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一章 夕凪モラトリアム
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一昨日の嵐が嘘のように、海は静かに凪いでいた。
沈み行く陽光が薄紫に沈む海面に橙の筋を映し出していた。
海岸に佇む凪の金色の髪が、朱く染まる。夕凪の海に、凛と佇む凪の姿は美しかった。
「……撮らないのか」
ざりざりと靴の裏で砂をを踏みしめながら、凪がぽつりと言う。
一眼レフを手にしながら、友哉はぼんやりと夕凪の海を眺めていた。
初めて会った時も、凪は海を背にしていた。あの時は、海の青に金の髪が映えると、そんなことを思って自然とシャッターを切っていた。
今もあの時の凪はメモリの奥にしっかりと保存されている。
「……撮っていいのか?」
問いかける声が妙に掠れていて、友哉はぐっとカメラの筐体を握り締めた。緊張しているのか、喉が変に乾いている。緊張などする必要はないのに。部誌に使う表紙用の写真を撮る、それだけのことなのに、いつものように手癖で撮ることも出来ず、友哉は眇めた目で凪を眺めた。
「馬鹿、俺じゃなくて海だ、海」
「いいじゃん……撮らせてよ、凪」
「…………何でだよ」
――じゃあ、何で、あんた俺を撮りたいなんて言ったんだよ。
かつてと同じ問いかけに、友哉は無言で一眼レフを構えた。ファインダー越しの凪が、呆れたように肩を竦める。
「凪」
呼び掛けると、海のような瞳が揺れる。
気付くとシャッターを切っていた。友哉の写真は癖のようなものだ。いつも意識しないで、新しく訪れた土地だとか、風景だとか、その時目に映ったものを画面に納める。
二度と目にすることのない、その風景を。
「凪」
黄昏に染まる黄金がそよぐ。二度と訪れないだろう一瞬が、カメラの中に切り取られていく。
「凪」
三度目の呼び掛けに、凪がそっと近寄って来る。一眼レフを下ろす。肉薄した凪の、色素の薄い睫毛の一本一本までもが、つぶさに数えられる程だった。
いつものように茶化してしまえれば良かった。誤魔化して、冗談で包んで、なあなあにやり過ごしてしまえれば。
でも出来なかった。もう、見なかった振りは出来ない。
固唾を呑んで間近の凪を見下ろす友哉に、凪の眉根が下がる。
「あんたってさ、本当……臆病だよな」
「……そんなこと、お前以外に言われたことねえよ」
「少しは流されてくれてもいいだろうに」
薄い唇が尖らされるのを、まじまじと見つめる。だからその目がさ、と凪が困ったように続ける。
「そんな目しといて……何でそんなしれっとしていられるんだ」
「そんな目って何だよ……自分じゃ分かんねえって」
「だってあんた……初めて会った時、俺の写真撮ってたろ」
唐突に指摘され、友哉は言葉を詰まらせた。沈黙が答えであると知りながら、返事に窮して意味のない呻きが小さく口から零れる。
露骨な友哉の態度に、凪はくつと喉の奥を鳴らした。
「っはは、あんたさ、俺の顔好き過ぎだろ」
「そ、んなことは……あるけれども」
「あるのかよ、何でそこは正直なんだ」
「だって俺は、最初に見たときから……」
抜けるような青、靡く金、揺蕩う海のような瞳が、今も頭から離れない。一目惚れなどと言ってしまえば余りに陳腐だが、もうずっと、あの時の姿に囚われている。
苦しげに押し黙る友哉の前で、凪が柔らかく笑う。
「なあ、友哉……キス、して欲しい」
凪の細い指先が、友哉の手の甲に絡められる。間近にある凪の瞳が、黄昏色に染まった。
「……無理、だ……」
絞り出すような返事が喉の奥から零れた。瞬間、傷ついたように、凪の瞳が揺れる。
「駄目、じゃなくて、無理、なのか」
「ああ……無理だ。俺には出来ない」
「どうして」
凪の声が震えていた。
どうしてか、なんて、答えようと思えば幾らでも答えられる。男同士だからだとか、友達だからだとか、――凪のことを好きじゃないから、だとか。
一番簡単な方法だ。凪を嫌いだと告げれば良い。それがまたいつもの誤魔化しだと分かっていても、凪は傷ついた目をして、諦めることだろう。
だが、それは出来ない。その嘘だけは吐けなかった。
凪を嫌いだなんて言える訳がない。だって友哉は、凪を――
「……だったら、」
返答が出来ないでいる友哉に、凪が泣き出しそうな顔で言う。
「だったら、俺がするのは、……許されるだろうか」
ひんやりとした凪の両の手のひらが友哉の甲を包む。振り解くことも出来ず、友哉は凪の薄紫に暮れ行く瞳を見つめた。
「……凪、」
「いいだろう、友哉。今日が何の日か知っているか? プレゼントの一つも、くれたっていいだろう?」
「でも、だって……この先に何の確約も出来ないのに」
喉の奥から漏れ出るのは、苦しい呻きにも似た本音だった。凪に臆病と言われたのは正に正鵠を射ていた。先行きも未来も見えない、足下が覚束無い。いつでもふらふらとした根無し草で、深く人と関わることを恐れていた。
今も、恐い。これ以上凪に心を奪われてしまうのが。
「いいよ、……確約なんていらない」
友哉の恐れを知りながら、凪はいっそ残酷に告げる。
「今があれば、それでいい」
薄ら笑む形の良い唇が、そっと寄せられる。手を握り、少しだけ背伸びをする凪からは、もう逃れることは出来なかった。
薄い唇が寄せられる。手を握り返すことも、抱き寄せることすら出来ない友哉に、凪の唇が静かに触れた。
陽が沈み、辺りが紫に染まる。触れるだけの口付けは、世界がすっかり暮れ行くまで、続いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「友哉君、来週から東京に戻ろうと思っているから。もし着いてくるつもりあるなら、準備して」
夏の終わり、無情に叔父から告げられた現実に、何処か安堵を感じながら、友哉は空虚に、笑った。
沈み行く陽光が薄紫に沈む海面に橙の筋を映し出していた。
海岸に佇む凪の金色の髪が、朱く染まる。夕凪の海に、凛と佇む凪の姿は美しかった。
「……撮らないのか」
ざりざりと靴の裏で砂をを踏みしめながら、凪がぽつりと言う。
一眼レフを手にしながら、友哉はぼんやりと夕凪の海を眺めていた。
初めて会った時も、凪は海を背にしていた。あの時は、海の青に金の髪が映えると、そんなことを思って自然とシャッターを切っていた。
今もあの時の凪はメモリの奥にしっかりと保存されている。
「……撮っていいのか?」
問いかける声が妙に掠れていて、友哉はぐっとカメラの筐体を握り締めた。緊張しているのか、喉が変に乾いている。緊張などする必要はないのに。部誌に使う表紙用の写真を撮る、それだけのことなのに、いつものように手癖で撮ることも出来ず、友哉は眇めた目で凪を眺めた。
「馬鹿、俺じゃなくて海だ、海」
「いいじゃん……撮らせてよ、凪」
「…………何でだよ」
――じゃあ、何で、あんた俺を撮りたいなんて言ったんだよ。
かつてと同じ問いかけに、友哉は無言で一眼レフを構えた。ファインダー越しの凪が、呆れたように肩を竦める。
「凪」
呼び掛けると、海のような瞳が揺れる。
気付くとシャッターを切っていた。友哉の写真は癖のようなものだ。いつも意識しないで、新しく訪れた土地だとか、風景だとか、その時目に映ったものを画面に納める。
二度と目にすることのない、その風景を。
「凪」
黄昏に染まる黄金がそよぐ。二度と訪れないだろう一瞬が、カメラの中に切り取られていく。
「凪」
三度目の呼び掛けに、凪がそっと近寄って来る。一眼レフを下ろす。肉薄した凪の、色素の薄い睫毛の一本一本までもが、つぶさに数えられる程だった。
いつものように茶化してしまえれば良かった。誤魔化して、冗談で包んで、なあなあにやり過ごしてしまえれば。
でも出来なかった。もう、見なかった振りは出来ない。
固唾を呑んで間近の凪を見下ろす友哉に、凪の眉根が下がる。
「あんたってさ、本当……臆病だよな」
「……そんなこと、お前以外に言われたことねえよ」
「少しは流されてくれてもいいだろうに」
薄い唇が尖らされるのを、まじまじと見つめる。だからその目がさ、と凪が困ったように続ける。
「そんな目しといて……何でそんなしれっとしていられるんだ」
「そんな目って何だよ……自分じゃ分かんねえって」
「だってあんた……初めて会った時、俺の写真撮ってたろ」
唐突に指摘され、友哉は言葉を詰まらせた。沈黙が答えであると知りながら、返事に窮して意味のない呻きが小さく口から零れる。
露骨な友哉の態度に、凪はくつと喉の奥を鳴らした。
「っはは、あんたさ、俺の顔好き過ぎだろ」
「そ、んなことは……あるけれども」
「あるのかよ、何でそこは正直なんだ」
「だって俺は、最初に見たときから……」
抜けるような青、靡く金、揺蕩う海のような瞳が、今も頭から離れない。一目惚れなどと言ってしまえば余りに陳腐だが、もうずっと、あの時の姿に囚われている。
苦しげに押し黙る友哉の前で、凪が柔らかく笑う。
「なあ、友哉……キス、して欲しい」
凪の細い指先が、友哉の手の甲に絡められる。間近にある凪の瞳が、黄昏色に染まった。
「……無理、だ……」
絞り出すような返事が喉の奥から零れた。瞬間、傷ついたように、凪の瞳が揺れる。
「駄目、じゃなくて、無理、なのか」
「ああ……無理だ。俺には出来ない」
「どうして」
凪の声が震えていた。
どうしてか、なんて、答えようと思えば幾らでも答えられる。男同士だからだとか、友達だからだとか、――凪のことを好きじゃないから、だとか。
一番簡単な方法だ。凪を嫌いだと告げれば良い。それがまたいつもの誤魔化しだと分かっていても、凪は傷ついた目をして、諦めることだろう。
だが、それは出来ない。その嘘だけは吐けなかった。
凪を嫌いだなんて言える訳がない。だって友哉は、凪を――
「……だったら、」
返答が出来ないでいる友哉に、凪が泣き出しそうな顔で言う。
「だったら、俺がするのは、……許されるだろうか」
ひんやりとした凪の両の手のひらが友哉の甲を包む。振り解くことも出来ず、友哉は凪の薄紫に暮れ行く瞳を見つめた。
「……凪、」
「いいだろう、友哉。今日が何の日か知っているか? プレゼントの一つも、くれたっていいだろう?」
「でも、だって……この先に何の確約も出来ないのに」
喉の奥から漏れ出るのは、苦しい呻きにも似た本音だった。凪に臆病と言われたのは正に正鵠を射ていた。先行きも未来も見えない、足下が覚束無い。いつでもふらふらとした根無し草で、深く人と関わることを恐れていた。
今も、恐い。これ以上凪に心を奪われてしまうのが。
「いいよ、……確約なんていらない」
友哉の恐れを知りながら、凪はいっそ残酷に告げる。
「今があれば、それでいい」
薄ら笑む形の良い唇が、そっと寄せられる。手を握り、少しだけ背伸びをする凪からは、もう逃れることは出来なかった。
薄い唇が寄せられる。手を握り返すことも、抱き寄せることすら出来ない友哉に、凪の唇が静かに触れた。
陽が沈み、辺りが紫に染まる。触れるだけの口付けは、世界がすっかり暮れ行くまで、続いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「友哉君、来週から東京に戻ろうと思っているから。もし着いてくるつもりあるなら、準備して」
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