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二章 黄昏インソムニア
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東京駅に着くと、その広さと人の多さに圧倒された。
目に入る情報が多く、頭がどっと疲れる。スーツケースを転がし、白瀬凪は人の少ない隅の壁にもたれ掛かった。
丁度ぴろんとLINEの通知が鳴り、凪は斜めがけのボディバッグからスマホを取り出した。
『凪君、そろそろ着いた頃かな? 大丈夫、迷ってない?』
心配性の美奈子からのLINEに、凪はふっと頬を緩めた。今年七歳になる息子を持つ美奈子は、時々凪のことも、幼い子供のように扱う節がある。
『今東京駅に着いた』
簡潔過ぎる返信をすると、即座に通知音が鳴る。家族間のグループLINEで、今度は湊からのスタンプだ。
最近湊のハマっているゲームのキャラクターが、画面の中で親指を立てながら動いていた。Goodの文字が踊る。良かったね、ということらしい。
昨年小学校に上がった湊は、入学祝いに小学生にしてはそれなりに上等なタブレットを買って貰い、そこにLINEを導入して貰ったらしかった。
お留守番も増えるし、Wi-fi飛んでる家の中だけでしか使えないから、まあ家族間だけでの練習よね。そんなことを言っていた美奈子は勝手に凪も含めたグループLINEを作り、お陰で凪のスマホは、今から帰るだの夕食はまだかだの友達と遊びに行って来るよだの、平和なトークで忙しい。
『おみやげきたい』
お土産期待。湊から送られた要望にくすりと笑いながら、凪は了解のスタンプを返信した。
スマホを仕舞い、ふうと顔を上げる。昼過ぎの東京駅は、平日であってもごった返している。そして何でもある。数多の弁当屋や、お土産の菓子屋や、コンビニや、服屋までもが駅地下にあって凪は驚いた。凪のいた田舎の海辺の町では、ちょっと遊びに出るだけでも一時間近く電車に揺られなければならない。
ちょっと手を伸ばせば何でも手に入る、この都会でこの先暮らしていくのかと思うと、喜びだとか感慨だとかの前に、只々圧倒される。
「凪」
顔を上げて辺りを見回す凪に、掠れた声が掛けられる。女性にしては少し低めの声音は、最近漸く聞き馴染んで来たものだ。
凪の前方から、つかつかと女性が歩いて来る。靡く金の髪が黒のパンツスーツに映える。都会においてもその様は目立つのか、通りすがりにちらちらと視線が寄越されていた。
田舎町で、凪の容姿は常に好奇と悪意に晒されていた。それより多く人から見られているどいうのに、女性は意にも介さず凪の前に立つ。ヒールを履いているからか、視線の高さは然程変わらない。
「出迎えありがとう、母さん。これ、美奈子さんから」
「……ん、」
家を出る時に美奈子から持たされた菓子やら雑貨やら消耗品やらがわんさか詰まった袋を持ち上げる。軽く頷いた母は、顎で凪を促すと、さっさと身を翻す。良く来たね、だとか、疲れただろう、だとか、そうした気を遣う一言の一つもないのが母らしい。
スーツケースを転がすと、凪は苦笑しながら母の背を追った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2DKのマンションは、予想外に綺麗だった。勝手に母は家事全般が苦手なものと思い込んでいたのだが、通されたリビングは一切物が散らかっておらず、家具や小物も整然として、綺麗に掃除されていた。
スーツケースを玄関に置き、凪はリビングの机に美奈子からの土産の入った袋を置く。
「手洗うの、そっちでやって。ついでにあんたの部屋、見ときな。家具は入れてあるけど、段ボールはそのままだから」
母に促され、凪は、はい、とうん、の合間の、半端な返事をして、洗面所へ向かった。これから共に暮らす相手である。変に畏まるのは良くないが、かといって突然馴れ馴れしくするのもどうだろう。
余り一緒にいたことのない母親との距離感を測りかねながら、凪は洗面所へ向かう。
白いセラミックの洗面台は、水垢もなく清潔だった。コップに二つ、歯ブラシが刺さっていて一瞬ドキリとするも、何のことはない、自分が事前に伝えておいたメーカーのものだった。
洗面所を出て廊下を挟んで向かいの扉が、凪のものと言われた部屋だろう。そっと戸を押し開ける。六畳程のフローリングに、実家から運んだ学習机とベッドが置かれている。段ボールは数個、入り口の脇に詰まれていた。
早く本棚を買おう。実家の本棚は備え付けだったので持ってこられなかった。こちらに来てから通販で買うのが効率が良いと思っていたが、殺風景な部屋は少し落ち着かない。
(真壁はこんな思いを何度もして来たのか)
不意に胸の内に沸いた名に、凪は動揺した。
夏の日、夕凪の海、触れた唇の熱さまでもをまざまざと思い起こし、凪は最低限の家具しかない部屋を無意味にうろうろする。
こんなことで狼狽する自分がおかしく、滑稽だ。あの夏、ほんの一時過ごした来訪者は、凪を置いていなくなった。そして大学一年になったこの春まで、一度も会っていない。
「凪、」
部屋の入り口から顔を覗かせた母に声を掛けられ、凪は文字通り飛び上がった。
「何やってんの、あんた?」
「い、いや、何でもない……それより、何?」
「ああ、あたしそろそろ仕事行くから。外出るなら戸締まりよろしく」
「ああ、うん」
気もそぞろな凪に、不審げに化粧の乗った眉を顰めながら、母親は凪に問いかける。
「あんた、大学は週明けからだっけ?」
「うん」
「入学式、流石に大学生は着いてかなくていいんだよね?」
「うん、まあ着いて来る親もいるだろうけど、俺は、別に」
「あ、そ。分かった」
それだけ、と言って部屋を出る、そのさっぱりした姿が余りにも母親らしくない母親で少し笑えた。
大学進学を機に、凪は母親と二人暮らしを始める。実家に父親が帰って来て、再婚相手と、異母弟と、共に暮らす時にも果たしてどうなることかと思ったが、存外に何とかなるものだった。うだつの上がらない父親は空気のようなものだったが、父親の再婚相手――美奈子とはLINEを交わす仲だし、異母弟の湊はおにーちゃんおにーちゃんと懐いてくれている。
だからきっと、母親との暮らしも、何とかなるだろう。些か楽観的だが、大学進学を機に東京に出たいという凪の要望に応えて、一年半も空き部屋を用意しておいてくれた母親となら、きっと上手くやっていける。
十八歳、大学一年の春。入学式を明後日に控えた凪の前で、新しい部屋は先の展望を期待するかに、空白を晒していた。
目に入る情報が多く、頭がどっと疲れる。スーツケースを転がし、白瀬凪は人の少ない隅の壁にもたれ掛かった。
丁度ぴろんとLINEの通知が鳴り、凪は斜めがけのボディバッグからスマホを取り出した。
『凪君、そろそろ着いた頃かな? 大丈夫、迷ってない?』
心配性の美奈子からのLINEに、凪はふっと頬を緩めた。今年七歳になる息子を持つ美奈子は、時々凪のことも、幼い子供のように扱う節がある。
『今東京駅に着いた』
簡潔過ぎる返信をすると、即座に通知音が鳴る。家族間のグループLINEで、今度は湊からのスタンプだ。
最近湊のハマっているゲームのキャラクターが、画面の中で親指を立てながら動いていた。Goodの文字が踊る。良かったね、ということらしい。
昨年小学校に上がった湊は、入学祝いに小学生にしてはそれなりに上等なタブレットを買って貰い、そこにLINEを導入して貰ったらしかった。
お留守番も増えるし、Wi-fi飛んでる家の中だけでしか使えないから、まあ家族間だけでの練習よね。そんなことを言っていた美奈子は勝手に凪も含めたグループLINEを作り、お陰で凪のスマホは、今から帰るだの夕食はまだかだの友達と遊びに行って来るよだの、平和なトークで忙しい。
『おみやげきたい』
お土産期待。湊から送られた要望にくすりと笑いながら、凪は了解のスタンプを返信した。
スマホを仕舞い、ふうと顔を上げる。昼過ぎの東京駅は、平日であってもごった返している。そして何でもある。数多の弁当屋や、お土産の菓子屋や、コンビニや、服屋までもが駅地下にあって凪は驚いた。凪のいた田舎の海辺の町では、ちょっと遊びに出るだけでも一時間近く電車に揺られなければならない。
ちょっと手を伸ばせば何でも手に入る、この都会でこの先暮らしていくのかと思うと、喜びだとか感慨だとかの前に、只々圧倒される。
「凪」
顔を上げて辺りを見回す凪に、掠れた声が掛けられる。女性にしては少し低めの声音は、最近漸く聞き馴染んで来たものだ。
凪の前方から、つかつかと女性が歩いて来る。靡く金の髪が黒のパンツスーツに映える。都会においてもその様は目立つのか、通りすがりにちらちらと視線が寄越されていた。
田舎町で、凪の容姿は常に好奇と悪意に晒されていた。それより多く人から見られているどいうのに、女性は意にも介さず凪の前に立つ。ヒールを履いているからか、視線の高さは然程変わらない。
「出迎えありがとう、母さん。これ、美奈子さんから」
「……ん、」
家を出る時に美奈子から持たされた菓子やら雑貨やら消耗品やらがわんさか詰まった袋を持ち上げる。軽く頷いた母は、顎で凪を促すと、さっさと身を翻す。良く来たね、だとか、疲れただろう、だとか、そうした気を遣う一言の一つもないのが母らしい。
スーツケースを転がすと、凪は苦笑しながら母の背を追った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2DKのマンションは、予想外に綺麗だった。勝手に母は家事全般が苦手なものと思い込んでいたのだが、通されたリビングは一切物が散らかっておらず、家具や小物も整然として、綺麗に掃除されていた。
スーツケースを玄関に置き、凪はリビングの机に美奈子からの土産の入った袋を置く。
「手洗うの、そっちでやって。ついでにあんたの部屋、見ときな。家具は入れてあるけど、段ボールはそのままだから」
母に促され、凪は、はい、とうん、の合間の、半端な返事をして、洗面所へ向かった。これから共に暮らす相手である。変に畏まるのは良くないが、かといって突然馴れ馴れしくするのもどうだろう。
余り一緒にいたことのない母親との距離感を測りかねながら、凪は洗面所へ向かう。
白いセラミックの洗面台は、水垢もなく清潔だった。コップに二つ、歯ブラシが刺さっていて一瞬ドキリとするも、何のことはない、自分が事前に伝えておいたメーカーのものだった。
洗面所を出て廊下を挟んで向かいの扉が、凪のものと言われた部屋だろう。そっと戸を押し開ける。六畳程のフローリングに、実家から運んだ学習机とベッドが置かれている。段ボールは数個、入り口の脇に詰まれていた。
早く本棚を買おう。実家の本棚は備え付けだったので持ってこられなかった。こちらに来てから通販で買うのが効率が良いと思っていたが、殺風景な部屋は少し落ち着かない。
(真壁はこんな思いを何度もして来たのか)
不意に胸の内に沸いた名に、凪は動揺した。
夏の日、夕凪の海、触れた唇の熱さまでもをまざまざと思い起こし、凪は最低限の家具しかない部屋を無意味にうろうろする。
こんなことで狼狽する自分がおかしく、滑稽だ。あの夏、ほんの一時過ごした来訪者は、凪を置いていなくなった。そして大学一年になったこの春まで、一度も会っていない。
「凪、」
部屋の入り口から顔を覗かせた母に声を掛けられ、凪は文字通り飛び上がった。
「何やってんの、あんた?」
「い、いや、何でもない……それより、何?」
「ああ、あたしそろそろ仕事行くから。外出るなら戸締まりよろしく」
「ああ、うん」
気もそぞろな凪に、不審げに化粧の乗った眉を顰めながら、母親は凪に問いかける。
「あんた、大学は週明けからだっけ?」
「うん」
「入学式、流石に大学生は着いてかなくていいんだよね?」
「うん、まあ着いて来る親もいるだろうけど、俺は、別に」
「あ、そ。分かった」
それだけ、と言って部屋を出る、そのさっぱりした姿が余りにも母親らしくない母親で少し笑えた。
大学進学を機に、凪は母親と二人暮らしを始める。実家に父親が帰って来て、再婚相手と、異母弟と、共に暮らす時にも果たしてどうなることかと思ったが、存外に何とかなるものだった。うだつの上がらない父親は空気のようなものだったが、父親の再婚相手――美奈子とはLINEを交わす仲だし、異母弟の湊はおにーちゃんおにーちゃんと懐いてくれている。
だからきっと、母親との暮らしも、何とかなるだろう。些か楽観的だが、大学進学を機に東京に出たいという凪の要望に応えて、一年半も空き部屋を用意しておいてくれた母親となら、きっと上手くやっていける。
十八歳、大学一年の春。入学式を明後日に控えた凪の前で、新しい部屋は先の展望を期待するかに、空白を晒していた。
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