろうか。
 そんなことはいいからちゃんと宥めて泣きやませて欲しい。うんざりと友哉は眉を顰めた。子供は嫌いではない。だが、苦手だ。子供の頃から友哉はひねくれていて、言ってしまえば子供らしくない子供だったという自覚がある。
 だから親に愛されて育った天真爛漫な子供、だなんて、どう接して良いか分からないのだ。

 友哉の隣で泣く子供は、今まさに、爆発しそうに、顔を歪めてしゃくりあげていた。
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 水族館の中心部にあるドーム内のスタジアムは、友哉たちが到着した頃には既に半分程が埋まっていた。それも後部座席の方はぎゅうぎゅうなのに、前方座席はがらがらというアンバランスさで。

「あー、なるほど。前の方は濡れるのか」
「俺は別に、構わない」

 ちらと凪を伺えば、頷き最前列の中央に座った。確実にずぶ濡れになるだろうに、随分と男らしい。
 赤いベンチに腰掛け、友哉は眼前に広がる巨大なガラスを眺める。ショーとしてイルカのジャンプを見るならば、もう少し上の座席からの方が見やすそうではあるが、お互いそこまで熱心な客という訳でもない。
 友哉が左に、凪が右に。拳一つ分離れて座る内に、館内アナウンスが流れる。

――間もなく、中央ドームにて、イルカショーが開催されます。観覧をご希望のお客様は、館内中央ドームまで――

 アナウンスに釣られるように続々と客がやって来て、前方の水濡れ席も順調に埋まって行く。

「っあ! さっきのおにーちゃんたちだ!」

 無邪気な声はドームの入り口からした。
 思わず振り返る先で、駆け寄る子供の姿があった。
 
「……っ湊!」
 
 背後から母親が制止するのも構わず、子供はとてとてと走って来ると、友哉の隣に腰掛けた。
 凪の弟はどうやら湊と言うらしい。子供らしい無頓着さで友哉の隣に座ると、おとーさんおかーさん、と大きく両親に手招きをした。

(まあ、狭い水族館だから……こうなるわな)

 両親が諫めるのも聞かず、子供は友哉の隣に鎮座したまま、てこでも動く気はなさそうだ。
 恐る恐るやって来る子供の両親――凪の父親と子供の母親は、気まずそうにしながら子供の隣に腰を下ろした。
 そう回る所の多い水族館ではない。ショーや触れ合いをメインにした水族館のこと、こうして顔を合わせる可能性は全然あった。
 それでも距離があれば、友哉とて軽く会釈でもして、やり過ごすことは出来た筈だ。それなのに、無邪気な子供がそれをぶち壊す。
 ちらと右隣の凪を伺うと、戸惑っているのか色素の薄い眉根が下がっていた。

(十二歳下の弟、か)

 凪にとっては母親違いの弟。その存在は複雑なものだろう。父親と一緒に白瀬の家で暮らすことになった弟と、出て行くことになった凪。この先交わることのない筈だったのに、何の因果か、こうして対面することになっている。

「楽しみだね、イルカ!」

 湊と呼ばれた凪の弟が無邪気に言う。てっきり母親に話しかけているのだろうと思ったのだが、何やら視線を感じた友哉が傍らを見れば、期待を孕んだ大きな瞳がこちらを見上げている。

「……あー、楽しみだな?」
「ね! そっちのおにーちゃんも!」

 ひょこと友哉越しに湊は凪を覗く。おにーちゃんの言葉で、凪はあからさまに狼狽した。湊は当然大人たちのごたごたはどは知らない筈で、それは言葉通り年上の男性に対する呼称でしかないのだろうが。

「凪、」
「っあ、ああ……そうだな」

 友哉に促され、はっとしたように凪が首肯する。満足したような湊に、隣の母親が焦ったようにぺこぺこ頭を下げていた。

「お兄ちゃん、だって」

 ひそひそと、友哉は右隣の凪に話しかける。そっと耳元に唇を近付けると、凪はくすぐったそうに肩を揺らした。

「っふ、案外、……悪くなかった」

 苦笑する凪の金糸が揺れる。細い毛先が鼻先をくすぐり、友哉もさざめき笑った。
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