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禁断の自覚症状
しおりを挟むコキンちゃんが七三倉の元に行き、距離を詰める。
今日も黒シャツに黒パンの七三倉。コキンチャンはチェックのロングスカートだ。
2人の後ろ姿は、いい感じの身長差カップルに見えた。見てみないフリをし、遠くにある“ヤギと羊のミルクソフト”の旗を見つめる。
「成世さん、あのソフトクリーム、気になりますか?」
本浪さんが隣に来て、私の思考をソフトクリームに変換してくれる。
「ヤギと羊のミルクって何か違いがあるんですかね?」
「一緒に食べ比べしてみますか?」
「いいですね。…まさか、ヤギと羊の搾乳機もフォーカス製ですか?」
「い、いえ、牛だけです!うちはそこまで搾乳機にこだわってませんから!」
なぜか顔を赤くして“牛だけ”を強調した本浪さん。さっきまで自社製搾乳機を力説していたのが嘘のようだ。
七三倉とコキンちゃんが別のエリアに行ってしまった隙に、私と本浪さんは勝手にソフトクリームを堪能していた。4人で一緒に来た意味はまるでない。
ベンチに座り、ピンクのペチュニアを一望しながらヤギのソフトクリームを一口食べてみれば、さっぱりとしたミルク感を感じた。
本浪さんは羊のソフトクリームを食べている。
「ヤギは意外とさっぱりしてますね。」
「ほんとですか?羊は割と濃厚ですよ。」
隣から本浪さんに羊のソフトを差し出されて、髪を耳にかけつつ自動的に唇で挟むようにクリームを味わった。
「あ、ほんとだ、羊はすごい濃厚。本浪さん、ヤギの方も食べてみて下さい。」
本浪さんの口元へとヤギのソフトを差し出せば、少し躊躇いながらも、唇でゆっくり頬張った。
「どうです?ヤギの方が薄味じゃないです?」
会話だけだと、ヤギと羊の肉を喰らっているかのようにも捉えられてしまいそう。
本浪さんの評論を聞こうと見つめれば、本浪さんの顔がどんどん赤く染まっていった。
「す、すみません。俺、何も考えずに自分の食べかけ差し出しちゃって、」
「え?い、いえ、私の方こそ。」
「……た、確かに、ヤギの方が、薄味ですね。うん。でも俺、ヤギの方がタイプです。」
「え?ほんとですか?じゃあ交換しましょうか。」
「え?あ、い、いいんですか?」
「私けっこう羊のがタイプだったりします。」
「あはは。こ、交換しましょうか。」
紺色のシャツにダメージジーンズを履く本浪さんは、女性に慣れていないようでも何気なくエスコートしてくれている。
「成世さん、お茶いりますか?ペットボトル買ってきますよ俺。」
「ボトル持参しているので大丈夫ですよ。」
「あ、待って。クリーム垂れそう。」
本浪さんがティッシュを出してくれて、私に渡してくれる。
「本浪さんて、もしかして下に弟や妹がいたりします?」
「え?はい、弟が4人いて。なんで分かったんですか?」
「女性が苦手な割に、けっこう世話焼きだなって思ったので。」
「すみません。馴れ馴れしかったですよね俺。」
「いえいえ。て5人?5人兄弟??」
「そうなんです。」
「大所帯なんですね。」
ソフトクリームのワッフルコーンをかじれば、見事にコーンが壊れてパンツにクリームが垂れてしまった。
「(牧場に白パンツを履いてくるんじゃなかったな。)」
ハンカチを取り出して拭き取ろうと試みれば、本浪さんがすぐに立ち上がってお手洗いに入っていった。でも10秒もしない間に帰ってきて、私の前に座りしゃがみ込んだ。
「シミになるかもしれないので、一応ハンカチ濡らしてきました。ちょっと失礼しますね。」
「(え、拭いてくれるの?)」
手際よく、私の太もも部分のパンツをつまんで、垂れてしまったクリーム部分を叩くように拭っていく。お母さんのような行動に、思わず見入ってしまった。
「今日は天気がいいので、この程度ならすぐに乾くはずですよ。ジーパン生地なので目立ちませんし。」
「あ、ありがとうございます。このパンツ、履きやすいので気に入ってて、」
「白のジーパンが似合うなんて羨ましいです。」
今まで男性には自分が世話をする側だったせいなのか。世話を焼かられることに戸惑ってしまう。
嬉しいような恥ずかしいような。
結局白パンはシミになることなく、すぐに乾いた。
本浪さんに誘われて、ペチュニア畑を2人で散歩する。
「鵜之内科の院長って実は20歳も年下の奥さんがいるんですよ。」
「そうなんですか?知らなかった。成世さんは鵜之内科と繋がって長いんですか?」
「いえ、まだ3年目なので未だに怒鳴られてます。」
「成世さんの精神力、凄すぎますって!あの院長相手に3年も通えるなんて。さすがですよ。」
ああいう文句ばっかいう人ほどお得意様になってくれやすいんですよ。
キャバの世界でも、毎回私を貶す癖に、絶対私しか指名してこない理解不能なお客さんがいたのを思い出す。
「私、なぜか男性からは当たりがキツいというか、いじられやすいんですよね。」
「そうなんですか?」
「西條さんにしろ七三倉にしろ、私のことを男扱いしているというか、ストレス解消のおもちゃのように扱うので困ったものです。」
「それって、けっこう重めなハラスメントの部類じゃありません?会社に訴えてもいいくらいじゃないですか?」
「え?あんまり重いとかは感じたことがないですけれど。」
本浪さんに、ぎょっ。とした顔で見られてしまう。
キャバという仕事に慣れ親しんでしまったからなのだろうか。西條さんや野口さん、七三倉に鵜之内科の院長その他諸々。ハラスメントをハラスメントと受け止められず、麻痺してしまっているのかもしれない。
自分でもよく分からず。でも私にとっては、本浪さんに鵜之内科の仕事を盗られることの方がよっぽどストレスになるのだ。
そんなことを考えていれば、ピンクのペチュニア畑のぬかるんだ道に足を取られそうになった。でもすぐに本浪さんが肩を支えてくれる。
「あ、すみません。なんだか本浪さんには格好悪い姿ばかり見せてしまって。」
不意に顔を上げれば、そこには真剣な眼差しを向ける本浪一斗の顔があった。
「あの。会社では成世さんは気を張っているのかもしれませんが、俺の前では、遠慮なく……」
「……?」
「あ、甘えてくれて、ぜんぜん大丈夫なので。」
「あ、ありがとう、ございます。」
「い、いえ。むしろ、もっと甘えて下さい。」
「あ、は、はい。」
今日は風も吹いていないのに。
ちょっぴり、心臓が揺れている。
「甘えてくれ」だなんて、これまでの人生で誰かに言われたことがあっただろうか。
記憶を走馬灯のように辿っていってもその記録は見つからず。今の本浪さんの言葉、しっかり耳に焼き付けてしまう。
触れられた肩が熱くなり、姿勢を立て直せば本浪さんが手を差し伸べてくれる。
今、手を繋いだら、きっと私の手汗がひどくて引かれちゃう?それでも本浪さんなら受け入れてくれそうな気がして。彼の手を取ろうとした。
「アッキーナ、俺にもいっぱい甘えて?抱っこもおんぶも性感マッサージもいっぱいしてあげる。」
いつの間に来ていたのか。七三倉が私の手を取り、ペチュニア畑の坂を下っていく。
ぎゅっと、固く手を繋がれた。
「あれ?あんた、いつの間にいたの?」
「5分ほど前から。」
「は?ちょっと、何邪魔してくれてんの?」
「なにが?」
「今見てたんでしょ?私と本浪さん、すっごいいい雰囲気じゃなかった??」
「ははは。俺お邪魔虫だった?」
「虫ケラにも負けない虫だった!」
こっちを見ようともしない七三倉に手を引かれて、ペチュニア畑を脱出する。
コキンちゃんが手を振ってこっちにやって来るのが見えて。コキンちゃんに申し訳ないと思い、七三倉の手を無理に振り払った。
「七三倉さあん!ヤギのソフトクリーム買ったんですけど一緒に食べませんかあ~?!」
「あ、食ってみたいかもー。」
私に手を払われたにも関わらず、全く私の方を見ようともしない七三倉。そのままコキンちゃんのいる場所まで歩いて行ってしまった。
「(自分から邪魔しに来といて、結局そっち行くんかい。)」
私も大概、やっていることと思っていることがあべこべである。
2人の方を見れば、七三倉がコキンちゃんの持つソフトクリームをパクリと食べている。2人で1つのアイスかよ。
コキンちゃんが、やたら嬉しそうにそのソフトを舐めていて、心の中でコキンちゃんを応援したい自分と、その様子を見ていられず目を背けてしまう自分がいる。
同じソフトクリームを食べてる姿が、こんなにも猥雑にみえるなんて知らなかった。
「成世さん、そろそろバター作りの時間じゃないですか?」
「あ、本当だ。体験所の方に行きましょうか。」
後ろから来た本浪さんに言われて、体験所の方へと歩いていく。体験所の予約番号を確認しようとスマホ画面を見ていれば、七三倉からラインが入ってきた。
〈うぜえ。〉
……は。あんたに言われたくないんですけど?
◆◆◇
「……成世さんって、実家がパン屋やってるとかですか?」
「え?いえ実家は特に家業はしてませんよ?」
ヒノキの香りが漂うコテージの休憩所にて。バター作りはほんの20分ほどで終わり、家で作ってきたパンを紙皿に並べる。
あんバターと合わせるついでに、色々なパンを作ってみたのだ。
「だってこれってベーコンエピってやつですよね?こっちはもしかして、カレーパン?」
「それはビーフシチューパンです。」
「どれも美味そう…。成世さんって実は家庭的なんですね。仕事もできて家庭的なんて最高じゃないですか。」
ベタ褒めをしてくれる本浪さんの言葉に、ついニヤけてしまいそうになる。
「成世さんって女子力高いですよね!今度私にもパン作り教えてください!」
「20時間ほど古今さんの時間を取らせることになりますけど大丈夫ですか?」
「本格的すぎてすでにギブアップしそう!」
ロールパンの間に、作りたてのバターとあんこを挟んでコキンちゃんに渡せば、幸せそうな顔で食べ始めた。
私がパン作りに励んでも、とてもコキンちゃんの女子力に追いつけるとは思わない。
「女子力っていうより創作ロボみたいじゃん。」
勝手にベーコンエピを手に取り、立ったまま食べ始める七三倉。鼻で笑いながら、歯でむしるようにかじった。
「フォーカスの搾乳機みたく無心で20時間働いてそうだわ。ペッパーくんよりも無表情だし。」
ペッパーくん?あー、確かに私より表情豊かかもしれない。でも七三倉だって無機質な部屋で無機質な生活してたじゃん!
「お前っていつも成世さんにそんな失礼なことばっか言ってんのか?子供じゃないんだから、」
「大丈夫だって。成世秋奈は何事にも動じない女なんだから。」
「晩、マジでやめろって。」
「いちいち突っかかってくんな。お母さんかよ。」
「成世さんに突っかかってるのはお前の方だろ!」
本浪さんが庇おうとしてくれるも、七三倉はすでに聞く耳を持たず。自販機の方へと歩いて行ってしまった。
ムカつくな。やたら心の中の貧乏揺すりが止まらない。
人がせっかく七三倉のために、ジャムから手作りしたジャムパンを作ってきたというのに。
ここで出そうかどうしようかと迷っていれば、コキンちゃんが七三倉の元へと走って行った。
さりげなく七三倉の腕に触れ、楽しそうに談話している。
ホストのキラに何人もの女性の影があるのは当たり前のことなのに。ALISSの社員である七三倉晩に女性の影があるのは、なぜか納得できない。
だって。七三倉晩の家を知っている女は私だけのはずだ。
それとも、本当は今までにも沢山女を家に上げたりしているのかな。きっとしてるよね。だって、軽い気持ちで重い言葉を吐くのが仕事だし。
「なんか、色々考えるのって、怖い。」
そのまま思っていた言葉をつぶやいてしまえば。
本浪さんに数秒、間を置いてつっこまれた。
「怖いのは、すでに成世さんの中で答えが出ているからだと思いますよ。」
「え?」
本浪さんの前にビーフシチューパンを乗せた紙皿を置く。軽く会釈をして、続きを口にした。
「成世さんの中にある答えが、現実では受け入れられないと決めつけているから怖いんだと思います。」
本浪さんが、私に目配せをして視線を誘導させる。誘導された先にあるのは、七三倉とコキンちゃんの楽しそうな姿だ。
怖い?旭陽の時のように振られるから?
それとも違う世界の住人に踏み込むから?
コキンちゃんが七三倉の腕から手を放し、自販機で選び始めた。その瞬間。
七三倉が振り返って私を見る。コキンちゃんに触られた腕あたりを、わざとらしく手で軽く払って。じっと私の瞳を探るように目を細めた。
意味深な素振りに、武者震いがする。
またすぐにコキンちゃんが七三倉に話しかければ、七三倉が笑いながらコキンちゃんと一定の距離を保った。
コキンちゃんに対し、深く踏み込まれないよう線引きをしているかのような七三倉の仕草。それを見て、自分の中の恐怖が明るみになる。
「(そっか。私、七三倉との未来を視るのが怖いんだ。)」
鞄の中のジャムパンを見つめれば、自然と目の前が歪んで見えた。
あのね、七三倉。
何事にも動じない女、じゃないよ私。動じまくってるよ。なんでそんなことも分からないの?この馬鹿。
今だってコキンちゃんとの仲を引き裂きに行きたいほど苛々してるんだよ?
あんたがほっぺにキスしてくれた時、どれだけ私の中で舞い上がってたか知ってる?
あんたとセックスした日、本当はどれだけ私がお風呂で泣いてたか。あんた、分かってんの……。アラサーだって処女卒業するのに相当勇気が必要だったんだよ?
でもそれ以上に、あんたの奇行には動揺した。
あんな簡単に電子決済でお金をバンバン振り込むの?
SEって自分が一番やりたかった仕事じゃなかったの?
高い機種のスマホをお風呂に沈めるわ、ブランドものの服をハサミで切るわ。そんな発想思いつきもしなかったわ。
七三倉晩という人種との違いに、私の心労はたたる一方だ。
このままだと涙が溢れてしまいそう。
こくりと喉を鳴らして、俯く。すぐに本浪さんが手を引いて、その場から私を連れ出した。
コテージの裏にある草むらの前で。本浪さんが私を抱きしめた。
「すみません。俺が『あいつはやめとけ』なんて言ったから。」
「いえ……。でも、その通りだと思うので。」
これ以上本浪さんには甘えられないと、できる限り涙を押し殺した。
キラと七三倉晩を好きになったところで、自分が辛い思いをするのは目に見えていた。
きっと彼の家庭環境は本当に複雑で、価値観はまるで違うのだ。『金しか信用していない』という言葉通り、本当にお金を稼ぐためだけに生きてきたのだろう。
私みたいに、1位を取らないと気がすまないだなんて呑気なことを言っている場合ではなかったのだ。1位を取らなければ、生活自体ができなかったのだと思う。
自分がこれまで獲ってきた1位という称号を、今初めて呪った。私のは1位なんかじゃない。ただ恵まれた環境で育ち、周りに助けられた人生だったというだけだ。
七三倉が私に好意を寄せる一方で、どれだけ疎ましく思っていたことだろう。そりゃ私なんかに1位を獲られたくないし、嫌味の一つや二つも言いたいだろうよ。
「七三倉のこと、好きなんですね。」
「……はい。」
「それなら、素直に好きって言ってもいんじゃないですか。」
ぎゅうっと抱きしめる力を強めた本浪さん。本浪さんの腕は泣き散らす場所というよりも、居心地がよくて落ち着く場所だ。
「でも、なにも視えないんです。“好き”って言った先の未来が。」
私もコキンちゃんと同じで、恋人の先に結婚という未来を見据えたい。
でも七三倉とはその先の未来がないのだ。彼は人の愛情とお金に飢えているホストで、誰もが思い描く幸せな家庭を築けるとは思えない。
サヤ姉とシュンヤさんのような懐の広い人間にはなれるわけがない。だって、七三倉晩という人間を支えていける自信なんて、普遍的な環境で育ってきた私にあるはずないのだから。
幼い頃母親に捨てられたという言葉が、父親が入院していたという言葉が、嘘だったらどれだけ良かったことか。
本浪さんの腕が、ゆっくりと解かれていく。
ふと、ペチュニアに囲まれた場所で見た、真剣な眼差しが迫った。
「成世さん、俺がいます。」
気付けば本浪さんにキスをされていた。
きっと七三倉の中の私も、違う世界の住人なのだ。
こんなにも噛み合わない“好き”があるなんて、知らなかった――――。
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